人生の上がり

 
 人間の人生を双六(すごろく)に譬えたとすれば、その「上がり」というのは、いったい何だろうか。

 「孫ができた」
 というのが、ひとまず「上がり」なのではなかろうか。

 私には子供はいるが、まだ孫はいない。
 というか、結婚もしていない。
 しかし、私のように60代も半ばに達する人間ともなれば、周りの同年代の連中には、もう孫がいる人の方が多い。
 そういう人たちの話を聞いていると、孫との関わりが話題の中核を占めることが結構ある。

 特に主婦ともなれば、はじめて自分の子供ができたときのような忙しさが再び襲ってきたと、顔をしかめながらも、うれしそうに話す。
 ダブルインカムが当たり前になってきた現代の若い夫婦の場合、託児所などに子供を預ける代わりに、祖父・祖母に子供を預ける人たちも多くなる。
 そうなると、シニア世代では、孫の面倒をみることが新たな生きがいになるということもあるだろう。

 私は、それを人生という双六のひとつの「上がり」だと思うのだ。
 「孫の面倒をみるのが忙しい」とはいっても、そこには喜びもあるだろう。
 その喜びとは、達成感からくるものだ。
 「ひとまず、自分が生きてきた証しをこの世に残せたな」
 という達成感だ。

 人間の安心感は、自分の子孫が自分の死後も繁栄していくという確信からもたらされると言う人もいて、孫ができたというのは、まさにそれ。
 「俺は、人並みに、自分の子孫の繁栄を確認できる立場になれた」
 という達成感は、それこそ双六の “上がり” である。

 ましてや、若い人々の雇用の安定が失われつつある時代。晩婚傾向にも拍車がかかり、孫どころか、結婚の生活基盤さえ整わない若者が増えている時代に「孫」を持てるということは、社会の勝ち組の証しにもなるわけだ。

 でも、私は、そのような「上がり」に登りつめたら、人間も終わりかな … と思う。これは自分に孫がいないという負け惜しみから出たものではなく、今までも、孫が「上がり」になってしまうような人生を歩んできたつもりもないし、仮に孫ができても、それを「上がり」にするような生き方は味気ないと思うのだ。

 実は、今朝がただったが、テレビのあるワイドショーで、「一年間を振り返る」という企画をカミさんと観ていた。
 「非核三原則のルールを破って、日本の大手工業が武器の海外輸出に踏み切った」という話題や、「集団的自衛権が認められるようになり、それが今後の憲法をどう変えていくか」、あるいは「景気拡大を訴える現政権のやり方で本当に効果が出るのか」というテーマで、各コメンテーターが意見を交換し合っていた。

 それを観て、私とカミさんの間で、「俺たちもひとつディベートをしてみよう」ということになった。
 私とカミさんは、普段はほぼ意見を同じにしているのだが、私が現政府の方針を全面的に肯定する立場をひとまず引き受け、それを日本経済の問題や国際政治の立場から説明する。それに対して、カミさんは「平和主義」や「格差社会是正」という立場で反論する。

 しばらく討論の応酬があった後、カミさんがふとしみじみと語った。
 「私たちに孫がいれば、おそらくディベートなんかしていないわね」
 そうかもしれない、と思った。
 孫がいれば、ひとまず「上がり」なのだから、政治や社会現象を語ったとしても、勝者の余裕があるから、どこか他人事になる。

 満ち足りた勝者の最大の関心事は、結局衰えていく自分の健康をどうやって維持するか、定年退職後の趣味をどう充実させていくか、そういう “身の回り” のことだけに集中していく。
 最近の週刊誌などの編集方針はまさにそれで、ネットなどにアクセスする習慣のない老人を相手に、「老老介護の注意点」やら「孫が喜ぶクリスマスプレゼント」やら、「賢い相続税の対処法」とか、「信頼のできる病院リスト」みたいなものを企画の中核に据えている。

 男性読者へのくすぐりは、「自分史」の執筆などの勧め。
 功成り名を遂げた成功者は、「そろそろ自分の生涯を記録としてまとめておくか」という心境になるらしい。
 こういう発想は、孫の出現と同時期にあらわれるものなのだろう。
 
 私は、「自分史」の執筆が悪いことだとも思わないし、そういう気持ちになる人がいることも十分理解できる。
 しかし、もし私が “自分史” を書いてみたいと思ったとしたら、それは自分の生涯ではなく、他人の生涯についてである。
 つまり、誰かのゴーストライターをやってみたい。
 自分以外の人間の人生を見つめることの方が、私にとってはよっぽど刺激的だからだ。

 もし、個人の「自分史」をまとめてみたい方がいらっしゃったら、予約を承ります。
 代筆の料金は、A、B、Cの3ランクに分かれます。
 C ありのまま
 B 自慢話を、自然な形で上手に盛り込む。
 A 歴史的な大英雄みたいに描く。

 どうかご相談ください(笑)。
 
 

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人生の上がり への2件のコメント

  1. 木挽町 より:

    うちの娘は大学は出たもののアルバイト生活=ニート。もちろん結婚してないし孫もいません。娘が好きなことやってるからそれはそれでいいかな(甘いかな)。その分は自分が雇用延長で稼がなきゃ(典型的な親バカ)。どのみち格差社会だからそれなりに備えておかなきゃいけないですね。相続税の課税基準が下がったから、今まで課税されずに済んだものでも課税されるようになりました。そんなにいっぱい持ってないけど、自分の死後に家族の税負担を少しでも軽減するために、「贈与税の配偶者特別控除」(20年以上夫婦なら2000万円までの贈与は無税)ってのを利用して、今から家を家内に贈与しちゃえば節税になるなあ、なんてこと考えてます。なんかみみっちくてごめんなさい。孫はいればいたで大変だと思うし、まだまだ「あがり」たくはないですし。宝くじ買いに行きます。

  2. 町田 より:

    >木挽町さん、ようこそ
    私も、大学を出て就職された娘さんの男親を2人ほど知っています。いずれも古い友人です。
    そうしたら、ほぼ同じ時期に、その2人の親たちが、勤め先から娘さんを撤退させたとのこと。
    理由は、勤め先の環境があまりにも劣悪すぎるから。

    「ブラック企業」というわけでもないのだろうけれど、日々残業は強いられる。なのに残業代はない。深夜に家に帰って短い睡眠を取ったら、もう出勤時間。上司はパワハラに近い言動で、部下たちを委縮させる。若い男性社員も苦しんでいるけれど、女性に対してはもっと過酷なんだそうです。給料が上がらなくても、「海外から出稼ぎに来ている労働者はもっと安い賃金で働いているんだぞ」とか言われちゃうらしい。

    その2例は、たまたたまの例かもしれないけれど、そういう会社は増えているのではないでしょうか。グローバル時代に世界との戦いを強いられる日本企業は、いまものすごく過酷な試練を受けている、…ともいえるのですが、逆にいうと、日本の企業がそのような状況に若者たちをさらしていくことは若い世代の購買力をそぎ、内需を減らしていくことにつながりかねません。(もっとも世界マーケットを視野に入れた企業にとってはたいした問題ではないのかもしれませんけどね)。

    そういう時代には、木挽町さんのように、親が真剣になって節税対策を考えるなど、子供の将来をケアするぐらいの準備をしなければならないのかもしれませんね。
     

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