アメリカン・ポップスがビートルズに駆逐されるまで (昔の洋楽の話)

 
 自分の洋楽体験の話を少しする。
 私は、1950年生まれ。これを書いている2014年で、64歳。

 もの心がついた頃、… つまり5~6歳ぐらいだった自分の周りには、童謡か歌謡曲しかなかった。
 J ポップなどあるわけもなく、ジャズもロックもなかった。
 当時、耳馴染んでいた曲といえば、「ゾウさん」みたいな童謡のほかは、春日八郎の「お富さん」、ペギー葉山の「南国土佐を後にして」、曽根四郎の「若いお巡りさん」、高英男の「雪の降る町を」、若原一郎の「おーい中村君」という、戦前の匂いが立ち込めるような昭和歌謡だけだった。
 
 この時代、ビル・ヘイリー&コメッツの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」、プラターズの「オンリー・ユー」などもアメリカでは流行っていたが、それを自分が聞くようになったのは、ずっと後の話だ。
 
 ラジオから洋楽が流れ出したのは、… というか、自分が洋楽番組があることを意識したのは、ようやく1960年代初期、小学校の5年生から6年生になった頃である。
 デル・シャノンの「悲しき町角」。
 パット・ブーンの「悲しきカンガルー」。
 ニール・セダカの「悲しき慕情」。
 ケーシー・リンデンの「悲しき16歳」。
 ヘレン・シャピロの「悲しき片思い」。
 ジョニー・ディアフィールドの「悲しき少年兵」。
 ジョニー・プレストンの「悲しきインディアン」 。
 スティーブ・ローレンスの「悲しき足音」。
 ハーブ・アルパートの「悲しき闘牛」。
 ザ・カスケーズの「悲しき雨音」 ………

▼ ニール・セダカ 「悲しき慕情」

 私にとっての“洋楽”は、「悲しき…」というタイトルを持つものだという固定観念がそのとき生まれた。

 しかし、歌を聞いていても、ほとんどの曲から “悲しい情感” というものが伝わってこない。
 弾むようなメロディー。ポップでリズミカルなビート。
 「アメリカ人は、こういう曲を悲しく感じるのだろうか?」
 聞いていて、不思議でならなかった。

 後で知ったことだが、原曲のタイトルには「悲しき」などという言葉を持つものがほとんどなかったのだ。
 とりあえず「悲しき」を頭に持って来ればヒット曲が生まれるという日本の洋楽担当者の、いい加減な、かつ商魂たくましい戦略にすぎなかった。

 でも、それは自分にとって、新しい発見だった。
 洋楽というのは、「楽しい曲に悲しいというタイトルをつけることをいうのだ」という驚きは、カルチャーショックとして心に刻まれた。
 タイトルも、曲調も、歌詞もすべて悲しい情感に統一された日本の演歌とは異質の文化との遭遇だった。

 この小学生のときに聞いた “悲しきシリーズ” に代表される洋楽は、次第に私の音楽的感性に色濃い影響を与えていくことになる。

 この時代に流行歌していた洋楽は、ほぼアメリカ産。
 ときにイタリアのカンツォーネも混じったが、どちらもファンシーで、メローで、スイートで、センチメンタル。
 スポンジケーキの上に、べたべたに甘いバタークリーム・生クリームを3倍くらい盛り付けたような甘さを極めたサウンドが特徴だった。
 当時、好きだった曲は、シェリー・フェブレイの「ジョニー・エンジェル」。ポール・アンカの「あなたの肩に頬を埋めて」。ポールとポーラの「ヘイ・ポーラ」。
 「なんて甘いメロディーなんだろう !! 」
 ため息が出た。

▼ シェリー・フェブレイ 「ジョニー・エンジェル」

 “極甘” の音楽世界が、後年になって強烈なノスタルジーを誘うことは、映画 『アメリカン・グラフティー』 (1973年)を見ているとよく分かる。
 ジョージ・ルーカスは、自分自身の高校生活を甘美な映像として残すために、あの映画を作った。
 登場人物たちが無邪気な青春を送れば送るほど、後年それを回顧するときに、泣きたくなるようなノスタルジーをかもし出す。『アメリカン・グラフティー』 は、ベトナム戦争前に青春を送った世代に対する “心地よい泣き” を約束してくれる音楽映画 であったかもしれない。

▼ 映画 「アメリカン・グラフティー」

 甘い洋楽は、今でも自分の音楽の嗜好の原点にある。
 後年、R&B志向が自分の中に生まれたときも、基本は “甘茶ソウル” 。メロメロにスイートなサウンドがやはり自分の好みの底流に流れている。
 ソウルミュージックに染まったのは、二十歳を過ぎてからだったが、結局、これが今でも自分のもっとも好きな音楽ジャンルとして定着した。

 小学校を卒業してからは、われわれの世代にはある程度共通する “ビートルズ体験” となる。
 ビートルズの「抱きしめたい」、「プリーズ・プリーズ・ミー」、「シー・ラブズ・ユー」などがラジオから流れてきたのは、1963年。中学1年のときだ。
 騒音 !
 … とはいわないまでも、あの暴力的な音に、極甘サウンドに慣れた耳が着いていかなかった。
 違和感7 対 共感3 … といったところか。
 
 しかし、音楽に対する違和感というものは、新しい「刺激」という形をとって、容易に共感に変わる。
 ビートルズの曲を10回ぐらい聞いた後は、共感10 対 違和感ゼロになった。

▼ ビートルズ 「シー・ラブズ・ユー」

 この時代、なぜビートルズサウンドがあっという間に世界的共感を集めるようになったのか。
 楽曲的解説は、すでにあまたある。
 意表を突くコード展開。
 6度のハーモニー。
 絶妙なシンコペーション。

 音楽理論的な分析は枚挙にいとまがない。
 しかし、そんな小難しい解説など、小学生か中学一年くらいの成熟した耳を持たない子供にはどうでもいいことだった。

 「若者」の誕生。
 彼らのブームを分析する言葉は、それ以外にない。
 それまでの音楽には、子供の音楽か、大人の音楽しかなかったのだ。
 メローなアメリカン・ポップスは、背伸びした “子供の音楽” 。
 子供が一気に大人の“快楽”を手に入れようとしたときの「疑似的大人感」を味わうための音楽にすぎなかった。

 もちろんビートルズ以前にも、すでにロックンロールは登場していて、エグイ不良的サウンドを奏でていた。
 しかし、それは、“反抗期の子供” の音楽。
 不良を卒業すれば、やがてビング・クロスビーやフランク・シナトラを聞くことになるだろう、という予定調和が約束された人たちの “一時的な反抗の音楽” だった。

 しかし、ビートルズは、はじめて「大人」でもなく、「子供」でもない、「若者」という存在を明らかにした音楽だったように思う。
 ある意味でそれは、成熟してきた世界資本主義が、大人と子供だけのマーケットでは利潤が確保できないようになったため、「若者」という新しい市場を獲得するために “若者文化” なるものを用意し始めた時代と歩調を合わせている。

 そして、ビートルズは、そういう若者マーケットの掘り起しなどという世界資本主義の思惑など意識することもなく、世界中に「若者」を作り出してしまった。
 
 若者が、自分で「若者」を意識するときの最大の事件は、「恋愛」である。
 ビートルズは、「恋愛」が、男女のスイートなときめきでは収まらないものであることを、そのサウンドと歌詞で謳いあげた。
 デビューシングルは「ラブ・ミー・ドゥー」である。
 「♪ 俺に惚れろ、こんにゃろめ !」
 と脅迫したのだ。
 次のヒットシングルは、「シー・ラブズ・ユー」。
 「♪ あいつはお前の方が好きなんだぜ」
 やけっぱちな恨み節。
 「恋愛なんて、うまくいくわきゃないんだ」、と思い込んでいる不器用な思春期を送っている若者たちに向かって、彼らはめっちゃくちゃリアルな世界を現出させたのだ。やけっぱちに軽快なロックビートに乗せて。

 ただ、ビートルズが流行り出したころ、すべての若者が最初からビートルズファンになったわけではなかった。
 今でも明瞭に覚えているのは、「あんな女みたいに髪の毛伸ばして、楽譜も読めないような連中の音楽のどこがいいの?」というクラスの同僚たちの冷たい反応。
 中一の頃、休み時間にビートルズの話ができるのは、わずか2~3人にすぎなかった。

 アンチビートルズ派にとって、違和感が共感に変わることは、その後もなかったのかもしれない。
 エッセイストで、小説家でもあり、ワイドニュースのキャスターも務めたことのある亀和田武氏は、この頃の音楽体験を次のように語っている。
 「ビートルズが憎かった。それまでなじんできたメローでスイートなアメリカンポップスを葬り去ったビートルズは、天敵のように思えた」

 その彼が、後にローリング・ストーンズのファンになっていったというのは、この “ビートルズ憎し” がつのった復讐心のなせるワザだったような気もする。

 それはさておき …… 、とにかく中学生活の3年間は、私は「ビートルズ少年」として過ごし切った。
 もちろん、ストーンズも含め、同時代の “リバプールサウンズ” というものはほとんど聞き尽くした。
 サウンド的には、ストーンズの方が荒々しかったし、「朝日の当たる家」を歌ったエリック・バードンのドスの利いた声には、怖さすら感じた。
 しかし、あの時代、ほんとうの意味での「毒」を持っていたのは、ビートルズだけだったような気がする。

 明るく陽気にロックロールを奏で、しんみりとラブバラードを歌うビートルズ。
 しかし、その底には、普通の音楽ファンには分からない虚無と退廃があった。
 それが少しずつ明らかになっていったのは、アルバムでは「リボルバー」以降、「サージャント・ペッパーズ・ロンリー・クラブバンド」や通称「ホワイトアルバム」ではその片鱗がはっきりした形を取り始め、「マジカルミステリーツァー」や「イエローサブマリン」ではそれが全開になっていく。
 そして、それが “美しい怖さ” になったのが、「アビー・ロード」。

 「マジカル・ミステリーツァー」以降、彼らの曲には童謡のような明るく陽気な曲がたくさん登場する。
 一見、無邪気な子供時代に返ったような曲調。
 ディズニーアニメのようなほのぼのとしたポップ感。
 しかし、それはビートルズの「毒」なのだ。
 そのあたりの歌からかいま見えるのは、ルイス・キャロルの『不思議な国のアリス』のような悪夢の世界だ。
 LSDなどのドラッグが醸し出す、神経が侵されるときの高揚感にも近い。

 私が、特に個人的に怖いと感じるのは、ジョン・レノンの「ストロベリーフィールド・フォーエバー」である。
 「名曲」と評価する人も多いが、歌詞も含め、サウンド全体から永遠に覚めることのない夢に引き込まれるような恐ろしさが漂う。

 …… 「ストロベリーフィールドへ君を連れて行きたいな。この世にリアルなものなんか何もない。だから目を閉じて生きる方が簡単さ。永遠の楽園ストロベリーフィールドに、君を連れて行きたいな」

 子守唄のようにささやくジョン・レノンの “ストロベリーフィールド” とはどんなところか。
 それは、永遠に陽の昇ることのない、無明長夜の闇の道。
 限りなく「死」に近いけれど、その「死」にもたどり着けない世界。
 そんな 「負」の酩酊感に引きずり込む怖さが、この曲には漂っている。

 そして、曲がいったん終わったかのように思える数秒を経て、テープを逆回転させたような不思議な音が、地面の裂け目から浮上してくるときの怖さ。
 「これって、ホラーじゃね?」
 と思えたくらいだ。
  アルバム「サージャント・ペッパーズ … 」の「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」にも、こういう怖さがある。
 逆にいえば、そういうところがビートルズの “凄さ” といえば、凄さなんだけど …。
 
▼ ビートルズ 「ストロベリーフィールド・フォーエバー」

 ビートルズの「毒」を本能的に理解したのは、新興宗教的な疑似共同体のカリスマ的指導者であったチャールズ・マンソンのような犯罪者だった。彼は、その狂気に満ちた世界観をビートルズの「ヘルター・スケルター」に象徴させている。

 そのように、ビートルズの音楽は、一般的なファンには感じられないものの、神経が異様に高ぶった者には、ある種の「毒」に近い快楽を持っていたともいえる。
 だから、ビートルズの最後期の「レット・イット・ビー」などには、そのドラッグの酩酊感から覚醒した後のような、静寂に満ちた透明感が漂うようになる。

 私にとって、ビートルズが絶対的な “神様” だったのは、高校生ぐらいまでだったかもしれない。
 大学に入ってからは、もろにニューロックの影響を受けることになる。
 ラジオから流れてきたジェファーソン・エアプレイン、ジミヘン、クリーム、ツェッペリン、ドアーズ、ジャニス・ジョプリンなどの音は、世界の音楽が一変したことを感じさせた。
 
 これ以降の話は、すでにこのブログの「音楽」というカテゴリーでたくさん書いている。
 とりあえず、今ここでお話しできるのは、このくらいまで。
 いずれ、続編も書きます。
 少しでも興味を感じてくださった方は、本ブログの「音楽」カテゴリーを逍遥してくださるとありがたい。
  
 
参考記事 「悲しき闘牛と皆殺しの歌」

参考記事 「ジョン・レノンのバラードに潜むエスニックな響き」
 
参考記事 「ビートルズの評価」 

参考記事 「ジョン・レノン 『イマジン』 の予言」 

参考記事 「ホワッツ・ゴーイング・オン」

参考記事 「大好きスモーキー・ロビンソン」

参考記事 「70年代スイートソウル」

参考記事 「70年代スイートポップス」

参考記事 「ブルースに抱かれて眠る」

参考記事 「音楽の危険な匂い (FREEについて) 」 
  
 

カテゴリー: 音楽   パーマリンク

アメリカン・ポップスがビートルズに駆逐されるまで (昔の洋楽の話) への8件のコメント

  1. ご無沙汰しています。
    KING売却から早や2年ちょっと経ちました。
    キャンピングカー持ってる頃は、1人で時々は遠出するなど出かけてましたが普通車に乗り換えると殆どお出かけすることは無くなりました。
    今思うと、キャンピングカーライフはホント楽しかったです。
    しかし、音楽って本当にいいですよね。
    キャンピングカーを失った代わりではないですが、ぼくもいい歳して矢沢永吉コピーバンドのベースを始めました。
    https://www.youtube.com/watch?v=_NW26q3JMIA#t=37
    少なくとも音楽で楽しんでいると嫌なことも忘れます。
    酒で嫌なことも忘れますが、音楽は嫌味がないところがいいです。
    そうは言っても、いつか?Kカーでもいいから一人用のキャンピングカー買おうと思っています。
    その時は、また!ヨロシクお願いします。

    • 町田 より:

      >元KING乗りのカッチさん、ようこそ
      いやぁ、ご無沙汰です。
      お元気そうで何よりです。

      YOUTUBE画像、拝見。カッコいいですねぇ !!
      最初、歌っている人がカッチさんかと思っちゃいましたけど、ベースを弾いていらっしゃるんですね。いい音ですね。ズンズンお腹に響いてきます。
      バンド全体のレベルも高いし、全体のサウンドもしっかりしていて、とても楽しめました。

      音楽はほんとうにいいですね。
      また、カッチさんのギターで一緒に歌いたいな。
      一人用のKカー。もし購入されたら、ご連絡ください。
      歌もいっぱい教えてね。
       

  2. より:

    ストロベリーフィールズは怖い曲ですよね。深い闇に引っ張り込まれそうです。でもジョン・レノンにとってはその闇の方が懐かしい慣れ親しんだ世界だったのかもしれないな、とも思います。逃げようと思っても結局はずっと付きまとってくる、ふと振り返ればずいぶん長い間寄り添っている闇というのは、たとえそこがどんなに暗い世界でも、どこか親いむしろそこにいる方が自然に呼吸出来るような居場所にいつしかなっているものなのかもしれないな、と思います。虫眼鏡を覗いた先に絶対にyesが見えたりしない精神世界を生きてきたからこそオノ・ヨーコに惹かれたのかな、とこの曲を聴いて思いました。

    • 町田 より:

      >獏さん、ようこそ
      「ストロベリーフィールズ…」という曲に対して似たような感想を持たれている方がいらっしゃったことを知り、少し自信を持ちました。

      しかし、獏さんは、ジョン・レノンが感知した深い闇の中にこそ、彼を温かく包み込む何かがあったと感じられたわけですね。
      その部分を拝読し、ふとポール・サイモンの作曲した『サウンド・オブ・サイレンス』を連想しました。たしか、あれも「Hello darkness, my old friend (古い友人の “暗闇君” よ、元気だったかい?」ってな歌詞ですよね。

      “闇” には人間を癒す力がある。
      それも、非常に分かります。
      闇の優しさというものが、確かにありますものね。
      「ストロベリーフィールズ…」の歌い手も、「君を連れていってあげたい」と優しくささやきます。
      その目的地は、もしかしたら永遠に覚めない夢の世界なのかもしれないけれど、獏さんが推測されるとおり、一時ジョン・レノンは、自らそれを求めて意識の底に下降していこうとする気配がありましたね。

      「闇の底に眠るイチゴ畑」。すごいシュールなイメージですね。やっぱりジョン・レノンは凄いのかな…。
       

  3. 町田さん、はじめまして。
    日頃より夫に、
    「あなたは猫型人間というより猫そのもの」と言われており、
    「猫型人間」を検索してみたところ、こちらのブログにたどり着きました。
    読ませて頂いたら、共感する記事ばかりで嬉しくなりました。
    私は1968年生まれで、好きな音楽は、
    ビートルズ、プリンス、ドアーズ、椎名林檎、ドビュッシー他いろいろです。
    ピアノを弾いていましたが今は下手で
    一番好きな楽器はバイオリンです。(バイオリンは聴くだけです)
    ストロベリーフィールズフォーエバーは、
    私にとっては、歌ってたいへん気持ちの良い曲です。
    歌詞が半端に音に当てられているのも気持ちよく、
    メロディをけだるくまわす時にのどが気持ちいいのです。
    似た感じの気持ちよさは、I’m so tiredやacross the universeなどです。
    自分にそういうものが内在しているので、
    表現するのを気持ちよく感じるのかもしれません。
    これからも、楽しみに、ブログ読ませて頂きます。

    • 町田 より:

      >いとうゆうこ さん、ようこそ
      ブログ拝読しました。
      漫画の猫たち、ほのぼのとしたタッチで可愛いですねぇ !!
      ご主人様から、>>「猫型人間というより猫そのもの」とご指摘を受けるくらいの “猫族” への愛が伝わってきそうな画風です。

      お好きなアーティストが、ビートルズ、プリンス、ドアーズ、椎名林檎、ドビュッシーとか。
      時代、ジャンル、地域を超えた多様な広がりがあって、いとうゆうこさんの関心領域の広さが感じられます。

      でも、どこかみな共通した匂いのようなものもありますね。
      それこそジョン・レノンの「ストロベリーフィールズ・フォーエバー」や「I’m so tired」、「across the universe」などに代表されるような、たゆたうような心地よいけだるさ、品の良さと退廃的なものが混ざり合った、とらえどころのないアンニュイ。

      なんか、分かるような気もします。
      不協和音的な美しさというのでしょうか。
      それって、まさに“猫型”感覚なのでしょうね。

      過分なご評価をいただき、ありがとうございます。
      またお越しください。
       

  4. 住 俊哉 より:

    町田さん初めまして。

    住と申します。

    私も音楽大好きでネットサーフィンして町田さんのブログにたどり着きました。

    これも必然だと思っております。

    町田さんの唱える「ビートルズには毒がある」という見解に衝撃を受けコメントさせて頂いております。

    もう少し詳しく「ビートルズの毒』について解説して頂けたらと思っております。

    音楽に対する感じ方は人それぞれで正しい間違っているはないと思っておりますが町田さんの発想には興味持ちました。

    どのようなところからビートルズに毒があると感じたのでしょうか?

    何か機会があれば音楽に関して語り合いたいものです。

    それでは、よろしくお願い致します。

    • 町田 より:

      >住 俊哉さん、ようこそ
      こちらこそ、はじめまして。
      とても興味深い視点でビートルズを語ろうとされている住さんのコメントに、こちらも大いに刺激されました。
      ありがとうございます。

      ビートルズの「毒」という言葉は、ビートルズの「酩酊感」という言葉に置き換えてもいいかもしれませんね。
      いわゆる “毒にシビれる !” というやつですね。
      「感動した」とか、「刺激を受けた」とか、「心地よかった」などという言葉では届かない “危険な領域” にまで踏み込んでいくといいましょうか。
      底のない螺旋階段を、どこまでもぐるぐると下降していくような、魔術的な快楽のようなものですね。

      その一つの例として、『ストロベリー・フィールド・フォー・エバー』を挙げてみたのですが、この曲を聞いていると、いつもどこか怖いのです。
      怖いけれど、それが快楽にもつながっているように感じるのです。

      ビートルズが60年代に登場した後、欧米のロックシーンが高揚期を迎え、過激な反体制思想だとか、ドラッグにまみれた反道徳・反倫理などを掲げた音楽が多数登場しましたけれど、いま思うと、ビートルズに比べて、みな健康的な感じがします。
      特に、ビートルズと同時期に登場したローリング・ストーンズなどは、ステージやレコードなどでは「反抗と暴力」の匂いをふんぷんとまき散らしていましたけれど、オフの日は、過酷なショービジネスを乗り切るために、パーカーに身を包んで、こっそり公園をジョギングして、体力作りに励んでいたような雰囲気すら持っています。あくまでも想像ですけれど(笑)。

      ビートルズというのは、そういう “作られた狂気” とはまったく異なる本物の狂気があったのではないかな … と。
      たとえば、「世界平和」を歌っているはずの歌詞が、世の滅亡に通じているとか。

      ジョン・レノンがソロになってから作った『イマジン』などは、まさにレクイエムですよね。
      彼は「ラブ&ピース」を標語に掲げ、愛と平和の伝道者として振る舞っていましたけれど、あの歌などは、「国境がなくなることによって訪れる地球の平和を訴える歌」というよりも、むしろ「人類が死滅した後に訪れる安からな地球」を歌っていたのではないかという気がしてなりません。彼自身にはそういう意識などなかったと思うのですが、歌そのものが、すでにレクイエムの美しさと荘厳さを秘めているような印象があります。

      ジョン・レノンの『イマジン』は、国家や宗教を否定して、「天国などない」と歌っているのですが、それは壮大なニヒリズムにつながりますよね。
      一見、「人類愛」や「平和の意味」を歌っているようで、その進むべき彼方には、荒涼とした「無の宇宙」が広がっている感じです。

      「毒」というのは、そういうスケールのでっかい「虚無」みたいなもの。
      それを、美しく歌ってしまう。
      そして、そこには、なぜか人間を惹きつけるものがある。
      『ストロベリー・フィールド・フォーエバー』以降の後期のビートルズって、だんだんそういう傾向を増していったような気がするのですが。

      お尋ねの件について、あまりうまくお答えできたとは思いませんが、とりあえず頭に浮かんだ想念を、言葉として整理してみました。
       

いとうゆうこ への返信 コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong> <img localsrc="" alt="">