阿久悠のいた時代

 
 夕飯を食いながら、テレビチャンネルをザッピングしていたら、BS放送で尾崎紀世彦が歌う『また逢う日まで』が流れてきた。
 「食事中は懐メロ番組が気楽でいいか … 」と思って、少し観ることにした。
 そうしたら、作詞家の「阿久悠」特集だったのである。
 途中から観たので、どういうタイトルの番組かもよく分からなかったが、みるみる引き込まれて、最後まで観てしまった。

 番組では、亡くなってしまった歌手も含め、阿久悠の歌で脚光を浴びた歌手が次々と画面に登場し、彼の思い出を語り、彼の歌をうたう。
 「えっ ! この歌も阿久悠だったの?」
 と驚くほど、昭和の歌番組を飾ったヒット曲の連続である。
 作詞した曲の数は、5,000曲。
 その1割がヒットしたとしても、500曲。
 500も有名な曲があれば、それはもう “時代の空気” をつくったと言わざるを得ない。

 自分が知っている当時のヒット曲をランダムに取り上げても、ざっとこのくらいはすぐに浮かんでくる。(↓)

 ジョニイへの伝言 / ペドロ&カプリシャス
 北の宿から / 都 はるみ
 街の灯り / 堺 正章
 白い蝶のサンバ / 森山加代子
 白いサンゴ礁 / ズー・ニー・ヴー
 舟唄 / 八代亜紀
 居酒屋 / 五木ひろし・木の実ナナ
 雨の慕情 / 八代亜紀
 ざんげの値打ちもない / 北原ミレイ
 津軽海峡・冬景色 / 石川さゆり
 あの鐘を鳴らすのはあなた / 和田アキ子
 もしもピアノが弾けたなら / 西田敏行
 青春時代 / 森田公一とトップギャラン
 また逢う日まで / 尾崎紀世彦
 熱き心に / 小林 旭
 たそがれマイ・ラブ / 大橋純子
 勝手にしやがれ / 沢田研二
 五番街のマリーヘ / ペドロ&カプリシャス
 ロマンス / 岩崎宏美
 UFO / ピンク・レディー
 朝まで待てない / ザ・モップス
 気絶するほど悩ましい / Char
 どうにもとまらない / 山本リンダ
 せんせい / 森 昌子

 フォーク調の曲から、演歌、さらにロックに至るまで。どの分野に挑もうとも、それなりにサマになってしまうから凄い。もちろん作曲の力も大きいのだろうけれど、作曲家にインスピレーションを与える詞の刺激が尋常ではなかったのだろう。 

 阿久悠が主に活躍したのは、1960年代後半から、70年代、80年代のはじめ頃まで。
 その時代、自分はずっと洋楽志向だったので、日本の歌にはほとんど興味がなかった。レコードを買った記憶もあまりない。
 それでも、上に挙げた歌ぐらいはすぐに頭の中で鳴りだす。
 歌詞もメロディーも、昨日のことのように思い出す。
 それほど、阿久悠の作詞は日本の歌謡曲シーンに浸透し、まさに “時代の気分” をつくっていたのだ。

 阿久悠は、日本の歌謡曲の何を変えたのか?

 それに関しては、すでに多くの分析があり、ネット上にも様々なコメントが寄せられている。
 それらの言説を要約すれば、「曲の中にドラマを持ち込んだ」ということになるだろう。
 「歌手をかたりべの役から、ドラマの主人公役に替える」
 彼は、自らそう語っている。
 さらに、次のような言葉も残している。
 「感動する話は長い、短いではない。3分の歌も、2時間の映画も、感動の密度は同じである」

 彼がドラマを志向しなければならなくなったのは、時代のせいでもある。
 それまでの歌謡曲の主流は「望郷歌謡」だった。それは、日本の人口の都市集中化によって生まれた歌だった。
 産業国家として著しい成長を遂げ始めた50年代から60年代にかけて、日本中の若者たちが集団就職という形で、首都圏に集まり始めた。
 それによって、故郷と切り離された若者たちの哀切感と孤独感が、新しい国民感情として定着していく。
 日本中の人々が、故郷と切断された悲しみを癒すための望郷歌謡を必要としたのだ。

 しかし、阿久悠がもっとも脂の乗り切った仕事をこなした70年代になると、東京に出てきた若者たちも、妻子を養い、郊外に一戸建ての家を構え、身も心も都市の住民になっていく。そして、そこで生まれた子供たちは、もう最初から都市住民の感性を身につける。
 望郷の念は、もう “哀切感” の源泉ではなくなる。

 阿久悠は、それに代わる新しい日本人の情感を喚起するために、人工的なドラマの創造に踏み切ったのだ。
 
 ある意味で、阿久悠は、それまで庶民の娯楽であったエンターティメント小説を駆逐してしまったともいえる。
 『ジョニイへの伝言』、『ざんげの値打ちもない』、『勝手にしやがれ』などは、もう小説である。
 小一時間ほどの読書時間を要するペーパーの小説よりも、圧倒的に “小説っぽい” ストーリーが、わずか3分ほどの時間の中に、高密度に圧縮されている。
 さらに歌という表現形式には、小説にはない歌声とメロディーによる情緒喚起力がある。つまらない娯楽小説よりも、歌の方が数倍スリリングだ、と思う人々も生まれてきたはずだ。
 
 そのため、小説は、歌にはない新しい感覚を創造することを余儀なくされた。村上春樹の初期短編などは、そういう阿久悠的な “ドラマ” からの方向転換から生まれてきたようにも思える。

 現在、阿久悠が作りだしたようなドラマ性を歌の中に盛り込む人は、もう中島みゆきぐらいのものではないか。
 その中島みゆきも、『わかれうた』あたりがピークだったような気もする。

 では、今の歌はどうなっているのか?

 恋愛の歌から、男女の差異がなくなろうとしている。
 もちろん、「好きよ」、「愛しているよ」、「君を守るよ」、「振られて悲しいよ」という歌詞は、あいかわらずどの歌にも溢れている。
 しかし、男と女の立場を替えても、同じ歌詞で通用する。

 阿久悠は、かつて、「女」として描かれている流行歌を、「女性」に書き換えられないか? という視点で、新しい女の生き方を提示した。
 男に去られて、自虐的にさめざめと泣く女ではなく、男以上にさっそうと男の部屋を去っていくような女を描いた。
 『勝手にしやがれ』や『また逢う日』などに登場してくる女たちだ。

 そのように、恋愛の歌から、男女の差異を解消させたのは、阿久悠自身だったのだ。今の時代の恋愛の歌は、ある意味で、見事に阿久悠の路線を踏襲しているともいえる。

 だが、阿久悠は、自立した強い女性を描きながらも、同時に女性の美しさを描くことを忘れなかった。
 男女の差異を喪失した今の恋愛歌においては、その女性の美しさもなくなっている。

 歌における女性の美しさとは何か?

 余談だが、最近、関心している曲がある。
 中島美嘉が歌っている『一番綺麗な私を』(作詞・作曲 杉山勝彦)という曲である。
 こういう歌詞が出てくるのだ。

 「♪ 一番綺麗な私を抱いたのは、あなたでしょう」

 このフレーズを最初に聞いたときは、どきりとした。
 そこだけ聞くと、恨み節のように聞こえる。
 しかし、全体の歌詞を通してみると、これは昔の「怨」と「自虐」の未練節ではない。離れていった恋人に向けての、優しさに溢れた “たむけ” の歌なのである。
 

 ここで歌われる「あなた」は、相手に向いていない。
 その視線は自分に向いている。
 つまり、そこには、一番きれいであった自分を相手に捧げたという女のプライドのようなものが滲んでいる。

 「永遠の恋」とか「恒久不滅の愛」などは、この世にありえない。
 女が、花のように美しい時期を保てるのは、ほんの瞬時でしかない。
 そのような東洋的無常観が、この歌では現代的センスによって再構築されている。
 それは、どんなに生活様式が西洋化・近代化されたとしても、なおも日本人の心の奥底でくすぶっている哀切感である。

 そこに、自分などは「女性の美しさ」の一要素を見る。
 阿久悠の目指した男と女のドラマの新しい展開が、そこにあるような気がする。


参考記事 「演歌の時代は終わったのか」

参考記事 「70年代に女の歌が変わった (昭和歌謡雑感2) 」

参考記事 「本当はエッチな昭和歌謡」

参考記事 「実は演歌が好き」

参考記事 「わかれうた (中島みゆきの恐ろしさ)」

参考記事 「歌謡ブルースの謎」

参考記事 「昭和歌謡雑感」
  
 

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