20年

 
 阪神淡路大震災が起こってから、20年経つ。
 1995年の 1 月17日 5時46分。
 日本の現代史を揺るがすような大きな悲劇だったが、この日は、個人的にも忘れられない日となった。

 地震が起きたその数時間前に、親父が亡くなったのだ。
 まるで、震災の悲劇を一足先に告知するように。

 「最後のお別れが迫っているかもしれない」
 という病院からの連絡を受けて、急いで仕度を始めたとき、テレビをつけたときに、あの惨事を知った。

 なんともやりきれない気分だった。
 今後、親父の命日を思い出すときは、必ずこの震災の悲劇の記憶とセットになってやってくると思えたからだ。

 親父はすでに、ベッドの上で、医師の手による人工呼吸の最後の処置を迎えていた。
 もう家族には何もすることができない。
 ただ、呼吸が途切れる最後の瞬間を、じっと見守ることしかできない。
 不思議と、涙は出なかった。

 行方不明者がたくさん出た震災の悲惨さに比べ、こうやって死に目に会えるだけ、まだ幸せな方か … と自分を慰めてみたが、自分の身体を満たしていく喪失感のようなものが薄れることはなかった。
 
 懸命に最後の介護に当たってくれた医師の身体が親父から離れたとき、親父の「魂」が身体から抜けたことを知った。
 
 すでに、親から自立した生活を営むようになっていたが、父親が死ぬということは、こんなに心細い気持ちにさせるものなのか、と知って、茫然となった。
 大地に立っている自分の足が、やけに細く、頼りないものに感じられた。

 それからしばらくは、ときどき親父が夢に現れた。
 元気な親父の姿を夢で見たかったが、夢の中の親父は、さらに痩せほそり、言葉も少なく、もの憂げであった。

 あれから、ちょうど20年経つ。
  
  
 関連記事 「Woo Child 親父と最後に聞いた曲」
 
 

カテゴリー: コラム&エッセイ   パーマリンク

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong> <img localsrc="" alt="">