ロイヤル・アカデミー展を観る

 
 秋の深まりを感じさせる秋分の日。
 八王子にある富士美術館に、『ロイヤル・アカデミー展』 を観に出かけた。

 絵を観るのは好きだ。
 特に、今回の美術展には、前から興味を抱いていたウィリアム・ターナーや、ラフェエル前派として知られるウォターハウスやクーパーなどの絵画も上陸するという。
 時代も、技法も、思想も異なる画家たちの作品が一堂に会するという意味で、「ロイヤル・アカデミー」というイギリス国家が管理したコレクションを眺めるのは効率がいい。

 バスで向かう道中、秋の残照を葉に照りかえらせている木々が続いているのが見えた。
 この季節の緑は濃い。
 初夏のはつらつとした緑とはまた異なる熟しきった緑だ。
 冬の予兆をどこかに秘めた、影のある緑。
 その間を流れゆく風も、爽やかさの中に一抹のさびしさを宿す。

 それはそれで、なかなか美学的情緒をかもし出す。
 誠に、芸術鑑賞にふさわしい日であった。
 今は絵画に限らず、どんなアートもネット検索で見ることのできる時代だが、美術展に足を運ぶということは、絵を見る以外の副産物がある。
 道中の風景を目に焼き付けるというのも、その一つ。
 そこから、実は、芸術鑑賞はすでに始まっているともいえる。 
 
 ロイヤル・アカデミーというのは、18世紀の中ごろにイギリス国王のジョージ3世の庇護のもとに創設された “英国美術” のコレクションであるという。
 ヨーロッパ絵画に関心を持つ人たちも、英国美術というものにはうとい。日本で人気を誇るのは、イタリアルネッサンス美術かフランス印象派で、それらの作品を並べた美術展は商業的にも成功するが、イギリス美術となると、多くの人はその代表的な画家の名前すら知らない。

 それだけに貴重な展覧会であり、また実際に見ごたえのある作品が並んでいた。
 下は、英国美術では巨匠となるジョセフ・マラド・ウィリアム・ターナーの 『ドルバターン城』(1800年) 。
 

 ターナーというのは面白い画家で、初期の作品は新古典派のような端正な構図の静的な絵を描いていたが、やがて波のうねりのような動的な描写に魅せられ、どんどんダイナミックな絵に転じていった画家。

 そのうち印象派を先取りするような、光の濃淡だけで輪郭を描く手法に転じ、最後はアブストラクトアート(抽象画)のような世界にたどり着いた人。
 『ドルバターン城』 というのは、新古典派的な静謐感を脱し、ダイナミックな技法に移行していく中間ぐらいに位置する絵だと思われる。流れゆく不穏な動きを見せる雲の描写に、それが見て取れる。

 下は、イギリスでは、ターナーと並び称される風景画家ジョン・コンスタブルの 『フラットフォードの水車小屋』 。
 彼が幼いころから馴染んだ故郷の田園風景を描いたものだという。
 遠景の森と、その上に広がる雄大な雲が印象的な絵だ。
 写実的描写のように見えるが、右側の木々の葉の描き方に、ロココ美術のような “理想化された自然” の痕跡が混じる。
 その混じり具合がのどかな空気感を漂わせ、この絵に “癒し” の効果をもたらしている。

 下は、ウィリアム・ホッジスの 『ベナレスのガート』 (1787年)。
 

 
 ホッジスは、イギリス人風景画家として、はじめてインドを訪れた人だという。
 絵の解説を読むと、“ガート” とは、ヒンズー教の入浴の儀式が許された階段状の宗教施設のようだ。
 この絵からエキゾチシズムが漂うのは、水際まで階段がつながっているような施設がヨーロッパなどの建築様式にはないからだろう。
 画家のホッジスは、そのようなインド的情景に接し、異文化体験の興奮を感じたのかもしれない。中央左手に見える寺院の丸屋根が、薄い靄にかすんでいて、画家の “神秘なる東洋” への憧れを表現しているように感じられる。

 今回の美術展のもうひとつの話題になりそうなことといえば、ラファエル前派の作品が登場していること。
 ラファエル前派というのは、イタリア・ルネッサンスの巨匠の一人に数えられるラファエロよりも前の芸術 … すなわち中世の騎士物語や妖精伝説などを主題として扱うという芸術運動のことを指し、絵の傾向も神秘的・耽美的な嗜好を示すことが多い。
 その運動の旗頭となった人々が、英国ロイヤル・アカデミーに所属していたというだけあって、今回の展示物にもその作品が中心の一角をなしている。

 下は、ラファエル前派の代表選手の一人ジョン・エヴァレット・ミレイの 『ベラスケスの想い出』 (1868年)。今回の美術展のポスターにもなった絵だ。


 
 輝く金髪を左右に垂らした少女の顔には、いかにも高貴な身分の生まれであることをうかがわせる気品が横溢している。
 それもそのはず。
 この絵が原型となったのが、スペインを代表する画家の一人ベラスケスの描いた王女マルガリータ (下がオリジナル)。

 ミレイは、その作品に魅せられ、いわば巨匠ベラスケスへのオマージュとしてこれを描いたといわれている。
 金髪はもとより、着ている衣装も少女のポーズも、まさに 『王女マルガリータ』 そっくり。
 なのに、少女の顔だけは、ラテン系スペイン人の顔ではなく、アングロサクソン系イギリス人のきつさが現れているから面白い。

 ラファエル前派というのは、物語や伝承をテーマにした作品が多いことでも知られており、下のジョン・ウィリアム・ウォーターハウスの 『人魚』 (1900年)などは、その代表例の一つ。

 アンデルセンの 『人魚姫』 の例をとるまでもなく、人魚は、世紀末ヨーロッパ人たちにとっては、珍奇でエロチックな格好の文芸上テーマであった。
 人魚は、人間の男たちをいとも簡単に魅了する妖しい上半身を持ちながら、その下半身はけっして人間の男たちを受け入れる構造になっていない。
 いわば、それは男を拒絶するエロスである。

 このようなパラドキシカルなエロスは、また世紀末ヨーロッパを生きた男たちの嗜好を無類にくすぐるものとなった。
 そこに、世紀末の女性観として流行った “ファムファタール” (運命の女 = たいがい悪女)の系譜を読み取ることも可能かもしれない。

 実際に、“悪女” の存在感を生々しく伝えるのが、下のフランク・カダガン・クーパーの 『虚栄』 (1907年)。
 

 
 虚栄心とナルシシズムに酔った女を描いているものだという。
 その証拠となるのが、彼女が手に持つ手鏡。
 自分が男を酔わせる美貌と才気に恵まれているのを確認するかのように、女は満足げに目を閉じている。

 鼻持ちならない女。
 しかし、世紀末の男たちはそれを承知で、こういう女に魅了されていく。
 描いたクーパーにとっても、この絵に描かれたヒロインは、『虚栄』 というタイトルとはうらはらに、自分の理想像であったかもしれない。
 それを証拠に、彼女のかぶりものが、まるで聖母マリアの頭上を飾る光背(こうはい)のようにも見えるのだ。 

 悪女の聖女への転換。
 そういうアクロバティックなテーマこそ、ラファエル前派の特徴であったともいえる。
 かつヨーロッパ的なエロスの根底に横たわる通奏低音でもあった。

 絵を観ることは、言葉にならないものを探すことでもある。
 そこが、文字文化とは違う。
 どのような優れた解説があったとしても、それがその絵の本質に迫っているとはいえない。
 絵に付帯する解説は、あくまでもヒント。
 その絵の本質は、つねに描かれた作品と、それを眺める鑑賞者の “間” にひっそりと漂っているものであり、鑑賞者の知識や教養、美学的感性によってさまざまな変貌を遂げていく。

 絵に答はない。
 だからこそ、絵画の鑑賞は、スリリングな体験ともなりうるのだ。

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