老人医療の現在

 
 一時は「危篤」と言われた義母だったが、収容された病院の看護が行き届いているせいか、一進一退を続けながら、10日余り戦い続けている。
 予断を許さない状態が続いているとはいえ、ひとまずの小康状態を得たという感じだ。

 介護施設で倒れたとき、もし、そこの専属医の判断をうのみにして受け入れていたら、今頃義母はこの世にいなかったかもしれない。

 介護施設の専属医は、「危篤」の連絡を受けて急いで駆け付けた家内にこう伝えたという。

 「おそらく今晩か明日ぐらいが峠でしょう。急いで病院に連れていってもこのような状態になると、どの病院も手の施しようがありません。
 それに、現在どの病院も臨終まぎわの高齢者を受け入れるような余裕がないのです。瀕死の若い人たちを救い出すだけでも、どの病院も手一杯なのです。
 だから、これから急いで救急車を手配して、いろいろな病院に連絡を取りながら都内を回ったところで、おそらく受け入れてくれるところは皆無でしょう。
 そして、そのような処置をとることは本人にも負担がかかることだし、最期のときは、静かに運命を受け入れるようにさせてあげた方が本人には楽な場合もある。なるべくこの施設内で安らかに見守ってあげてください」

 専属医は、家内をそう諭したという。
 そして、
 「それが、自分が40年医師を続けて理解してきた日本の医療現場の実情です」
 と説明したとも。

 本当だろうか。
 私には、そういう医師の現状認識というものが、にわかに信じられない。
 
 家内は、その医師の言葉から、
 「あなたのお母さんはもう90歳まで生きられたのでしょう? もう十分じゃないですか。それよりも若い人たちの命を救わねばならないのです」
 と言っているように感じたという。

 合理的に考えれば、それは正しいのかもしれない。
 しかし、身内の人間にとっては、そんな「日本の医療現場の実情」など聞いたところで、自分を納得させる余裕なんて持てない。

 家内は、その医師の説得に逆らって、おそるおそる懇願したという。
 「たとえ、1%の確率であって、母がまだ生きられる可能性があるかぎり、救急車を手配して、病院を探すようにしてください」

 すると、その医師はにわかに高圧的な態度になって、
 「それならば、それはあくまでも患者の家族の個人的な要望だということにしてくださいよ。医師としての私の決定ではないので、私の名前は出さないようにしてください」
 と難渋を示したという。

 いったいどういうことなのか?
 常識的に考えて、この医師の言動は解せない。
 まるで、自分に医療ミスでもあって、その発覚を恐れているようではないか。

 実際に収容してくれる救急病院が見つかり、そこでさまざまな検査を行った結果、脳梗塞が再発したという診断が下された。
 その事実を、介護施設の専属医は見逃したか、故意に隠したか。
 なにしろ、「脳波を検査したところでは異常なし」とその医師は判断したのだから。
 介護施設にあるような検査機器で、いったいどれだけの検査ができたというのだろう。

 今になって思うと、もうその段階で検査ミスが生じていたと考えてもおかしくない。
 「救急車を呼ぶのをやめろ」
 と言い放った段階で、その医師は何かを隠蔽しようとしたと疑われてもしょうがないのではないか。

 私は、このことに関して、事の当否を判断する材料を持たない。
 これから、ますます高齢化社会を迎える今の日本においては、臨終間際の老人が息を引き取るまでの間、手厚く看護するような余裕がなくなっていくのは確かなことだろう。
 どこの病院でも、瀕死の老人たちが溢れかえり、それを看取るまでの時間もコストも社会が保障できなくなっていくのは目に見えている。
 
 そういう老人を抱えた家族は、「それがこれからの社会の現状だ」と自分に言い聞かせて、じっと耐えなければならなくなるのだろうか。
 「少しの間でも、親の命をながらえさせてほしい」
 という素朴な希望を持ってはいけないような社会が来ようとしているのだろうか。
 
 もし、家内がその医師の言うことを素直に聞いて、そのまま義母をその介護施設内に放置したら、たぶん医師の言うとおり、その場で亡くなっていただろう。
 
 しかし、母は病院に収容されたために、それから10日以上生きている。
 人の生き死に関する決定的な判断が、たった一人の医師の言葉で左右されてしまうことの怖さを感じざるを得ない。
 この間、本当にいろいろなことを考えさせられた。
 
 

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老人医療の現在 への4件のコメント

  1. スパンキー より:

    私の母の場合、老衰だなんだかんだとありましたが、
    結局命取りとなったのは、やはり施設医の肺炎の見逃しでした。

    病院へ連れて行ったとき、そこの医者が「なんでこんなになるまで」と首を傾げていました。
    葬儀の後、施設へ行って抗議しましたが、最後までその医師は顔を出しませんでした。

    だから私はこうした施設を一切信用していません。

    新たな老後を模索しています。

    • 町田 より:

      >スパンキーさん、ようこそ
      やはり、老人医療・老人介護の問題は、これから大きな社会的テーマになっていくでしょうね。

      特に老人介護はとても大変な局面を迎えているということを、今回実際に介護に携わる人たちから聞きました。
      なにしろ、高齢者たちの増加はすさまじいのだとか。
      それでもまだ人口の最大ボリュームゾーンである団塊世代には元気な人間がいるからいいのだけれど、これから、その人たちがいよいよ他人の介護を当てにするような時代がくると、現状の介護システムではパンクしちゃうらしいですね。

      もちろん行政もそれを見越して老人向け介護施設をどんどん増やしている段階ですが、施設は増えても人的資源が足りないために、どこの施設も深刻な人で不足になってきているそうです。
      介護に当たる職員の手当てが低すぎるという話もよく聞きますが、それもこの業界の離職率の高さを示す原因にもなっているのでしょうね。

      また、実際にこういう介護施設を回ってみると、老人の方にも問題がある場合も多いことに気づきました。淋しいせいなのか、男の老人のなかには威張っている人もいるし、痴呆が進んで職員に迷惑ばかりかけている人もいる。

      いっぽう職員の方も、そういう老人ばかり相手にしていると仕事も惰性的になってきて、人を人と思わぬような機械的な対応に終始する人も出てくる。
      悪循環です。

      スパンキーさんも今回ご自分のブログで、「ひとり死」に関して書かれていらっしゃいましたが、この年になると、親の介護の問題は、直接自分たちの介護をどうするかという問題にぶち当たらざるを得ない状況ですよね。
       
      スパンキーさんが >>「新たな老後」を模索されるとおっしゃったとおり、我々には、「老い」と「死」に関する新しい哲学が必要になってきたと感じます。
       

  2. つかさ より:

    私の父が昨年末に他界しました。

    医療福祉の資格を持っていて普段は客観的に物事を考える私も自分の親となると一日でも長く生きていて欲しいと思うばかりで スタッフの方々に無理難題で八つ当たりをしてしまいました。

    どうか お母様にいま町田様自身で出来る限り事をしてあげて下さいませ。

    • 町田 より:

      >つかさ さん、ようこそ
      昨年末ですか。まだ間もないわけですね。
      お悔やみ申し上げます。
      心中まだ悲しみがいえない時期だと思いますが、どうかお力を落とさずに。

      また、温かいお言葉をかけていただき、感謝いたします。

      老人医療の問題はこれからますます深刻になっていくように感じます。
      たまたま、テレビのワイドショーで、緊急病棟に次から次へと運び込まれてくる老人患者のルポをやっておりましたが、休む暇もなく必死に対応している医師や看護師たちの様子が映されていて、頭が下がる思いでした。

      私もまた実父と実母を冬に失っています。
      一日でも命を長らえていてほしいと祈りましたが、自分のことを考えると、子供も含め、あまり周囲に面倒をかけずに逝ってしまいたいという気持ちもあります。
      このへんは矛盾しますね。
      人間の生き死にの問題は、なかなか結論というものが出ないようです。
       

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