喪失感

 
 義母が危篤だ。
 連絡が入ったのは、1月の22日の昼過ぎ。
 いろいろな仕事の締切に追われ、自分の座っている席を立つ時間もないようなときだった。

 昨年の暮れに入った頃から、我が家には、緊急に処理しなければならない問題が山積みになっていた。
 どれから先に手を付けたらいいのか、優先順位を考えるだけで頭がパニックになった。

 「危篤」の連絡は、そのどれをも一時中断しなければならなくなる。
 問題が重なるときは重なるものである。
 それが「人生」ってやつなんだな … と思う。   

 義母は90歳になる。
 脳梗塞を患って長い入院施設を送ったことがあったが、そのときに一部破損した脳が完全な機能を回復しておらず、一種のてんかんに近い症状を起こし、体のバンランスを失って転倒したという。
 脳波検査では異常が見つからなかったのだが、そのときのショックで食事が喉を通らないようになったという。
 もちろん、水分も取れない。

 点滴で栄養を補充しても、体中にむくみが出たりするので、いつまでも点滴を続けるわけにもいかない。
 そのため、今は最後の「生命維持手段」である点滴の針も抜かれてしまったらしい。
 いずれは、息を引き取るのを静かに見守るしかないのだろう。

 思えば、このブログの前回のエントリーでは、益田ミリの漫画『沢村さん家のこんな毎日』を取り上げ、老いた父と母とともに暮らす一人娘の脳裏に去来するさびしさのようなものに触れた。
 「忍び寄る親の老いの気配」
 それは、人を物悲しくさせる。

 なんで、そんなテーマを取り上げたのか。
 何か予兆を感じたとしか言いようがない。

 これから、一足先に母を見舞に行った家内の後を追って、家を出る。
 外は氷雨。
 こういうときは、天まで冷たい仕打ちを用意する。
 
 

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喪失感 への2件のコメント

  1. ボールチェアー より:

    ボールチェアーです。
    お久しぶりです。
    義母様の回復陰ながら願っております。

    • 町田 より:

      >ボールチェアさん、ようこそ
      いやぁ、ほんとうにお久しぶりです !!
      お元気でしたかぁ?

      ホビダスにいらっしゃった頃は、車のこと、インテリアのこと、ロックのことなど、ボールチェアさんの洗練されたブログを拝読するのが楽しみでした。それに啓発されて、こちらも今日まで続けることができたようなものです。

      義母は、先ほど見舞にいった段階では、まだ必死に生きています。
      酸素マスクで酸素を補うような状況ですが、しっかり呼吸はしており、意識もあるのか、呼びかけに応じて目を開けることもありました。
      延命処置など何もしていないので、いつまで続くのか分かりませんが、とにかく、必死に生きています。

      温かいお言葉、ありがとうございました。
       

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