資本主義の終焉

 
 

 エコノミスト水野和夫氏の 『資本主義社会の終焉と歴史の危機』(集英社新書) という本を読んでいる。
 この本を手に取ってみたのは、水野氏と萱野稔人氏との対談をまとめた 『超マクロ展望 世界経済の真実』 という本が面白かったからだ。

 今度は単著だが、やはり面白い。
 といっても、いま一冊の本を精読するような時間的・心理的な余裕がないので、通勤電車の中で飛ばし読みするくらいだ。
 しかし、記述が平易なので、ぱっと目に飛び込んできた文章をランダムに拾うだけで、大まかな主張は分かる。

 要するに、我々の経済活動をドライブしている “資本主義” が、もうじき終わるということを訴えた本なのだ。

 「資本主義が終わる」
 ピンと来ないよね。
 私もまだピンと来ない。
 しかし、読んでいて分かったのは、資本主義の時代が終わっても、人類の社会はその後もずっと続いていくということだ。
 だから、資本主義が終わった後に、どういう社会が生まれてくるのか、ということが、この本を読むときの最大の興味となる。
 
 
ポスト資本主義の社会を先取りするのは日本?

 結論を大ざっぱに言ってしまえば、その来たるべき新しい社会のモデルを構築する好位置を、今の日本がキープしているということなのである。
 なぜなら、日本は、資本主義のもっとも進化したモデルを戦後にいち早くつくりだし、そのピークを極め、「バブル崩壊」という形で、他国に先駆けてその終焉の形まで予見してしまった。
 だから、日本はその教訓を生かすための “生きたデータ” を持っているということになる。それをうまく生かせば、日本は「ポスト資本主義」の時代をリードするモデル社会を世界に提示できる。
… と水野氏はいう。

 「ただし …」
 と、付け加えることも忘れない。
 それには、今までの資本主義的な “成長神話” の呪縛から解き放たれていることが前提となる。
 だから、現在の安倍政権が進めるアベノミクス的な成長戦略に対して、水野氏は否定的である。
 アベノミクスとは、世界に先駆けて資本主義の限界を知ってしまった日本がその教訓を生かすことなく、バブル崩壊以前の成長神話を復活させようというノスタルジーに過ぎない。
 … と、まぁ、そんなことが書かれているらしい本なのだ (なにせ飛ばし読みだからね)。

 水野氏は、資本主義の終焉を、どのような兆候から探り当てたのか。
 それは、先進国の超低金利状態がずっと続いているという事実からだという。
 日本では、国債利回りが2%以下という状態が16年続いている。
 これは、長期停滞というようなものではなく、「資本主義の終焉」だと氏はいうのだ。
 超低金利というのは、資本を投下しても利潤を得られないという状況を示すものであり、資本を自己増殖させるという資本主義の機能が働かなくなってきたことを意味するのだとか。
 
 
資本主義における「中心」と「周辺」
 
 そもそも、「資本主義」 とはどういうものか。
 これに関しては、この本の「はじめに」という部分で書かれている文章が分かりやすい。
 水野氏はそのなかで、こう書く。

 ―― 資本主義の死期が近づいているのではないか。(その理由を) 端的に言うならば、もはや地球上のどこにもフロンティアが残されていないからです。
 資本主義は「中心」と「周辺」から構成され、「周辺」つまり、いわゆるフロンティアを広げることによって、「中心」が利潤率を高め、資本の自己増殖を推進していくシステムです ――

 ここでいう「周辺」とは、資本主義化されていない世界のことである。
 たとえば、ヨーロッパ列強が大航海時代から帝国主義へ向かう時代に、その植民地となったインドや中南米、アフリカのような地域を指す。
 ヨーロッパの資本主義国家は、このようなエリアを統治し、その安い労働力と安い原材料を利用し、工場で加工した商品に高い価格を付けて、国内マーケットで売り出し、かつ統治している植民地にも売った。
 そのときの安い原材料と高値を付けた商品との落差が、すなわち利潤となる。
 20世紀までは、このようにして北半球の先進国が「中心」となり、「周辺」となる南半球の途上国をマーケットにして資本主義経済を進めていった。

 このように、資本主義経済というのは、まず地理的・空間的な「中心」が、その周りに広がる「周辺」(フロンティア)を飲み込むような形で成長を遂げてきたのだ。

 「しかし…」と、水野氏はいう。

 ―― アフリカのグローバリゼーションが叫ばれている現在、地理的な市場拡大は最終局面に入っていると言っていいでしょう。もう地理的なフロンティアは残っていません ――

 安い労働力と原材料を求めて、東欧、中国、東南アジアと生産拠点を海外に広げて膨張してきた先進国の資本主義も、ついにアフリカまでたどり着き、フロンティアが開拓され尽くすような場所に立ってしまったのだ。

 そうなると、資本主義の延命を図るためには、無理やりにでも新しい「中心」と「周辺」を開拓しなければならなくなる。
 こうして、路線転換を迫られた資本主義諸国が新しく見出したものこそ、それぞれの国家内における「中心」と「周辺」であった。
 その場合の「周辺」とは、最近のアメリカの例をとってみれば、サブプライムローンを組まされた低所得者たちであり、「中心」とは、そこから利潤を得ようとしたNYのウォール街である。
 
 日本の場合は、労働規則の緩和によって生まれた多くの非正規雇用者が「周辺」に追いやられ、そこで浮いた社会保険や福利厚生のコストを利潤に回すことのできた企業が「中心」となった。
 
 つまり、現在の資本主義は、今まで資本主義を成立させていた国境間の差異が解消してしまったため、今度は国家の内側に「中心/周辺」という構図をつくらざるを得なくなったのだ。
 この国家の内側に広がりつつある「中心/周辺」を、今日我々は「格差社会」とか「貧富の差の拡大」などという言葉で表現している。

 しかし、そのような格差社会が広がっていくと、低所得者の不満も蓄積し、かつて自分の生活基盤を支えてくれた資本主義経済に疑問を持つようになる。
 水野氏がいうには、資本主義の終わりを語るときの大事なポイントは、
 「国民の多くが、自分を貧困層に落としてしまうかもしれない資本主義を支持する動機を失ってしまう」 ことだそうだ。

 また同時に、いままで資本主義先進国を支えてきた民主主義も崩壊する。
 なぜかというと、民主主義というのは、経済的にも知的レベルにおいても国民の同質性を保証していた「中間層」が多数存在することで機能してきたからだ。
 現在は、その中間層がものすごい勢いで没落している。
 いま日本の3世帯に1世帯は金融資産ゼロという状況が出現しているらしい。
 その一方で、国民総所得においては一部の富裕層の占める率が、特に90年以降急上昇しているとか。

 このような格差社会が広がれば、やがて貧困問題や失業問題を解決しきれない政府への不信感は蔓延するだろうし、民主主義的な政治運営も齟齬をきたすようになり、自社の利益のみを強欲的に追及する企業への反発心も増長する。
 最近のブラック企業への反感が強まっていたりするのは、その兆候だ。

 けっきょく、それは資本主義そのものの首を絞めることになるのだが、資本主義は、利潤のみをひたすら追い求める機械のような “運動体” なので、盲目的に前に進むしかない。目の前にある草をがむしゃらに食い尽くすだけで、その草原が砂漠に代わろうが、資本主義は知ったことじゃないのだ。
 
 
グローバリズムが資本主義を死に追いやる?

 このような国家の内側に「中心」と「周辺」を生み出していくシステムこそが、水野氏にいわせると「グローバル資本主義」ということになる。
 「グローバル資本主義」というのは、資本が国境を越え、文字通り地球規模で自己増殖していく運動のことを指すが、そのことによって、これまで利潤を生みだしてきた国家間の差異が食いつぶされ、皮肉なことに、地理的な意味での「周辺」を消滅させることになった。

 すでにその兆候は1970年代から現われており、アメリカはそれを乗り切る方法として、「電子・金融空間」を創設するという資本主義の延命策を構築したという。
 ここで生まれたバーチャルなマネーを利用し、BRICSに代表される「新興国市場」の近代化を促進させることで、新たな投資機会を生み出そうと目論んだのだ。
 この目論見は見事に成功し、1990年代以降、アメリカは世界を牛耳る金融帝国として君臨することになる。

 が、2008年のリーマンショックにより、この「電子・金融空間」の不安定さ・脆弱さが露呈したことは周知の事実。
 そもそも、「電子・金融空間」における証券取引などは、100万分の1秒、あるいは1億万分の1秒という超高速で処理されなければ利潤を上げられないらしく、すでにそのこと自体 “人間の世界” を離れてしまったものだとしか言いようがない。
 
 
中国バブルが弾けるとリーマンショック以上の衝撃が世界を走る

 ま、このように、本書では “資本主義の終わりの始まり” が、さまざまな例証によって浮き彫りにされているわけだけど、あと少々、未来予測の好きな人に向けて、本書で指摘された近未来の見通しを紹介する。 

 まず、GDPが約10兆ドルというアメリカと肩を並べる中国が、アメリカの次に覇権国家になるのかどうか、ということ。
 これに関しては、「あり得ない」と水野氏はいう。
 むしろ、その前に中国バブルの崩壊が訪れるとか。

 その理由は、
 ―― 中国は過剰な生産設備という大問題を抱えており、その過剰な生産を消費できるところが世界中にほとんど残っていない。もう需要がないと分かった瞬間に、世界中からの投資が集まった中国のバブルは弾ける ――
 … のだとか。
 
 ―― 現在、中国は日本、韓国、アセアン諸国と領土問題を抱え、関係は悪化するばかり。対アジアの輸出も今後はかげりを見せる。
 そうなった場合、中間層による消費がか細い中国では内需転換することもできない。いずれこの過剰な設備投資は回収不能となり、やがてバブルが崩壊する ―― 

 … というのが、水野氏の予測。
 中国バブルが弾けた場合は、リーマンショックを超える激震が世界中を走り、日本においても相当な数の企業が倒産するだろう、という。
 
 
シェール革命に未来はあるのか

 もうひとつ。
 アメリカにおけるシェールガス/シェールオイルの採掘は、世界のエネルギー事情を好転させることができるのか。
 これに関しても、水野氏は懐疑的。
 確かに、“シェール革命” によって、2020年代にはアメリカは世界最大の石油生産国になると予測する人もいるが、「それはたかだか100年程度の延命にしかならない」という。

 その部分を引用。
 ―― 結局シェール革命も、成長イデオロギーのもとで行われるのならば、いずれ限界を迎える。成長にはエネルギー消費が不可欠となるから、永久エネルギーでも見つけない限り、化石燃料は必ず枯渇する。
 …… (そして) グローバリゼーションのもとで金融帝国化したアメリカは、シェール革命すらも金融化していくだろう。(それは一部の富裕層の資産をうるおすだけで)国民全体に富をもたらすという確証はどこにもない ――

 ちょっと悲観的な話が続いたが、水野氏にいわせると、「成長を前提とするグローバリゼーションの方が、最後は悲惨な結末を迎える」という。
 成長主義は、必然的にバブルを多発する。
 バブルが膨れ上がり、そしてそれが破たんするたびに、商品の需要が減り、設備は過剰となり、工場の稼働率は落ちていく。
 けっきょくそれは、資本主義の終わり方としては、最悪のシナリオとなる。

 それよりも、成長神話の呪縛から解き放たれた “ゼロ成長” こそが、むしろ生産的な志向だという。
 
 
“ゼロ成長” こそ明るい未来

 「ゼロ成長は、マイナス成長と常に誤解される」
 と、水野氏はいう。
 マイナス成長というのは、貧困社会のことをいうが、ゼロ成長は、これからの人類が課題としなければならない人口問題、エネルギー問題、格差問題などに対処していくときの有効な指標となる。
 粗暴な成長主義を求めることの方が、結果的にマイナス成長を引き寄せる。

 …… というのが、「資本主義の終焉」 を論じた本書のひとまずの結論。

 もちろん、資本主義が「終焉」を迎えるはっきりした年代は、誰にも分からない。
 「現在の資本主義は2090年の年末まで有効」
 とか、そんなふうにはっきり出るものじゃないし。
 ま、それに未来予測というのは、必ずしも当たるものではない。
 特に、経済の予測は外れることも多い。

 本書も、“預言書” として読む限り、著者のいう通りにはならないかもしれない。しかし、それでも「モノを考えるときのヒント集」としては、たいへん価値のあるものだと思う。
 
 仮に、資本主義が終わるとしても、その終わり方は誰にも気づかれないだろう。
 たぶん、その「終焉」が訪れた100年後ぐらいに、
 「そういえば、あのとき資本主義が終わっていたんだなぁ … 」
 という “過去の記憶” として、人類はそれを感じるのだと思う。
 
  
関連記事 「超マクロ展望 世界経済の真実」

参考記事 「政府は必ず嘘をつく」

参考記事 「グローバリズムの退屈な風景」

参考記事 「リンクス ラ・ストラーダ (アメリカ経済と世界のキャンピングカーのゆくえ) 」

参考記事 「ピケティの資本主義分析」
 
 
 
 

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