冷たいバラード

 
トラッドロック夜話 15

 「櫛(くし)を拾うと、つき合っている人と別れることになると、昔の人はよく言ったわ」
 
 そう言って、女は喫茶店のシートに置き忘れられた誰かの櫛を、そっと自分のバッグにしまい込んだ。

 半月形の古風な木の櫛だった。
 アメ色に染まって、べっ甲のようにも見える。
 若い人が使うものとは思えない。
 えり足のきれいな、和服の女性が使うとサマになりそうだった。
 
 しかし、
 「別れることになる」
 という彼女の言葉と、見知らぬ人間の使い込んだ櫛の “不吉な” 色合いが、すでに何かの符号となって、僕の心をむしばんでいる。
 
 「そんな縁起でもないもの、捨ててしまえばいいのに」
 
 そう言えばいいのだろうけれど、なぜか、その言葉が口から出ない。
 すでに、僕は覚悟を決めていたのだと思う。
 
 女が「別れることになる櫛」を拾い、自分のバッグにしまった。
 これほど、強烈な “別れのメッセージ” がほかにあろうか。
 
 その予兆は、いつからあったのだろう。
 もしかしたら、僕が就職活動を始めた頃からだったのかもしれない。

 いろいろな会社の面接を受けるために、僕が肩ぐらいまであった長髪を切った。
 それを見て、
 「まるで、『いちご白書よもう一度』 の歌みたい」
 と、女は笑った。

 その笑いに、シレっとした侮蔑の感情がこもっていたことを、僕は嫌な感じに受け取った。
 言外に、“それがあなたの限界” というメッセージが含まれていたことを、僕は見逃さなかった。

 『いちご白書よもう一度』の歌に出てくる男は、就職が決まると同時に、無精ヒゲと長髪を切り、「もう若くないさ」と言い訳する。
 学生運動が衰退していく時代に、過去を精算していく若者の気持ちをほろ苦い甘さで包んだ曲だ。

 「気持ち悪い」
 その歌がはやったとき、女はそうつぶやいた。
 彼女は、その歌の歌詞に潜む安易な自己憐憫を憎んだのだろう。
 その気持ちはなんとなく理解できた。

 だが、いつのまにか僕は、その歌の主人公と同じことをしていた。

 「大企業と癒着した大学の経営方針には大いに問題がある」
 などと学内で議論していたくせに、就活の時期が来たときには、僕はなりふり構わず大手といわれる会社ばかり狙った。
 それを彼女から笑われて、僕は自分がただの “小者” であることを自覚した。

 高校の先輩と後輩。
 彼女との仲は、最初はそれだけの間柄だった。
 僕はレギュラーも取れないバスケットボール部にいて、彼女はそのマネージャーだった。

 普通は、レギュラーメンバーの方がモテる。
 しかし、彼女はなぜか、練習中も目立たず、試合のときもベンチで声を上げるだけの僕を選んだ。

 僕は、そんな彼女に負い目があったため、劣等感を克服するために大学に入ってからは、政治・思想を勉強する道に進んだ。
  
 ちょうど学生運動が激しくなり始めた頃だった。
 彼女は、いつのまにか私と一緒にデモに参加するようになり、同じ隊列のなかで、肩を寄せ合いながら腕を組むこともあった。

 僕たちは、デモのない日は学校の図書館でいっしょに本を開き、夕暮れの公園を散歩し、ビートルズのバラードをハモッた。

 『 Do You Want to Know A Secret 』
 『 Nowhere Man 』
 『 This Boy 』
 『 If I Fell 』

 小さい頃からピアノを習っていたという彼女は、ビートルズ独特の6度のハーモニーをつけるのがうまかった。

 「労働者の時代って、来るのかしら」
 デモ隊の前でアジ演説をしている運動家たちの話を思い出し、夜の公園のベンチに座って、空を見上げた彼女が、そう尋ねる。

 「さぁな。でも、資本主義の運命はもう定まったようなものだ。これからは、搾取と不平等がない時代がやってくるはずだ。 … 理屈ではね」
 僕は、運動家たちのしゃべっていたメッセージを思い出しながら、聞きかじりの思想を自信たっぷりにいう。

 「そうね。これからの時代のことを、もっと勉強しないとね」
 彼女の首が、僕の肩に寄せられる。

 そういう時代があっという間に過ぎて、今はもう社会人となった僕たち 2人が、こうして向かい合っている。

 彼女は、今では肩パッドの入った黒のスーツが似合う女になっている。
 小さいながらも、広告代理店に勤め、自分の企画したものが認められ、大手クライアントがつくようになったという。

 その頃から、彼女の生き方が変わったように見えた。
 「尖ってきた」というのだろうか。
 着るものにせよ、身につけるアクセサリーにせよ、ドラマに出てくるヒロインのように輝き始めたのだ。

 「クルマを買ったわ」
 と、ある日いわれた。
 
 「どんなクルマ ? 」
 「中古。 … 安かったの。でも赤くて可愛いのよ」

 「クルマなんか興味がなかったくせに」
 「今、それで深夜の首都高を飛ばすのが面白いわ」

 「あそこには、かなり怖いカーブがいくつもあるよ」
 「そういうのを走り抜けたとき、“自分に勝った” と思うの」
 
 僕は、そのとき自分のクルマをまだ持っていなかった。
 だから、じっと聞いているしかなかった。
 僕の心のなかで、どんどん知らない彼女が育っていっていくような気がした。

 一度、ドライブに誘われた。
 待ち合わせ場所に来た彼女は、まったく「見知らぬ女」に見えた。
 雑誌のグラビア広告に出てくるモデルのようだったのだ。
 

 「さぁ、乗って」
 声に挑むような響きがある。
 目が笑っていなかった。
  
 「私、いますごく孤独」
 ちょっと前だったか、彼女がそんなことを話したことがあった。
 
 「孤独って ? 」
 
 「誰も助けてくれないの。最初は50万円とか100万円ぐらいのプロジェクトだったのに、いま私が抱えているのは、もうその10倍くらいになっているの。
 うちの社長に言われたことがあるわ。
 新人のくせに一番の稼ぎがしらだって。
 でも、企画のことで困ったことが出てきても、誰も相談に応じてくれないのよ。
 みんなライバル同士だったのね。
 上司だって、すきあらば、自分が思いついたもののようにアイデアをかっさらっていくし … 。そのことに気づくのが遅かったわ」

 そのときの彼女は、暗い草原で牙を向く狼に見えた。
 だが、いま目の前にいる彼女は、そんなふうには見えない。
 眠そうな目をしばたかせて、生あくびを噛み殺し、僕の顔よりも窓の外の景色ばかり眺めている。

 「眠いのか ? 」
 と、僕は聞く。
 「ごめんなさい。月曜にプレゼンする企画書を作るために、昨日始発で帰ったから」

 いったい、どんな日常を送っているのだろう。
 テレビドラマなどに出てくるCM制作の現場の空気を毎日浴びているのだろうか。
 定時に出社して、定時に退社するような普通のサラリーマン生活を送り始めた僕にはよく分からない。
 
 「ねぇ、覚えている ? 」
 窓に差し込む陽射しをまぶしそうに眺めながら、彼女が言った。
 
 「同じデモの隊列にあなたがいて、機動隊の実力行使に隊列が崩されて、みな散り散りになったとき、私は倒れたの。
 機動隊やら、逃げようとした学生やら、みんな私を踏み越えて行ったの。
 でも、私、怪我一つしなかった」

 覚えている ?
 と彼女は、もう一度きいた。

 「覚えている」
 と僕は言った。

 「あなたが私の上に覆いかぶさって、守ってくれたから」

 なぜ、そんな話を今ごろ持ち出すのか。
 
 「過ぎたことだよ」
 かろうじて、そういうのが精一杯だった。

 「そうね」

 それから、長い沈黙が訪れた。
 しばらくの間、彼女はレモンソーダのストローが入っていた紙をくるくると指で丸めていたが、やがて退屈したのか、それをぽんと灰皿に捨てた。 
  
 「なに考えているの ? 」
 と僕はきいた。

 彼女は、僕から視線を逸らせるように窓に目を向け、
 「私、もっと勉強がしたくなったの。昔よりも今の方がもっと … 」
 と、つぶやいた。

 「何の勉強さ ? 」 
 「あなたが、もう教えてくれなくなったもの」
 さびしそうな笑顔が浮かんでいた。
 
 ほとんど会話もないまま、私たちはその喫茶店を後にした。
 
 弱々しい冬の太陽とはいえ、陽はまだ中天に漂っていた。
 以前だったら、
 「昼メシ、なに食う?」
 と、無邪気に食べたいもののメニューを言い争った 2人だが、喫茶店を出た僕たちは、もう言葉を交わし合うほどの距離すら保っていなかった。
 
 「今日はこれで帰る」
 と “背中で語る” 彼女の後を、ただぼんやりとついて行く。
 
 歩数にして、わずか4~5歩。
 しかし、もうその距離がうまらない。
 
 思い出したように、彼女が振り向いた。
 
 「じゃ、ここで」
 
 中途半端に挙げられた彼女の手が、ふと宙に止まる。
 彼女自身も、掲げた手をどのように戻せばいいのか、戸惑っているようにも見える。
 
 「じゃ …… 」
 
 僕もそう言い返し、なんとか笑顔をつくった。
 
 人混みに消えていく彼女の背中を見つめながら、僕は、残された中途半端な休日をどう過ごすか、それを考えて途方に暮れている。
 
 自分のアパートに戻る前に、商店街のスーパーに寄って、牛肉の大和煮の缶詰を一つ買った。
 それをオカズに、後は米でも研いで、一人分の昼飯をつくるつもりだったが、気が変わって、酒屋で日本酒を買った。
 
 部屋の中には、外よりも寒々とした空気が澱んでいた。
 FMラジオのスイッチを入れ、茶碗に日本酒を注いで、首をのけ反らせながら、一気にあおった。
 
 しかし、昼間から酒を呑むという「解放感」からは遠かった。
 体と心がダルくなって、「眠りたい」という心境に早くなりたかった。
 
 そのとき、FMラジオから、まさに「眠りなさいよ」といわんばかりの曲が流れてきた。
 子守唄のようなゆるいテンポに、甘いメロディ。
 
 でも、心の奥底を冷やすような、無機質的な響きがある。
 シンセサイザーの音の膜に人の声が閉じ込められ、遠い夢の世界で流れている歌のように思える。
 僕には、それがSF映画にでも出てくる未来の音楽に聞こえた。
 
 それまで、「バラード」といえば、歌手が生の声で優しく歌い上げる音楽だと信じていた。
 しかし、その曲は、古典的なバラードから脱し、テクノロジーの冷たさを心地よいと感じる新しい時代の感性を表現していた。
 
 「バラードが変わっていたんだ」
 
 そのとき、はじめて気づいた。
 もうビートルズの『 If I Fell 』は、どこからも流れない。

 自分の好きな音楽ですら、とっくに自分を置き去りにして、遠いところに行っていた。
 人間だって、そうかもしれない。
 常に同じ場所にはとどまっていない。
 もっと早くそれに気づくべきだった。

 FMラジオから流れてきたバラードは、そんな自分をあざ笑うかのようでもあり … 。慰めてくれるようでもあり … 。

 せっかく買った大和煮の缶詰を開けることなく、曲を聞きながら、ひたすら酒をあおった。
 クールに研ぎ澄まされたバラードは、安い日本酒の “苦味” とよく合った。

 流れていたのは、10cc(テンシーシー)の『 I’m Not In Love(アイム・ノット・イン・ラブ)』という曲だった。
 
 それから数日経って、レコード屋に行き、僕はそのレコードを買った。
 

 
  
トラッドロック夜話14 「ワイルドサイドを歩け」(ルー・リード
  
トラッドロック夜話 1 「ストレンジ・ブルー」(クリーム)

  
  

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冷たいバラード への8件のコメント

  1. guchi3 より:

    いつもながら洒脱な文章!恐れ入りました。
    物語の中に「If I Fell」と「I´m Not In Love」という真逆の意味の曲を入れることによって、それだけで過去と現在の二人の関係が実態と影のようにくっきり映し出されていました。この10CCの「I´m Not In Love」は、BEATLESに刺激を受けて、長期間のスタジオワークの末に完成した名曲で、多分そのスタジオは「アビーロードスタジオ」だったと記憶しています。

    • 町田 より:

      >guchi3 さん、ようこそ
      とんでもなく遅い返信で、恐縮です。
      「If I Fell」 と 「I’m Not In Love」 。
      この両者の対比の意味に気づかれるとは、さすがにguchi3 さんらしいですね。恐れいりました。
      実は、この2曲の意味するものの対比に、書いた私自身が気づいていませんでした。お恥ずしい限りです。
      対比になっているとしたら、きっと “無意識に…” ということだったかもしれません。

      「I’m Not In Love」 が長いスタジオワークの末に完成したというのは、分かるような気もしますね。音の重ね方がすごく緻密ですものね。あの良さは、やはり自分の部屋でひっそりと聞くときに迫ってくるのでしょうね。
      カラオケでときどき歌いますが、仲間内の手拍子や喧騒とこれほど合わない曲というのも珍しいです。
       

  2. keiko より:

    私的なイベントがつづきしばらく拝見出来ませんでしたが、、、 その間10CCやAーhaやTake thatのおかげで 夢見るように過ごせたのです 特に10CCのエリック スチュワート、、、若い日の彼はロセッティかラファエロの描く天使のようでした 私は我を忘れて若き日の彼らを引き戻してとどめようとしました  残念ながら
    ギャリーバーロウが一番美しく大人になったなと思います
    Take thatは すごいですね 何もわからない私ですが今までよく聴いていたのは脈絡なくバッハやスタンゲッツ、、、でした

    万感あるのですが今の気持ちは言い表せません
    本当にお陰で若返ったかのように 自分にこんな夢見るような気分で過ごせる日があるとは思いませんでした 我を忘れて夢中でしたよ(少し笑えます)
    youtube聞きまくりました greatest day the flood   etc
    書き直さず、このまま出します    木々の芽みな 萌えいづる春になりにけるかも、、、でしょうか  お元気で

    • 町田 より:

      >keiko さん、ようこそ
      keiko さんの関心領域の広さが分かるような興味深いコメントでした。
      恥ずかしながら、私は10ccのエリック・スチュワートもギャリーバーロウの顔もうまく判別できません。
      ただ、「ロセッティやラファエロの描く天使」 という表現で、なんとなくイメージが伝わってきました。面白いものですね。

      ロセッティという画家は、いわゆるラファエロ前派といわれる画家グループの代表的な人で、教科書的にいうと、「ラファエロ以前の画家たちの画風に学べ」と主張した人らしいのですが、画風を見ると、優美でたおやかなラファエロの絵とは違い、やはり世紀末的な憂愁が漂っていますね。
      でも、私はどちらも好きです。keiko さんと嗜好が似ているような気もしました。

      「木々の芽が萌え出づる春 … 」 も盛りを迎え、初夏の訪れさえ思わせるような季節となりました。
      返信遅くなり、申し訳ございません。
       

  3. keiko より:

    我ながら幼稚なコメントだなといつも恥ずかしいのですが匿名に助けられて異空間を味わわせていただいています
    ちょうど今ラファエロ前派展、、開催されていたんですね 吃驚しました エリックスチュワートの若い頃の顔はロセッテイの描きそうな顔というよりはロセッテイの若い自画像の顔に似ていたのでした 彼は随分恋多きひとだったらしく最後はその罪悪感に苛まれて亡くなったようですが 今回調べてみたらラファエロ前派の画家たちの交流は随分ややこしかったようでもあり 先細りの理由でもあったのかもしれないですね

    美を追求するあまり 私生活が壊れて行きやすいのは 当然かもしれませんが結果として凄い作品を残して自滅するというのは芸術の神に捧げる捧げものなのかも知れません 
    アーテイストの生涯には痛々しいエピソードに枚挙がないのも失ってこそ得る,,,という約束があるのでしょうか 日本のシュールな文壇の作家たちも負けずに凄いですから、、、
    とにかく10CCやA-haを知らない若者にyoutubeを見せたら結構受けました

    町田さん 私はまだ寝むるまえに 飽きもせずこれらを聞いてその幸福感のうちに2階のベッドに移動するのです こんな春がきっとひと味ちがう実りの秋を持って来てくれるだろうと、、、少し期待して頑張ります
    暖かいご返事とヒントに倍旧の感謝を、、、お元気で、、、

    • 町田 より:

      >keiko さん、ようこそ。
      「芸術」 というものも、しょせん作り手の自己満足にすぎないものかもしれませんが、少なくとも実作に没頭している限りは、それが自己放棄に思えてくるから不思議です。
      社会とつながっている自己、他者に支えられて生きている自己という 「人と人」 との関係性が断ち切られることを辞さない。
      毒の中に、甘味な味わいを求めるという心境でしょうかね。

      あれは、「自己放棄」 の衝動なのかもしれません。
      それを、好意的に解釈すれば 「美のミューズ」 に向かって、自分の魂を犠牲獣のように捧げるということなんだろうな、と思います。
      だから、古今東西の芸術家にはスキャンダラスなエピソードがつきまとってしまうのかもしれません。

      ラファエロ前派が好んで描くようなファム・ファタールの系統に属する女性像は、きっと彼らにとって 「美のミューズ」 なんでしょうね。「あんな女に自分を喰らい尽くしてもらいたい」 というたわいない男の幻想です。
      ……が、それがゆえに、一度取り憑かれると、芸術家は自分で作り上げた脳内女性に恋愛し、社会性を失っちゃうこともあるように思えます。

      >> 「こんな春がきっとひと味ちがう実りの秋を持ってきてくれる…」
      素敵なフレーズでした。
       

  4. keiko より:

    解放感から書いてますいいですか
    思いがけないひとから10CCのことを聞いて I`m not in love を久しぶりに聴きました 以前コメントした時はボーカルのエリックスチュワートがリーダーだとばかり思っていましたが 彼はいわゆる10CCの旧メンバーで出たり入ったりのひとでした
    しかし私には70年代の若いエリックは依然としてロセッテイの自画像のまま、、

    you tubeで2010年の I`m not in loveを聴いてみました一目で時の無惨さがわかりました あの甘い推なさと不敵さの混じるエリックは押しも押されもせぬ大人に、、、しかしその顔は贅肉も無く哀しさと諦めを超えてしまった清々しさが光っていてあいかわらず丁寧に 声量もかわらず 歌っているのは 感動でした
    意味も無くただ良かったと思いました

    大物になったのか補うつもりか今回はオーケストラを率いて、、、しかし音の替わらないことに吃驚しました
    以前町田さんはシンセサイザーの音の膜に人の声が閉じ込められて遠い夢の世界を流れている未来的な音と言っていらした

    今回少し調べてみたらバックに流れる幻想的なコーラスはメンバーのグレアムたち3人の声をテープ編集により624人分(この3人×13音階×16トラック)にしたものだそうで前記のエリックはミキシングを担当したのだそうでした

    町田さんが未来的な音と仰った予感どうり未だに魂のどこかを揺さぶる音になっているのは確かです 胸の位置の辺りが狂おしくなりました
    そしてあのときA=HAや TAKU THATなど貪るように聴いた感覚が戻ってきました
    絵も彫刻も目から激しく入って好き嫌いは別としてある感覚を呼び覚ましますが音はそれ以上に否応無く昔あったある時間を瞬時に連れてきますね

    私は今確実に人生のある時間帯を、、、 自分で行くんだけど、、、『時のお仕事』として運ばれて行くんだと言う 無責任な感覚を覚えました
    生きてればこそいろんなものに出合えます この1年いろんな角度から見る癖もお陰でいただけたようですありがとう

    • 町田 より:

      >keiko さん、ようこそ
      10CCの『 I’m Not In Love』の音の秘密、よく分かりました。なるほど。単なるシンセサイザーの積み重ねというわけでもなく、もっと計算された緻密な音づくりだったんですね。勉強になりました。
      そういえば、BS-TBSの『SONG TO SOUL』 でも、確かそのように解説していたのを思い出しました。あの曲の味わい深いサウンドの秘密は、メンバーのとてもつない “こだわり” から生まれてきたものなんですね。

      ある種の音楽が、昔の思い出を強烈に携えて、胸の奥深いところの感情をゆさぶることは確かにあります。まるで、初恋の体験のように、胸苦しく、甘酸っぱく。

      私の場合、70年代初期のSOUL MUSICにそれを感じます。特に、めちゃめちゃに甘いSOULバラード。時間帯は、空に残った残照が街のネオンに溶け込むような瞬間。
      そんな時間帯に、 悪い男友達と一緒に、街をふらついて、どこぞの女と知り合う機会はないものか…などと彷徨していた時代。SOULバラードは、そんな都会の夜のときめきを耳元にそっと吹き込む “誘惑の音” だったんですね。
      『アメリカン・グラフティー』という映画がありましたけれど、あれみたいに、オープンカーで街を流しながら、どこかに素敵な恋が落ちていないものかとネオンのもとを浮遊するときの気分。
      具体的な成果は何もなかったのですが、そのときのウキウキ感は、いまだに心の奥のどこかにくすぶっています。いや、成果がなかったからこそ、永遠に “甘酸っぱい期待” として凍結したまま、そういう音が温存されているのでしょうね。
      それを「官能的な音」というのかもしれません。
       

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