君の友だち

 
トラッドロック夜話 16
 
 細くて狭い階段を上がりきったところに、カウンターだけの小さな小料理屋があった。
 といっても、メニューは少ない。
 里芋などの煮っ転がしに、子持ちシシャモ。
 厚揚げ焼き、おでん。
 そんなものが、その日のママさんの仕入れの都合で、お品書きにあったり、なかったり … 。

 メイン料理といえば、そこのママさんの握るおにぎり。
 これがうまかった。
 塩を振って、軽く炙った海苔を巻くだけ。
 しかし、米がおいしいのか、ママさんの握り方が上手なのか。時にそれがどんなご馳走よりもおいしく感じられた。

 偶然に見つけたその店に僕が通うようになったのは、二十歳の頃だった。
 学生の身でありながら、夜遊びが好きだったから、仲間と飲んだり、マージャンしたりして、家路に着く頃には小腹が空いてくる。
 まだ、コンビニなどという便利なものが町になかった時代。
 家に戻る道を歩いているときに、ふと雑居ビルの上を見上げたとき、「おにぎり やすおか」という看板が見えた。

 おそるおそる階段を上がっていくと、6人も座れば満席になってしまうカウンター越しに、警戒するように僕を見つめたママさんと、カウンターの奥でひっそりと酒を飲んでいる老人の姿が見えた。

 「学生さん?」
 とママさんが、探るような目つきで尋ねてくる。
 「ええ…」
 「一人?」
 「そうですけど」
 「じゃ、どうぞ」

 あまり歓迎された様子ではなかった。
 後でママさんから聞いた話だが、学生は徒党を組んでやってきて、うるさく騒ぎ始めるから入店をお断りしているというのだ。

 何度か通うになってから、ママさんが学生のような若者を嫌う理由も分かるようになった。
 店に来るほとんどの客が、少し疲れたようなサラリーマンか、職人たち。
 それも、自分が日々受けている心の傷を癒すように、ひっそりと酒を口に運んでいる。

 常連同士はお互いに顔なじみであるようだったが、さほど会話が弾むこともない。
 誰もが、マイペースで自分一人の時間を楽しんでいる。
 そんな大人の隠れ里のような店の雰囲気が、僕をなごませた。

 やがて、常連客の一人と、ぽつりぽつりと話を交わすようになった。
 最初の日に、カウンターの奥で、一人で酒を飲んでいた老人である。
 名前を「ゲンさん」といった。
 どういう字を書くのか分からない。
 ただの愛称だったかもしれない。

 しかし、老人の彫の深い横顔を見ていると、どことなく腕に自信のある叩き上げの職人という感じがして、「ゲンさん」という呼び名がぴったり合うように思えた。
 ただ、正確な歳は分からなかった。
 頭は白髪まじりで、頬の辺りには深いシワが刻まれていたから、年輪を重ねた人のように見えたのだが、実年齢はそんなに老けていなかったのかもしれない。

 店のテレビでは、全米のヒット曲ランキングを知らせる深夜番組が静かに映し出されていた。
 キャロル・キングの『You’ve Got A Friend (君の友だち)』が流れた。

 「カズエさん、少しボリュームあげてくれるかな」
 ゲンさんが言った。
 僕はそのときママさんが「カズエ」という名前であることをはじめて知ったが、驚いたのは、ゲンさんがキャロル・キングの歌に反応を示したことだった。

 「好きなんですか? この曲」
 僕はゲンさんに尋ねた。
 「おかしいかね?」
 「いいえ、別に。ただちょっと意外な感じが … 」
 ―― 三波春夫とか、村田英雄がお好きなような気がしてたから … という言葉を、僕は言うのをこらえて呑み込んだ。
 それを読んだように、ゲンさんは彫りの深い顔を少し歪ませて、短く笑った。
 
 「この人、音楽事務所にいたのよ」
 すかさず、ママさんがカウンター越しに話しかけてくる。
 「ええっ !! 」
 僕はさっきよりさらに大きな声を上げた。
 「どんな音楽を?」
 僕の質問に対し、ゲンさんに代わって、ママさんが答えた。
 「黒人で歌う人、ジャズよ。ジャズ」
 
 大人がいう「ジャズ」は、洋楽一般を指すことが多い。
 僕は、ゲンさんに直接尋ねてみた。

 「キャロル・キングは、リトル・エヴァの『ロコ・モーション』を書いた人でね。俺はその邦盤を入れる仕事を手伝っただけ」
 
 ゲンさんは、いつも多くを語らない。
 その話もそこで終わりそうになったとき、店の電話が鳴った。
 ママさんが、黙って受話器をゲンさんに渡した。

 「終わったのかい? お疲れ様」
 ゲンさんの声は、おそろしく優しい。
 私は聞くともなく、耳を澄ます。

 「食事? いま食べているよ。寒いから気を付けてお帰り」

 ―― 相手はどんな人だろう?
 好奇心が湧いてくる。
 しかし、多くしゃべるのは相手の方で、ゲンさんは、ただ「ああ…」とか「うん……」などと相槌を打つだけ。
 
 しばらくそんなやり取りが続いた後、
 「バカなこというなよ」
 とゲンさんは優しく相手にそういって、静かに受話器を下ろした。
 そして、私の視線を意識したのか、窓の外を向いたまま、煙草に火をつけた。

 ゲンさんに電話がかかってくるのは、だいたい夜の12時近くになってからだった。
 そのたびに、「ご飯かい? いま食べているよ」などと同じ言葉が繰り返され、あとは「うん…」、「ああ…」だけが繰り返される判で押したような会話が続いた。
 最後は必ず、「では、ゆっくりおやすみ」。
 相手に対する細やかな情を押し殺しながら、わざと素っ気なくいっている感じが伝わってきた。

 好奇心が募って、僕は電話の相手を聞いたことがあった。
 「いつもご家族が心配されているんですね」
 と、カマをかけてみた。
 「俺には家族なんかいないよ」
 ゲンさんは、こともなげにいう。
 「じゃぁ、恋人とか!」
 少し酔って、僕は無遠慮に突っ込んでみた。
 ゲンさんは、照れることも動揺することもなく、「ただの友だち」と短く答えた。

 「だが、友だちはいい。さびしくならなくてすむ」
 そのとき、珍しく、ゲンさんが話を続けた。
 「そういう相手は、誰にでも一人いればいいんだ」
 
 ゲンさんのいう「友だち」が、電話の相手を指しているのは明らかで、さらにキャロル・キングの『You’ve Got A Friend』の詞の内容を意識していることも、なんとなく分かった。

   ♪ ただ、私の名前を呼んで 
   呼びさえすればいいの
   私はそこにいるから
   あなたには、友だちができたのよ、私という …

 人を励ます力のある詞。
 力尽きそうになったとき、こんなふうに呼びかけてくれる友がいたら、どんなに心強いだろう。

 しかし、その曲は、実は僕には辛い思い出がある曲だった。
 入学してそうそう僕は淡い恋をして、ラブレターまで書いて渡したにもかかわらず、見事に振られたのだ。
 「手紙の返事を口頭で話すから」という彼女の誘いに乗って入った喫茶店で流れていたのが、その曲だった。
 「友だちになるんだったらいいわよ」
 相手は、精一杯のいたわりの笑いを浮かべながら、明るくそう言った。
 まるで、そのとき流れていた歌の意味に合わせるように。
 

 その日、ゲンさんにかかってきた電話は、いつもの時間より早かった。
 そして相手が違うことが、ママさんの話しっぷりで分かった。
 「はい、その方なら、今このお店にいらっしゃいますけど … 」
 緊張した面持ちで、ママがゲンさんに受話器を渡す。

 「はい …、いいえ …、はい … 」
 ゲンさんの声も、いつもより固い。
 やがて、
 「えっ !」っと絶句したまま、ゲンさんの顔色が氷のように透き通った。
 「何時頃ですか?」
 うめくようなしゃべり方だった。
 「では、彼女はもう ……」
 そういったまま受話器を握りしめたゲンさんの瞳は、何も見ていないようだった。

 ママさんは、気を利かして奥の洗い場で食器洗いを始めたが、さすがに電話の内容が気になるらしく、ちらちらとこちらを振り返る。
 僕は僕で、取り出した一本の煙草をとんとんとカウンターの上で弾ませ、葉を詰めるような動作をした後、わざとあくびした。

 しばらく相手の話に耳を傾けていたゲンさんは、やがて、
 「ありがとうございました」
 と、電話の主に挨拶を返して、静かに受話器を置いた。

 さすがのママさんも、尋ねあぐねて、ゲンさんの表情ばかり見守っている。
 僕も、今は何を尋ねてもいけないのだ、と悟った。
 ゲンさんは、何事もなかったように、煙草を一本取り出し、口にくわえ、窓の外を眺めながら火をつけた。
 でも、擦ったマッチの炎が、ぶるぶると揺れていた。
 
 
 その日以来、もうゲンさんと会うことはなかった。
 ママさんも、「あれ以来一度も来ていない」という。
 そして、ゲンさんに電話が来ることもなくなった、とも。

 「いつも電話かけてきた人、どんな人だったんですか?」
 僕はおそるおそるママさんに尋ねてみた。
 「ゲンさんも “友だち” というだけでね」
 「女の人だったんでしょ?」
 「そう。女性」
 「じゃ、ゲンさんと同じくらいの人?」
 「いいえ、もっと若い人。きれいな子よ。一度、この店に連れてきたことがあったのよ。最初は娘さんだと思ったくらい。でも、二人の話を聞いていて、すぐに “いつもの電話の子” とだ分かったの。焼けるくらい良い感じなのよ、二人とも」
 ママさんは苦笑いを浮かべた。
 もしかしたら、ママさんもゲンさんのことを気に入っていたのかもしれないと僕は思った。

 「最後の電話があった日、あのあとゲンさんはどうしていたの?」
 僕は、やましい気持ちを押し殺し、好奇心にまかせにてママさんに尋ねた。

 「看板まで一人で座っていたわよ。もう酒も飲まなかった。テーブルの一点ばかりずっと見つめていてね。“苦しいことがあったら話してちょうだい” と私言ったんだけど、ただ微笑みを返すだけでね。ほら、自分の心なんか明かす人じゃないから」

 「そうだったの … 」
 僕は、ゲンさんがよく見せていたように、窓の外を眺めながら、煙草を吸ってみた。
 そして、ゆっくり煙を吐いた。

 ―― ゲンさんの “友だち” は、もうこの世にはいないのだろうか。
 キャロル・キングの『You’ve Got A Friend』に、また一つ、辛い思い出が加わりそうだった。  
 
 

 

トラッドロック夜話 15 「冷たいバラード」
 
 

カテゴリー: 音楽   パーマリンク

君の友だち への2件のコメント

  1. 鈴木 和仁 より:

    さいたま市浦和の鈴木といいます。
    キャロル・キングのこの曲大好きです。
    また、昔からソウルミュージック大好きです。
    ですから、町田さんのブログ興味深く見ています。
    一度、お酒を一緒にさせていただいたらと良いなあと思っています。
    品川が勤務地です。

    • 町田 より:

      >鈴木和仁さん、ようこそ
      ありがたいお誘い、うれしいです。
      音楽の好みがかなり合いそうですね。
      今ちょっと仕事が立て込んでいて、すぐにはお返事を差し上げられませんが、そのうち鈴木さんのお好きな音楽の話など、ゆっくりお聞かせください。
      楽しみにしております。
       

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong> <img localsrc="" alt="">