芸能人雑感

 
 ネタがないときに、ピンチヒッター的に作り置きしていたブログ記事をひとつ。
 「芸能人雑感」
 なんとも工夫のないタイトルだが、そんなに深く考えているテーマでもないので、タイトルもごくあっさりと。

 で、テレビなどを漠然と見ていて、なんか気になるなぁ。… なんでかなぁ ? と思うような人々を、とりとめもなく挙げていく。 

【 マツコ・デラックス 】

 で、最近テレビなんか見ていて、すごく気になる芸能人の一人にマツコ・デラックスがいる。
 この人は、とにかくバラエティーやCMなどにおける登場回数が多く、顔を見ない日はないと思えるくらい露出度のすさまじい人だが、不思議なことに、自分には、どんどんきれいになっていくように見えるのだ。

 最初にテレビで見たときは、… もう10年くらい前になるけど、あの巨体と、あのご面相なので、「なんとも “悲惨な人” が登場してしまったなぁ」という感想を持った。
 しかし、そこが “マツコ・マジック” 。
 いまテレビに出ている彼女(彼?)は、日増しに美しくなっていくではないか。

 もちろん、人気が高まれば、CMなどにおいても一流のメイクアップアーチストが付くだろうし、衣装合わせもセンスのいいコーディネーターが担当し、ライティングの調整などにも時間をかけるだろう、… ぐらいのことは分かる。

 でも、そういうビジュアル的な環境整備だけで表現しきれない内面的な輝きが、増えてきた仕事量に対する自信とともに、外に向かってほとばしり出ている感じがする。

 その「内面的な輝き」 … ってのを説明するのは難しいんだけど、批評精神といえばいいのだろうか。
 要は、「世の中」を眺めるときの分析力と独創性。
 それが彼女にはあるように思えるのだ。

 単に物事を斜めに見るでもなし。
 もちろん時のメインストリームに擦り寄るでもなし。
 頭を使わないと吐けない緊張感ある毒舌を、彼女は芸にしている。

 そこに、私などは “孤高の精神” を感じる。 
 男にも組せず、女にも迎合しない存在として、いわばこの世に「住み心地のよい場所」を見出せないオネエの悲しみと開き直り。それが、あの歯切れのよい毒舌の背後に潜んでいるように思えるのだ。

 そのような複雑な思考の軌跡が、CMにおいても陰影に富んだ表情の作り方として表われている。
 「いい “女” だな … 」と、私などは素直に思ってしまう。

【 中森明菜 】

 もうひとりの “いい女” 、中森明菜。
 新曲入りのベストアルバム『オールタイムベスト』のCD売上げが25万枚のセールスを記録しているという。
 … なのに、本人は一向にファンの前に姿を見せない。かなり前から体調不良説が取り沙汰されており、現在は強度のうつ病ともささやかれている。年齢も49歳。若い頃の美しさが遠のいてしまったという自覚も、本人に重くのしかかっているのだろうか。


 
 しかし、私は、この女性は昭和歌謡を代表する “美しい歌姫” であると思っている。
 なぜ、「昭和」か。
 歌手である以前に、あまりにも昭和的悲劇が彼女の周りに起こりすぎた。
 熱愛した恋人との婚約トラブルでリストカットする女なんて、平成になってからのアイドル歌手には、想像することもできない。

 あどけない笑顔で男も女も食い散らかしながら天辺を目指すイマドキの女性タレントにはないものが、中森明菜にはある。
 それは、目を覆いたくなるような “弱さ” だ。
 あまりにも繊細なガラス細工であるため、持ち上げただけで壊れ、その破片が手のひらに突き刺さるような、鬼気迫るほどの “弱さ” が、彼女にはある。

 この傾向は、すでにデビュー曲や初期のヒット曲にもかいま見えたものだった。
 『少女A』、『飾りじゃないのよ涙は』。
 大人や社会をにらみ付けながら突っ張る少女の、その内心に巣食っている繊細な弱さ。
 はつらつとした可愛さをたたえながら、この少女の目は笑っていなかった。彼女はデビューのときから、すでに “はぐれ者” の心細さを歌っていた。

 たぶん彼女が、ファンの前でたくましく「復活宣言」を打ち上げて、精力的に稼ぐ日はもう来ないだろう。
 何度も、整形手術と結婚・離婚を繰り返しながら、相変わらずトップアイドルのように振舞っている明菜のライバル歌手とは大違いである。

 しかし、レジェンド(伝説)というのは、往々にして「美しく壊れてしまったもの」の方に残る。
 20年ぐらい先になって、誰もが「1980年代の日本の歌姫」として思い出すのは、明菜の方である。

【 斎藤 工 】

 美しい女たちの話が続いたので、今度は美しい男の話。
 今、自分がもっとも “気になっている” 男優は斎藤工である。彼には、男でも「色気」を感じるときがあるのだ。
 もちろん、「女子」たちの間でも評判が良いらしく、特にオバサン方に、熱を上げている人が多い。

 その理由はなんだか分かる。
 斎藤工には、どこか韓流スター的な甘さと逞しさがあるのだ。
 彼の表情には、甘さが漂うと同時に、たとえ人を殺して惚れた女を幸せにしてやる風の、一途な執念が感じられるのだ。まさに、徴兵のある国で心身を鍛えてきたような肉食的な逞しい面魂(つらだましい)が備わっている。
 それでいて、はかなげな虚無感があり、笑い顔には憂いさえ滲ませる。

 彼は下積み生活が長かったという。
 あれだけ甘いマスクなのに、ずっとバイプレイヤーの位置に甘んじ、周囲から「ネクストブレイク」(次に期待される芸能人)といわれながら13年間陽の目をみることがなかったとも。

 しかし、この男。
 そのような雌伏の時期が幸いしたのか、心の奥底を見せないしたたかな男を演じるのもうまいし、気性のさっぱりした筋を通す男を演じるのもうまい。まぁ、芸域が広いのだ。
 
 男優の価値は、凄みの利いた悪役ができるかどうかで決まる。
 いくらイケメン男優であっても、魅力的な悪役がこなせないと、主役を張っても人物像に幅が出ない。
 斎藤工は、それができる。
 かなり昔、単発モノのサスペンスドラマで、斎藤工が犯罪テロ組織の若いリーダーをやっていたのを見たことがあったが、彼はクールで残虐な役柄を演じながらも、悪には悪なりの哀しい犯行理由があることもうまく表現していた。

 同じイケメン男優ながら、西島秀俊や向井理(ともに最近婚約を発表した)には悪役ができない。基本的に二人とも顔の作りが “良い人” なのだ。たぶんキャラクターとしても真面目な方々なのだろう。
 だから、こう言っちゃ失礼かもしれないが、「悪」というものに対する想像力が足りないように思える。それでは、やがて芸の幅が狭まっていくだろう。
 平々凡々の二枚目役しかできなかった三浦友和も、年とって悪役もこなせるようになってから、芸に奥行きが生まれた。

 悪役というのは、単に冷酷非情な役をやることではない。そこに甘美なものを漂わせないと、本当の怖さも出ない。
 官能的なほどに甘く、鋭利な刃のように危険な香り。
 斎藤工には、それがある。
 急激な人気の高まりにテングにならないことを祈るばかりだ。最近の彼の表情を見ていると、チラッとそんなふうに思えることもある。
 
 
参考記事 「マツコ・デラックス」

参考記事 「聖子と明菜」

参考記事 「飾りじゃないのよ涙は」

 
 

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芸能人雑感 への2件のコメント

  1. ようこ より:

    ***マツコは中森明菜の大ファン***です。

    • 町田 より:

      >ようこさん、ようこそ
      そうですかぁ、マツコが中森明菜のファンとは……。
      そういえば、どこかでそんな話も聞いたことがあります。

      やっぱり私には、同じ匂いを放つ芸人が好きなんでしょうね。
       

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