小説 「階段」

 
 歳のころは、70代中頃といったところか。
 表情やシワの寄り方を見ていると、もう少し上かもしれない。
 いずれにせよ、事前に渡されたデータによると、夫に先立たれ、10年以上寡婦を続けている老女だという。
 娘が茨城に嫁いでいるということだが、その家族関係は不明。娘が実家に戻ることもあまりないとか。

 そのへんは、例の荒っぽい聞き取り調査のデータが回ってきただけだから、私には詳しく分からない。個人情報にうるさい時代になったといわれるが、私たちの間では、そんなものは闇から闇へと簡単に回ってくる。
 とにかく、家にはその婆さん一人しかいない状況で、しかも、こうやって玄関先にまで上がり込めたのだから、ラッキーだ。

 「リフォームというとですね、改築という言葉から連想されるように大げさなものに聞こえますが、要は簡単な屋根の補修工事です。お金もすごく安くてすみます。しかも、今キャンペーン中なので、点検は無料でやらせていただきます」

 私は、もう何度となく老人たちに持ちかけてきたセールストークを、ここでも同じように繰り広げた。
 できるだけ誠実さを前面に押し出し、相手の目をしっかり見つめながら。
 そして笑いを絶やさずに。

 老女は、玄関の上りかまちに行儀よく正座したまま、私の話を黙って聞いている。
 ―― こいつ、意味が解ってんのか?
 私は、内心イライラしながらも、口元だけには誠意ある微笑を浮かべ、
 「いま雨漏りとか、ありませんか?」
 と尋ねた。
 小首を傾げながら、老女の体が少し前のめりになる。
 ―― そうか、耳が遠いのか。
 私は、彼女に顔を近づけ、声のトーンを上げて、もう一度同じことを聞いた。

 「ああ、雨漏りですか。 … どうでしょうねぇ。私は二階にはあまり上がったことがありませんからね。よく分かりませんけどね」
 「そうですか。じゃ、ちょっと調べてみましょうか」

 家の中に上がり込む口実を、向こうから与えてくれたようなものだ。
 このチャンスを利用しない手はない。
 「ちょっと、家に入っていいですかね?」
 私は、遠慮がちな声をつくって、彼女に尋ねた。
 「はい、どうぞ、どうぞ」
 老女は愛想のよい笑いを浮かべたまま立ち上がって、私を家の中に招き入れた。私の方が心配するほどの無防備な対応だった。

 靴を脱いで、廊下に上がった瞬間、かび臭い空気が鼻を突いた。
 靴下越しに、床の湿気がじわりと伝わってくる。
 ―― 水っぽい家だな……。
 それが、最初の印象だった。

 築60年くらいといった古びた木造家屋。
 崩れかかった板塀の補修もされないまま、庭の雑草が丸見えになっているくらいだから、男手のない家であることはすぐに分かったが、室内の荒れようは、表から想像する以上にひどかった。
 廊下右側に広がっている台所のシンクはいまだにタイル張り。しかも黒ずんでひびが入っている。シンクの前に広がるガラス戸は割れて、ガムテープで補強してあるだけ。
 おそらく二階に上がれば、雨漏りどころか、天井が腐って抜けているかもしれない。

 「補修工事が必要」と言えば、はて、どのくらいふんだくれるか。
 通常価格の4倍程度の見積もりを出したって、たぶん通るだろう。調査情報では「金だけは貯えている」ということだったから、きっと預金通帳などには手つかずの預金がゴソッと残されているはずだ。
 金回りの悪い時代だ。
 預金のある高齢者は、景気高揚のために、少しは社会に金を回したっていいはずだ。
 私は、日頃部下を叱咤するための方便を、自分の頭の中でつぶやく。

 「二階はこちらで?」
 私は廊下の奥に潜んでいるほの暗い階段を指さした。
 わざわざ尋ねたのは、その階段に物がたくさん積まれ、まるで行き来が遮断されているように感じたからだ。
 「はい、その階段の上です」
 老女が、物憂そうに答える。

 たぶん、「二階にあまり上がったことがない」というのは本当のことだろう。小さな本箱のようなもの。バラバラと並べられた食器。それらをいちいち取り除きながら上にあがるのは、体力の衰えた老人には面倒くさいはずだ。

 「上はどなたが使われていたんです?」
 私は尋ねた。
 「死んだ主人が書斎として使っておりました」
 「なるほど …」
 私は、階段を埋め尽くす食器類や古書のたぐいを脇に押しやりながら、一歩ずつ階段を昇り始めた。

 階段が異様に長い。通常の二階家の場合なら、その階段は12~13段くらいだが、ここは17~18段ぐらいある。家屋の高さからすると、それほどの段が必要になるとは思えない。
 一階の室内高が普通の家屋より高いのか?
 その理由は、私にも分からない。

 踊り場までたどり着いて、妙なものに遭遇した。
 古色蒼然とした不思議な家具が踊り場の一角を占めていて、人が簡単に上にあがるのを阻止していたのだ。

 ―― この家具は何だ?
 
 古びた装飾で飾られた家具の両脇に、糸がほつれかかった布地で覆われた穴が見える。
 スピーカーだ。
 ということは、蓄音機か。
 てっぺんのフタを開けると、確かにレコード針でアナログ盤から音を採るターンテーブルが見えた。
 いったいいつ頃の蓄音機なのだろう。ひょっとして78回転の粘土盤のレコードを回すような機械か。
 私には、もうその古さが想像できない。

 それにしても、階段の踊り場にわざわざ蓄音機を置くという意図がよく分からない。
 死んだ旦那というのは、よっぽどの変わり者だったのだろうか。

 自分の腹をへっこませて蓄音機の横をすり抜け、さらに階段の上を目指す。
 階段は踊り場で角度を変え、さらに薄暗い上方につながっている。
 
 ようやく二階の部屋にたどり着いた。
 和風建築にはなんとも不似合いなぶ厚い洋式ドア。
 外国映画などでよく見る地下牢の扉のように見える。

 錆びついた鉄の取っ手を下に回し、ドアを開けた。
 すべりが悪くなっていて、嫌なきしみ音がする。 
 カビの臭いが強烈に鼻腔に入り込んだ。
 キノコでも生えているんじゃないかと思えるほど、空気が湿っぽい。雨漏りは確実だ。

 私は、手探りでドア近くにあるはずの電灯のスイッチを探し、それをパチンと押した。
 蛍光灯ではなく、裸電球だった。
 薄汚れた黄色い光が、室内をぼんやりと浮かび上がらせた。  
 
 板戸で閉じられた窓際に、古めかしいちゃぶ台がひとつ。
 その手前に座布団と座卓。
 それと、今は骨董屋でも見かけないような炭火の火鉢。もちろん、中に埋もれた白い粉は、もう灰なのか埃なのか見当もつかない。

 残された二面の壁は天井から床まで本棚になっており、変色した背表紙をこちらに向けた蔵書がぎっしりと壁を埋めている。
 それ以外に目立つものといえば、ちゃぶ台の対面に飾られた松林らしきものをを描いた墨絵だけ。
 部屋全体が、まるで、セピア色にあせた、明治期の文豪の書斎を撮った写真のように見えた。

 それ以外に特に変わったことはなかったが、不思議なことは、さっきまで人がいたような、奇妙な温もり感が座布団あたりから漂っていたことだ。
 私は、気になって、もう一度部屋の中を見回した。
 人が隠れるとしたら、本棚に遮られていない押入れだが、その押入れは半分開いたままになっており、空虚な穴がぽっかり開いているだけだった。
 ちなみに、押入れの奥も覗いてみたが、そこもガランとした空間がただ広がっているばかりである。

 人が消えたとしたら、松林の屏風絵のなかに戻るぐらいしかできない。
 ―― まさかな … 。
 柄にもないことを思い浮かべた自分が、少しおかしかった。

 計算が違ったのは、天井はそれほど腐ってもおらず、見た目だけでは雨漏りの気配もなかったことだった。
 もっとも、そんなものは天井をはがしてみないと分からない。婆さんには「見えない天井裏の腐敗が凄かったですよ」とでも言っておけば問題なかろう。
 私は、上がってきたときと同じように、踊り場の蓄音機の間をすり抜けて、階下に戻った。

 「奥さん、お二階の様子、だいぶひどいですね。チョット見では分かりませんが、天井裏はもうだいぶ腐っていますよ。すぐにでも対応工事をしないと、この家、二階の屋根から崩落が始まりかねませんよ」
 いつのように、少し大げさに脅す。

 「そうですか。それはそれは ……」
 老女の表情は、それほど変わらない。しゃべり方も他人事のようだ。
 私は、話の進め方を変えた方がいいのかどうか、少し迷った。
 
 老女は、そんな私の思惑をよそに、涼しい笑顔を浮かべて、私に座るように指図した。
 「何もおもてなしできませんけれど、いまお茶をいれますから少し休んでいってくださいな。お二階の点検でお疲れでしょう。たいへんでしたね」

 ―― 人が良いのか、ボケているのか、婆さんの態度は無防備すぎる。
 少なくとも、言葉に皮肉はなさそうだ。
 … ということは、単に話し相手が欲しいのか。
 よくあることだ。
 ここは親密度を高めておいた方が、話を進めやすいかもしれない。

 「それにしても、ご主人を亡くされてからの長い一人暮らし。さぞやご不便だったことでしょう」
 私は、同情するときの表情を顔いっぱいに浮かべて、老女に語りかけた。

 「いえいえ、そんなに淋しくもないんですよ。主人はいつまでも見守ってくれてますから」
 「ほぉ、よっぽど優しいご主人様だったんですね」
 「はい、幸せ者の女房ですよ、私は」
 そう言って、ちゃぶ台の前に座った私に、老女がお茶を差し出した。
 「とにかく、補修工事の受注書に捺印いただけますかね?」
 そのお茶に手を伸ばしながら、私は探りを入れてみた。

 「工事ですか?」
 老女が聞き返す。
 私は、自分でも嫌らしく思えるくらいの笑顔をつくった。
 「簡単な工事ですよ。料金も特別に低額サービスいたしましょう。でも、調査には少し時間がかかりますから、その間は、しばらく私がこの家をお訪ねすることにいたします。お昼頃にうかがいますから、何かお弁当を用意しましょうね。奥さん、お好きな食べ物は何ですか?」

 二階から人の歩く気配が伝わってきたのは、そのときだった。
 トントンと、足を踏みしめる音。
 ズゥーズゥーと、足を引きずるような音。
 「誰かいらっしゃるんですか?」
 さすがに私も驚いた。

 「いえいえ、誰もおりませんよ」
 老女は、表情も変えずに、さらりと答える。
 「でも、いま足音が … 」
 「ああ、よくあることですから、気にすることはありません」
 「気にするったって ……」
 私は、いったん取り上げた茶碗を、思わず下におろした。

 「もし、泥棒でも入っていらどうするつもりですか? 私、見てきましょうか?」
 私がそう伝えると、老女は、口元にかすかな微笑さえ浮かべ、
 「行ったところで誰もおりませんから、意味がないんですよ」
 と答えてくる。
 すでに、こんなことは何度も経験していて驚くに当たらないといった口ぶりだ。

 「さぁ、冷えないうちに」
 老女が、何事もなかったかのような顔でお茶を勧める。
 二階を人が行き来する音は、まだ鳴り止まない。

 「人が訪ねてくると、よくあることなんですよ。主人はやきもち焼きですから」
 老女の口元が、はっきりと笑いをあらわす形をとった。 
 なんという微笑だ。
 口の形は笑っているのに、そこには、おかしみも優しさも浮かんでいない。
 ただ、唇の両端が、斜め上に引きつっただけの形になっている。
 私は、二階の異変と同時に、老女の不気味さにも気づいた。

 「あら、今日は足を引きずっている方の時間が長いわ」
 老女は、心配するふうでもなく、ごく自然に天井の足音に耳を向けている。

 いったいこの家はどうなっているんだ?
 にわかに信じられないことが起こっている。
 私は、この家をいとまごいする口実を、早くも考え始めている。

 そんな私の心を見透かしたかのように、老女がいう。、
 「あの人は、悪いお客でない限り、ぜったい下に降りてきませんから。何もご心配なく。ほら、音がやんだ」
 老女が言ったとおり、二階は再びしんと静まりかえった。

 私は、一瞬ちゅうちょしたが、せっかくのチャンスを逃さすことなく、天井裏リフォームの契約を早くすませてしまうことにした。

 「奥様、印鑑お持ちです? ここに捺印いただければ …」
 といって、書類をカバンから取り出したとき、踊り場に置かれた蓄音機のフタが上げられたような音がした。
 そして、アルビノーニの「アダージョ」が朗々と鳴り響き、その音の向こうから、ゆっくりとした足音が下りてきた。


 

ホラー系 創作 「眼鏡の少女」

ホラー系 創作 「邂逅」

ホラー系 創作 「最終電車」

ホラー系 創作 「水族館」
 
ホラー系 創作 「夢の途中」

ホラー系 創作 「深夜の夕焼け」

ホラー系 創作 「手を拾う」

ホラー系 創作 「狐部隊」

ホラー系 創作 「幽霊狩り」

ホラー系 創作 「幻の女」

ホラー系 創作 「見知らぬトンネル」
 
ホラー系 創作 「青い海の下」
 
  

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小説 「階段」 への4件のコメント

  1. クボトモ より:

    このリフォームの営業、数年前にわが家にも来たな。
    ともかくハンコを押させようと、胡散臭い男だった。
    そう言えば小学校へ至る道の、二つ目の角にある古い家、
    誰も住んでないように荒れているけれど
    「洗濯物が干してあったよ」と息子が言っていたっけ。
    あの男は、あの家にも行ったのだろうか。

    義父が移り住んだ館山の別荘地。
    道から外れた奥の方に廃屋があって、ちょっと不気味だった。
    外から覗き込んだ時に見えたあれは
    大きな水槽だったな。確かに。

    先月釣りに行った帰り、
    前方に連なるテールランプ鑑賞に飽きてきた僕は、
    ふと隣のBMWに視線をうつした。
    助手席ではなかなかの美女が目蓋を閉じてる。
    運転席では初老のダンディが顔をしかめている。
    彼は腹痛でも起こしたのかな。
    女は心配してあげないのかな。

    どこかで見た情景。
    そこに重なる町田さんのホラーワールド。
    いやほんと素晴らしいです。

    • 町田 より:

      >クボトモさん、ようこそ
      取り上げられた三つの事例。

      ・人が住んでいないような古い家に干されていた洗濯物。
      ・別荘地にある廃屋の中にある水槽。
      ・初老の紳士のしかめ面に対して無頓着に目を閉じてしまう美女。

      どれもみな十分に短編ホラーのネタになりそうなものばかりですね。
      クボトモさんの観察眼の鋭さを表しているように思えます。

      ホラー小説というのは、ミステリーと違って、どこか不条理感を残しますよね。
      出てくるのが幽霊だろうが、怪物だろうが、いずれにせよ、人間の生存原理とは異なる存在が関与するわけですから、どんな完成度の高い小説であろうと、そのコアの部分を占めているのは不条理なわけで、それがホラーの面白いところだと思っています。
       

  2. Get より:

    これは楽しめました。
    いいですね!
    結末の部分が各読み手の ” それから” の想像力を掻き立てる描写ですね。
    導入、メイン・ボディー、コンクルージョン、これらが決まっています。
    “これでもかー” という ガチガチの恐怖描写が無いのが、なんとも奥ゆかしい。
    それ故に読後の想像力が広がります。

    若い頃に読んだトゥルゲーネフの怪奇短編を彷彿とさせられました。
    もう、うろ覚えで全体の話は思い出せませんが、
    村人の間に流布されている、何か得体の知れない恐ろしいもの。
    現実ならばその物に出会う体験をしたいと願う、恐れを知らぬ年若き女の子。
    ある日の午後、テラスの開け放たれたフレンチドアーに忍び寄る夏の夕闇。
    そして確かに何かが、聴いた事も無いような薄気味悪い音が少しずつ近付いて来る。
    薄暗いテラスに現れるのは時間の問題なほどに近付いて来る不気味な物音。
    確か物語はそこで終わり。
    あとはあなたのご想像に。
    なんて内容だったような、、、違うような、、。

    御ホラー創作、大好きです。
    想像を掻き立てられます。
    次も大いに期待しています!

    • 町田 より:

      >Get さん、ようこそ
      ありがとうございます。
      トゥルゲーネフと比較されたりするとは、また何とも畏れ多いことで、ひたすら恐縮してしまいます。
      その小説は未読ですが、非常に興味が湧きました。自分でも探してみます。

      ホラー小説は昔から好きで、A・E・ポー、アルジャノン・ブラックウッドなどはよく読んでいました。ブラックウッドの『柳』はほんとうに怖い小説で、かなり好きです。昔このブログでも触れたことがあります。
      日本では、小池真理子さんとか、岩井志摩子さんなどの女流の方がけっこう怖い物を書いていますね。

      Get さんもご指摘されているように、最後の結末に至る前に “寸止め” して、一番怖いところを書いていない小説の方が、なんか面白いものが多いような気がします。
       

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