アー・ユー・レディー?

トラッドロック夜話 17

 「何、これ…」
 女は、僕の突き出したコンサートの券を取ろうともせず、ちらっと眺めただけで、ストローでコーラを吸いながら、僕をにらんだ。
 「ロックだよ、ロックミュージック」
 「私、興味ないもの」
 「騙されたと思ってさ、一度ナマを聞いてみろよ」

 僕は、その挑発的な目つきに対抗するように、わざと突き出した2枚のコンサートの券を、ひらひらと女の顔の前で振った。

 「強引な人ね」
 「一度ライブを見ると、ぜったい君も好きになるって」
 「私、まだあなたとデートするかどうかも決めていないのよ」
 「俺だって同じだよ。俺にだってさ、今後デートに誘う適性が君にあるかどうか、試してみる必要があるのよ」
 「それが、そのコンサートってわけ?」
 「うん。これを聞いてさ、君がロックという音楽を好きになれば合格だ」
 「バカじゃないの、あなた。自分の都合だけで女が動くとでも思っているの?」
 
 女が、黒縁メガネ越しに僕をにらむ。
 明るい陽射しが入り込む喫茶店の窓際の席。
 女の白いブラウスが、テーブルに反射した外光を浴びて、目を突き刺すように迫ってくる。
 化粧っけのない顔。
 素っ気ないひっつめ髪。
 優秀そうなオデコが広がっている分、頭の良さは伝わってくるけど、色気なんてこれっぽちもない。
 でも、そのメガネを外し、髪を自然に垂らせば、かなり可愛い子であることは間違いない。
  
 そういう僕の視線を、メガネ越しにはねつけるように、女はいう。
 「もしね、女の子の関心を誘うなら、まず相手の望みってのを聞いて、それに合わせるのが普通でしょ?」
 「じゃぁ、君の望みって何よ?」
 「あなたみたいなチャランポランな男子に邪魔されずに、しっかり勉強すること」
 そう言って、女はバッグからフランス語の教科書とノートを取り出して、バンッと音が出るぐらいの勢いで、テーブルの上に置いた。
 「どうするの? 一緒に勉強する? それともそのコンサートの券をもらってくれる女の子でもナンパに行く?」

 「やれやれ … 」
 僕はそうつぶやいて、煙草に火をつけ、天井に向かってゆっくり煙を吐き出した。

 フランス語の夏期講習を受け付けてくれる専門学校に通った最初の日に口をきいた女。僕の席のすぐ後ろに座り、いきなり文句をつけてきたのが、そいつだったのだ。

 「あの、もう少し椅子を前に引いてくれない? 窮屈だから」
 そう言って、女は、ポンポンと筆箱で僕の肩を叩いた。
 「あ、悪かった」

 ―― 生意気なやつだな …。
 そう思いながら振り返ると、意外とおとなしそうな女がこっちを見ていた。
 地味 !
 第一印象はそれ。

 とても、筆箱の先で他人の肩を叩くような人間には見えない。
 しかし、無表情な女の顔には、自分の邪魔をする人間には容赦しないという強さがにじみ出ていた。

 最初の日はオリエンテーリングだけで、勉強範囲の確認と講習態度に対する注意事項などが確認されただけだった。
 「サァ、アシタカラ、シッカリ ヤリマスヨ」
 若いフランス人の男の教師が、聴講生の顔を万遍なく見回しながら、そう言う。
 人々が席から立ち上がる音が、教室内に響き渡る。
 その音に混じって、
 「なによ、時間があるのだから、今日から授業を始めればいいのに」
 というつぶやきが、僕の背中に浴びせられた。
 振り向くと、メガネ女が口をとがらせている。

 「そうだよな、授業料泥棒だよな」
 僕も、そいつに合わせて相槌を打った。
 「あなたも、そう思う?」
 「もちろん」
 … なんて言ったけど、ほんとうは今日はこれで帰れるのかと思って、僕はホッとしていたのだ。

 女と並んで、校舎の門を出た。
 「お茶する?」
 僕は、話しかけてみた。
 「目的は?」
 すかさず女が問い返してくる。
 「一緒に勉強させてもらおうと思って」
 ふん、と女は鼻を鳴らしたが、「30分だけよ」と意外な返事をよこした。 

 「あなたは、なんで夏期講習を受けることにしたの?」
 喫茶店のテーブルをはさんで、女が尋ねてくる。
 「じゃぁ、君はなぜこの学校でフランス語やることにしたの?」
 僕は逆に聞き返した。
 「私、お父さんがデパートに輸入服を卸しているのよ。フランスのデザイナーブランドを」
 「ピエール・カルダンとか?」
 「もう古いわよ。… でね、私もその家業を継ぐつもりなの。生活の半分はフランスで暮らす計画だからフランス語やるの。あなたの場合は?」

 「いま、うちの学校では全共闘運動が盛んでさ、フランス語の授業は必ず潰されちゃうんだよ。“クラス討論” とかいって」
 「何を討論するの?」
 「授業料値上げについて。その反対運動をやるわけ」
 「まだ、そんなことやってんの?」
 「いや、それはもっと深い思想闘争の一環みたいだよ」

 …… バカバカしい、と鼻で笑って、女はため息をついた。
 「じゃ、フランス語、何もやってないわけ?」
 「そうなんだ」
 「定冠詞の男性単数と女性単数の違い知ってる?」
 「“ル” とか “レ” とかいうやつ?」 
 「“ル” と “ラ” 」
 「知ってんじゃん。教えてよ」
 「そこから知らないなんて、明日からの授業にもついていけないわね」
 「コーヒー代出すからさ、教えて。たまにケーキも奢るから」
 
 女が何を考えたのか知らないが、その日から、そいつは僕に授業の補習をやってくれるようになった。
 ただし、時間はきっかり30分。
 授業後の一休みに、コーヒーをただで飲めると計算したのかもしれない。
   

 「今まで勉強を教えてくれたお礼」
 と言って、僕はある日ロックコンサートの券を2枚用意し、彼女の前に見せたのだ。
 「ね、行こうよ。楽しいよ」
 煙草を灰皿に押し付けて、僕はもう一度、彼女の前でチケットをひらひらと振った。
 「誰のコンサート?」
 「グランド・ファンク・レイルロード。… 知ってた?」
 「知っているわよ。知性のないアメリカの3人グループ」
 「ほぉ、知ってんだ」
 「私、ああいう音楽嫌いなのよ。頭の悪そうな人ばっかりが聞いているから」
 「じゃ、頭のいい人の音楽ってのは?」
 女は視線を宙にさまよわせ、少し考えてから、
 「クラシック以外なら、ブラザースフォーとか、ピーター・ポール&マリー」
 と答えた。

 「ふぅーん……」
 僕は、わざとつまらなそうにして、視線を窓の外に泳がせた。
 「そういうの、いいと思わないの?」
 女が、眉をしかめて僕の顔を覗き込む。
 「退屈だよ。時代の先端をえぐっている感じがしない。やっぱロックでしょ。グランド・ファンクは二流かもしれないけれど、ナマを聞いてみると、きっとそれなりの刺激があると思うよ」
 「いつなの?」
 「今日だよ」
 「バカじゃない? 普通そういうのは相手の都合をまず聞いてから日にちを合わせるものでしょ」
 「都合悪い?」
 「当たり前じゃない。私あなたのようなヒマ人じゃないから」

 会場は、水道橋の後楽園球場だった。
 なんだかんだと言いながら、女は僕のあとを付いてきた。
 「ロックって、機械の力を借りて、強引に音をひずませて、どこが面白いの?」
 女はまだ抵抗を続けている。

 「それがいいんじゃん。アンプで音を増殖することで、人間に新しい感覚をもたらすんだからさ」
 「反自然的よ。反自然的ということは反社会的ということ。マリファナなんか吸って “知覚の変容だ” とか喜んでいる人たちがいるけれど、それとおんなじよ」
 「そうかなぁ、“メディアはマッサージだ” とマクルーハンは言ってるぜ。新しいテクノロジーは、新しい感受性を人間にもたらす。その代表例がロック」
 
 女は一瞬立ち止まり、小首をかしげて僕の顔を覗き込んだ。
 「へらず口が好きなのね。いかにもイマドキの軽薄男」
 「君は?」
 「軽薄男の強引さに負けた、軽薄女」
 そういって、女ははじめて笑った。

 スタンド席を埋め尽くす大観衆だった。
 しかし、野球見物と違うのは、若者しかいなかったこと。男も女も長い髪をなびかせ、サイケデザインのシャツや白いTシャツ姿で通路を闊歩していた。
 ステージは、グランドの中央。
 カナダのロックバンド、マッシュマッカーンの前座がひとまず終わり、あとはメインバンドのグランド・ファンク・レイルロードの登場を待つばかりとなった。

 ところが、あれほど晴れわたっていた空が、そのとき急に曇り、どこからともなく突風も吹いて、一瞬のうちに会場全体が嵐に巻き込まれた。
 さらに、上空にカミナリ。
 それを合図に、空が割れたような豪雨が場内に降り注ぎ始めた。
 観衆のどよめきが、地鳴りのように湧き起こった。

 「ひどいじゃない、傘なんかもってないのよ、私」
 女がなじるように、僕の顔を覗き込んだ。
 「傘を持っていないのは、みんな同じだよ」
 僕たちは、雨をしのげる場所がないかと辺りを見回したが、ぎっしり詰まった観衆のため、身動きすら取れない。

 雨はますます激しくなり、ヒョウまで混じって、会場のあちこちから悲鳴のようなものまで上がってくる。
 ステージ前に立てかけられていた「GRAND FUNK RAILROAD」という看板がばらばれと吹き飛ばされ、宙に舞って、グランドをすべっていくのが見える。

 「…ったくぅ。あなたなんかに付いてくるんじゃなかった」
 女はびしょびしょに濡れた顔を歪めて、憎々しげにつぶやいた。
 「ま、いいじゃない。ロックは反自然的な音楽かもしれないけれど、雨は自然 の大いなる恵み。テクノロジーと自然の美しい調和」

 「よくいうわ … 。口だけペラペラ動く人なのね」
 女はハンカチを取り出し、しきりに自分の顔からしたたり落ちる雨をぬぐっていたが、やがてそのハンカチも水けをたっぷり含んで、使い物にならなくなった。
 そのため女は、顔を拭くのもあきらめたらしく、髪も額もびしょびしょに濡らしたまま、人のいないステージをにらみ続けている。

 グランド・ファンク・レイルロードは、いっこうに現われない。
 会場内に「中止らしい」という噂も流れ始め、不穏な空気さえ垂れ込め始める。
 「グランド・ファンクは必ず演奏をやると言ってます。雨がしずまるまで、もうしばらくお待ちください」 
 そんなアナウンスまで流れ始める。
 それを合図に、場内から「No Rain ! No Rain ! 」という声が広まりはじめ、やがて球場を揺るがす大合唱となった。

 いつの間にか、隣にいた女が合唱に合わせ、「No Rain」と、小さく唇を動かしていた。思いもかけない暴風雨が、彼女のわだかまりを押し流したのかもしれない。
 「雨もいいもんだろ?」
 僕はその顔を覗き込んだ。
 「そうね。ここまで濡れちゃうと、もう破れかぶれだわ」

 女は、メガネを外して水滴を払い、ついでにヘアバンドも解いて、濡れた髪をかき上げた。
 まったく別の女がそこにいた。

 「可愛いじゃん」
 僕は、思わずつぶやいた。
 女は、聞こえなかったように前を見つめ、今度は、「No Rain」の合唱にはっきりと声を合わせた。
 僕はその肩を抱き、体をゆすりながら、彼女と大声で叫び続けた。
 
 突然、会場が騒然となった。
 降りしきる雨の中を、ギターを抱えたマーク・ファーナーがステージに踊り出たのだ。
 雨のために待たされた聴衆がいっせいに立ち上がり、球場全体が、地震のように揺れた。


 
 ドン・ブリュワーの短いドラミングが拍子を刻んだと思うと、マーク・ファーナーの小刻みなカッティングがそれに続き、彼らのオープニングテーマである「Are You Ready」のイントロが鳴り響いた。
 女は、いきなり椅子の前に立ちあがり、そのイントロに合わせて腰を左右に振り始めた。
 僕は、その横顔に向かって、「アー・ユー・レディー?」と声をかけた。
 女は、拳を振り上げ、「イエース !」と応えた。
 ロックを受け入れる準備は整ったといわんばかりだった。

トラッドロック夜話 16「君の友だち」

トラッドロック夜話 15 「冷たいバラード」
 
 

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アー・ユー・レディー? への4件のコメント

  1. 木挽町 より:

    当時のガールフレンドから教わったことは、今でもすごく役に立っています。今思えば、男として当たり前なことばかりなのですが、そういう意味で共学校で良かったと思いました。かっこいいガールフレンドですね。うらやましい。コンサート会場に入ってから「I’m ready.」。それまではシラケタ振りをして、だらだらとロックを語ることもなく、薀蓄を自慢することも無く、雑誌で読んで得ただけのことを自分の知識として披露せず。一方で、会場では絶対にノル。なんて男らしい?方でしょう。江戸っ子好みだなあ。「天邪鬼」「やせがまん」「見栄っ張り」の三種の神器が揃ってます。

    • 町田 より:

      >木挽町さん、ようこそ
      ありがとうございます。
      >>「カッコいいガールフレンド」 …… ここに出てくる女の子のことをそんな風におっしゃっていただけるとは思いもしませんでした。
      さすが、>>「当時のガールフレンドから教わったことが役に立っている」とおっしゃるだけあって、木挽町さんはしっかりした女性観を持っていらっしゃるようですね。
      「天邪鬼」、「やせ我慢」、「見栄っ張り」…そういうネガティブな面を表に出しながら、一生懸命突っ張っている女の子って、やっぱり可愛いですよね。分かっていただけて、うれしいです。

      でも、残念ながら、これはほぼフィクションです。
      「こんな女の子可愛くない?」っていう自分の理想を表現したまでのことで。
      だいたい「トラッドロック夜話」というシリーズは、2~3割の実体験を7~8割ぐらいの “嘘”で塗り固めています。
      それでも、そこには自分の女性観やら音楽観があったりして、それは(下手くそながらも)正直に綴っているつもりです。
       

  2. 木挽町 より:

    やはりお仕事柄?文章がうまいですね。フィクションであっても、読んでいるうちにだんだんと情景が画になって見えてくるような気がしました。微妙な感性をさりげなくさらっとした文章で表現できる才能がうらやましいです。文章っていいですね。読むのが楽しくなります。もちろん老眼鏡を使用してですが。

    • 町田 より:

      >木挽町さん、ようこそ
      つたない文章に過分なご評価を頂き、うれしい反面、多少くすぐったいような気分です。
      ありがとうございます。

      本編に関していえば、学生の頃、フランス語学院に通ったのは本当。
      しかし、登場した女性に関していえば、外観上似たような人がいましたが、付き合ってはいません。
      1971年7月17日に行われたグランド・ファンク・レイルロードの “嵐の東京公演” に行ったのは本当。ただし、同行したのは男の友人でした。
       

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