猫の正体

 
 テレビニュースを観ていたら、和歌山電鉄貴志川線の駅長「たま」を目当てに訪れる海外からの観光客が増加の一途をたどっている、というトピックスが紹介されていた。
 多いのは、香港および台湾の人たち。
 その人たちのおかげで、この半年間の観光客は240%も増加したという。

 ふぅ~ん ……
 たかが猫一匹にすぎないのだけど、バカにしたもんじゃないなぁ。
 
 これが、犬の “駅長さん” だったらどうなのだろう。
 犬は律儀に役目をこなしそうだから、なんだか当たり前すぎて面白みに欠ける。
 「あの、役にたちそうもない猫が ??? 」
 … というところがインパクトになるんだろう。

 自分はもうずっと犬を飼っているのだけれど、最近なんだか猫に関心が移っている。
 そのせいか、猫ブームの気配が押し寄せてくるのをひしひしと感じる。
 テレビを観ていても、猫CMやら猫ドキュメントがやたら目につくのだ。
 
 NHK BSプレミアムで放映されている 『岩合光昭の世界ネコ歩き』 は、もうずっと続いている人気番組だ。

 若いときの岩合さんは、世界の海や山に棲む動物のリアル映像を求めて九死に一生を得るような冒険をさんざんし尽くしてきた。

 昔、この人の談話をまとめる仕事を 半年ほどやったことがあるが、
 「山の中でクマに出会って、夢中になってファインダーを覗いていたら、突然ファインダーからクマが消えた。気づくと自分の3m先まで突進していた」
 … みたいな本当に手に汗握るスリリングな話ばっかりだった。

 その人が円熟期に入って、ようやくたどり着いたテーマが「ネコ」。
 ライオンやら、チーターやら、毒蛇やらをさんざん追いかけ回していた岩合さんが、いま夢中になっているのが猫というのも、なんだか分かるような気もする。
 もしかして、現代社会を生きる人間たちは、猫を見ることで今までとは違った世界を覗き始めたのではないか?

 人間はいったい猫のどこに惹かれるのか?

 多くの猫派は、「人に媚びないところがいい」という。
 主人がどんなピンチに陥っても、“われ関せず”。
 一人で勝手に散歩に行き、気ままに外で遊び暮らし、腹が空いたときだけ、猫なで声で近づいてくる。

 そういうときの猫は、本当にエロティックだ。
 官能的ですらある。
 
 「惚れた女が、さんざん浮気をしたあげく、ようやく俺の元に帰ってきた」
 猫にエサをねだられる飼い主は、そういう心境になるんじゃないかな。 

 猫好きな人は、そういう猫キャラを 「優雅」「独立」「自由」「個性」などという言葉と結びつけるらしい。
 自分も猫に惹かれるのは、そういう猫の身勝手さが面白いからだ。
 「何を考えているのか、よく分からない」
 猫の魅力って、けっきょくその一語に尽きる。

 犬は、何を考えているのか、手に取るように分かる。
 特に、うちの犬を見ていると、頭の中に去来している想念がレントゲン写真のように透けて見える。
 「何か食いたい ! 」
 「散歩にでも行かねぇか?」

 その二つの間に中間的な欲望というものがなく、二つだけが突出して、その間で濃淡を形成するグラーデーションというものがない。
 「白」か「黒」 かがはっきりしているのだ。

 その点、猫の心は全体がグレーゾーンだ。
 黒白がはっきりせず、灰色のトーンが微妙な濃淡をつくって、流れるように動いている。
 それは人間から見ると、妖しく、美しくも謎を秘めた世界だ。
 
 この猫の “取りとめのなさ” というのは、猫学者によると、猫が野性を捨てずに、そのまま温存しているからだという。
 たとえ飼い猫であっても、猫はぜったい100%家畜化しない。
 猫は、自分の中に野性の魂を潜ませながら、野生動物の目で人間を観察しているというのだ。

 だから人類が大災害に見舞われ、猫にエサを与える余裕すらなくなったときには、猫はさっさと飼い主の元を離れ、自分一人でエサを探すための放浪の旅に出る。
 つまり、人間から見て「不思議」と思える猫の行動パターンというのは、すべて「荒野の放浪」に備えて猫が温存している「野性」から来るものなのだ。

 これを、言葉を変えていうと、猫は自分の身体の中に「自然」を宿しているという言い方もできる。
 人間社会のルールが通じない広大な「自然」。
 文明が届かない神秘的な「自然」。
 猫は、それをあの体長わずか75~76cmという小さな身体の中に潜ませているのだ。

 こいつは凄いことでねぇの !!
 なにもアフリカのサバンナに行かなくても、インドの密林に行かなくても、我々は庭を横切る猫の姿に、遠大なる自然を見ることができるのだ。

 文明生活に生きる現代人が、猫に惹かれ始めたのは、みな無意識のうちに、「猫がまき散らす自然の空気」を清涼飲料水のように好ましく感じるようになったからではないか?
 逆にいえば、それだけ現代社会は、自然から遠ざかったストレス社会になっているということだ。

 「自然」とは何か?
 それは、先の見えないもののことをいう。
 「文明」が、未来を計算することで発展してきたとしたら、自然は逆に未来を不透明なものにする。
 しかし、その不安定さと引き換えに、人間は、いまだ何ものにも支配されていない「自由」を手に入れることができるのだ。 

 そもそも、「未来」とか「過去」とかいっても、それは人間だけが勝手に考えていること。
 何万年も風雪に耐えてきた山や岩や、子孫だけせっせと作って早死にしていく野ネズミたちに、「未来」も「過去」もない。 

 では、「自由」って何?

 これも答は簡単。
 それは先の見えない状態のこと。
 現代人は、「先が見えないことの不安」 に耐え切れず、自分の将来を保証するための階段を築き上げることで「自由」を放棄し、その挙句ストレスを抱え込んでしまった。

 でも、「今さら自然には戻れない」
 「自由なんか要らないから、将来の安定が欲しい」
 ま、それがフツーの人間の心理。

 多くの人が抱える、そういうやるせない心境が、今日の猫ブームを引き寄せているのではあるまいか?
 つまり、せめて猫を眺めることで、失われた「自由」と「自然」の空気をちょっぴり嗅いでみたい …… 。

 猫ブームの背景には、そういう現代人の心の変化が表れているように思えるんですけどね。

▼ 現代文明の最先端エリアである高速道路のSAで生き抜く猫たち (昨年淡路島SAで撮影)

 
 
参考記事 「猫の表情」
 
参考記事 「人生はニャンとかなる !」

参考記事 「お猫様の時代」
  
 

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猫の正体 への2件のコメント

  1. クボトモ より:

    町田さんご無沙汰しております。
    私は家族が犬・猫ともにアレルギーを持っているため飼えませんが、
    自分は圧倒的に猫派です。(犬もかわいいのですけどね)
    まさに野生が残されているその行動が素敵だなと思います。

    妻の実家にいた猫の話です。その猫は16年前、
    生まれたばかりの我が娘のベッドを毎日確認しに来るようになりました。
    その後、娘が実家に行くたびにそばについて回るのが当たり前になりました。
    歩けるようになった娘が外に出ると、そっと寄り添いガードします。
    犬のそれとは明らかに違う、雌ライオンが子供に付いているような距離感です。
    その時始めて、猫は威厳のある動物なんだなと感じたものです。

    先日話題になったこの動画、これを見て実家の猫を思い出していました。
    野生の本能は躊躇したりしないものなのですね。
    http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00268636.html #FNN

    • 町田 より:

      >クボトモさん、ようこそ
      リンクを張っていただいたFNNのニュースを非常に興味深く読みました。
      いい話ですね。
      猫は、人間に対して “われ関せず” の態度をとり続けるように思われがちですが、それは猫が 「恩知らず」 というわけではないのですね。
      そのことを、クボトモさんの奥様の実家のエピソードからうかがうことができました。

      よく動物番組で報道されることですが、ライオンだって、人間の愛情を受けて育てられれば人間を身内のように思うようです。
      今回のFNNのニュースもそのことを実証しているように思いました。ご紹介ありがとうございます。
       

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