VR時代のRV

 
 キャンピングカープラザ大阪から発売されたNV200ベースのキャンピングカー「RIW(リュウ)」の開発コンセプトの解説には、次のような記述がある。(↓ 以下、多少意訳)

 「20世紀末に勃発したデジタル革命の進行により、バーチャル世界がものすごい勢いで、リアル世界に浸透している。
 このままいくと、21世紀の中頃には、大多数の人間は自分の部屋から一歩も出ることなく、安楽な仮想世界で楽しめるようになるかもしれない。
 しかし、もしかしたら、人類の頭脳の総和をはるかに超えるスーパーコンピューターによって、人類そのものが抑圧的に管理されてしまうというSF物語のような世界が生まれる可能性もある」
 ……と、その解説には書かれている。
 
 で、この「RIW」というキャンピングカーは、世の中がそのようなバーチャル世界に侵食されてしまう前に、ありのままの地球の姿をしっかりと目に焼き付けておくために開発された “アウトドア志向” の強いキャンピングカーだという。

 この開発コンセプトの解説文を読んでいて、深い感慨に襲われた。
 ―― これからの時代は、たとえキャンピングカーであろうとも、もうこのような未来予測をしっかり持たなければ開発できない時代になったんだ … という感慨である。

 最近、コンピューター技術を駆使して、リアル世界と同等の現実感を人間に体験させる世界を、「VR」という言葉で説明しようとする動きが出てきている。
 「VR」
 バーチャル・リアリティー=仮想現実という意味だ。
 そういう言葉がマスメディアに頻繁に登場するようになってきたということは、“VR商品” がついに一般マーケットにも浸透してきたことを物語っている。

 その一つの例が、アメリカの「Ocrulus(オキュラス)VR」社が開発した、ヘッドマウンティング・ディスプレイ(オキュラス・リフト)。
 要するに、“安眠用アイマスクのお化け” みたいな装置を頭に取り付けるだけで、自分が恐竜時代にタイムトリップしたり(ジュラシックパーク)、海底を遊泳しているうちにサメと遭遇したり(ジョーズ)、宇宙船を操縦して敵の宇宙船とバトルを展開したり(スター・ウォーズ)できるというわけだ。

 視覚部分を刺激するメインとなるものは、今のところ液晶パネルだが、魚眼レンズとPC側での逆補正を組み合わせることで、体験者は完全にバーチャル領域に入り込んでしまうらしい。
 頭を動かせば、それに応じて視覚に飛び込む映像も360度対応するため、うっかりすると、「自分が今バーチャルな世界にいる」ということを忘れてしまうほどのリアリティーがあるのだとか。

 昔、ある雑誌に、この装置を紹介するためにレポーターが自ら実験台となって装着したときのルポが掲載されていたことがあったが、「海底でサメが近づいてきたときは、その恐怖で心臓が張り裂けそうになった」という告白が載っていた。

 たぶん、きっとその逆もあり得るだろうから、体験者が、世界遺産になるような景色や建物の中に入り、その美しさや面白さを、まるで現地に行っているかのように楽しむことも可能になるだろう。

 元ライブドア社長である堀江貴文は、次のように言っているらしい。
 「VRを体験すれば、その世界観の凄さに誰もが驚く。(この技術を応用すれば)ゲーム類がよりリアルになるだけでなく、旅行や過去の思い出に浸ることもできる。宇宙でもニューヨークでも行き放題。動画を撮っておけば、死別した人にだって(リアル世界と同じ感覚で)会える」(週刊朝日 10/10号)

 このようなVRコンテンツを制作するための撮影機材などは、今後さらに小型化・高性能化の一途をたどり、2020年の東京五輪では、VRでの観戦が当たり前になるとも言われている。
 
 ただ、現在のところ、VR機器の代表選手であるアメリカの「オキュラス・リフト」の価格は4万円もするらしい。
 だから、すぐには子供のゲーム機にまで浸透してこないだろうが、日本の理化学研究所では、このオキュラス・リフトのシステムを低価格帯でも売れるように簡易化した「ハコスカX」なる装置を開発。その装置を頭に被り、所定のアプリに用意されたデータを自分のスマートフォンにダウンロードするだけで、アメリカ製のオキュラス・リフトと同じようなVR世界が体験できるようになったらしい。

 ま、ここまでは3D映画を見るときに使うメガネの “上級版” といった感じで、人間のライフスタイルがそんなに変化するようには思えないが、現代の技術は、さらにその先を行っている。

 VRの次の段階では、いよいよチップやセンサーなどの人工物を、人体の内側に組み込むような研究が進んでいるらしいのだ(週刊文春 11/06号 = 辻野晃一郎のビジネス進化論)。
 つまり、人間の神経細胞レベルのナノコンピューター・デバイスを作って人体に埋め込み、人間の頭脳中枢をコンピューターに直結させて「意識」をコントロールできるようになるというわけだ。
 さらには、脳細胞に存在する情報を取り出して、外部ネットワークとやり取りすることも可能になるらしい。

 ここまで来ると、もうSFだ。
 『マトリックス』や、『ブレードランナー』的世界が身近に迫っているような気がする。
 たぶん、そういう時代になると、人類はそれを “特殊” なことだと思わずに、「時代の流れだ」と面白がって、何の抵抗もなく受け入れていくだろう。
 
 現に、スマホがそういうテクノロジーの到来を示唆している。
 電車の中でも、街を歩きながらでも、スマホに没頭している人は幾何級数的に増えている。
 そういう光景を、もう誰も奇異には思わない。

 スマホの先には、コンピューターネットワークが広がっている。スマホ族は、(辻野晃一郎氏的にいうと)、恒常的に、個人の意識を広大な電脳ネットワークの世界に「プラグイン」しているということになる。
 それは、多様な情報を個人が自由に取捨選択しているように見えながら、実は、キャラのない、… つまりは、もう「人間」ともいえない抽象的な電脳システムのもとに管理されているということに他ならない。
 
 こういう時代の「旅」とは何だろう … ?
 と、考えざるを得ない。
 キャンピングカー「RIW」は、世の中全体がそういう流れに染まってしまう前に、地球の本当の姿をこの目に焼き付けておく … という開発コンセプトを謳った。
 しかし、VRがより巧妙に、より鮮明に、自宅にいながらの「旅」を実現してしまうようになったら、リアルな旅というのは、ただの面倒くさい “肉体の行使” にすぎなくなってしまうのではなかろうか。
 
 さらにいえば、そのようなバーチャルな旅の美しさと楽しさに慣れた人間の目が、リアルな旅に対し、それと匹敵するような魅力を感じることができるだろうか。
 汗水垂らすだけのリアル旅が、VRの旅と拮抗できるのか?
 
 「旅もスポーツだ」と割り切ればいいという声が出そうだが、VRは、そのスポーツでさえも、椅子に座った状態で楽しめるようにしていくだろう。
 現に、自動車の世界でも、このVRを活用することによって、クルマの特性 … すなわちコーナリングのロール感とか、ハンドリングとか、エンジンの吹けなどを、実際に運転をせずとも体感できるようなプログラムが開発されていると聞く。

 VR時代のRVとは何か?
 電脳的なプログラムとは異質の「旅」を約束できるRV開発は可能か?
 キャンピングカー業界も、あと10年もすれば、そういう問題を突き付けられそうな気がする。
  
 
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VR時代のRV への5件のコメント

  1. かっちゃん より:

    VRはAR(Augmented Reality)とも言われますよね。

    でも、ご心配なく。ITのインフラであるネット世界には、水と重力が実装できません。
    すなわち地球を回す「必要条件」としてのインフラが欠けている。

    栄養素は電磁エネルギーには還元できず、重力(正確には質量)が存在しなければ月は地球も周回しないし、カレンダーやあらゆる周期性、リズム性が恣意的な同期を除けば全て相対化してしまうでしょう。

    かって教育学者で医師のマリア・モンテッソーリは言いました。
    人間は内部に「白い人と赤い人」が居て、その協調こそが人間を作っている。
    教育とは、この両者の協調活動の最適化のことを言う。

    まさに現代は、この考えに沿った「生涯」教育が必要とされているように思います。

  2. かっちゃん より:

    追伸

    赤い人=血管系
    白い人=神経系

    のことを指しています。
    失礼しました。

    • 町田 より:

      >かっちゃん さん、ようこそ
      勉強になりました。
      確かに、I Tには、「水と重力」がありませんね。「インフラ」という意味で、VR世界が今のリアル世界にとって代わるということはないんでしょうね。

      ただ、VR的な環境が日常生活にも浸透することによって、これからの時代を生きる人々の感受性を変えていくということはありそうにも思えます。
      それが、「良いこと」なのか「悪いこと」なのか、にわかに判断できかねますが、かっちゃんさんのおっしゃるように、人間が血管系と神経系によって構成されるのなら、その両者の協調を図れる「生涯教育」はとても大事になりそうですね。
      コメント、ありがとうございます。
       

  3. アンリ より:

    ちょっと怖いなあと思うのは将来的にはみんな自ら好んでVRの世界へ入って行ってしまうのでは無いかということです。今のように便利とかお手軽と言ったキーワードがもてはやされる状況が続けば「旅をするならVR旅行。」となるのも当然かと。
    しかしそうなるとその先に待ち受けるのは映画マトリックスの危険な世界な訳です。
    そう考えるとこれからのRVには所詮デタラメなこの世の中を肯定させる力が欲しいですね。VR時代が本格的に到来する前に、なるべくたくさんの人が日本に限らず世界をRVで旅をするべきですね。そうして、リアルな自然や暮らしを見聞し会話し、デタラメにも良いところがあるなと感じることができれば、誰かが作ったVRの馬鹿らしさが理解できると思うのですが。

    • 町田 より:

      >アンリさん、ようこそ
      とても有意義なご指摘であるように感じました。
      おっしゃるように、VRというのは、結局は、「便利」と「お手軽」を目指すために確立されてきた技術であるように思います。
      「便利」と「お手軽」というのは、要するに“効率化”ということですよね。世界のあらゆる産業構造が、貪欲なまでに効率化を図ることによって市場拡大してきたという経緯を振り返ってみれば、VRの果てにあるのは、アートも文学も音楽も、そして旅も、効率化を至上命題とする価値観で統一されていくように思えます。

      しかし、アートとか、音楽とか、旅というものは、本来ならば、そのような効率化の思想からこぼれ落ちてしまうものですよね。
      いわば、“無為の世界” に遊ぶ感覚というか。
      人間って、役に立たないものによって想像力をはぐくむ動物ですから、役に立つものばかりに囲まれてしまうと、想像力も衰退していくように感じます。

      アンリさんがおっしゃる “デタラメ” というのは、そのような効率化の思想からこぼれおちる価値のことをおっしゃっているように感じました。
      そのような“デタラメをも大事にするRVが開発されるようになれば、それこそ、人間の想像力を飛翔させるRVになるように感じます。
       

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