オウム真理教事件から20年

 
 今から20年前、すなわち1995年 3月20日は、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起こった日である。

 その20年目という区切りにちなんで、メディアでオウムの犯罪を振り返る特集が組まれているのをいくつか見た。
 「あの時代に、なぜあのような事が起きたのか」
 事件を回顧する識者は、そう問題提起し、
 「真相が解明されない以上、あのような惨劇は再び起こりうる」
 と警鐘を鳴らす。

 事件そのものを知らない10代~20代の若者が増え、オウムが解散した後においても、同組織の流れを受け継ぐ団体の勧誘を受けて、無防備に参入する人たちが後を絶たないとも。

元オウム信者の精神風景

 オウムが若者たちを惹きつけた理由は何だったのか。
 小説家の村上春樹は、オウムの元信者たちにインタビューした『約束された場所で』(1998年刊)という書物で、オウムに関わった人々の精神風景を浮かび上がらせようとした。


 
 その本の中で、オウムに入信した人々の求めたものがどのようなものであったかを、端的に伝えた一つのインタビューがある。

 「狩野浩之」という名前で登場する元オウム信者の話だ。
 1965年生まれの男性で、村上春樹が彼を取材したときは30代半ばという年齢であった。

 この狩野氏は、とにかく幼い頃から頭脳が鋭敏に回り、大人たちと議論しても負けたことがなかったそうだ。
 しかし、読書は苦手だったという。
 村上春樹が、「あなたは小説って読めないでしょ?」と聞くと、
 「読めないです。3ページくらいで忍耐力の限界がきちゃいます」
 と答えている。
 
 狩野氏は、こう言う。
 「(自分は)本を読むのがものすごく苦手だったんです。読んでいると、いろんなアラが見えてくる。特に哲学の本などは、偉い先生が『自分はこれだけ知性が高い』ということを示すためだけに書かれているような気がしたのです」

 狩野氏はこのように、既成の人文系書籍はアラばかり見えて読むのに耐えないと語るが、スピリチュアルな書籍にだけは関心を示したらしい。

 そういうスピリチュアル系の心霊学者で、スウェデンボルグという研究者がいる。
 その人のことを、狩野氏は次のように評価する。

 「スウェデンボルグは50歳を境に急に霊能者になって、死後の世界に対してものすごい量の記述を残した人ですが、その論理の鋭さには感心しました」

 狩野氏は、テーマが心霊研究のような実証的な科学とは相いれないものであっても、それを叙述する “理屈” に整合性があれば、それは信頼するに足るというのだ。
 
 そのように、スピリチュアルな世界にのめり込んでいった狩野氏が、最後にたどりついたのが、オウム真理教を創設した麻原彰晃の言葉だった。

 このとき、狩野氏は次のようなことを考えていたという。
 「形あるものはいつか壊れる。人間も同じ。必ず最後に死が来る。すべてのものが真っ直ぐに破滅に向かっている。
 言い換えれば、破滅こそが宇宙の法則。オウム真理教で説かれる仏教の根本的な無常観というのは、私が考えていた宇宙の破滅の法則と同じようなものだった。
 しかし、他の仏教の本は、内容が直接的ではなかった。自分が知りたい部分までうまく検索してたどり着けないという感じだった」

 その点、オウムの説く “仏教” は、クリアな言葉で、ストレートに破滅に向かう宇宙の法則を説き明かしたというのである。

 さすがの村上春樹も、たまりかねて、次のような発言をしている。
 「(他の仏教書や哲学書があいまいな部分を持っているとしても)、世の中の人々が送っている人生の大部分は、測定できない雑多なもので成り立っているんですよ。それを根こそぎ測定可能なものに変えていくというのは、おかしいのではないですか?」

 しかし、インタビューを受けた狩野氏は、その村上春樹の言葉をさえぎって、こう言う。

 「オウムには、どんな疑問に対してもすべて答が用意されていた。(人間が生きていくうえで抱えるあいまいなものに対して)、すべて明瞭な答が返ってくる。
 だから私は、(今は)仏教を数値で説明する方法を考えている」

 チベット密教やヒンズー教、さらにはキリスト教的な要素が錯綜しているオウムの教義が、はたして「仏教」と言い切れるかどうかは疑問だが、少なくともその信者たちには、その異端性がゆえに、まったく新しい境涯に自分を誘導してくれるものとして映ったのだろう。
 村上春樹のインタビューに答えて、狩野氏が「仏教を数値で説明する」と言ったのも、「既成の仏教はそれをしてこなかったから」という思い込みがあってのことでである。

 オウムの教えを外から眺める私たちは、ともすれば、信者たちが怪しげな神秘体験に感応したと考えがちだが、この狩野氏がいうように、彼らは、自らが経験した神秘体験には合理的な根拠があると信じていた節がある。

 実際には、それらの神秘体験は、薬物を使ったり、巧妙な洗脳技術による生理的な脳内変化に過ぎないのだが、オウムの教義にはそれを論理化する罠が仕掛けられていたといえるだろう。
 
 
人間の心は「数値」で解明できるのか?

 とにかく、狩野氏が言い切った「仏教を数値で説明する」という発言に、オウムに何かを求めた若者たちの一つの具体像を読み取ることができる。

 「仏教を数値で説明する」というのは、すなわち理詰めでものを考えるということだ。
 それは、科学的合理性を追求する手法として広く認められているものだが、そこに落とし穴がある。
 人間の心の問題は数値化できないからだ。
 喜怒哀楽の感情が起こったときに、人間の脳のどの部位が刺激されているかということは解ったとしても、喜怒哀楽というのは複合的なものだから、哀しみのなかに解放感があったり、歓喜の頂点で虚脱感が訪れたりする不思議さを説き明かせない。

 なぜなら、コンピューターと違って、人間の脳は一つの行動をしながらも、それとは関係ないさまざまな情報処理を同時並行的にこなす能力を持っており、単一な思考として取り出すことは不可能だからだ。
 「心」とは、この複合的な脳の情報処理を総体的に表現したもので、そのほとんどは無意識の領域に属する。(人間は、このような高度な情報処理能力を手に入れるのに、340万年かけている)。

 しかし、狩野氏は、そのような人間の “心” の成立過程を無視して、「心」は数値化できるし、「宗教」もまた数値に置き換えることが可能だと言い切る。

 このようなオウム側にいた人々を何人か観察した後に、村上春樹は、巻末に収録された精神科医の河合隼雄との対談で、こう語っている。

 「(オウムの信者たちと話していると)、宗教的な話になったときに、彼らの言葉に広がりというものがないことに気づいた。それはなぜなのだろうと、ずっと考えてきた。
 つまり、オウムの人たちは、口では『別の世界』を希求しているにもかかわらず、彼らの考える世界というのは、奇妙に単一で平板である。あるところから広がりが止まってしまっているように思えた」

 その例として、村上は、当時オウムの広報担当員として麻原彰晃に代わって、マスコミとの質疑応答をこなした上祐史浩に対する印象を、こう述べる。

 「(上祐という人は)非常に巧妙なレトリックを駆使して論陣を張る。しかし、彼が言っているのは、ひとつの限定された言語空間の中だけで通用する理屈でしかない。その先にまでには、まったく広がらない。
 だから、当然ながら人の心には届かない。… でも、(彼の議論の)相手は彼を言い負かすことができない。(彼の議論には)深みがなく、なんか変だと思っても、有効に反論できない。
 そのことをオウムの人たちに聞くと、それは上祐さんみたいに頭の良い人はいないからだ、とみんな言う」

 このエピソードにおいても、オウムにいた人々は、世の声には耳を閉ざしながら、教団内で信頼できると思った人のレトリックだけを頼りに世界を眺めていた様子が伝わってくる。

 村上春樹のこの観察を受けて、河合隼雄は答える。

 「(オウムに関わった人々も)、やはり最初は『世の中がなんか変だ』と疑問を持ってオウムに入ったわけですが、その『何か変だ』という疑問も、教団の中に入ると、『それはカルマ(業)だ』ということで、きれいに説明がついてしまう。一言ですべて説明がつく論理などというものは、絶対にダメなんです」

 河合隼雄は、そこで文学やアートの力というものに言及する。
 要は、文学やアートというものは、「この世が一言で説明できないもので成り立っている」ことと教えてくれるものだという。

 特に小説ともなれば、その人の教育レベル、生活環境、交友関係などといった後天的な体験の積み重ねによって、哲学のようにも読めるし、社会学のようにも読めるし、恋愛論のようにも読める。
 そのように、読者が求めるものによって内容が変化することを、もし「あいまいだ」というのならば、人間そのものが、本来あいまいな存在なのだ。

 そもそも、文学やアートに「あいまいなもの」を感じるということは、送り手の論理が錯綜しているから “あいまい” なのではない。
 受け手の頭脳が “思考中” だから、あいまいに思えるのである。
 しかし、その脳活動に費やしたエネルギーが、その人の思考力を鍛え、自分にとっての「真実」を見つけ出す力をつちかう。

 だから、そのようなプロセスを経ずして、いきなり回答が与えられたならば、その段階で、思考する人間の脳活動は停止する。
 オウムの人たちが、「解った !」と思わず膝を打つようなクリーンな回答というのは、彼らの脳活動の停止によってもたらされたものに過ぎない。

 そういった意味で、オウム側にいた人々のインタビュー集が、「本を読むのが苦手だった」と告白する人(狩野氏の例)から始まるのは象徴的だ。
 理解力は備わっていても、読書によって鍛えられたことのない脳は、シンプルで力強い論理に簡単に染色されてしまう。
 狩野氏の例は、まさにそのことを語っている。
 おそらく村上春樹も、そのことを意識してこの人の話を冒頭に持ってきたに違いない。
 
  
資本主義は、人間の「煩悩」を解放した

 村上春樹との対談のなかで、河合隼雄は次のようなことを述べる。
 すなわち、「近代社会は仏教でいう『煩悩(ぼんのう)』を解放することで進んできた」というのだ。

 多くの仏教でいわれる「煩悩」とは、物欲だとか色欲だとか、現世的功名心などの欲望一般を指し、それがゆえに人間は真の幸福から遠ざけられていると説く。
 しかし、資本主義マーケットは、その人間の「煩悩」に見せかけの輝きを与え、消費者にそれを追い求めるように仕向けることによって、拡大を図ってきた。
 
 そのため、近代資本主義は、商品の大量販売をもくろむあまり、広告展開やらメディア戦略を通じて、消費者の価値観の単一化を進めてきた。

 もちろん、そのような社会に欺瞞を感じる人間も出てくる。
 その一部の人たちが、「煩悩」からの解脱を求めてオウムに吸い寄せられ、さらには煩悩の元となる個人の私有物をまったく持たない出家生活に飛び込んでいった。

 だが、そういうオウム信者たちがすでに、資本主義マーケットの展開によって “刷り込み” された「単一型思考」に馴染んでいる。
 つまり、オウム的な思考というのは、逆にいえば、現代の資本主義社会を支えている価値観をとことんまで推し進めたものではなかったか、と推論することもできる。

 もちろん、オウム思想の向かう先は、現代社会の価値観の転覆にあった。
 しかし、その思想を語るときの筋道は、ベクトルこそ真逆を向きながら、資本主義マーケットを成立させた現代的価値観の追求と同じ軌跡を描いていた。

 マーケット形成のために、消費者の心を巧妙にくすぐる商品開発と、その感性をわしづかみする美辞麗句に満ちた資本主義的なキャッチ。
 それは、消費者の判断力が働かないうちに商品にシンパシーを抱かせる一種のマインドコントロールである。
 オウムの教義は、このような資本主義マーケットを成立させたマインドコントロールの手法を、疑似宗教的な装いでくるんで徹底したものに過ぎない。

 だから、こうも言えるだろう。
 オウムの教義は、現代社会の価値観をもっとも自分の心に取り込んだ人々の心を射止めたのだと。

 オウム入信者がたくさん生まれた1980年代というのは、日本の消費社会が爛熟期を迎えた時代だった。
 その時代に青春を過ごした若者たちは、洗練された商品広告に浸りきることで、時代の先端をゆく快感も知っただろう。

 しかし、その快感は、90年代に入って、やがてヒタヒタと足音を忍ばせて近づいてくるバブル崩壊の予感にとって代わる。

 バブル崩壊期に、若者たちの心に忍び込んできた「豊かな社会が終わろうとしている」という終末的な気分は、今の時代と比べ物にならないくらい強かったに違いない。
 事実、「世界の終わり」を予言した『ノストラダムスの大予言』という本は、1998年の発行部数において、空前絶後の209万部を誇った。
 
 
「世界の終わり」とは、ゲームでいうリセット

 その本では、1999年の7月に空から「恐怖の大魔王」が降ってきて、世界は滅亡すると説かれており、マジに信じ込んでいた小学生が多かったとも伝えられている。
 高校生ぐらいの女子の間でも、「世界が滅亡する前に、処女のまま死ぬんじゃなくて、セックスだけは経験しときたいよね」などという会話が真面目に交わされていたという話も聞く。

 440年も前の預言者の言葉を、現代社会に当てはめること自体に飛躍があるが、メディアがシャワーのように垂れ流す「単一思考」に慣れた人たちにとっては、それは「飛躍」ではなくて、きわめて自然な現状認識であったのかもしれない。

 実際に、オウム入信者は、このノストラダムスの予言と照合する形で、麻原彰晃の唱える「ハルマゲドン(最終戦争)」説に素直に感応している。
 それは、ゲームでいう “リセット” の感覚だったのだろう。

 もし、オウム信者の精神を「異常」だというのなら、それは我々の住む社会の価値観そのものが異常なのかもしれない。

 考えるべきことは、資本主義の成長にとって、「異常」はけっしてマイナスではないということなのだ。
 「異常」であることは、「正常な価値観」からの異質性を強調し、消費者の注目を集めるために必要不可欠の要素になるからだ。

 資本主義マーケットにおいては、すべての新商品は、“異常なもの” として注目されることによって、人々にはじめて認知される。
 我々が、その思考に慣れている限り、いつでもすぐそばに “オウムの誘惑” が待っている。
  
  
関連記事 「オウムのチープな教義を笑えるか?」
  
参考記事 「5のつく年は、何かが起こる」 
  
 

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キャンピングカーと風景と音楽の相関関係

 
 人は、キャンピングカーの室内で、何をしているのが一番楽しいのか。
 たとえば、キャンプ場、RVパーク、湯YOUパークなどの宿泊施設において車内でくつろぐ場合、一番多い過ごし方はどのようなものか。
 
 ① 旅の印象や過去の思い出などを夫婦で語り合う。
 ② 夫婦(もしくは一人で)テレビを観たり、映画・音楽などを鑑賞する。
 ③ 子供たちと語り合ったり、ゲームをしたりする。
 ④ 他の親しい家族や仲間たちと語らい合う。
 ⑤ 車外に出て、星座観察などを行う。
 ⑥ 釣りや自然観察などの趣味を実現させるための準備を行う。
 (※ 日本RV協会ホームページ2015年 3月のアンケートコーナーより)

 このRV協会のアンケート調査では、3月17日の締め切り時点で、「夫婦(もしくは一人で)テレビを観たり、映画・音楽などを鑑賞する」という回答が238票のうち112票(46.7%)を獲得し、トップに立った。
 
 テレビや映画・音楽の鑑賞。

 「キャンピングカー」という言葉とは裏腹に、またなんと “インドアっぽい” 答が一位に浮上したではないか。
 まるで、大都会の中でも使える “モバイバルオフィス” であるかのようだ。

 しかし、キャンピングカーをシアタールームとして使っている人が多いということは、それがいかに “視聴覚空間” として高い完成度を誇っていることを物語ってはいないか? 
 
 キャンピングカーは、一般的な住居よりもさらに密室性が高い。
 つまり、外界からの刺激を遮断して、音や映像に対する人間の意識を研ぎ澄ませやすいシチュエーションが確保されているのだ。

 言葉を変えていえば、“意識の覚醒空間” である。
 一見、インドア的な状況を色濃く保持しながらも、キャンピングカーの室内においては、人間の意識が車外に飛び出し、“宇宙” と直接交信する。

 家にいるときは、テレビ、映画、音楽の鑑賞というのは、あくまでも日常性の領域にとどまっている。
 しかし、キャンピングカーにおけるテレビ、映画、音楽の鑑賞は、単なるヒマつぶしではなく、非日常への飛翔である。

 なぜ、そうなのか?

 それは、キャンピングカーが絶え間ざる移動を繰り返していく乗り物だからだ。
 車中泊時にテレビを観ていても、映画を鑑賞していても、音楽を聞いていても、窓の外に広がる風景は、毎日けっして同じではない。

 あるときは木々の緑が鮮やかなキャンプ場であったり、湯けむりがたなびく湯YOUパークやRVパークの駐車場であったり、また海を遠望する駐車場であったりする。
 
 居住空間の外に広がる景色が変化していけば、人間の感受性はそれだけ刺激を受けて鋭敏になる。
 感性が研ぎ澄まされてくれば、車内で映画を観ても、そのテーマの本質にずばり肉薄できるだろうし、音楽を聞いても、それが琴線をかき鳴らすように響いてくる。
    
 そんなわけで、私はキャンピングカーの中で過ごすときは、常に「車外に広がる風景」にこだわる。
 どんな風景を眺めながら、室内でくつろぐか。
 個人的には、それがキャンピングカーライフの最重要課題だと思っている。

 たとえば、中央高速の諏訪湖SAの上りの駐車場。
 ここは、一番長野寄りのはじっこにベストビューが凝縮している。
 そこに頭から突っ込むと、フロント席と左側ウィンドウに諏訪湖の大パノラマが広がる。
 湖と山並みの調和を楽しめる昼間もいいし、対岸の灯りが湖面に写り込む夜景も素晴らしい。

 このベストスポットが他の車両に占領されているときは、辛抱強く待つ。
 その場所の近くにいったん車両を止め、運転席で待機しながら、その場が空くまでじっと待機する。
 バカバカしい話に思えるだろうが、それくらいのこだわりがなければ、キャンピングカーの室内空間を、夢の広がる異次元空間に変貌させる魔法は生まれない。

 たとえ、車内でコーヒーを一杯飲むだけであっても、車を止める場所や角度には慎重になる。
 大昔は、3ウェイ冷蔵庫の吸排気のルーバーが日陰になる場所とか、寝るときに地面が水平になる場所、(発電機を積んでいた時代は)騒音で周囲に迷惑をかけない場所、あるいはトイレが近い所などにこだわっていたが、今は景色が最優先。
 キャンピングカーにおける休憩では、景観の良い場所を確保することが何よりも非日常性を手に入れることだと思っている。

 そして、運よくキャンピングカーの室内から、美しい夜景などを眺められる機会を得たときなどは、こんな素敵な乗り物に出会えた運命に感謝したくなる。

 そういう “異次元空間” に入り込んだとき、中で何をしているのが楽しいのか。

 私の場合は、音楽である。
 目の前に現われた “天然スクリーン” をより効果的に堪能するには、音楽というBGMは欠かせない。

 ドライブしているときに、車内で流れる音楽が変わるだけで、同じ景色が違ったように感じられることは誰でも経験しているはずだ。
 キャンピングカーの室内でも、しかり。  
 車中泊するときも、私の場合は、気に入った音楽を楽しむために風景を選ぶ。あるいは、風景に見合った音楽を選ぶ。

▼ 緑豊かなキャンプ場で、朝目覚めた時ときに聞く音楽なら、「Goodtime Charlie’s Got The Blues」(Chet Atkins & Earl Klugh)

 
 上の「Goodtime Charlie’s Got The Blues」を演奏しているのはチェット・アトキンスとアール・クルーだが、もともとはアメリカのシンガーソングライターであるダニー・オキーフが1971年に発表した曲。
 アール・クルーのギターも爽やかな響きがあるが、オリジナルの方はもっと牧歌的な作りになっていて、キャンプ場で朝を迎えたときなどに聞くと、コーヒーがうまくなる。
 ※ 興味がある人は、こちらを。 → 「Good Time Charlie」

  
 先週、名古屋のポートメッセなごやで開かれた「名古屋キャンピングカーフェア」に取材しにいったとき、案内された駐車場が「あおなみ線」の金城ふ頭駅前だった。
 取材が土・日にまたがるため、土曜の夜はこの有料駐車場で一泊することになった。
 
 土曜の夜、名古屋駅近辺で食事してから、「あおなみ線」に乗り、また会場近くの駐車場まで戻る。
 昼間、場内を埋め尽くしていたキャンピングカーや乗用車も、さすがに夜が更けてくると、ほとんど姿を消している。

 埠頭近くの人気のない駐車場。
 普通だったら、そこで一人で寝るのは淋しくもあり、恐くもあり …
 … といったところだが、私は淋しい場所が嫌いではない。
 
 往々にして、“淋しい場所” というのは、景観には案外恵まれたところが多いのだ。
 むしろ、周囲に車などが止まっていない方が、夜遅くまで音楽を聞いていても気兼ねすることがないし、何よりも、周りに遊ぶ施設などない方が、キャンピングカーという空間の自己充足性を実感できて、そのありがたみが身に染みてくる。

 窓のカーテンを開け、買っておいたウィスキーの封を切り、炭酸や「午後の紅茶」のレモンティーなどで割りながら、室内の灯りを落とす。
 ガラス窓の向こうでは、埠頭を照らすライト群が、暗闇に慣れた目にはまぶしいくらいの光彩を放ち始める。
  
 ハーバーライト。
 そして、ウィスキー。

 そうなれば、やはりシルクのようななめらかな輝きを放つソウル・ミュージックで決まりだ。
 ベタベタに甘いコーラスグループのバラードが、芳醇な香りを漂わすウィスキーの苦みと身体の奥で “ブレンド” されて夢見心地になっていく。
 至福の時。
 
▼ 「Am I Losing You」(The Manhattans)

 
 上のマンハッタンズは、1960年代から活躍しているソウル・コーラスグループ。日本ではそれほどメジャーではないが、ソフィストケイトされた都会的なおしゃれ感では、他のコーラス・グループを寄せ付けないセンスの良さを見せる。
 エグさがないので、さらっと聴けるけれど、噛みしめるように聞いていると、次第に目頭が熱くなるほどセンチな気分になってくる。
 キャンピングカーの中の “独り宴会” は、酒が進んでしまうなぁ … 。
 
 少し酔った身体を風にさらすために、ドアを開けて、埠頭に降り立ち、深夜の海を眺める。

 海から流れてくる微風が、首筋をなでていく。
 静寂の底に沈んだ官能的な春の気配。
 宇宙のため息をはらんだ沈黙が、空からゆっくり降りてくる。

 街路灯に照らし出された自分の影の異様さに驚く。
 宇宙人の影?
 なんだか、地球を離れた別の惑星の海にたどり着いた気分だ。
 ひょっとしたら、キャンピングカーは未知の星を探索するために生まれてきた「宇宙船」なのかもしれない。

 埠頭の神秘とメランコリー。
 車内に戻ってから聞く音楽が決まった。 
 
▼ 「And Here You Are」 (Stuff)

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車と音楽に関連した記事

「内燃機関の鼓動(オールマン・ブラザーズ・バンド)」

「『都会』の匂い (Jr.Walker&The Allstars)」

「ヴェンチュラ・ハイウェイ(アメリカ)」

「ハイウェイに合う音楽」

「都会を離れるときのドライブ音楽は泥臭いのがいい」
   
   

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老人性症候群の進み具合チェック

 
 私も今年の4月で65歳になろうとしているわけだけど、昔からつきあっていた友人たちも、だいたいそんな年頃だから、たまに会うと、話がジジ臭くなる。
 老いの兆候が現われてきたことに対する情報交換になりがちなのだ。

 「あ、お前もそうなの? 最近、俺もモノの名前がすぐ出てこなくてさぁ」
 「ボケが始まったのかもな。カミさんとの会話なんか、あれ、これ、それ … だけになっちゃった」
 … ってな会話が増えるのである。

 こういうのを “老人性症候群” といってもいいのかもしれない。

 「老人性症候群」とは、医学的にいうと、「認知症」、「徘徊」、「転倒」、「尿失禁」などを指すらしい。(いやな言葉が並んでいるなぁ … )
  
 ま、そこまでいかなくても、「認知症」や「転倒」などは、少しずつ経験するようになってきた。
 とにかく、人の名前とか新しい商品名みたいなものが、覚えたと同時に記憶のかなたに飛んでしまう。

 そうかと思えば、酔っぱらって、舗道の段差を踏み外して転倒するとかさ。
 イメージでは若い頃と同じように体を動かしているつもりでも、肝心の体の方が、イメージ通りには機能しなくなっているのだ。
 まさに、“老人性症候群” 。

 でも、それって、進み具合をチェックする方法あるのだろうか?
 自分なりに考えてみると、次のような症状が出たきたら、要注意だ。
 
 
  すぐ物をなくす。
 5分ほど前に見ていた身の回りの物が、5分後にはなくなっている。
 「あれ、今さっきここにあったのになぁ … 」
 と、探し物が多くなる。
 大事なものから先に、どんどん目の前から姿を消していく。

 たぶん、大事なものだから、すぐ見つかるように “目立つ” ところに置き直したりしているのだ。
 しかし、そのことを忘れて、結局いつも置いてある場所を探す。
 当然、ない !
 パニックになる。
 パニックになると、新しく置き直した場所などまったく視野に入ってこない。

  人の名前が、どんどん頭の中から消えていく。
 だから、街中などで、偶然知った顔に出会ったときに困る。
 名前が思い出せないから、なるべくその人の名前を口に出さないような会話になる。
 無難なのは、「お元気ですか?」などという挨拶か、天候の話。
 毒にも薬にもならない会話が増える。
 そういうことを繰り返しているうちに、人の付き合いもだんだん淡泊なものになっていく。

  床に落ちた物を拾うだけでも、大変な努力を要するようになる。
 腰をかがめるのが、億劫になるのだ。
 だから、地面に落ちた10円玉を拾うだけのことでも、吹雪の日に防寒着を着こんで野外に出るくらいの大げさな覚悟が必要になる。
 そのため、知らず知らずのうちに、
 「ドッコイショ」
 「ヨイショ」
 という言葉が口をつく。

  些細なことで、怒りやすくなる。
 レストランなどで、ウェイトレスのメニューの渡し方がぞんざいだったとか、水を入れたコップを乱暴に置いたとか。そんなことだけで、ちょっとムカっとしたりする。
 「昔の店員と違って、最近の若い者は接客態度がなっていない !」
 と怒るわけだが、要するに 「年寄りは世の中の “余計者” に見られている」というヒガミが、そういう気持ちをあおり立てるんだろうな。

  スポーツ選手などを比較するときに、同世代の選手を比べるよりも、昔の選手と比較することが多くなる。
  「○○選手は “記録” を残すタイプではなく、長嶋茂雄のような人々の “記憶” に残るタイプだよな」
 … とか人に話すんだけど、例に出す選手の名前を知っている人がだんだん少なくなっていることに気づかない。 

  I Tの革新スピードに付いていけなくても平気になる。
 ネット・コミュニケーションがだんだん億劫になってくるのね。
 だから、ツィッターとフェイスブックの違いもよく分からない。ましてや「LINE」って何こと?状態であるが、別にそれで困らなくなる。

  身の回りのゴミがやたらと増えていく。
 片付けるのが面倒くさくなっているのだ。
 最初は机の周りがゴミだらけになり、やがて床がゴミだらけになり、最後はゴミ屋敷になる。

  同じ年ぐらいの老人と、ついつい自分を見比べてしまう。
 で、相手の頭髪の濃さとか、腹の出具合とか、足取りの状態などを比較して、「勝ったな !」とつぶやくことが多くなる。
 で、たいていの場合、「負けたな !」と思うことはない。(負けそうな相手は、無意識のうちに比較することを避けている)

  (男の場合)若い女の店員や看護師などから、ちょっと優しい言葉をかけられるだけで、すぐさま「俺に好意があるのかな?」と勘違いするようになる。 
 女を狙うときの “男としてのハンター能力” が鈍ってきて、現状認識が甘くなるからだ。

  (男の場合)若い女性( … たとえばAKBぐらいの年齢の女子たち)から好意を寄せられることを諦めると、今度は同世代ぐらいの熟女(五月みどり・吉永小百合たち)の色香に敏感になってくる。
 しかし実生活においては、人生の酸いも甘いもかみ分けた年齢の女性たちが、容貌も衰えた同世代のジジイに反応することはまずないので、たいていは片思いに終わる。
 その結果、老人ストーカーが増える。

  成人した子供が期待外れに終わったと思うことが多くなり、そのため、孫を見るごとに、「この子は将来大物になる」という思い込みを強くする。

  駅のホームでは、近くの階段を上がるより、時間がかかっても遠くまで歩いてエスカレーターに乗る。
 ま、年老いてきて、階段を上がる体力が衰えてきたということもあるのだろうけれど、要するに老人はヒマなのよ。
 
 
 さて、あなたはからのうち、何問当てはまりましたか?
 5問以上当てはまったら、もう “老人性症候群” だよ。

 しかし、以上のことが自覚できれば、そこを注意するだけで、まだまだ若さを取り戻すことは十分に可能。
 元気な老人というのは、みんなそうやって、老いの自覚にめげずに奮闘しているわけね。
 
 
関連記事 「『自分は若くない』」 という自覚は、どんなときに生まれるか ?」
 
 

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エアストリームジャパン田中社長のバースデイ ライブ2015

 
 キャンピングカー業界にはミュージシャンが多い。
 私が知っているところでは、ドリーム・エーティーの浅野社長。
 5歳のお孫さんをドラマーに仕立て、親子3代のファミリーバンドを結成し、ステージでベンチャーズサウンドを華麗に奏でる。

 ボナンザの比留間社長も、優れたミュージシャンだ。
 尺八からギターまで、楽器の守備範囲が広く、かつ音楽領域もカントリーからハワイアンまで何でもこなす。
 特に、プレスリーの『愛さずにはいられない』の甘い声にはシビれる。

 タコスの田代社長は、ギターとブルースハープ。この人はアーシーなブルースやカントリーが得意。

 ケイワークスの黒田社長はドラムスの名人。奥様はヴォーカルを担当し、夫婦で音楽を楽しんでいる。

 そのような音楽名人たちのなかでも、エアストリームジャパンの田中孝一社長の活躍ぶりはひときわ光っている。
 「チャレンジャーズ」(写真 下)というエレキギターグループを結成し、そのリードギタリストとして、さまざまなイベントに出場。ご自身の誕生日である3月初旬には、毎年親しい関係者を呼んで「バースデイ ライブ」を開き、熱いステージパフォーマンスを披露する。


 
 ギターに手を染めたのは、なんと60歳になってからとか。
 それから精進を重ね、その腕前も今ではプロ級と言い切っても過言ではない。

 レパートリーは、1960年代に人気を誇ったイギリスのエレキギターグループ「シャドウズ」の曲が中心となるが、日頃の練習とステージの場数を踏んだメンバーが奏でるサウンドはひときわ安定感を増し、もはやシャドウズの全盛期に迫るほどの力量が感じられるほどになった。

※ チャレンジャーズの演奏ではないが、本家本元のシャドウズ(↓)が演奏する「アパッチ」
 

 3月8日の日曜日。
 お声をかけてもらったので、埼玉県・新座市にあるCKスクエアのエアストリームショールームで開かれた「66 HAPPY BIRTHDAY LIVE」のパーティーに参加させてもらった。
 
 「66」という数字が前面に踊る今回のライブ。
 まさに、66歳。
 メンバーお揃いのステージ衣装に身を包み、スポットライトの中に浮かび上がった田中社長の姿は、66歳という年齢を微塵も感じさせない若々しさを見せてくれた。

 チャレンジャーズのメンバーが舞台に登場するやいやな、すかさず会場から声援が湧き起こる。
 笑顔で応えながら、シャドウズのナンバーが始まる。

 田中社長が、どれほどシャドウズを愛していたか。
 こんなエピソードがある。
 昨年、ロンドンに遊びにいった社長は、知り合いのツテを頼って、シャドウズの中心メンバーであったハンク・マーヴィンと会う機会を得た。
 
 自分たちをリスペクトしてくれるコピーバンドが日本にいるということが、ハンク・マーヴィンにはとても嬉しかったらしく、出会って意気投合したマーヴィンは、田中社長をロンドン郊外に住む自分の家に招待したという。

 そこで、田中社長がシャドウズの最大ヒット曲ナンバーである「アパッチ」のリードを担当し、なんとリードギターのマーヴィンがリズムギターに回ってセッションが行われたとか。

 さらに驚いたことに、田中社長のことを気に入ったマーヴィンは、自分の大事にしていた秘蔵の愛用のギターをその場で売ってくれたというのだ。

▼ ハンク・マーヴィンがステージで使っていたBurnsのギターを嬉しそうに奏でる田中氏。

 こうして、イギリスでもっとも人気の高ったインストルメンタル・ギターバンド「シャドウズ」にお墨付きをもらった田中社長とチャレンジャーズは、日本のシャドウズコピーバンドのトップに登りつめたといえるだろう。

 さて、バースデイ ライブ。
 この日は、「ヤング・ワン」、「アパッチ」、「春がいっぱい」などのシャドウズヒット曲が次々と披露され、なかでも「アパッチ」では、シャドウズがステージで見せるようなリードギター、リズムギター、ベースの3人が、左右に同じステップを繰り出してリズムを取るパフォーマンスを再現。
 音だけでなく、舞台演出においても、シャドウズがその場に降臨したといるほどの練り上げられたステージだった。
 
▼ キャンピングカー関連の参加者として、ケイワークスの黒田社長(右)、『オートキャンパー』の近藤さん(左)らも出席。

▼ 最終ステージでは、歌手・モデル・女優として活躍中の木下綾香さんも登場。
 この日は、フレアスカートとポニーテールという50~60年代風レロトファッションに身を包み、コニー・フランシスやらジーン・ピットニーなどのオールディズナンバーを熱唱。
 木下さんのアンコール曲は、田中さんの66歳誕生日にちなんで、「ルート66」。

▼ ライブの盛り上がりは最高潮に達し、椅子から立ち上がってツイストを踊る人やジルバを踊るカップルも。

 自分も40年ぶりにツイストを踊ったけれど、いやぁ、1分も踊ったら、汗をかくし、安定性を失って腰はふらつくし、醜態をさらしてしまった。

▼ 66歳のバースディーを祝って、最後は花束を持つ田中社長を中心に、ステージに立ったメンバーがそろって記念写真。
 

  
  
関連記事 「エアストリーム田中社長のライブ」 (2013年ライブ)
 
 

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Sammy Chino 「サクラ De ブルース」

 
 周囲に、次第に春の気配が漂うようになった。
 あと一ヶ月もすれば、もう桜の季節となる。

 桜は、開花したときの息を呑むようなあでやかさと、その散りぎわの無常観との対比があまりにもドラマチックで、まるで人間の一生をわずか一週間ほどに凝縮して見せてくれるような印象すらある。
 そのため、古来よりあまたの文学や歌に採りあげられて、まさに日本人の精神風土を象徴するような植物となっている。

 その日本文化が結晶したような桜をテーマに選び、もしアメリカの伝統的な黒人音楽のブルースのスタイルで音楽にしてみたら、どういうことになるのか。
 そんな意欲的な試みが、アメリカ在住の日本人シンガー「月の兎サミー」こと、Sammy Chino さんの手によってなされた。

 曲名は「サクラ De ブルース」。 
 曲調は、12bars のブルース形式で仕上げられており、音階もブルーノート風だが、もともとブルーノートは日本音階の “ヨナヌキ” にも似た、西洋音階とは異なる旋律を奏でることから、これがドンピシャ ! に、日本の伝統音楽とアメリカの黒人音楽との融合を実現している。

▼ 日本で活躍していた時代のサミーさん(1970年当時/74年より米国移住)

 では、その曲をここでご紹介。
 作詞・作曲はSammy Chino さん。
 間奏のピアノ部分は、サミーさんと長年ともに音楽活動を重ねているJAMESE MALONEさん。
 ここでは、ちょっとオーティス・スパン風の都会的で小粋なフレーズを聞かせてくれる。

 そのような伝統的な正統派ブラックミュージックのサウンドに乗って、まったく声量の衰えていないサミーさんの朗々としたソウルフルな歌声。
 サミーさんの歌い方というのは、どんなに哀しいバラードにおいても、苦悩を突き破って、陽射しのある外に広がっていこうとする力強さがある。

 では、どうぞ !!
 たぶん、本邦初の公開となるはずだ。

▼ Sakura De Blues / サクラ De ブルース /Sammy Chino

 歌詞は次の通り。
 
  吹く風は、時に寒く、
  待ち侘びる、その心に
  絵本のページ メクルように、
  去年(こぞ)の約束、春のため息
  さくら、桜
  弥生の空に

  色隠した、冬の景色
  それも何時しか、気の付かぬ うちに
  Sepia color は、薄紅色に
  去年の約束 春のパステル
  SAKURA,、サクラ
  弥生の空に

  風にそよぐ、花に遊び
  囀る(さえずる)鳥、夢告げ鳥
  今も昔も、変わらぬものは
  去年の約束、春の戯れ
  サクラ、桜
  弥生の空に

  道野辺は 花吹雪
  揺れて、乱れて、空に溶けて
  散るも、咲けるも、かざし草
  去年の約束、春のパノラマ
  桜、SAKURA
  弥生の空に
  
  
 イントロは、伝統的なR&B。
 ホーンの入り方などは、昔のオーティス・レディングらを擁したアトランティックレーベルのサザンソウルっぽいアレンジになっているが、イントロに続いて繰り出されてくる歌詞の世界は、まぎれもなく日本の野辺を彩る満開の桜の情景。

 YOU TUBEにアップされた画像には歌詞も掲載されているのだが、「桜」という言葉を彩る表記が、「SAKURA」、「さくら」、「サクラ」、「桜」 …
 それらの異なる言葉が画面に躍るたびに、陽の角度や風のそよぎによって桜の花が多面的な表情を見せてくれるようだ。
 そこには、かすかに古今和歌集や万葉で歌われた桜花爛漫の気配が漂う。

 歌詞の中に出てくる「春のため息」、「春の戯れ」という言葉からは、うららかな陽気の底に潜んでいる、ちょっぴり妖しげな“桜のエロス”のようなものさえ浮かび上がってくる。

 サミーさんの歌に興味を感じられた方は、次のような作品もどうぞ。

▼ Sayonara Bye Bye/ Sammy Chino

▼ 生活の柄 /Sammy Chino

▼ I Want A Little Sugar Im My Bowl/Sammy Chino

▼ 手紙 THE LATTER/Sammy Chino

 
 
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映画『エリザベス』

 
 歴史映画のだいご味は、主人公たちが、自分の「運命」を知らずに悩んだり、狂喜したりする「現場」を、歴史を知っている我々が覗き込むところにある。
 
 現代を生きる私たちは、当然彼らの「運命」を知っている。 
 誰がその時代の勝者になり、誰が敗北していくのか。それを既定の事実として眺めている。

 だが、歴史の中を生きた当人たちは、自分の “未来” など知らない。
 彼らが知りようもないその未来を知っている我々は、いわば「神の視点」を手に入れているようなものだ。

 けっきょく歴史映画の面白さというのは、この「神の視点」を手に入れた現代の観客が、過去の人間の不安や懊悩を “覗き見” するときの意地の悪い快感によって保証されているといってよい。

 イギリス映画の『エリザベス』と、その続編の『エリザベス ゴールデン・エイジ』。
 この二つの作品で、観客はイギリス王族を代表するエリザベス女王の “素顔” をかいま見ることになる。

 歴史の教科書では、イギリスの黄金時代(ゴールデンエイジ)を用意したとされる完全無欠の英君も、時に恋を失う辛さに泣き、ライバルに嫉妬し、戦争を遂行しながらも、その敗北の惨めさを想像して恐れおののく弱い女の一人でしかない。

 彼女が臣下を遠ざけ、愛する男への思慕を断ち切るために一人で泣く姿や、迫りくるスペイン艦隊に対する恐怖に身もだえする姿は、同時代を生きた臣下たちは誰も見ることができない。
 観客だけが、透明人間となってその時代にタイムトリップし、女王の密かに懊悩する姿を覗き見することができる。
 それが歴史映画の面白さだ。

 私は、BSテレビのWOWOWシネマで放映されたこの二つの映画を録画しておいて、つい最近観た。
 1998年に撮られた『エリザベス』は、エリザベス1世が紆余曲折の果てに英国の君主として即位し、その地盤を固めていくまでの話。
 その続編として2007年に制作された『エリザベス ゴールデン・エイジ』は、彼女の治世における最大の難局といえるスペイン無敵艦隊を遠征を水際で迎撃し、勝利を勝ち得るまでの話。

 どちらも見せ場をふんだんに用意したストーリー展開だが、ある程度、この時代のイギリスにおけるカソリックと新教(イングランド国教会)の分裂や、スペインとイギリスの確執、エリザベスの父に当たるヘンリー8世のキャラクターやら家族関係に対する基礎知識がないと、ここで繰り広げられる “陰謀劇” の凄まじさを十分に楽しめないかもしれない。

▼ ヘンリー8世の肖像画。エリザベスのお父さん

 そういった意味で、“観客を選ぶ映画” でもある。歴史にさほど興味のない人には、映画の中で何が起こっているのか、にわかに分かりづらいところがあるだろう。
 しかし、ヨーロッパの近世史に興味を持っている人には無類に面白いはずだ。

 特に、ヨーロッパ大陸の文化から取り残された辺境の島国であるイギリスが、この時代に、大陸との弧絶を逆手にとって、未知なる海に活路を求めていこうとする雄大なビジョンが描かれるシーンを見ると、胸のすくような痛快さを味わえる。

 2作目の『ゴールデン エイジ』では、アメリカ大陸に渡ったことがある海賊のウォルター・ローリーから、エリザベスが新大陸の様子を聞くシーンが出てくる。
 大西洋をさまよい、陸地から切り離された航海が続く恐怖を克服し、ようやく水平線の彼方に大陸の影を遠望するウォルター・ローリーの言葉はまさに詩人の言葉であり、エリザベスでなくても、観客はその美しい言葉に想像力を刺激される。

▼ ウォルター・ローリーを演じるクライヴ・オーウェン。2作目の『ゴールデン エイジ』に登場するエリザベスは、野性的な彼に惹かれるようになる

 エリザベスは、そのウォルター・ローリーの言葉にインスピレーションを受け、海洋国家というヴィジョンを構想していくことになるのだが、史実はどうであれ、映画的には説得力のあるシーンになっている。

 結局、世界に先駆けて近代国家への道を切り開いたイギリスの成功の秘訣は、「海を制した」ことに尽きる。

 それまで、「帝国」を名乗る国家として、大洋を支配した民族はいなかった。
 古代のカルタゴや、中世のヴェネチアのような例はあるけれど、いずれもその活動域は地中海に限定される。
 大西洋という、今でいえば宇宙圏のような広大な領域を支配下に治めた国はイギリスしかない。
 
 最初にアメリカ大陸に進出し、中南米を征服したのはスペインであったが、この国は基本的に陸軍国家であった。
 彼らの “海軍” というのは、陸上戦闘隊を乗せて移動する輸送船団に過ぎなかったからだ。

 イギリス征伐に向かったスペイン無敵艦隊(アルマダ)の基本戦略もイギリス本土に上陸して、陸上戦でロンドンを支配するというもので、そのため彼らは巨艦に大量の陸兵や馬なども乗せて、イギリスに向かったのである。
 さらにいえば、無敵艦隊を統率するシドニア公は、名門出身の武人ではあったが、海戦の経験がなかった。
 スペインが最初から海上で戦うということに重きを置いていなかったことが、それからもうかがえる。

 それを迎え撃ったのは、フランシス・ドレイクらの海を知り尽くしたイギリス海賊たち。
 勝敗は最初から分かっていたような戦いであった。

 だが、戦端が開かれるまで、エリザベスは勝てるとは思っていなかったらしい。
 合理主義精神の持ち主であった彼女も、この戦いの前には占い師の助言に頼るほど精神を疲弊させていた。
 一時は、スペインに敗れ、異国の地で宗教裁判にかけられる自分の姿さえ想像したりする。
 そういうシーンを観ることも、歴史映画の面白さだと思う。

 戦闘の結果は、歴史に記されたとおり。
 スペイン無敵艦隊は、イギリスに上陸することもかなわず敗走し、ヨーロッパ最強の陸軍国家は、それを機に衰退への道を進み始める。

 スペインの世界制覇への野望をくじいたイギリスは、それから20世紀まで続く繁栄の道を突き進み、世界に先駆けて、資本主義国家の骨格を整えていく。
 
 無敵艦隊を破ったのが、実際にイギリスの海賊たちであったことは、偶然ではない。
 海賊。
 すなわち世界の富を暴力的に強奪することこそ、資本主義の本質なのだから。
 スペインに代わって、イギリスが新大陸で奴隷を使って収奪した富が、その後の400年にわたる資本主義の本源的蓄積となった。
 この映画では、そこまで言及していないが、歴史に興味のある人間にとっては、世界史の大転換の現場に立ち会ったという感慨を抱けるかもしれない。
 
 エリザベスの役にケイト・ブランシェットという女優( ↓ )を配したのは成功している。

 この女優は、顔立ちも肖像画に描かれたエリザベス( ↓ )に似ている。

 肖像画を見る限り、エリザベスという女王は、お世辞にも美人であるとは言い難い。性格も、ぎすぎすした神経質な女であったことを想像させる。
 女優のケイト・ブランシェットは、肖像画が伝えるエリザベスの面影を上手に再現しながらも、“見方によっては、ひょっとして美人かも … ” と想像させるうまい表情をつくる。
 
▼ 愛したロバート・ダドリー卿(右 ジョセフ・ファインズ)には妻がいて、エリザベスは嫉妬に懊悩することになる

 映画そのものは、史実に忠実ではない。
 エリザベスをとりまく複雑な人間関係は、大胆に省略され、(多少ややこしさは残っても)、観客にとって話の流れがスムースに頭に入るように脚色されている。
 恋愛シーンに重きが置かれているのも、エンターティメントとしての計算だろう。 
 
 なによりも、登場人物たちのコスチュームが素晴らしい。
 製作費2,500万ドルのうち、なんと2,000万ドルが衣装代だという。
 フランス、スペインの大使たちが着る衣装の一つひとつに、それぞれの国柄が偲ばれるのも一興。
 きらびやかな衣装が伝える当時の宮廷風俗を眺めているだけで楽しい。
  
  
参考記事 「超マクロ展望 世界経済の真実」(イギリスの資本主義)
 
 

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「昭和残侠伝」は何を描きたかったのか

 
 ある雑誌に、高倉健主演の映画の追悼上映会に集まる人々のルポが載っていた。
 昨年11月に高倉健が亡くなった後も、これらの追悼作品を上映する映画館では観客が途絶えることがなく、DVDのレンタルなどでも人気の勢いが止まらないという。

 それらの高倉健主演映画に関心を示すのは、「白髪混じりの団塊世代」。
 年齢でいうと60代以上で、女性もいるが、大半はシニア男性であるとか。

 そして、上映館では、名セリフが決まった時には、必ず「健さん、最高 !」という掛け声がかかり、スクリーンに「終」の文字が浮かぶやいなや、万雷の拍手が湧き起ると報告されていた。

 これらの観客を湧かす映画の大半は、東映が得意とした任侠ものであり、敵対するヤクザ組織からの嫌がらせや暴力に耐えた健さんが、最後にドスを抜いて憂さを晴らすというパターンが受けているようだ。

 作品でいうと、1965年から1970年ぐらいにかけて制作された『日本侠客伝』、『昭和残侠伝』、『網走番外地』などのシリーズが中心となる。

 このあたりの任侠映画シリーズについてWikipediaでは、
 「70年安保をめぐる混乱という当時の社会情勢を背景に、高倉健が演じる主人公は、寡黙のまま、鍛えられた体の背筋をピンと伸ばし、敵方の不条理な仕打ちに耐え、言い訳をせずに筋を通し、ついには復讐を果たす。この主人公の姿が、若いサラリーマンや学生運動に身を投じていた当時の男性の熱狂的な支持を集めた」
 と説明している。

 実際、70年代の初期に、私も、全共闘運動に身を投じていた先輩たちが、「夕べは高倉健の2本立て映画をたて続けに見て、空気が入った(やる気が出た)」などと語り合っている情景に何度も遭遇している。
 現在の高倉健追悼上映会に集まってくるのも、おそらくそういった世代の人々なのだろう。

 だが、私は、この時代の高倉健シリーズを観たことがなかった。
 東映のヤクザ映画にハマったのは、むしろその後の『仁義なき戦い』シリーズからであり、人から聞いた話やポスターなどから感じた高倉健の任侠モノは、ヤクザ映画というよりは、“時代劇” のように思えた。 
 
 だから … というわけではないが、高倉健にオマージュを捧げていた全共闘の先輩たちの心情は、故意にアナクロニズムを装ったギャグのようにも感じられた。

 自分がようやく高倉健の存在感の大きさに気づいてファンになったのは、その時代の任侠モノではなく、『駅 STATION』、『幸福の黄色いハンカチ』、『あなたへ』などの後期の作品からである。

 では、60年代中頃から70年代初期にかけて、当時の若者たちを熱狂させた高倉健の任侠映画とは何だったのか?

 遅ればせながら、BSテレビで放映された『昭和残侠伝 死んで貰います』を最近ようやく観る機会を得た。

 映画が始まり、主人公の高倉健がその恋人役となる藤純子と出会うシーンまで観て思ったことは、「これは映画ではなく歌舞伎だな」というものだった。
 登場人物たちのセリフ、表情、衣装。
 何から何まで徹底した様式美に貫かれていて、まるで日本の伝統芸能を観ているような雰囲気なのだ。

 確かに、藤純子という女優は美しい。
 いやぁ、こんな美人女優は、後にも先にも出てこないのではないか。
 そう思える外形上の美しさを保ちながら、彼女のセリフ回しや演技は、明治期に確立された新派の舞台か、女形(おやま)の演じる歌舞伎のように型にハマっていた。

 その様式化された演技を通す藤純子に惚れられた健さんが、すがる恋人を別れを告げて、敵対するヤクザの事務所に切り込むときの歩き方は、歌舞伎の花道で大見得を切る役者である。

 『仁義なき戦い』のリアル・バイオレンスの映像に慣れた人間の目からすると、なんとまぁ情緒的美意識に貫かれた世界であることか。
 同じ東映のヤクザ映画といっても、両者に共通するものは一つもない。

 『昭和残侠伝 死んで貰います』では、セリフ回しにも古典芸能の匂いが漂う。
 藤純子が縫った着物を着て、高倉健と藤純子がデートに出かけるシーンがある。
 その二人を送り出す元ヤクザの長門裕之が、彼らの背中に「道行きだね」と声かける。
 
 「道行き」とは、浄瑠璃や歌舞伎で、男女が連れ立って旅経つ場面に使われる言葉だ。
 しかし、この作品が映画館で上映された当時において、果たして、そういう言葉を知っていた若者がいただろうか。

 さらに長門裕之は、高倉健の着流しの姿を見て、「相変わらず、兄貴はいなせだね」という。

 “いなせ”。
 「粋」という言葉に近い。
 現代用語でいえば、「ダンディー」というところか。

 この言葉づかいも、日本の伝統文化になじみがないと、そう簡単に口をついて出ない。
 おそらく、当時のテレビで放映されていた時代劇においても、もうこういう言葉は使われていなかったのではないか。

 この映画の制作陣は、いったいどういう世界を作り上げたかったのだろう?

 それは、「男の美学」。
 しかも、その時代の日本には存在しない “美学” 。
 さらにいえば、古典芸能の言葉を借りて、江戸期や明治期にはあったように見せかけているが、実は制作者たちの頭の中でしか存在しない幻の「男の美学」であったと思われる。

 確かに、「道行き」とか「いなせ」というのは、歌舞伎から来た概念である。
 しかし、歌舞伎の「道行き」が、近松門左衛門が描くような “道ならぬ恋” に陥った男女の駆け落ち、ないしは心中というニュアンスを帯びていたの対し、この映画では、愛し合う男女の切なさは描かれない。 

 では、この映画で描かれた「男の美学」の本質とは何か?

 それは、ナルシシズムである。
 健さんは、藤純子の演じる芸者と心を通い合わせるが、そこには「恋愛」がない。
 自分に惚れてくれる女に向かって、「俺のことを忘れてくれ」と背中を向ける健さんの心には、自分のカッコよさに対する愛しかない。
 
 確かに、男の心の奥底には、惚れた女に別れを告げて、自分の生きる道を孤独に突き進む男を “カッコよく演じたい” という願望が潜んでいる。
 しかし、それは普通の男にはなかなかできない芸当だ。
 惚れた女が、自分を好きだと言ってくれれば、もうそれだけで幸せ。
 そういう女を捨てて、刑務所行きを覚悟し、命を張った大立ち回りを演じるなんて、幸せをドブに捨てるようなものだ。
 それが「カッコいい」というのは、倒錯した美意識である。

 任侠映画は、そういう男の隠れた願望を見事にくすぐる。
 でも、それは、男の脳内だけで展開するナルシスティックな幻想にすぎない。

 物語の終盤。
 自分が敬愛するヤクザの親分が、敵対ヤクザの手によって殺される。
 ここでようやく健さんは日本刀を持ち出し、復讐のために、相手の事務所に対する討ち入りを決意するのだが、そこで描かれるのは悲壮感の美しさだけ。
 相手の親分を殺して刑務所に行くことによって、健さんを愛してくれた恋人がどうなるのか、残された身内がどうなるのか、という事後の心配や不安はきれいさっぱり消去されている。

 健さんが演じる任侠道を生きる男は、徹頭徹尾、自分をカッコよく見せることしか念頭に置いていない。
 これをもし「男の美学」というのであれば、この健さん像に自己を仮託して熱狂する団塊世代の “美学” というのも、しょせん男のナルシシズムの称揚でしかなかったような気がする。

 私が、同じ高倉健の映画でも、この任侠シリーズのあとに制作された『幸福の黄色いハンカチ』のような映画が好きなのは、男のナルシシズムが一度ペシャンコに押し潰され、その挫折を経た後の「男の再生」がテーマになっているからだ。

 『幸福の黄色いハンカチ』においても、健さんは、ナルシスティックな “男の美学” を貫く男として登場する。
 しかし、そのつたない男の美学は、彼の女房の「あなたって勝手な男ね」という容赦ない言葉によって、見事に崩される。

 『昭和残侠伝』の健さんは、恋人の藤純子から、「引きとめはしません。しかし、生きて帰ってきて」と泣いてすがられる。
 しかし、『幸福の黄色いハンカチ』の健さんは、女房の倍賞千恵子から、「勝手な男ね」と吐き捨てられる。

 それは、ナルシスティックな自分に酔えていた男が、はじめて「女」という “他者” に触れた瞬間だ。
 自分とは異なる原理を内に宿した「女」という生き物の存在に気づいた瞬間といってもいい。

 遺作となった『あなたへ』という映画も、基本的にはこの延長線にある。
 ここでも健さんは、長年自分と連れ添ってきた妻が、自分とは異なる原理で生きてきたことを知り、謎の遺言を残して去っていった妻の本心を探るべく、キャンピングカーの旅に出る。

 そういう映画に登場する健さんは、心細そうで、頼りなさそうに見える。
 でも、私にとっては、そういう健さんの方がよっぽど魅力的だ。

 思えば、高倉健という役者は最後の最後まで、様々な思いを秘めたファン層に愛され続けてきた人間なのかもしれない。 
   
 
参考記事 「幸福の黄色いハンカチ」

参考記事 「高倉健主演キャンピングカー映画『あなたへ』」

参考記事 「高倉健の存在感」

参考記事 「仁義なき戦い」
 
 

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煙草のパッケージに入っている本数は何本?

  
 私は煙草を吸うが、カミさんは吸わない。
 吸わないどころか、毛嫌いしている。
 「あなたと一緒になって、肺がんになりそうだ」
 と、事あるごとに煙草を吸う私を犯罪者を摘発するような目つきで、にらみ付ける。

 彼女は煙草が嫌いだから、煙草そのものに対する知識も乏しい。
 だから、煙草のパッケージに何本入っているかも知らない。

 「1日何本煙草を吸っているの?」
 「ま、せいぜい1~2本かな」

 「ウソ、その煙草の箱から立て続けに取り出しているじゃない」
 「吸い終わったら、煙草の葉を補充して、同じ箱に戻すからな」

 「そんなわけないでしょ。いったい何本入っているの?」
 「店によって当たり外れがあるんだよ。15本ぐらいしか入っていないときもあれば、25~26本入っているときもある」

 「そんなバラつきがあったら、みんな困るじゃない」
 「そうだよ。俺がこの前買った煙草には、12本しか入っていなかった」

 「どうしたの?」
 「煙草屋のオバサンに文句を言ったわけ。あまりにもヒドイんじゃない? …って」

 「そうしたら?」
 「オバサンこう言うのさ。文句を言われてもあたしゃ困るわ。だって、いちいち封を切って、中身を調べることなんかできないから」

 「そんなの当たり前じゃない」
 「そうだろ? だから日本たばこ産業に文句をいってくれってわけさ」

 「で、文句を言ったの?」
 「そう。そしたら、グローバル時代になった現代では、工場も海外に移っていてさ。東南アジアの山奥にある工場なんかでは、労働者が一仕事終わるたびに、お客さんに渡す前の商品から一本ずつ抜いて、一服してしまうらしい」

 「バカバカしい。山奥で密造拳銃をつくっているわけでもあるまいし」
 「そうなんだよ。そんなずさんなクオリティーコントロールで、よく『日本たばこ産業』なんて看板を掲げられるものだ、と怒ったわけ」

 「そうしたら?」
 「電話に出た担当者が言うわけよ。お客さんね、本数が少ないときもあったろうけれど、多いときは24~25本入っていたときもあるでしょ? だから皆さん最終的には平均20本ぐらいは確保しているわけですよ … ってさ」

 「もうそんないい加減な商品買うのやめなさい」

 ま、こんな会話が日常的に交わされるわけ。
 これ、ホントの話。
 
  

カテゴリー: ヨタ話 | 11件のコメント

最後のエッセイ

 
 池田晶子(いけだ・あきこ)という文筆家の書くエッセイが好きだった。
 彼女は、誰もが使う平易な言葉で、誰も思いつかないような独特な世界観を提示する人だった。

 「哲学者」
 という肩書を持つ人だったが、本人はそういう構えた呼称を嫌い、「文筆業」と名乗ることが多かった。

 2006年当時、私はこの人の連載するエッセイを読むために、『週刊新潮』と『サンデー毎日』を毎週買った。
 『週刊新潮』に連載されたエッセイのタイトルは、「人間自身」。
 そこで彼女は人の意表を衝くような、時として、人の気持ちを逆なでするような意見をからりと言ってのけた。
 文章は平易だが、常識にとらわれ過ぎた “善意の人々” を挑発するような意地の悪さも潜んでいて、その毒気に当てられて気が滅入った読者も多かったに違いない。

 でも、私にはその「毒」がとても爽やかに感じられた。
 できれば、その「毒」のシャワーを全身に浴びて、自分の浅薄な脳にこびりついた垢をきれいさっぱり洗い流したいと思っていた。

 ときに、こんな文章がある。

 「多くの大人は、子供より先に生きているから、自分の方が人生を知っていると思っている。しかしこれはウソである。彼らが知っているのは『生活』であって、『人生』ではない。大人は子供に生活を教えることが、人生を教えることだと勘違いしている」
 (週刊新潮 2006 10/26号 「人間自身 172回」)

 あるときは、こんなことを言う。

 「私は『男女平等問題』というものに関心がない。だから私はフェミニズムの陣営からは『女の敵』と見なされているらしい。
 私は、男女の区別は人間にとって本質的な問題ではないと思っている。確かに差別や区別は明らかに存在する。しかし人間にとって大事な生きる死ぬに関しては、男も女も必ず死ぬという意味で、平等である。
 私は、女の口から『男の論理』 『女の論理』というのが出てくると、あ、馬鹿だな、と感じる。そういう考え方は、この世に『男一般』 『女一般』が存在すると錯覚するところから出てくる。現実には、考え方がそれぞれ異なる個々別々な男と女がいるだけである」
 (週刊新潮 2006 10/5号 「人間自身 169回)

 さらには、次のような記事も。

 「いじめで自殺する子があとを絶たない。追いつめられた子供は、死をもって抗議するしかなくなる。
 死をもって抗議するということは、その良し悪しは別に、人間にだけ可能な行為である。誇りのために死ぬ。正義のために死ぬ。人間には命よりも大事なものがあると思うから、この行為は成立する。受ける側も、その意味を理解する。『命を賭けた行為だな』と。
 しかし戦後教育は、命よりも大事なものはないと教えてきた。つまり、どのようであれ、生き延びればよいのだと。
 人間には命よりも大事なものがあるということを理解しない社会が、抗議の自殺をも黙殺する」
 (週刊新潮 2006 11/23号 「人間自身 176回)

 「人の命は地球より重い」と教えてきた戦後教育の推進者たちは、上記のような意見を読むと、眼を剥いて怒り出すだろう。
 しかし、「人間には命よりも大事なものがある」という一言は、人間に思考をうながす。
 そこには、「人間」を規定するのは、物理的な肉体なのか、それとも精神なのかという根源的な問が提示されているからだ。

 私は、自殺そのものには否定的だが、そのような問の重さは分かる。
 「命を尊重する」ということを是とする人たちも、もう一度この根源的な問いに向き合うことによって、自分の言葉を鍛え直さないといけないように思う。

 そのような、辛辣な逆説を胸のすくような語り口に乗せて書かれる彼女のエッセイが、ある日、突然トーンを変えたことがあった。

 「季節は、春夏秋冬を繰り返しめぐるものだが、それでもそこに始まりと終わりとがある。
 人は、春は始まり、秋が終わりと感じる。冬が終わりなのではなく、むしろそれは始まりを胎(はら)んで静止する時間のようで、秋の方にこそ人は、終わりへ向かうという感じを持つ。
 日が暮れるのが確実に早くなり、3時を過ぎるともう日差しの気配が変わっている。傾いてきた日がつくる物の陰が、淡く、長くなり、急がなくちゃとせかされる気持ちになってくる。
 秋はそれ自体が暮れる季節だから、その夕暮れの寂しさは一段と迫るものがある。もみじが散ってから冬至の日までの夕暮れ時の寂しさは、文字どおり人生の終わりみたいだ。
 独り暮らしの年老いた未亡人が、夕暮れが辛いとこぼしていた。
 『見渡せば 花もモミジもなかりけり 裏のとま屋の秋の夕暮れ』
 (藤原定家)
 『終わりに向かう』とは、死へ向かうということに他ならない。
 『寂しい』とは、『生命力が衰えゆく感じ』を指している。
 元気に伸びゆく植物を見ると、我々の心は元気になり、枯れ衰えてゆく植物を見ると、我々の心は沈んでいく。
 なぜそうなのかというと、人間は同じ生命として、自らを植物のように感じるからだ。人間の感覚として最もプリミティブな層にある生命としての原感覚がそう仕向ける。
 季節が心そのものなのは、我々が自分でそう思っている以上に、自然的生命として存在しているからだ」 
 (サンデー毎日 2006 12/10号 「暮らしの哲学 33回」)

 この文章を読んだとき、いったい彼女はどうしたのだろうか? と私は思った。
 このような文芸調の詠嘆は、彼女がもっとも気恥ずかしいものだと回避していたものではなかったのか?

 ただ、美しい文章だと思った。
 「秋」という季節を表現するのに、これほど切ない文章はほかにないような気もした。文章の底に、どうしようもない深い哀しみが横たわっていて、読んでいるのが辛かった。

 『サンデー毎日』の連載エッセイは、確かにそれを最後に休止となったように記憶する。
 何度か「休止」の知らせが目次に載ったあと、「エッセイは終了した」という知らせが掲載された。

 池田晶子が腎臓ガンにより、46歳という短い生命を閉じたのは、最後の連載が掲載されてから2ヶ月半ほど経ってからである。
 彼女の描いた “秋にまつわる随想” は、病床から眺めた心の風景であったのかもしれない。

 池田晶子 2007年 2月23日永眠。
  
  

関連記事 「 『不思議』の発見者 池田晶子」

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参考記事 「年を取るほど時間が早く過ぎていくのは何故 ?」
 
 

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満身創痍

 
 最近、あまりよくない趣味に染まっている。

 「病気自慢」というやつ。

 とにかく、次から次へと体の不調が襲ってくる。
 「病気」や「怪我」が行列をつくって、私の体に入り込む順番を待っているかのようなのだ。
 こうも病に侵され続けると、もうそれを盾にとって、わざと大げさに言いふらし、サボりの口実として主張するしかないじゃないか。
 
 糖尿病、高脂血症とかいうのは、もう私の体の中に安住の地を見つけた古参兵。
 恥ずかしい生活習慣病なんだけど、こいつらは私が甘やかすこといいことに、わがもの顔で体の中に居座り続けている。

 それに1年前からは「血栓症」という “新顔” が加わった。
 からだの中に血が固まってしまうというやつ。
 もともと左足は静脈の弁が弱っていて、心臓に送り返す血が滞ってしまうという「静脈瘤」という病気に冒されていたのだが、とうとうその血が固まって、羊羹(ようかん)状態になってしまったのだ。
 過度なデスクワークが続いたため、一種の “エコノミー症候群” に近い状態になってしまったらしい。

 発症して、そろそろ1年になるが、いまだに病院通いをしている。
 月一の割合で通院し、血液検査をしてワーファリンという血液の粘度を薄める薬を飲み続けているわけだ。
 3回の通院に1回ぐらいの割合でMR I 検査を行い、左足の断面を調べるのだけれど、先生に言わせると、「厚い羊羹が薄い羊羹」になっただけだという。

 「いつ治るのさ?」と聞きたいところだけど、医師がいうには、「とにかく薬を飲み続けて今後の経過を見ましょう」と繰り返すだけ。
 もうじき1年だぜ !!
 その先生、薬屋と結託して儲けようとしているだけなんじゃないのか?

 で、この13日から16日に行われた「ジャパンキャンピングカーショー2015」の直前には歯通に襲われた。

 こういう大きなショーでは、事前の搬入日から車両撮影に入るのだが、奥歯の根元がキリキリと傷みだし、とてもカメラを担いで会場を歩き回るなんて余裕などなかった。

 最初は家の近所の町医者に行った。
 「虫歯ではない」
 という。
 年寄りがよく患う「歯肉炎」とか、「歯槽膿漏」とか、「歯周病」のたぐいらしい。
 特に、ストレスが溜まると、歯の神経が過敏になり、弱っているところが傷みだすのだという。
 
 もともと歯は丈夫なのだけど、ストレスが溜まると真っ先に歯に来る。
 以前も、納期が重なった仕事が続いたとき、イライラして、無意識のうちに歯ぎしりばかりした挙句、奥歯を割ってしまったことがある。

 そのときに治療してもらった先生は、平然として言い放った。
 「歯が割れるというのは、別に珍しいことではないです。中堅管理職の中年男性に多い症状ですよ。上層部からプレッシャーをかけられ、下の部下たちから突き上げられた人たちが歯ぎしりをしているうちに、歯を割っちゃうんですね」
 というのだ。
 私には上司もいなければ部下もいないのだけど、締め切りを抱える仕事というのは、やはりどんな職業でもプレッシャーがかかるものだ。

 今回痛み出したのも、その割った歯のところだった。
 で、歯が痛いために、物を食べるとき、反対側の歯だけに頼ることになる。
 したら、酷使していた反対側の歯の犬歯が傷み始めた。
 歯痛の挟み撃ちだ。

 そこで、少し大きな病院の歯科医を訪ねることにした。
 診断の結果は、痛いのはすべて基本的に歯ぎしりが原因。
 それも寝ているうちに、ギリギリと歯をこすり合わせているらしい。
 (どうりで最近、悪夢ばかり見ていると思ったよ)

 根本的な治療は、やはり痛い歯そのものを抜くか、神経を抜くしかないという。
 「ジャパンキャンピングカーショー」の直前だったので、歯を抜いたりする余裕もなく、腫れを取るための抗生物質と痛み止めの薬をもらって様子をみることにした。

 痛み止め(ロキシニン)というのは、とにかく効く。
 歯痛など、最初からなかったような気分になる。
 そのため、その日のショーが幕を閉じたあとは、毎晩痛飲した。
 とにかく、誘ってくれる人たちがたくさんいて、(それはうれしいのだけれど)、気持ちのいい仲間が多いから、飲みだすと止まらない。

 しかも、幕張メッセの駐車場に自分の“ねぐら”(キャンピングカー)を用意しているため、会場近くの居酒屋で飲んでも、歩いて帰られるという余裕がある。
 だから、痛みどめを飲みながら、酒もグイグイと飲む。

 深夜になって、千鳥足で自分のキャンピングカーに戻る。
 痛み止めと酒のブレンドが体にわざわいしたのか、キャンピングカーに入る前に、酩酊して転倒した。
 腰をしたたかに打って、地面を叩く自分の体の音と、そのときの痛さで意識が戻った。

 それでもアルコールのせいで、激痛をこらえることができたため、なんとかバンクベッドにまでは登ることはできたけれど、目が覚めてから傷みが尋常ではない。
 ヤベェ…と思ったけれど、取材をサボるわけにはいかない。
 痛みをこらえて、なんとか最終日の取材を終えた。

 あれからそろそろ1週間経つけれど、歯も腰も治らない。
 自分が悪いんだけどさ。
   
 

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