健康寿命の長い人

 
 あるブログで、こんなことが書かれていた。
 “健康寿命” というものに対する考え方についてである。
 
 書いた人は、顔も本名も経歴も明かさない人ながら、社会現象を斜めの角度から切り込み、読者の意表を突くような見方を提示する人気ブロガーである。
 なにしろ、63万件に上るユーザーのブログのデータを常に検索する日本一の検索エンジンで常に上位をキープしており、最近は、そのアクセス数の多さが評価され、出版社に認められて、無数の書籍を刊行している人である。

 その人が、“健康寿命が長そうな人” というのは、一般的に次のようなイメージで語られることが多いというのだ。
 いわく、
 ・野菜中心のバランスの良い食事を
 ・よく噛んで、長い時間かけて食べ、
 ・毎日 10,000歩は歩くなど、適度に運動し、
 ・酒もタバコもやらず
 ・規則正しい生活リズムで、
 ・ストレスの少ない生活をおくる。

 しかし、実際に「健康寿命が長い人」というのは、次のような人だ、とそのブログ主は続ける。
 いわく 、
 ・大組織や、誰かの下で何十年も働く、という働き方をしていない
 ・通勤電車に毎日乗ったりもしてない
 ・好きなことを仕事にしてる
 ・周りと自分が違っても、全く気にせず、
 ・常に何かに向けて、お目々キラキラ、心ワクワク状態
 ・空気なんか全く読まず、言いたいことを遠慮なく口に出し、
 ・常に動き回ってるし、
 ・常に考えてる(思考停止になってない)
 ・結果として、いくつになっても「守り」に入らず(←老化の源)、好奇心を忘れず、「攻め」の姿勢で暮らしてる。

 なるほどなぁ … と読んだ直後には膝を打った。
 まったく共感できるよなぁ … と思ったのだけれど、しかし、よく考えてみると、上に掲げた “健康寿命が長い人” のような生活を送れる人って、数字的にはほんの一握りでしかないのではないか?
 まず、「通勤電車に毎日乗らずに、好きなことを仕事にしている」って、アーチストとか起業して成功した人とか、すでに自分の業績をブランド化できたごく少数の人たちにすぎない。

 だから、上記の “健康の条件” というのは、あくまでも「自分自身をなんらかの形で商品化できた人」の例である。
 確かに、そのように生きられる人はいい。
 でも、多くの人にとっては、それは願っても、なかなかたどり着けない境地なのではなかろうか。

 でも、こんなふうに反応する人間は、このブログ主から叩かれる。
 「問題を『仕方のないこと』『我慢しよう』と考えてしまい、『できない理由』ばかり声高に叫ぶ人が増えてしまうと、世の中は進歩しない」

 そういう “進歩しない例” の一つとして、この人は別のエントリーではこんなことも書いている。

 「首都圏で働く多くの人が、片道でも1時間、時には 1時間半や2時間など、全員あわせれば膨大ともいえる時間を通勤に費やしてる。だから、車内の混み方も尋常じゃない。『なんで他人とここまで密着しなくちゃいけないわけ?』みたいな状況だし、ヒールで踏まれたり、コートに口紅付けられたり、他人の汗が肌についたり、ほんとに気持ち悪い。
 この状況を悪化させてるのが、会社が通勤手当を払うっていう制度です」

 だから、会社は社員に「通勤手当を払う」ことを止めればいいいんです、というわけだ。
 通勤手当を廃止すれば、社員は当然、次のようなことを個人個人で考えなければならなくなる。
 ・狭くていいから会社のすぐ近くに住む
 ・フリーランスになる
 ・出勤時間が遅い業界や職種に就職、もしくは転職する(時間は同じだが混まなくなる)。
 で、社員のなかには、当然会社のすぐ近くに新しい家を探す人も出るだろうけれど、それによる都市の人口集中問題など考える必要がないという。

 「都心なんて高層化すれば、いくらでも床面積は増やせるんだから、さっさと都心部における低層住宅の建設を規制して、マンハッタンと同じくらいの高層化率を実現すべき」
 
 う~む …… 。
 実にサバサバと明解な論理を次々と繰り出してくるのだが、読んでいると、せかされるようで落ち着かない。
 たぶん、こういうふうに合理的に割り切っていく人たちが、これからの日本をリードしていくのだろうけれど、こういう「無駄を排して効率よく」っていう発想が、今の日本に蔓延していく強迫神経症的な不安感を醸成していくような気がする。

 この人は、また別のエントリーではこんなことを言うんだよ。

 「日本でもアメリカでも、『トップ 1%の人が全資産の30%を持っている』とかいって、なんだかそれを悪いことのようにあげつらうけれど、それの何が問題なのかわからない。
 こういう人達に資産が集中するのはけっして悪くない。だってね。彼らのような人が一人ずつ 100億円を持っていたら、それを元手に自ら新しい事業を起こしたり、有望な若者が始めたスタートアップ事業や未知の技術に、どーんと投資をしてくれる。
 ところがその100億円を、一般の人1万人にそれぞれ 100万円ずつ渡したら、大半の人がその 100万円を銀行に預金するんだよ。んで、銀行はその 100億円で国債を買ったり、短期金融市場でお金を転がすだけです。
 それって、お金の使い方として無意味だよね。そんなことしても何ひとつ生まれない。だったら、トップ富裕層の人にまとめて使ってもらった方が明らかにマシでしょ」

 ま、ある意味で、そのとおりなんである。
 理屈としては、整合性を保っている。
 でもさ、こういう言い方の裏には、なんだか、“バカは金の使い方が分からない” と言われているような気がしてくる。

 この人の言いたいことは、結局、
 「儲けている人って、それぞれ頭を使っているんだから、みんなもそうしましょう」
 ということに尽きるんだけど、それって正論であることは間違いないんだけど、“人”にはいろんな人がいるのよ。
 誰もが、才気煥発な才能に恵まれているわけでもない。

 そういう “平凡なフツーの人” に「やる気」を起こさせるには、ただ「効率を考えて頭を使え」と言い続けることとは違うモチベーションの持たせ方というのが必要になる。
 いま自分のやっている “平凡な仕事” だって、しっかりした意味があって、それによって誰を助けることになるのか、… みたいな使命感を探らせるとかさ。
 誰だって切羽詰ってくれば、自然にものを考えるようになるんだしね。

 いまの社会は、モチベーションの持たせ方を単層的にしぼってきたから、サクセス例がワンパターンになる。
 サクセス例が一つしかなければ、それを達成できない人間はみな落伍者になってしまう。
 それって、息苦しさがますます強まる社会になりそうな気がするんだけどなぁ … 。
 
 

カテゴリー: ヨタ話   パーマリンク

健康寿命の長い人 への4件のコメント

  1. よしひこ より:

    おじゃまします。
    ち○○○女史は若い人に人気があるみたいですね。とはいえ、彼女の提言は確かに才能のある人向けだよな、っていう感じがします。才能があるからこそ「ゆるく」生きることもできるわけで。勝間和代女史のように異様に向上心のある人の提言も努力ができる人向けだったわけだし、結局才能があるか努力ができるか、身も蓋もない言い方をすればそういうことになるかと。どっちも乏しいフツーの人はどうすればいいんだか。(最近流行らしいアドラー心理学って役に立つのかな。読んでませんが)

    富裕層がお金を使えばいいって話も何だかなあ。例のトリクルダウンってやつですか。日本に限って言えば、お金持ちはお金を使わないのです。運用にも興味がなくて関心があるのはもっぱら節税、という話もあります。

    最近話題の『21世紀の資本』は富裕層へのグローバル課税を提言しているそうですが、金持ちがお金を使わないのなら、国家が税金の形で「没収」して再配分するっていうのも、確かにありだよなあと思います。

    • 町田 より:

      >よしひこ さん、ようこそ
      このブログ主の人を特定できましたか。さすがですね。ま、読んでいる方はすぐに分かるでしょうね。

      このブログは、昔はけっこう面白くて、私などはいい読者だったと思います。
      しかし、いろいろ書籍を出されたり、講演に頻繁に顔を出すようになられてからは、テーマと主張の方向性が非常に狭くしぼられるようになりましたね。自由闊達さがなくなって、イデオロギッシュになってきたように感じます。

      勝間和代さんも、一時は飛ぶ鳥を落とすような勢いだったですけれど、彼女の言動をフォローしていた “カツマー” 女子たちが、勝間さんの指示する努力目標が達成できずに、だんだんノイローゼになっていった、などという話も出回るようになってきて、多少ブームも沈静化してきたようにも感じます。

      「富裕層がお金をつかえばいい」という話も、私もまた「なんだかなぁ …」 という気がいたします。
      「トリクル・ダウン」については、昔から新・自由主義的な考えの人がいろいろと語っていましたが、いまだに、その “しずく” が一般庶民のどこに滴り落ちたかを確認できた人はいないようですね。グローバル社会を勝ち抜くために、いま世界で戦っている日本企業は、資金の内部留保に余念がない状態なんでしょうね。

      人から聞いた話ですが、個人投資家などで莫大な資産を抱えてしまった人は、金で買えない物がこの世からなくなり、マネーゲームですら飽きてしまって、ニヒリズムに陥っている人すら出てきているとか。
      この世のなかで欲しいものがなくなってしまうということは、またなんともさびしい話のように思います。
      そういう “さびしさ” だけは、私などは一生味わなくてすみそうです(笑)。
       

  2. 通りすがり より:

    記事を読んでいて、誠に同感だなぁと思い、コメントせずにはいられませんでした。

    ち◯◯◯女史は、おそらくサービストークを提供しているのでしょう。
    初めは自由闊達な発言をしていても、その中でもある種のジャンルが特に人気が出る、というパターンが形成されていけば、
    発言をそのジャンルに絞り込んでいこう、という姿勢になっていくのは自然なことかと思います。

    もちろん、絞ることですぐに内容が薄くなり、中身が無くなる、というわけではないのですが、
    発言の前に「今、自分が読み手に求められているスタイルから外れないようにしよう」
    という安全装置のようなものが働き、発言から感じられる雰囲気のようなものが画一化していく。
    そして、強迫的な雰囲気を、常にまとってしまうのではと思います。
    当の本人は、恐らくそのような雰囲気を持っているわけではなく、あくまで語り部としては、という事でしょう。

    この手の自己啓発的なものは、今の自分が不足なく、順調に行っていると思ったら、読み物としては楽しんでも、あまり深く気にしすぎないことにしていますよ。

    • 町田 より:

      >通りすがり さん、ようこそ
      コメントの返信拝読し、おっしゃるとおりだと納得いたしました。

      >>「ある種のジャンルに特に人気が出るというパターンが形成されていけば、そのジャンルに絞り込んだ発言が増えることは自然なこと」

      その通りですね。これは、ち○○○女史に限らず、物書きが共通して持ちやすい心理なんでしょうね。
      そして、彼女が「語り部」としてのサービストークに徹しているということも、よく分かります。

      ただ、最近は自己啓発的な視点が多すぎるような気もします。
      深く気にせずに読み物として楽しんでいればいいのでしょうけれど、多くの自己啓発書が退屈であるのと同じように、ヨヨッと目を開かせてもらうものが少なくなったような気もします。
      自己啓発って、けっきょく答が「決意一般」、「やる気一般」に集約されそうで、なんかワクワクしないんですよね。

      もっとも、自分もそういうのを目にして、けっこう自分のことを奮い立たせることもあるので、ちょっと矛盾していますけれど。
       

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong> <img localsrc="" alt="">