孤独を嫌う時代

 
 なんかの雑誌を読んでいて、「LINEによるいじめ」が増加しているという話を知った。

 LINE ……
 主に、中学生や高校生ぐらいの若者を中心に流行っているSNS(ソーシャルネットサービス)。
 「フェイスブック」も「ツィッター」もカタカナなのに、なんで「LINE」だけアルファベッド表記なんだ? この雑誌 ……。

 ま、そんなことはいいとして、くだんの記事によると、その手の被害に一番遭っているのは中学生ぐらいで、なかには仲間外れを苦にして自殺を図った子もいるという。
 
 どういういじめなのか?
 もちろん誹謗中傷するメッセージを送り続けるというのがひとつ。
 だが、もっと寒々としているのは、完璧なる無視。
 「LINE」では、自分が送ったメッセージを相手が読むと、「既読」というマークがつくことになっている (らしい … LINEを知らんのでイメージが湧かないのだが)、要するに、仲間同士がある一人の子を “いじめ” ようとしたとき、その子からの既読マークを一切無視するというのだ。
 俗に「既読スルー」。
 お前なんか知らねぇよ、ということなんだね。

 もっと残酷なのは、グループ内のいじめの対象者だけに知らせずに、他のメンバーだけでこっそり新しいLINEグループを作り、一人だけ置いてきぼりにすること。
 「置き去り」とかいうらしい。
 
 読んでいて、シンと身体が冷えた。
 こういうことは、これまでもリアル社会でさんざんあったことである。
 なのに、SNSを使ったいじめには、人間が無機的な社会で生き始めたという新次元の冷たさが感じられる。

 リアルコミュニケーションにおいてはニコニコって笑顔を浮かべていても、ネットでは氷の刃を突き付ける。
 どちらが本心か分からないというのが、人間をいちばん不安に陥れる。

 だから、LINE仲間の間では、相手の本心を常に把握していなければならないという強迫観念が生まれ、四六時中スマホを手放せない。
 社会人になって仕事を抱えるようになれば、さすがにしょっちゅうスマホばかり見ているわけにはいかないだろうけれど、仲間以外の「社会」を知らない子供たちは、スマホとのつながりを断たれたら、それは「全世界」から抹殺されたに等しい苦痛となる。

 スマホ依存にハマった子供の場合、平均利用時間は10時間とか。
 中には、「本当はこんなこと嫌なんだけど … 」と思う子も多いだろう。
 でも、いつハブかれるか分からないという不安から、食事中でも、勉強中でも、仲間からの連絡には瞬時に対応していかなければならない。

 一方では、感動と連帯を求めて、アイドルグループなどの応援にかけつけて、コンサート会場で熱気のこもった声援を送る若者たちもいる。
 そういう場では、知らない者同士でも、同じ目的を志向する仲間という一体感を共有できる。
 「元気を与える」
 「勇気をもらう」
 というのが、彼らの大切な標語で、特に2011年の3・11以降、“仲間同士の絆” が人間的な価値の最上位に躍り出た。

 シンと冷えたいじめと、連帯と感動を求める熱狂。
 どちらが若者の真実なのか。
 
 たぶん、それは同じものなのだ。
 根は、同じところに生えている。
 この反対方向を示すような二つのベクトルは、ともに「さびしさを嫌う時代」がやって来たことを物語っている。
  
 一人ぼっちでさびしい状態を、
 「孤独」
 という。

 この言葉は、昔 … どのくらいの昔なのかよく分からないが …、悪い意味ばかりをはらんだ言葉ではなかった。
 確かに、さびしい状態に耐えることは辛い。
 でも、昔はその孤独を「情緒」に変える文化があった。
 一人で、公園に行って空を眺める。
 一人で、喫茶店に入って本を読む。
 さびしいんだけど、他人に煩わされない自分だけの時間が持てる。
 そういう状態は、仲間とダベッているときとはまた違った充実感があったはずだ。

 しかし、どうも今の時代は大人も子供も、「孤独」を極端に嫌う風潮になじみ過ぎている。
 公園を一人で散歩している女の子は、仲間のいない哀れな子。
 公園を一人で散歩している男の子は、何かよからぬことをたくらんでいる変態。
 (犬でも連れてりゃ別だけど)

 喫茶店 … そんなものは街から姿を消して、いまはチェーン店のカフェばかりになってしまったけれど、一人でコーヒーなんか飲んでいると、「よっぽどヒマなんだな」とバカにされるだけ。
 そういう風潮に、マスコミも手を貸す。
 今や独居老人の「孤独死」は、最悪の死に方とされて、社会問題化している。

 「孤独」を嫌う空気が蔓延した社会では、常に誰かとつながっていなければならない。
 だから、SNSでも、リアルでも、常に他人の “言葉” が自分の心のなかに侵入してきて内面化されていく。
 そのため、同じ感動、同じ趣味、同じ嫌悪を共有する人々の輪がつながっていく。
 「本当の自分は、そうでもないんだけど … 」
 というためらいは、ひとまず心の奥に隠しておかなければならない。
 
 それを隠しきれない人は、仲間からは異人種に見られる。
 異人種は仲間の安定を乱すから、いじめられる。
 こういう構造。

 世の中からいじめがなくならないのは、いじめる側からすれば、それが仲間を守るための自衛手段だからだ。
 そして、それは自分を守ることにもなる。

 子供の世界に限ったことではない。
 大人の世界の方が、より緻密な仲間意識を作り上げる。
 仕事が終わった後の、男同士の居酒屋談義。
 ママさんたちがランチを伴にする女子会。
 耳を傾けてみな。
 最後は、いけすかない上司や仲間になびいてこない同僚の悪口。
 みな嬉々として参加するのは、そういう話題。
 そういう話題には、「自分は今この仲間の一員だ」という安堵感が生まれるからだ。

 「多様化の時代」とか「個性の時代」とか、ウソだな。
 個性をぎらつかせた人は、今は嫌悪か嘲笑の対象でしかない。
 それが許されるのは、芸能界だけ。
 だから、みんな一流大学を出ても芸人になりたがる。

 結局、「個性」というのは、商品にならなければ価値がないのだ。
 今の世の中は、そういう仕組みになっている。
 タレントもアーティストも、自分の「個性」を買ってもらうためには、数多くの “無個性” の人で埋まったマーケットが必要なのだ。

 今の世の中では、消費者の「個性」など求められていない。
 しかし、それは、無個性の消費者が悪いわけではなく、効率優先と均質化を促進してきた資本主義社会の結果なのだ。
 
 だから、現在の消費社会は「孤独」を目の敵(かたき)にする。
 孤独な人間の価値観が、大量生産・大量消費の成立を危うくするかもしれないという恐れがあるからだ。

 しかし、「孤独」は人に耐性を与える。
 自分一人で全世界を相手にしなければならないという覚悟は、人を強くする。
 なのに、今それが忌み嫌われている。
 現代人は弱くなっているのだ。
 
 

カテゴリー: コラム&エッセイ   パーマリンク

孤独を嫌う時代 への4件のコメント

  1. solocaravan より:

    わたしも一人でトレーラーなどを引っ張って旅をしていますが、当初は人目がやけに気になりましたが、今ではすっかり慣れてしまい、どこにいくのも、どこに泊るのも平気です。そればかりか、ソロトレーラー旅の味わい深さのようなものもわかる気がしてきました。孤独にたいする耐性ができてきたのでしょうか。いっぽうで今はやりのSNSの類もやっていますが、ご指摘のような不安感というのもたしかにあると思います。

    周囲に同調ばかりしていれば自己を見失うし、自己主張ばかりでは周囲に見放されるし、夏目漱石ではありませんが、とかくに人の世は住みにくいと思ってしまいます。実践はむずかしいのですが、心構えとしては「他者とともに、しかし孤独に」という二面作戦で臨むことでしょうか。

    • 町田 より:

      >solocarvan さん、ようこそ
      素晴らしいですね、ソロトレーラー旅。
      私も、プライベートではキャンピングカーの夫婦2人旅をしていますけれど、仕事で使うときはソロが多く、車内で一人で酒飲んだりすることを楽しんでいます。一人旅はそれなりに味わいが深いし、けっこう日頃考えたこともないような企画とかアイデアが浮かんできたりして、いい時間の過ごし方ができます。

      コメントにお書きになられた末尾のフレーズ、
      >> 「他者とともに、しかし孤独に」
      というのは名言だと思いました。
      >> 「周囲に同調ばかりしていれば自己を見失うし、自己主張ばかりでは周囲に見放される」
      本当にその通りですね。
      その二つのバランスを取りながら、歩んでいけることが、「人間としての成熟」であるかのような気もします。
       

  2. タイムジャンクション より:

    ネット関連は便利ですけど、その前に『自分』てものを信じられなくさせているような道具になりつつありますね。もし、3.11以上の自然災害でネット関連が使えなくなったら・・・今の若者はどうするのでしょうね!? 18歳以下に携帯できるスマートフォン不要にも感じます。若者はなんでも検索できるから(しかし、ネットの情報は正しいとは限らないですし)とアナログの紙の辞書すら馬鹿にしていますが、意味の前後関係も大事です。LINEのようなグループも作りも各自に目に見えない脅迫観念でつながれているように思います。

    • 町田 より:

      >タイムジャンクションさん、ようこそ
      おっしゃるとおりですね。デジタル情報はその速報性がアナログにない魅力となっていますが、アナログ情報は中心となった情報の周辺に、必ずそれに付随する多方面の情報が散らばっています。それが、大事だということですよね。

      現代社会は効率優先の世界だから、必要最小限の情報さえ得られれば、それで仕事も私生活も支障なく展開していきますが、その分 “豊かさ” も切り捨てているように思えます。
      “豊かさ” というのは、ある意味 「無駄」 なところに隠れているような気もします。
      たとえば、ネットの検索でひとつの情報を探すと、けっきょくそのキーワードの解説しか手に入りませんが、本屋に行って参考書を探すと、必要としている知識以外のことも発見します。お目当ての本を探すついでに、つい隣の本に手を出して、「あ、こんな本もあるんだ」 と気づいたりするというような意味ですね。
      それは本来の目的からすると “無駄な行為” なんですけど、そういう小さな無駄の蓄積が、“豊かさ” なんじゃないかな … などと思っている次第です。

      コメントありがとうございます。
      タイムジャンクションさんのコメントに刺激され、ついそんなことを考えてしまいました。
      返信が遅れて、申し訳ございません。

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