母を訪ねる

 
 正月2日。一人で30分ほど自転車を漕ぎ、介護施設で暮らす義母に、家に届いた年賀状を見せに行った。
 ちょうど3時のおやつのタイミングで、大広間に集まった老人たちにおやつが配られる時間であった。

 コーヒーと、ゼリーと、おせんべい。
 ゼリーはスプーンですくい、口の中に入れてあげると、それを黙々と呑み込む。
 おせんべいは、軽く噛んだだけでも柔らかくなるので、細かく割って舌の上に乗せてあげると、それを歯のない唇で溶かすように、喉の奥に入れていく。
 
 「おいしい?」
 と尋ねると目を細めて笑うが、もう自分の方から話しかけてくることはない。

 認知症も進んできて、訪ねていく私を “身内の一人” とは認めてくれるようだが、それが娘の亭主だと理解できるかどうかは、日によって違う。
 孫は分かるようだが、娘となると、ときどき実妹と混同するらしい。

 ふと、対等の会話が成立していたのは、何年ぐらい前だったか、と考える。
 3~4年ほど前に、別の介護施設に入所していたときは、まだ、それなりの双方向の会話があった。
 義母はさびしくなると、昼夜問わず私の携帯電話にまで連絡してきて、「今日は来られますか?」と問い合わせてきた。
 休みの日に訪ねると、ホッとしたような表情を浮かべ、1階のロビーにあるカフェでお茶を飲みながら、「今日はまだ誰ともしゃべっていない」と孤独を訴えた。

 「話が合う相手がいない」
 ともいう。
 その頃、義母はまだ社会に対する関心をしっかり維持しており、毎日新聞に目を通しながら、選挙などが近づくと「今度はどこの党派が力を持つか」、国際政治に関しては「世界で紛争が絶えないのはなぜか」といったテーマで、私の意見も求めてきた。
 「話し相手がいない」
 というのは、そういう社会への関心を持つような友が、この施設内にはいないということも意味していた。

 しかし、知的な好奇心を維持しているようでいて、そのときすでに実の娘を実妹と混同するような認知症も進んでいたから、意識のなかに<荒野の風>が吹き始めていたのかもしれない。

 今日訪ねた義母は、もう「孤独」すら訴えない。
 「お正月だよ」
 と教えると、「もうお正月? そう …… 」と言ったきり、それ以上の会話は進まない。
 かつて、「今日はいい天気ですね」などと発語しながら窓の外に注がれていた視線は、もうテーブルの上と私の顔の間を行き来するだけで、外の景色に向かうこともない。

 そんな義母が、自分のもとに届いた数枚の年賀状を見たときだけ、表情が生まれた。
 差出人の名前を見ながら、「懐かしい」と言ったのだ。
 目には涙さえ浮かんでいるようで、「謹賀新年」というただの印刷文字ですら、いつまでも眺め続けている。

 昔から維持してきた “人のつながり” に対する情というものは、意識がどんなに薄れようと、本人にとっては大切な記憶として残るものなのだ。
 「義母の感情が外界とつながった」
 と、そのとき思った。
 たとえそれが過去の記憶であったとしても、昔から心を通わせていた人々の思い出は現在も生き続けていて、感情の高まりを誘致する。
 人間は、やはり「人と交わる」ことの温かい記憶がなければ、人間らしさを維持していけないのかもしれない。

 介護施設を出て、そのまま家に戻る気がせずに、缶コーヒーを買って、公園のベンチに座り、暮れゆく青空に突き刺さるような木々の枝を眺め続けた。

 「人間のつながり」って何だろう。

 煙草を吸いながら、ゆっくり考えた。
 外界への関心を失った後も、しっかり根付いている<人>に対する意識。
 それが遠い過去の記憶であっても、自分の生活を彩ってくれた人々を思い出したときの胸をゆさぶるような感情。
 私には知るよしもないが、義母が目にした年賀状の差出人たちとは、きっと心が温まる交流があったのだろう。
 

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