穂村弘の「読書日記」はいい

   
 『週刊文春』の連載で、今いちばん楽しみにしているのは、短歌作家である穂村弘(ほむら・ひろし)の『私の読書日記』である。
 このコーナーは4人の物書きが週替わりに担当するので、穂村さんの文章に出合えるのは4週間に1回でしかない。
 だけど、今の自分の生理にいちばん合っている文章を書く人となると、やはり自分はこの穂村氏を挙げたい。


 
 彼の文章の何に惹かれるのか。
 有名な短歌がある。

 「酔ってるの? あたしが誰かわかってる?」
 「ブーフーウーのウーじゃないかな」
  (※ ブー、フー、ウーはオオカミと戦う3匹の子ブタの名前)

 こういう短歌をつくる人である。
 だから、この人がピックアップする本も少し変わっている。
 他の書評陣が、まじめに文学や社会学、哲学などの本を取り上げるのに対し、穂村弘が取り上げる本は、漫画、童話、写真集など多岐にわたっている。
 だけど、みな独特の視点に貫かれていて、いつも読んでいてハッとする。
 
 彼のとらえている世界を紹介するためには、ある程度長い引用にならざるを得ない。
 要約するのが難しいのだ。
 理屈っぽい話ならすぐに要約できる。
 理屈をこねるということは、物事を抽象化することだから、その内容はごく短い言葉に翻訳することができる。

 しかし、穂村弘の読書日記は、書物の中の要約できない部分を見つめている。
 つまり、人間が生きていくときに遭遇する出来事の中から、抽象化できないものを拾っているのだ。

 たとえば週刊文春2月20日号の読書日記は、こんな調子。

 ―― 『スバらしいバス』(平田俊子 幻戯書房)を読む。
 バス好きの著者がさまざまな路線のバスに乗りまくるエッセイ集である。
 この本の「あとがき」には、小学校低学年の女の子たちのエピソードが記されている。

 (以下は平田氏のオリジナル文)
 「二人は並んで(バスに)腰掛けて仲良くおしゃべりをしていたが、いくらも乗らないうちに降車ボタンを押して降りていった。
 窓から見ていると、二人はかたわらの歩道をバスの進行方向に走り出した。笑いながら、バスと競争するように。
 この子たち、もしかして …… 。
 ある予感がして二人を目で追いかけた。
 環七は混んでいて、バスはのろのろ運転だ。女の子たちは歩道を走り続ける。
 次のバス停でバスがとまると、思った通り、その子たちは息を切らして、また乗り込んできた」

 著者の平田俊子さんの「あとがき」から、この小学生の女の子たちのエピソードを拾い出した穂村弘の感性は鋭いと思う。
 まったく何の変哲もない、ほとんどの人が見逃してしまうようなエピソードなのだ。
 しかし、この光景を目にした平田俊子が感じたものを穂村弘も理解し、著者の視点に共感している様子がびんびんと伝わってくる。
 
 作者の平田俊子は、小学生の女の子たちを突拍子もない行動をとらせるバスという乗り物の不思議さを見抜き、評者の穂村弘はその女の子たちが “この世の秩序” の外に出たことを見逃していない。
 穂村氏は、その子たち評して、「二人の行動は健全でも合理的でもない。でも、純粋な遊びの塊のような “この子たち” は、はた迷惑な天使のように輝いている」と語る。

 同じ平田俊子の『スバらしいバス』という本から、穂村弘は次のような文章も拾っている。

 ―― 「なまぬるい風が吹く夏の夜だった。中野駅の近くで用事をすませたあと、家まで歩いて帰ろうとしていた。
 夜の九時を少し過ぎていた。駅の北口を歩きながらバスターミナルをふと見ると『江古田の森』いきのバスが停まっていた。
 江古田に森なんかあったっけ? フォンテンブローの森とかシャーウッドの森みたいなものが江古田にあるんだろうか」

 こんな疑問に取り憑かれた「わたし(平田俊子)」は、このバスに吸い込まれるように乗ってしまう。夜九時過ぎに、女性が一人で、「江古田の森」という言葉に惹かれて。
 その行為は健全でも合理的でもない。でも、だからこそ面白い。そんな「わたし」の心理を異次元への憧れといったら大袈裟だろうか。世界の裏側か隙間にふっと紛れてしまいたいというような感覚かもしれない。

 その気分を味わうには、電車よりも車よりもバスがいい、というのはわかる気がする。どこに連れて行かれるのかわからないバスに乗って、うねうねと道を曲がりながら、未知の風景を眺めるときめき、その間の「わたし」は、世界の健全性や合理性の網の目から解き放たれているのだ。
 (以上引用終わり)

 穂村弘という歌人は、日常生活のなかにふっと現われるエアポケットのような時間と空間を見つけ出すのがうまい人なのだ。
  
 アル中と戦う漫画家の吾妻ひでおの作品に接したときの印象(文春2014年 1月16日号)を、穂村氏はこう書く。

―― 「真夜中に近所のローソンで、珈琲と牛乳とタイカレーの缶詰と『失踪日記2アル中病棟』(吾妻ひでお)を買ってしまった。
 吾妻ひでおの過去の作品を知っている読者なら、そりゃ面白いに決まっていると思うのだ。
 この作品には電気ポットが突然話しかけてきて一晩中説教されるとか、衝撃的なエピソードがごろごろ出てくる。
 でも、いちばん印象に残ったのは、ごく普通の町角の、奇妙に丁寧に描き込まれた景色だ。その中に立った主人公の口からこんな言葉が飛び出す。

 『素面(しらふ)って不思議だ … 』
 
 えっ、と思う。一般的な常識では『素面』の方が普通だろう。
 でも、アルコールに慣れた脳には『素面』の世界が不思議に感じられるのか。丁寧に描かれた日常風景の中で、こう云われると、なんだかこちらの現実感までぐらぐらしてくる。世界のリアリティのレベルが、実はまったく便宜的なものだってことが直観されるのだ。
 また別のシーンでは、風が『ひゅううう』と吹いている夜の雑踏を背景にして道に迷った主人公がつぶやく。

 『たとえ地図があっても俺は目的地にはたどり着けない … 』

 家族や、友達や、忘年会や、バースデイパーティーや、健康や、長生きで構成される合意された現実を放棄して、自分にとってのリアリティの最深部にたどり着きたいっていう思いは、潜在的には多くの人の中にあるんじゃないか」
 (以上引用終わり)

 自分のアル中の苦しみを笑いに変えて、読者を楽しませる吾妻ひでおの漫画から、特に「素面ってすごい」という言葉をつかみだしたのは、さすが歌人だと思わざるを得ない。

 “ふつうの人” が見逃すような日常性の裏にひっそりとたたずむ世界。
 つまり、穂村弘がいうところの「合理的でも健全でもない」世界へ視線が向かってしまうことは、もう歌人(詩人)の宿命なのだ。
 世間では、たわいもなく「感動して、元気をもらい、号泣してしまう」人たちがメジャーだというのに、穂村氏はこっそりとそれに背を向ける。

 松田青子作・ひろせべに画という『なんでそんなことするの?』(福音館書店)という童話に関する書評 (2014年5月1日号)は、そのことについて触れている。

 作品のなかで、主人公の男の子を取り巻く友だちたちは、次々とこんなことをいう。
 
 「トキオくん、変だよ。そんなぬいぐるみを持っているなんておかしいよ。それは女の子のもんなんだよ」
 「ぼくたち男なんだから、ぬいぐるみを持っているのはおかしいよ。ぼくのお父さんも言っていたよ。それはおかしいって」
 「あとさ、そのきたないぬいぐるみにバイキンがついてたらどうするの? クラスみんながバイキンに感染しちゃうかもよ。セキニンとれるの? トキオくん。ぼく、トキオくんのことを思って言っているんだよ。これはユウジョウだよ」

 童話のなかで繰り広げられる “トキオ君の友だち” たちのセリフを読んで、穂村弘は自分が言われているかのように苦しくなってくる。
 そして、こう書く。

 ―― 「ふつう」との戦いは、「悪」との戦いよりもずっと厳しい。「ふつう」との戦いにおいては、いつの間にか、こちらが 「悪」にされてしまうからだ。特に一人で多数の「ふつう」と戦うのは恐ろしい。

 「ふつう」でないことにを見つめたときの衝撃。そこから想像力を働かして、未知のものへと接近していくときの面白さを、穂村氏は上手に描く。
 『やっぱり月帰るわ、私、』(インベカオリ★ 赤々舎)という写真集への書評にそれを見ることができる。

 (以下引用)
 ―― (この写真集には)やばそうなオーラをまとった女性たちの写真が沢山収められている。事故に遭いそうな、事件に巻き込まれそうな、何かしでかしそうな、彼女たち一人一人の佇まいに目が釘付けなる。

  「高橋一紀に告ぐ
  私は漫画家になりました。 
  電話に出ろ !! 」

 こんな看板を高々と頭上に掲げてアスファルトの路面に立つノースリーブ&ハイヒールの女性がいた。
 タイトルは『人の道』。
 「告ぐ」と「出ろ !! 」の間に挟まれた「なりました」の丁寧語がたまらない感じだ。ちなみに看板は手書きではない。
 うーん、と思う。
 いったいどんな事情があるんだろう。高橋一紀という人が、おまえが漫画家になったら電話に出てやるよ、とでも約束したのだろうか。何がなんだかわからない。ただわかるのは、この女性の思いがとんでもなく濃いってことだ。
 (以上引用終わり)

 ここで大事なことは、穂村氏が「何がなんだかわからない」と言っていることだ。
 これは、意味不明のものに遭遇して、思考停止になったことを意味しているのではない。
 そうではなく、この言葉は、むしろ思考が活発に動き出していることを伝えている。
 それを「好奇心」という言葉に置き換えてもいいのかもしれない。
 
 穂村は、ここで “リアルなもの” に触れたのだ。
 リアルなものに触れるとは、それまでの経験からは理解できないような “真実” をまのあたりにすることだ。

 人間は、身の回りのものを何でも見ているように思い込んでいるが、実は自分の理解できるものしか見ていない。
 理解できないものは、感覚器官としての目では捉えていても、脳がそれを把握していない。

 穂村氏の “脳” は、「告ぐ」と「出ろ !! 」の間に横たわる 「なりました」という丁寧語の不条理を察知したのだ。
 彼は、そこに「謎」を発見したといっていい。
 (上のようなことは、かつてつげ義春をテーマにしたときの記事として書いた = つげ義春が追いかけた “リアル” なもの

 つまりは、「謎」を見出したときに、穂村弘の感性はヴィヴィッドに働くらしい。
 まさに、「謎」こそ詩の本質であるかのように。

 だから、彼は『オーブラウンの少女』(深緑野分 東京創元社)の書評欄(2014年3月27日号)で、こんなことを書く。

 ―― 優れたミステリーには、現実的な論理で説明できるとは思えないような謎が鮮やかに解かれる快感がある。
 だが、本作の場合、それで終わりにはならない。
 一つの謎が解かれることによって、世界とそこに存在する人間に関するさらに深い謎が生まれている。
 我々が生きているのはこんなにもとんでもない場所だったのか、という驚き。本を閉じた後も、底知れない生の深みにくらくらするような感覚が残る。
 自分が惹かれるミステリーはどれも皆、同様の構造をもっていることに改めて気づかされた。一つ目の謎が解かれても、二つ目の謎は永遠に残される。
 このタイプの永遠の謎を秘めた作品が、私には「ミステリーの姿をした詩」のように思えるのだ。
 ミステリーと詩とは双子なんじゃないか。
 (以上引用終わり)

 この穂村弘の文章を読んで、私は自分が日ごろから言いたかったことがプロの手によって、簡潔に、そして鮮やかに描き出されていると思った。
 だから、この人の書評が読める『週刊文春』は、貴重な雑誌なのだ。
 
 

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穂村弘の「読書日記」はいい への6件のコメント

  1. スパンキー より:

    この欄とは関係ないのですが、昨日パソコンのファイルを整理していたら、なんと町田さんの小説「笑う女豹」が出てきまして、思わず読んでしまいました。なんで私のパソコンにあるのか忘れましたがね。
    思うにこの短編は、町田さんの40代のときの作品と思います。結構面白くて、若々しくてエロくてミステリーっぽさもあり。楽しませてもらいました。

    で、誕生日おめでとうございます! 確か今日だったよね?
    唐突にこの場をお借りしました。

    では、またキャンプで会いましょう!

    • 町田 より:

      >スパンキーさん、ようこそ
      ありとうございました。
      この4月で、いよいよ60歳代も半ばが近づいてきました。
      歳をとっちゃうと、一つの行動を起こす前にそうとう気合が必要になりますね。
      ありがたいコメントだと思いつつ、お返事を返すのにもすぐ行動に移れなくて、つい一息ついてしまったりします。

      『笑う女豹』 は、かつて自動車メーカーのPR雑誌で「カッコいい男のクルマ」 という特集記事を書くときに、参考文献としてホードボイルド小説の研究をしていて、文献を読み込んでいるうちに、つい自分でも書いてみたくなってしまった小説です。

      最初、ハードボイルド風の官能小説を書いてみたいと思っていたのですが、場面が分断されちゃう感じで、官能的な部分は後ろの部分だけ残して、あとはばっさり切りました。
      仕事の合間にちょこちょこと書いていたものだから、つたないところも多々あり、恥ずかしい限りです。
      それでも、過分なご評価をいただき、恐縮です。

      いずれご一緒にキャンプでもしたときに、今度はスパンキーさんの小説のお話などもゆっくりおうかがいしたいと思います。
       

  2. Sora より:

    久々に、商売を離れた硬いテーマになりましたね。するとスパンキーさんと私が微妙に反応する(笑)。

    ものすごく興味深いテーマだと思います。人間の異次元の心理部分、説明がつけにくいため空白という面、町田さんが惹きつけられやまない(のだと思いますが)このコアの部分を、今回は穂村弘さん(知りませんでしたが)の書評視点を援用して、より深く展開されたと思います。感心します。
    多分、我々には生きていく中で個別の事情があって、それは本音に根差すのでしょうが、その事情を明確に認識したり開陳することは何らかの理由で、普段はばかれている。それは客観的にみると失笑ものであったり、突き付けられると身につまされたりして、心が揺さぶられる部分。
    隠れているがゆえに示唆されるとリアル感を持って感じられる部分の表現は、エッセーとか短歌とか短い隠喩形式の文章、ないしは陳述を省いた漫画になる、ということでしょうか。
    私、個人としてはこの異次元の部分を、骨太の小説として読みたいと思いますが、それは矛盾かもしれないですね。

    今度また、個別具体的に取り上げてください。私は家に居れば、また反応すると思いますので(笑)。

    • 町田 より:

      >Sora さん、ようこそ
      久しぶりに、Sora さんの硬派のコメントを拝読。いつもながらの鋭いご指摘を堪能いたしました。
      >> 「説明がつけにくい空白の部分」というのは、本や映画、アートなどを観るときに昔から自分の気になるところで、この手のものを書くと必ず同じテーマになってしまいますね。
      すいません、そこがあまり器用じゃなくて。

      >> 「我々には生きていく中で個別の事情があって、…その事情を明確に認識したり開陳したりすことは何らかの理由で、普段ははばかられる。それは客観的にみると失笑ものであったり、突き付けられると身につまされる」
       
      おっしゃるとおりですね。
      まさに、穂村弘さんという方は、短歌のような短い隠喩形式の文章を書きつづられて来られた中で、その “失笑ものであったり、身につまされたり” するものの本質を眺めて来られたような気もします。

      穂村さんの書評で、いがらしみきおの 『 i ( アイ) 』 という漫画が紹介されていたことがあります。
      そこでは、こんなことが書かれていました。

      ――  本屋で『 i アイ』 (いがらしみきお)の3巻を発見。帯に「全3巻にて完結」と記されていてビビる。
       だって、この中で追求されているテーマって、命とは何か、存在とは何か、そして神とは何か。
       そんなとんでもない話が、いったいどう完結するというのか。
       命や神の問題は、本当は人間にとって最大の関心事なのだ。
       でも、とても歯が立たない。だから大人になるにつれて、人は恋愛やスポーツや料理や旅や洋服に関心を移す。それらを鏡のように使って、命や神の姿をうっすらと映すのだ。
       でも、この作者は違う。命を、神を、ぎんぎん直視している。
       (以上引用終わり)

       つまり、人が普段はなんらかの理由で、心の中に隠蔽している 「失笑もの」 であったり、「身につまされる」ものというのは、案外根を掘り下げてみると、このようなテーマに結びついているものではないかという気がしているのです。
       だけど、そんな神とか命なんて問題は、穂村さんじゃないけど普通の人間には歯が立たない。
       だから、「失笑する」 ことで逃げている。
       
       自分が、文学や映画の「空白」の部分を気にするのも、もしかしたら、その先に、“普通の人間には歯が立たない” ものの感触を探ろうとしているのかもしれません。
       

  3. 田中昭市 より:

    夜の八時、高台にある近所の公園に犬と行く。
    5kmほど離れた市街地にポツンと立つ高層マンションとその周辺の住宅街の明かり。
    夜空には満月とオリオン座と名前を知らないたくさんの星。
    理由はわからないのですが毎回このシチュエーションで自分は宇宙にいると感じます。
    「失笑もの」でしょ?
    でも、自信を持って「失笑もの」をもっと突き詰めてみようと思いました。
    「失笑もの」っていいなと思います。

    • 町田 より:

      >田中昭市さん、ようこそ
      とても素晴らしいコメントですね。
      田中さんが見ている場所には、自分は行ったことがないにもかかわらず、文面から、もし同じ場所に立ったのなら、私も “自分は宇宙にいる” と実感できそうな空気が伝わってきました。

      思い出せば、まだ自分が幼かった頃、それこそ 「満月やオリオン座や、その他名前も知らないような星々」 を眺めたとき、広大な宇宙の広がりに、畏れ (おそれ) に近い驚愕を感じたような記憶があります。

      大人になると、その“畏れ” も遠のいていき、「自分も宇宙の中にいる」 という感覚は失笑ものとして退けてしまうようになりましたが、大人になってからもその感覚を失わない田中さんは素晴らしいですね。
      日々、お仕事の合間にいろいろなご本も読まれて、感性を磨いていらっしゃるからでしょう。
      コメントありがとうございました。
       

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