リドリー・スコット「エクソダス」

 
 リドリー・スコットの歴史ものとなれば、万難を排しても観に行かなければならない。
 … というほど、彼の熱烈なファンである私は、当然のごとく『エクソダス 神と王』を観に出かけた。

 事前に、ネットのレビューをいくつか拾ってみた。
 賛否両論であった。
 「映像としては満足のいくものであったが、ドラマとしては盛り上がりに欠ける」
 というニュアンスの批評が多かった。

 観ないうちから、「… そうだろうなぁ」という予感はした。
 リドリー・スコットの歴史ものといえば、2000年の『グラディエーター』以降、『キングダム・オブ・ヘブン』(2005年)、『ロビンフッド』(2010年)と観ているうちに、だんだんパワーが落ちてきているのを感じていたからだ。

 SFモノまで広げてみても、『プロメテウス』(2012年)あたりになると、映像美の凄さは認められたとしても、コンセプトメイクの破たんははっきりしていた。
 だから、この『エクソダス』にも危惧は感じていたのだ。


▲ 宿命のライバルとなるモーゼ(クリスチャン・ベール 左)とラムセス(ジョエル・エドガートン)

 しかし、この作品は良かった。
 十分に楽しめた。
 ストーリーテリングの巧みさをしっかり保持しながら、リドリー・スコットらしい度肝を抜く映像表現もふんだんに散りばめられていて、極上のエンターティメントに仕上がっていたと思う。

 個人的な順位付けでいうと、『グラディエーター』の次ぐらいには据えられるのではないか。
 そんな印象を持った。

 多くのレビューで語られていたことだが、旧約聖書の “十戒” のエピソードを取り上げながらも、すべてを「神の奇跡」に還元するのではなく、きわめて合理的な解釈が施されていたところに、この映画の特徴がある。
 
 モーゼは、シナイ山の山頂に登り、そこで神(もしくは神の使い?)に出会うわけだが、その姿は、何の変哲もない羊飼いの少年でしかない。
 それも、山頂で転倒し、意識が混濁したモーゼの目に映ったただの幻覚にすぎないという解釈も成り立つような登場の仕方である。
 だから、そこで交わされる「神との対話」は、モーゼの自己問答に過ぎないという見方もできるようになっている。

 最大の山場である、モーゼがヘブライ人たちを率いて紅海を渡るシーン。
 1958年に作られた『十戒』のように、紅海が真っ二つに割れ、真ん中に「奇跡の道」が現われるといった度肝を抜く映像表現にはなっていない。
 引き潮になって、徒歩で渡れるくらいの浅瀬が現われるという解釈なのだ。

 しかし、その徒歩で渡れる浅瀬を踏み外すことなくヘブライ人たちが渡りきれるのか? というスリルは満点で、事実、その後を追うエジプトの戦車部隊は、“神の仕打ち” を思わせる黒雲と雷鳴とどろく天候の急変により、小山のような波に巻き込まれて全滅してしまう。
 海が真っ二つに割れなくても、「さすが !」と唸らせるような映像はしっかり作り込んであるのだ。

 チャールストン・ヘストン主演の『十戒』に比べると、「神」の存在感が後退しているのを感じた。
 代わりに、「人間」が主役に躍り出ている。

 『十戒』は、偉大なる神の前ではすべての人間は非力であり、モーゼといえども、神の偉大さを民に伝えるメッセンジャーでしかなかったが、『エクソダス』のモーゼは、少年の姿で現れる「神」に、ときに悪態をつく。
 「俺は、あんな残酷な仕打ちでエジプト人たちを懲らしめるのは好きじゃない」
 などと自分の感情を神にぶつけたりするのだ。

 すると、少年の方も、
 「じゃ、ヘブライ人たちはこのまま苦しみ続けていいのかよ?」
 と、ふくれっ面でモーゼに抗議する。
 そのやり取りが、なんとも人間くさい。
 そこには何の神秘性もなければ仰々しさもない。

 神に対する猜疑心を捨てきれないモーゼは、その分、「人間」として懊悩する。
 果たして、自分には40万人のヘブライ人を統率して、“約束の地” であるカナンまで無事に民を送り届けることができるのだろうか?
 リーダーとしての資質を常に自分で問い続けるモーゼは、孤独で、ひ弱で、頼りない。

 しかし、モーゼはその分、統率する民たちの中で、もっとも弱い人々に対するまなざしを研ぎ澄ませていく。
 自分を殺そうとして、剣をふるって突進してくるエジプト王ラムセスに対しても、迫りくる大波を前に、
 「もうこの波から逃れて引き返すことはできない。お前も俺たちといっしょに対岸を目指そう」
 と、救いの言葉を投げかける。

 そのモーゼの温かさが、素朴ながらも有無を言わせぬヒューマニズムの強さをこの映画にもたらす。

 無事に紅海を渡りきってカナンを目指すモーゼは、馬車の中から、ヘブライ人たちに混じって黙々と歩き続ける少年をみつける。
 シナイ山の山頂で、モーゼに神の意志を伝えた謎の少年である。

 モーゼと少年の間に、得も言われぬ温かい微笑が交わされる。
 次の瞬間、少年の姿はヘブライ人たちの集団に呑まれて消えてしまう。
 もちろん、モーゼの幻覚であったかもしれない。

 無理難題を人間に強いて、敵対する者に対しては残酷な仕打ちを施す無慈悲な神。
 しかし、その神は同時に、ひっそりと人間のそばに寄り添い、人間に温かい微笑を授ける存在でもある。
 気づく人だけが、そのことを知る。

 「神は隣人として現れる」
 リドリー・スコットは、そう言っているようにもみえる。

 「神」を、駄々っ子のように見える少年の姿で可視化させたという発想は、やはり卓越していたと言わざるを得ない。
 少年一般が持っている「無垢さ」は、ときに大人に対しては残酷であり、ときにとてつもない慈悲に満ちている。
 リドリー・スコットの神への思いが伝わってくる。
  
  
関連記事 「スペクタクル映画の傑作 『十戒』 」

参考記事 「レプリカントの命 (ブレードランナー論序説)」

参考記事 「グラディエーター」
 
参考記事 「リドリー・スコット 『プロメテウス』 」 

参考記事 「ロビン・フッド」

参考記事 「写真を撮るなら絵画から学べ」
 
 

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リドリー・スコット「エクソダス」 への2件のコメント

  1. コータロー より:

    初めまして。

    「Yahoo! Japan 映画」 に 下記の投稿をしました。
    「偉大な映画「十戒」を子供の頃に(大人になってからも何度か)観て、今も強烈なインパクトが残っているだけに、それがどうリメイクされるのか?と、非常に大きな関心を持っていました。
    ところが実際に入場してみると、座席はガラガラで、観客は老人ばかり。
    「今の日本では、もう流行らない類の映画なのかな?」
    などと思いながら開始を待っていましたが、映画が始まった途端、スーッと引きずり込まれていきました。(中略)

    この映画が「一大スペクタクル映画」のカテゴリーに入れられるとすると、とても残念です。
    「EXODUS:出エジプト記(聖書)」を抜きにしてしまうと、「グラディエーター」に相通ずる「優秀な義弟が放逐され、復讐を図りつつ、リーダーに育っていく」的娯楽映画に堕してしまいかねない危うさも、一方では感じていました。
    「誰もが学ぶ聖書の一部」を現代的解釈で映像化した大作として、心に残る作品と位置づけました。
    (後略)

    ところが、他の方々の評価を見て、結構大きな衝撃を受けていました。
    時代の変化、異なる価値観からすれば、やはり現代日本人には受け容れられない映画なのかな?って。
    そんな時に、「町田さんの独り言」に出逢え、今、本当にホッとした気持ちです。

    だって、一緒に観た同郷・同世代のワイフにも私の感激が伝わっていないことを知った時は、
    ちょっと辛かったですからね。
    ありがとうございました。

    また感動された「こと」や「ものがたり」など、お知らせください。
    <過去ログ、拝読させていただきます。>

    • 町田 より:

      >コータローさん、ようこそ
      返信遅くなり、申し訳ございません。
      ここのところ、ちょっと歯痛で苦しんでおり、自分のブログを開くほどの余裕がありませんでした。

      お寄せいただいたコメントを拝読し、この映画への感想に共通したものを抱いていらっしゃる方が私以外にもいることが分かり、非常に心強いものを感じました。
      実は、一緒に観た(同世代の)うちのカミさんも、自分が得たほどの感動を抱いていないことが分かり、ちょっとガッカリしていたところです。同じ体験を共有されていたのですね。

      この映画はエンターティメントとしても十分に練り込まれていた作品ですが、けっこう「神とは何か?」とか「人間とは何か?」といったような哲学的なテーマも底の方に潜んでおり、一般的に女性には、そのへんのところが “わずらわしい” という印象を持たれやすいのかもしれません。

      また、西洋史や旧約聖書に関する興味がないと、十分に楽しめない映画でもあるような気もいたします。

      これは、男にも女にも共通したことかもしれませんが、近年、人々の歴史への関心が薄れてきているように思えてなりません。
      特に、ハリウッド映画に関しては、本格的な歴史映画よりも、疑似的な歴史の衣装をまとったファンタジーもの(『ロード・オブ・ザ・リング』とか『ナルニア国物語』など)の方が人気があるようで、それもまた本格的な歴史ものへの関心を薄める要因になっているような気もします。

      いずれにせよ、いかにして本格的な歴史映画などに対する関心を高めるかということは、もうメディアの問題ではなくて、そういう作品を享受する受け手が独自に情報発信をしなければならない時代に来ている感じもします。

      貴重なコメントありがとうございました。
       

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