みんな居なくなった

 
 いよいよ「昭和」が消えていくな … 。
 そんな気持ちが強い。
 今年の冬は、いったいどういう冬なんだ?
 キャンドルが一斉に消えていくように、自分がずっと愛していた人たちが次々と闇の奥に遠ざかっていく。
 
 徳大寺有恒さん、高倉健さん、ジョニー大倉さん、そして今度は菅原文太さん。
 たぶんこのことは、自分のブログなどを持っている多くのファンが、きっと書くのだろうけれど、あまりにも次々と訃報が続くので、ちょっと怖い気もする。

 徳さんと高倉健さんの訃報に関しては、自分もブログに書いたけれど、ジョニー大倉さん、菅原文太さんのことは、まだ気持ちの整理がつかない。
 
 日本のバンドの凄さというものを改めて感じたのはキャロルだった。キャロルというと、矢沢永吉のバンドだったというイメージが強いけれども、自分はジョニーのギターとヴォーカルが好きだった。
 彼がリードを取る「ジョニーBグッド」の“ジョニー”とは、まさにジョニー大倉のことだと思えたくらいだった。
 オリジナルの「ヘイ・タクシー」なんかも、あれはジョニーのヴォーカルがあってこそ成り立っている。
 自分は、今でも日本の最高のロックンロールは、ジョニーと矢沢がハモりながら歌う「Good Old Rock’n Roll」だと信じている。音の強度と疾走感において、この曲は本場モノのロックンロールをはるかに超えている。

 ただ、ジョニー大倉は、矢沢永吉と違って、「弱さ」もあったと思う。いろいろな意味での … 。
 でも、その弱さも奮い立たさせるようにステージの前面に躍り出ていくジョニーは、矢沢永吉とはまた違ったカッコ良さがあったように思う。

 菅原文太さんは、一時代の自分を支えてくれた役者である。
 東映の『仁義なき戦い』シリーズによって救われた過去があると思っているのだ。
 仕事がうまくいかなかったり、私生活でも周囲と孤立しちゃうようなことがあったときに、とりあえず新宿の『昭和館』に飛び込んで、文太や梅辰、小林旭、成田三樹夫、室田日出男などのドスの利いたセリフと、暗くて切ない表情を見ていると、まるで深海の底で眠るように癒された。

 特に、菅原文太の演じる広能昌三の、威勢よく飛び出すくせして、いざとなったら、煮え切らずに逃げ腰になる弱さに惹かれた。
 親分と子分、そして敵対組織との間で、にっちもさっちもいかなくなって苦悩する男のみじめさがよく伝わってくるのだ。
 今年の正月も、BSで『仁義なき戦い』シリーズが再放映されたので、欠かさず見た。
 舞台背景も含め、グレていく若者たちの悲哀もすべて含めて、今のTVドラマなどでは作ることのできない “本物の昭和の味” がした。ノスタルジーも半分だが、それはやはり、昭和の大半を過ごしてしまった自分の半生と重なる。
 
 ジョニーも文太も、若い頃の顔しか浮かばない。
 革ジャンを着て、ジョン・レノンのように少し股を広げてリードを取るジョニー。
 頭を角刈りにして、煙そうに顔をしかめて煙草を吸う文太。
 そんな二人の姿が、ぐるぐる頭の中をめぐる。

 みんな居なくなっていく。
 

参考記事 「GOLD☆LUSH (キャロルと矢沢永吉)」

参考記事 「仁義なき戦い」
  
参考記事 「建さんの美学」

参考記事 「徳大寺有恒氏 死去」

  
   

カテゴリー: コラム&エッセイ   パーマリンク

みんな居なくなった への12件のコメント

  1. クボトモ より:

    町田さんこんばんは。
    今日、ひとまわり歳が離れた部下が言いました。
    「高倉健も菅原文太も、僕はどちらの映画も観たことが無いんですよね。」

    なんだか寂しい告白でしたが、それが現実で、
    時代の移り変わりを現しているのでしょう。

    入院している実父が81歳。高倉健さん、菅原文太さんと同世代。
    ある覚悟を持って父のそばにいましたから、
    この名優達の死は、あぁそういうものなんだなと、
    残念だとは思いながらも自然に受けとめています。

    昭和はいずれ消えます。
    しかしまだ、記憶に留めている我々がおります。
    完全に消えるまではまだ、しばらくの時間が残されていますよね。

    • 町田 より:

      >クボトモさん、ようこそ
      亡くなられた人々に対し、人がどれだけ感情を動かされるかどうかは、故人とともに生きたその人の時代背景に左右されるということなのでしょうね。
      高倉健や菅原文太の映画をリアルタイムで見ていない以上、若い人に感情移入の幅が広がらないのは、ある意味、当然のような気もします。

      逆にいうと、私たちもまた高齢者が心を動かしてきたその時代の文物に対しては、同じ立場で眺める手がかりを持っていないということですよね。
      さびしいですけれど、そうやって人間の世代交代は進んでいくのでしょうね。

      私が、「昭和」にノスタルジーを持つのは、単に自分の半生がずっぽりと「昭和」に絡め取られていたという、ただそれだけのことに過ぎません。
      「明治」や「平成」に比べて、「昭和」だけが特別の意味をもった時代だとは思いませんし、その時代にこだわり続けるのはいいとして、その時代の評価基準で他の時代を切ってしまうのは、老いた人間の単なるエゴに過ぎないことも自覚しています。

      ただ、抽象的な思考においては、そのように、時代を超えてモノを眺める視点というものを何とか保っているつもりなんですが、やはり、音楽とか映画という情感に強く訴えかけてくるものに対しては、どうしても「昭和」の時代に沁みついた感覚から逃れられませんね。恥ずかしい話ですが … 。クボトモさんは、どうですか?
       

      • クボトモ より:

        町田さんこんばんは。
        昭和とか平成とか、時代を抜きにして考えてみると、
        結局私たちは、多感な時期に吸収したもの、
        つまり「原体験」を思考の基盤に置いているのではないか…と考えます。
        いつの時代に生きた人も、己の経験を踏まえて未来を模索してきたように見えます。
        幕末の志士など、時代を超えて壮大な思考を持てる人は特別な存在なのだろうと。

        余談ですが、それでも私たちは若い頃に多くの刺激を与えてもらった世代だとは思います。
        海外のモノマネ国産自動車や家電がやっと商品になっていた時代から、
        世界最高峰の品質になるまでの流れ。
        レコードやカセットテープの時代から、
        CD、MD、iPodへの変遷。
        そろばん、書道だった時代から、
        パソコン一般化への進化。
        自分の原体験は大きな進化と重なっています。
        時代を変えられる様な存在ではありませんが、「時代を超えてモノを眺める視点」は持てるだけの原体験をしている、と思いたいです。

        • 町田 より:

          >クボトモさん、ようこそ
          コメントありがとうございます。
          実は、同感です。
          私もクボトモさんも、世代的にはそんなに変わらないと思うのですが、私もまた、自分の「原体験」を思索の基盤に置くという意味では、20世紀後期に限定していえば、地殻変動のもっとも激しかった季節を生きたように感じます。

          おそらく、20世紀に入ってからは、それまでの2000年にはあり得なかったほどの技術的、産業構造的変化が起こったのだと思います。そして第二次大戦以降、その変化の度合いはますます急ピッチになりました。
          その劇的な変貌を遂げていく社会の実相を、私たちは自分の “目” を通して眺めてきたわけですね。
          それは、やはり私たちの僥倖であったようにも感じます。

          私はかつて自動車メーカーのPR誌を制作していたので、日本の自動車と自動車産業がドラスティックに変わっていく様子をリアルタイムで眺めていました。
          入社当時は、排ガス規制への対応という課題で、メーカーが苦労しているのを見てきました。
          ところが、その排ガス対策で確立された技術のおかげで、日本車の燃費向上やら計量コンパクト化などが飛躍的に進み、あれよあれよという間に、世界に進出していくようになりました。
          16年間そのセクションにいましたが、その16年間のうちに100年間ぐらいの経験を積んだような気になりました。

          そのような私的な体験が、どの世代にも通じるような普遍性を持つのかどうかは分かりませんが、少なくとも、時代の技術進歩が人間の精神世界にどのような影響を与えていくか、ということに関して、自分なりの判断がくだせるようになったという気もします。
          コメント拝読し、同じような視線を共有できたことをうれしく思います。
           

  2. 見事な文章。考察力さすがです。内容について何かコメントすべきなのでしょうが、菅原さん、ジョニーさんそれに高倉さんしかり彼らの作品に触れることなく昭和を過ごしてしました。高倉さんの追悼番組をTVで見ても途中で寝入ってしまう体たらくです。昭和はいつかは消える。とのコメントにいささかの疑問を持ちました。平成の今、大正は、明治は本当に消え去ったのでしょうか?その解答は出ない事は私ですらわかりますが、単にノスタルジーを掻き起こすことがすべてではないようにも感じます。勝手なことばかり書き連ねましたが、最後に。町田様のブログを楽しみに致しております。

    • 町田 より:

      >FAR SKY さん、ようこそ
      ご無沙汰しておりました。お元気そうで何よりです。
      コメントありがとうございました。
      確かに、断定的に >>「昭和はいつか消える」と言ったことは、少し性急すぎたかもしれませんね。
      ただ、その感慨は、「過去に自分が過ごしてきた年月が遠いところに去り、今は全然違う自分がここにいる」という、極めて個人的な詠嘆から出たものです。

      おっしゃられたとおり、「明治」も「大正」も、いまだに我々の精神風土に影を落として我々の生活に影響力を及ぼしています。
      ただ、それは抽象的な思考を経て我々の脳裏に再構築された「明治」や「大正」であり、きわめて分析的にイメージされた「明治」と「大正」なのではないかという気もしないでもありません。
      当時の人々が接してきた “空気” のようなもの、あるいは “気分” のようなものは、当時を描いた優れた映画や文学に接すること以外、皮膚感覚的に掴むのは難しいようにも感じます。

      徳大寺有恒、ジョニー大倉、菅原文太というような人たちは、私が直接会ったり、その作品にリアルタイムで接していたりして、皮膚感覚的に掴んでいた人々でした。
      そして、その皮膚感覚のようなものは、やがて自分の細胞が新陳代謝を繰り返して変わっていくように、徐々にフェイドアウトしていくような気もします。
      ま、そのことを少しセンチメンタルに表現してしまいました。
      >>「ノスタルジーを掻き起こすことがすべてではない」
      FAR SKYさんの言葉にも十分共感いたします。
       

      • 町田様。知ったようなことを書いてしまいました。申し訳ございませんでした。キャロルの動画、拝見しました。これは、本当にすごい曲ですね。感激です。また素晴らしい作品を紹介いただければ幸甚です。

        • 町田 より:

          FAR SKY さん、ようこそ
          どうか、お気になさらずに。
          前コメントが素敵でしたので、こちらも楽しく拝読しました。

          キャロルの「Good Old Rock’n Roll」は良いですね。
          昔、あれをエンドレスで流しながら、西湘バイパスなどをよく飛ばしていました。
          ドライバーをぐいぐい乗せていくような疾走感のある曲なので、スピードコントロールにも気をつかいましたけれど。
           

  3. Get より:

    自分が憧れた、或は薫陶を受けた人、物、文化、その他諸々を、
    多岐にわたりフォーカスし、それらを一途に追い求める年齢が有ります。
    このリアクションが自然発生する時期は青年期。
    この年齢が体力も学習能力も一番のハイ・ピークと言えるからなのでしょうか。
    生まれてからひたすらに身体が成長した時期を過ぎると、
    やがて多感な青年期に成長突入し、自分を意識しだします。
    故に"他"への貪欲なまでの意識と興味が満身を満たします。
    これは、"他"と自分は大いに同類であるという共鳴した意識。
    或は、"他"と自分は大いに異にするが故に、
    それを排他して自分の領域を作り出すと云うTerritorial意識です。
    又そんな時期に自分が置かれていた衣食住を取り巻く環境を土台にし、
    興味を持つものにParabolic に触手を伸ばして、
    自分のアイデンティティー及びキャラクターを作り出す。

    その頃に取り入れた、"他"が表現したもの、
    クラシック、或は現代の音楽、絵画、小説、機械、工学 自然環境等、ありとあらゆるものは 耳、目、思考が貪欲なまでに篩にかけたうえで受け入れます。
    そんな年齢に受け入れた"もの"が彼、或は彼女の一生の人格形成のエッセンスになるのでしょうか。
    口上が滅茶苦茶長くなりましたが、
    要するにこの時期に接した“もの”が後年の利子となり、事に触れ引き出す訳なのかしら。
    それで、高倉健を観て過ごしたその人には、
    彼が亡くなったら感慨深い回想に陥るわけです。
    “あの映画が自分の青春時代だった“ とかいろいろ。
    勿論懐古にノスタルジアは付き物で自然のフィーリングです。
    高倉健の後年の映画は2,3本観ましたが、菅原文太は観たことが有りません。
    キャロルもジョニーをサッパリ???
    ですから有名な存在が亡くなっても、或は無くなってもそれを知らなければ、失せたものに関して何のEmpathyも無いわけでして。

    覚えています、昔、テレビが箱型で白黒、私が中学生の時です。
    テレビ・ニュースで永井荷風が亡くなったことを観た記憶が有ります。
    両親は永井荷風その人を雑誌、新聞等で知名していたので、何らかの感慨を感じつつ観たと思います。
    が、私にはパッとしない風体の荷風が2、3百万円の現金を無造作に風呂敷に包み持って歩いていた事に、子供心乍ら驚いた。驚きました!
    それだけで未だに覚えています。

    明治生まれの母が、”まぁ、明治百年ですって”! と頻りと口に出していた頃。
    明治を知っている人が発する言葉だったのでしょう。
    失いゆくものを知らなければ、何の感慨も無い。
    失いゆくものを少しでも知っていれば、やはり一抹の感情を抱くのは自然です。

    大森林で巨木が朽ち倒れる時、だれも聴き手がいなければ倒れる音は無音だというのに
    同義なんでしょうか?
    サム・クックが亡くなったニュースもビックリしました。
    親しんでいた音楽なので、それを知っていたからでしょうか。
    自分の慣れ親しんだものが失せていくのを目の当たりにしたら、やはり追憶が押し寄せます。

    • 町田 より:

      Get さん、ようこそ
      人間が成長期にたどる心の動きを巧みに活写された文面、とても共感しつつ、かつ興味深く拝読しました。
      人間は、未知のモノにシンパシーを感じるということはできないものです。シンパシーを感じたとしたら、それはすでにその “モノ” に対して、なんらかの情報を得たときなのでしょうね。
      そういった意味で、「見ていないものは、ないに等しい」という感覚も生まれてくるのではないでしょうか。
      また、その情報も摂取量によって温度差が生まれ、メディアに出てくる菅原文太の顔を知っているだけか、また映画などで彼の動きに感服した経験があるかによっても変わってくるように思います。
      そのへんのことは、Getさんが見事にご指摘された通りですね。

      文面から察するかぎり、Get さんは、かなり私と年齢的に近いように推察いたします。私の母も、明治と大正が移り変わるぐらいの年に生まれています。
      また、私もテレビが白黒の時代をはっきりと覚えています。

      ただ、サム・クックの死は、さすがにリアルタイムでは把握していませんでした。
      その当時において、すでにサム・クックに馴染んでいたというのは、なかなか素晴らしいセンスをお持ちなのではないでしょうか。
      私などは、死後10年ほど経ち、いろいろなR&B歌手の歌を聞いているうちに、ようやくその素晴らしさを理解することができました。

      人の感性が養われる基盤のようなものを教えてくださる洞察力に富んだコメント、ほんとうにありがとうございました。
       

  4. Get より:

    御ブログに表示された我が文章。
    学習能力を学集能力に、貪欲を貧欲になっていました。

    大体、活字を読まない、書かない、という日常です。
    いざ何かを手書きにする時はおおごとです。
    ボロを出さない気構えで事に当たりませんと。
    PC依存になってからは、とにかく書く能力ドラマチックにが退化しました。
    小学生程度の漢字力も無くなりました。
    ”集中豪雨” これは”豪” が咄嗟に書けません。
    それでメモを取ると ”集中go雨” なんてなってしまいます。
    平成は ” Hay, Say!” にならずに書けます。
    May G も大丈夫。
    笑福亭鶴瓶 この人の名前を笑福亭カクビンだと思い込んでいました。
    多分ウィスキーがお好きなんでしょう、と解釈してました。
    この程度なのに、恐れを知らずに御ブログに涼しい顔で投稿するんですから、
    我ながら厚顔の極みです。
    そのうえ、中学生程度の作文の域を出ない稚拙な文章にハナマルを頂くと、
    気恥ずかしさから、目線は丁度壁から天井付近で宙を泳いでいます。
    そして、”町田さん、優しい方ですねぇ” とつづく思わされます。 

    • 町田 より:

      Get さん、ようこそ
      漢字能力の減退は、パソコン・ワープロに馴染んでしまった人間の宿命のようなものですね。ワープロの変換機能に頼ってしまうと、ほんとうに漢字を書く能力はガタッと落ちるような気がします。ワープロのせいにするのは恥ずかしいですけど、自分もまたそれを認めざるを得ません。ちょうどカーナビに頼ると、道路を覚えなくなったのと同じですね。
      人間の弱い部分をサポートするはずの機械が、いつしか人間をスポイルしてしまうということなのでしょうか。

      それにしても、ワープロの誤変換には笑ってしまうようなものがたくさんありますね。
      最初にワープロに接したとき、「サバイバル」と打ち込んだつもりが「鯖威張る」になったり、「…じゃないか」と書いたつもりが、「蛇内科」になったりして、かなり戸惑った記憶があります。初期のワープロはまだ学習能力が足りなかったのでしょうね。
      手書きの原稿からワープロに移行したとき、この不思議な誤変換をするワープロという機械が、人間とは異なる言語体系をもった異星人のように思えたものでした。

      >>「中学生程度の作文の粋」 と書かれていましたが、Get さんの書かれる文章はエスプリが利いていて、ユーモアに富んだ大人の文章になっていると思います。
      どうか、ご謙遜なさらずに。
       

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