なぜ、J POPは世界に通用しないのか

  
 以前から考えていたことなんだけど、「今のJ POP は世界マーケットに通用するのか、しないのか ? 」という問題。
 この答が、いまだに出ない。

 アニメやファッションでは、「クールジャパン」という標語のもとに日本ブランドがしっかり確立された感じはするが、ことポップスに限っていえば、今のJ POPが世界に流通したという話は聞かない。

 坂本九の「スキヤキ (上を向いて歩こう)」以降、日本のポップスが海外マーケットでバカ売れしたというニュースもないし、日本のロックバンドが世界的メジャーになるということもない。

 YMOはそれなりに海外で評価されたけれど、たぶんにクラシック畑でも知られている「坂本龍一」というブランドの力が作用した感じだし、松田聖子も、矢沢永吉もアメリカ進出を狙ったが、爆発的成功とは言いがたい。
 
 このblog でもときどき紹介しているアメリカ在住の日本人シンガー(&ソングライター)のサミーさんは、日本のポップスが今ひとつ海外で評価されない理由のひとつとして、フォーク系シンガーソングライターの力量不足を指摘する。
 日本のポップス界でフォークがメインストリームを形成した頃から、音楽的基礎教育を無視した曲作りがはびこるようになり、その影響がいまだに続いているというのだ。

 ギター一本で、初歩的なスリーコードを展開すれば、それなりに曲ができるときがある。
 70年代のはじめ、若者の間にギターが普及し始めたとき、スリーコードの繰り返しに “ちょっと気の利いた歌詞” を載せ、素人の延長のような歌手たちがどっと輩出した。

 詞の方も、感情のおもむくまま作るから、字余り、字足らずは当たり前となり、コード進行を無視した楽曲になりがち。
 それでも、演歌・歌謡曲的な歌とは断然異なる新しさがあったから、当時の若者の共感を呼んだ。
 
 
 
 もちろん、時代の影響はあった。
 ビートルズのような洋楽か、日本の歌謡曲かという選択肢しかなかった時代に、和製フォークの登場は「自分たちの演奏レベルで音楽が楽しめる」という親近感をリスナーにもたらした。
 そういうフォークの素人っぽさが、逆に、“商業主義に毒されていない” と評価され、その時代の前衛的役割をになった。

 しかし、アマチュアはアマチュア。
 たぶん、ここらあたりで、基礎的な音楽教育を自然に身に付けた海外のバンドとの差がついてしまったのかもしれない。

 先だって亡くなられた音楽プロデューサーの佐久間正英さん(元四人囃子ベーシスト)は、あるサイトで「日本人が海外のバンドに勝てない理由」 として、今のJ POPが洋楽との接点を失くしてしまったことを挙げている。
 
 ちょっと意訳になるが、要するに、こういうこと。
 今のJ POP の作り手たちは、日本人の先輩のJ POP を聞いて育った世代で、もうその先輩たちが、かつてどのように洋楽を聞いて、そのエッセンスを取り込んできたかを知らないし、興味もない。

 J POPの第一世代は、皆いちおう洋楽にルーツを持っていた。
 桑田佳祐にはビートルズやクラプトンがあったし、山下達郎や竹内まりやにはアメリカンポップスがあったし、その前のゴールデンカップスあたりはブルースやR&B。

 しかし、そういう第一世代の音楽を聞いてきた第二世代には、もう第一世代のルーツなどには関心がない。
 だから、すでにJ POPそのものが、洋楽とは別の進化の系譜に入ってしまっている。
 当然、海外のリスナーたちは自国の音楽をスタンダードとして聞いてきたわけだから、日本のポップスは「発展途上の音楽」 「未開の地の音楽」に聞こえてしまう。

 その佐久間正英さんの記事で面白かったのは、「日本のロックが海外の音とは別のものになっていったのは、ヤンキー文化の影響が大きい」というくだりだった。
 精神分析医の斎藤環氏は、そのヤンキー文化論( 『世界が土曜の夜の夢なら』)において、「ヤンキーミュージシャンにとって音楽とは、芸術である以前に “シノギ (仕事) ” である」 という。
 
 つまり、彼らにとっての音楽は、商業的成功を収めるための一つの手段であって、「音によって感銘するとか、癒されるとか、インスパイアされる」という評価軸は後退している。
 そこでは、「音」そのものよりも、音楽のパフォーマンス性の方が重視される。

 日本のヤンキーの音楽文化の頂点のひとつに、矢沢永吉の音楽があると思うのだが、その矢沢自身がいうように、
 「コンサートは、音を聴くだけのとこじゃない。何か気持ちをもって歌ってる男に、会いに行くものなんだ」
 といった具合で、音楽以上に、音楽性とは異なる価値が称揚されている。

 J POP一般においても同じことがいえて、AKB48のようなコンサートに集まるファンの青年たちは、音楽を聞きに来ているのではなくて、アイドルグループを応援する仲間たちとの連帯感のようなものを求めている。

 要するに、日本の若いリスナーたちとっては、すでに音楽は二次的なもの。それよりも音楽が流れる “場” の方が重要という状況が生まれつつあるのかもしれない。

 音楽は、聞くものでもなく、語るものでもなく、好きなアイドルたちを応援してサポートするもの。
 そして、応援したアイドルたちが頑張ってくれている姿を確認して、リスナーも「元気をもらう」もの。

 『AKB48白熱論争』という本で、AKBを論じた若手批評家の宇野常寛はいう。
 
 「昔は音楽が若者向けのポップカルチャーの王様だったけれど、今はそうじゃない。15年ほと前から、だんだんネットカルチャーとオタク文化が若者向けサブカルチャーの中心となった。…… 僕は音楽にあまり興味を持たずに生きてきたが、それでも若者向けサブカルチャー評論家ということになっている」

 この本で重要なことは、「カラオケが日本の音楽文化を変えた」という指摘。
 
 「カラオケの普及によって、 “音楽ソフトを一人で聞く” という快楽が失われ、音楽は自分で歌って楽しむものとなった」(宇野常寛) 。

 つまり、音楽を選ぶ基準が、自分の歌いたい歌、自分の歌いやすい歌というものに変化していったのだ。
 その時点で、音楽は「突然よそからやってきて、脳天をかち割れるような衝撃を秘めたもの」から、「リスナーが歌える範囲で快感を感じられるもの」へと変わった。
 難しくいえば、「音楽から他者性が失われた」。
 
 かつての洋楽は、それがドメスティックな音楽文化にとって “他者” であったからこそ、最初は違和感もあり、それがゆえに新しい快感が生まれ、リスナーに意識変化をうながしたが、カラオケの普及によって、そういう契機も失われた。 

 結論。
 J POPは、もう洋楽などとは勝負していない。
 世界中に売れなくても国内マーケットだけで生きていけるのだから、純粋にドメスティックなもので、けっこう。
 たぶん、現在のJ POPのメインストリームで活躍している人たちは、そう考えているのだろう。
 
 若い頃から洋楽を聞いてきた自分には、チトさびしいけれど、音楽だってビジネスなんだから、国内マーケットが万全ならば、それでいいんだろうな。

 
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なぜ、J POPは世界に通用しないのか への23件のコメント

  1. Take より:

    裏付けもない偏見かもしれませんが、レコード(CD)のミリオンセラー。1970年ころと今のとを比較すると、昔の方がスキルが高いように思うのは、1枚500円のレコードなんてそう簡単に買えない時代だったから、それでも無理をして買おうと思う曲だったからのように思えます。もっとも今は昔以上色々な楽しみがある中CDにかけるお金なんかあまりないよ、と言われてしまったらそれまでですが…。それでも今の方が気軽にCD買えますよね。
    それだけ市場がある、それと一発屋で音楽で食えなくなったら別の世界に行けばいいやという思考もあるのかもしれませんね。 職業選択の自由と転職の気軽さは昔よりありますもん。でも、そんなのお前の偏見だ、音楽やっているものは皆真剣なんだよ、というご意見がありましたら先に謝罪しておきます。
    いとしのエリー(サザンオールスターズ)、ランナウェイ(シャネルズ)、涙のリクエスト(チェッカーズ)あたりは、何とか洋楽をものにしようとした曲のように思えます。

    • 町田 より:

      >Take さん、ようこそ
      そうでしたね。1970年頃というのは、45回転のドーナツ盤だって、500円でしたね。30cmLPが欲しくても、お金がなくて買えないことが多かったです。
      だから、「1曲の重み」 というものがあって、リスナーもけっこう厳しく聞いていたかもしれません。
      それに比べると、今は相対的に音楽が 「軽くなっている」 という気もします。

      「いとしのエリー」、「ランナウェイ」 …懐かしいですねぇ !!
      確かに、この時代、洋楽っぽい雰囲気の歌がけっこう残っていましたね。

      1980年頃かな。
      シャネルズのデビューは衝撃的で、テレビで見て、すぐにレコードを買いにいきました。
       

  2. かっちゃん より:

    海外ではもっと “ミクスチャー”的なアプローチが創発&受容されているこのご時世(例えばコレとか、http://www.youtube.com/watch?v=nls1HtXQe8E)に、この国の「箱庭志向」的音楽は、リスナーを本当に音楽の剥き出しの原始的な魅力に遭遇する機会を逆に覆い隠す方向に変化しているように思われます。それは退行というべきではないでしょうか?

    • 町田 より:

      >かっちゃんさん、ようこそ
      返信がたいへん遅くなり、申しわけございませんでした。

      すでに20年以上前でしょうか。作家の村上龍は、日本のJ POPの隆盛とその商業的成功を観察しながら、「日本は鎖国状態に入った」 と指摘したことがありました。
      つまり、メディアの発達によって、海外のどんな文化も日本にいながら享受できるようになると、実際に現地の赴いて経験したときの “違和感” や “戸惑い” などが漂白されてしまうんですね。清潔で快適なものになる代わりに、インパクトも薄れてしまう。
      音楽 (J POP) についても同様のことが言えて、リズムとアレンジだけ洋楽っぽくなっても、そこには予定調和の快感しかない、ということになってしまいます。
      村上龍が言っていたのはそういうことであって、その状態を、彼は 「鎖国状態」 と言ったのではないかと思います。
      それが、かっちゃんさんのおっしゃる 「箱庭志向」 、「退行」 ということにつながるような気もします。
       

  3. 月兎 より:

    かっちゃんさんの言 ”箱庭志向” 実に云い得て妙です!好きです!

    日本では、チアー・ガール延長線上の変形のようなライン・ダンス女子グループが人気のようですね。
    それをオッサンファン達が盛り上げているんですよね?
    日本の隣国で眺めていると、それが当たり前の風潮で社会現象と云うのは本当に不思議。
    笑っていいのか、嘆いていいのか?

    国により文化背景の違いやら何やらで、夫々の国のセクシュアル・コードが違うわけですが。
    当燐国では、そんな様なグループ・シンガーを商業的に作って世間を風靡する風潮はありません。
    日本の様にお子様シンガー・グループのコンサートに行く趣味の男性も居ないと思います。
    そんな趣味を披露したら、周りの女性や母親が問題視します。
    レポートされて何らかの烙印を押されたら、もう社会的立場を失います。
    事有る毎に、他の男性からも社会からも変態扱いされます。
    性犯罪数は日本の比ではない国柄ですから、過剰なほど世間が敏感です。

    チアー・ガール集団的な音楽流行の他に、日本では良き音楽や大人の音楽、
    ミュージシャン達の活路が残っているのでしょうか?
    その他の音楽やミュージシャンがセンターで活躍できる現場はあるのでしょうか?

    当国では、素人芸人登竜門コンテストの番組は根強く定着した番組のようです。
    ここに出てくる素人、玄人達はどの分野でも素晴らしい技量を披露します。
    日本も素晴らしいミュージシャン達や音楽があるのですから、
    彼等にもっとスポット・ライトを与えたらどうかと感じます。

    これって、日本音楽界のガラパゴス化と云うのでしょうか?
    もしそうなら是非音楽業界が仕掛けて、諸外国にも出せる音楽に力を注ぎ、
    音楽ガラパゴス化から脱却して欲しいものです。

    • 町田 より:

      >月兎さん、ようこそ
      返信が遅れまして、誠に申しわけございませんでした。

      かねてより、日本のパピュラーミュージックシーンに関して感じていたことを、海外からの目を通して鮮やかに解説していたき、たいへん勉強になりました。「腑に落ちた」 という感じがいたします。

      ここ数年、主に携帯電話の機能を中心に使われ始めた「ガラパゴス化」 という言葉が広く日本文化の “箱庭化” を指す言葉として浸透してきましたが、日本のJ POPは、まさにガラパゴス化の渦中にいるというわけですね。
      >> 「チアガール的な女子シンガー・グループが一世を風靡している」 という状況は、日本では当たり前のこととして受け止められていますが、アメリカでは、不思議な光景に見えるということがよく分かりました。

      日本でも、素晴らしい技量を持つ優れたミュージシャンがいっぱいいるのですが、やはりマスメディアではあまり話題になりません。
      でも、もしかしたら 「音楽を楽しむ」 という意味では、それが当たり前の状況で、いま日本を騒がせている ”チアガール現象” の方が極めて異様であるのかもしれません。大量宣伝、大量露出、大量動員、大量消費によって音楽が変わってしまうという方がおかしい。変わったのは 「音楽」 ではなくて、消費システムなんでしょうね。音楽は “ダシ” として使われただけ。
      そういう状況を不思議と思わず、無批評に受け入れてしまうことが、ガラバゴス化の正体であるような気もします。
       

  4. ほうだん より:

     日本の音楽の現状が良く分かり、ありがたい事と思い、また悲しくなりました。
     良い音楽はもう今の日本には無く、創り出す事も難しくなってしまったんですね。

     本物と思える、実力あるミュージシャンの活躍の場もますます少なくなるような気がします。

     音楽に助けられ、力づけられて来た私としては、本物、本当の音楽がまた陽の目を見る事を願っています。

    • 町田 より:

      >ほうだん さん、ようこそ
      古いエントリーながら、わざわざコメント賜りまして、本当にありがとうございました。

      確かに本ブログでは、最近のJ ポップの一般的な傾向を多少批判的な視点で書きました。
      ただ、メインストリームはそうであっても、それ以外の領域では、音楽に真剣に取り組み、しっかりしたものを作ろうと努力されている方もいっぱいいらっしゃるように思います。

      ただ、いかせん、情報不足なんですよね(笑)。

      しかし、それに関しては、ネットを開いてYOU TUBEなどを活用することによって、ほうだんさんがおっしゃるような >>「本物と思える実力のあるミュージシャン」を探し出すことはそんなに難しくないのかもしれません。

      「本当の音楽」がまた陽の目を見るようになるためには、我々リスナーの努力も必要になってきた時代なのかなぁ 、という気もします。
       

  5. つかさ より:

    面白く読ませて頂きました。

    J POPをJ キャンピングカー置き換えるとそっくりですね

    • 町田 より:

      >つかさ さん、ようこそ
      ありがとうございます。
      でも、キャンピングカー関係のメディアにいちおう携わっている人間としては、ドキッとしましたよ。

      でも、言われてみると、その通りなんですね。
      キャンピングカー産業も、今のところは国内マーケットが充実しているので、諸外国のキャンピングカーの研究をしても、それを生かせる市場がないというのは確かなことです。
      その分、日本の使用環境に適した独自のキャンピングカーが発達してきたわけですが、やはり海外のキャンピングカーには、そのエリア独特の「文化」を内に秘めているわけで、その「文化」との “せめぎ合い” を失ってしまうと、視野の広がりを持たない独善的なものになってしまう恐れはあります。

      つかさ さんのご指摘は、誠に当を得たものだと思います。
       

  6. Get より:

    つかさコメントに破笑(こんな語彙は無いけど)しました!
    大変面白く読ませて頂きました。
    コメントには自虐、あるいは?・・・
    こういう一行コメント、何やら殺傷力が有りますね~!
    十分な Resentment も読み取れますからね。
    たぶんJ-pops 関連のお仕事をなさっていらっしゃる?
    J-pops も J-キャンピングカーも歴史開幕はほぼ同時期?
    両者とも歴史は浅いです。
    どちらがどう伸びて定着していくか、ここは静観しましょう。

    • 町田 より:

      >Get さん、ようこそ
      つかさ さんのコメント良かったですよね。
      まさに 「1行の鋭さ」。
      1行の中に、深い意味合いを凝縮させるというのは、センスの問題です。
      そこが光っていますね。

      J-POPという概念が生まれたのは、1988年です。これははっきりしているんですね。今から26年前。
      実は、国産キャンピングカーが今の形を整えてきたのもほぼ同じ時期なんです。初の量産型の国産キャンピングカーとしてデビューしたヨコハマモーターセールスの「ロデオ」が販売されたのが1984年。
      だから、J-POPとJ-キャンピングカーは、ほぼ同じ時代の空気を背負っているといえるわけです。

      そう考えると、そこには同じような成果と、同じような問題点が潜んでいるという、つかさ さんやGet さんの指摘は正しいわけです。

      ちなみに、昔、同じようなテーマで記事を書いたことがあります。
      お暇なときにでも、ご笑覧ください (↓) 。

      http://campingcar.shumilog.com/2009/02/24/%ef%bd%92%ef%bd%96%e3%81%ae%ef%bd%8a%e3%83%9d%e3%83%83%e3%83%97%e5%8c%96/
       

  7. Get  より:

    今日は。
    ネットで今日のニュースをウロウロしてまして。
    ”J-pop が海外でウケ無い理由”
    とのコラムを読みました。
    ”あれ?前にもこのテーマでなんかあったような?”
    近年減退著しい記憶の糸を手繰り寄せ掘り起し。
    有りました!
    同題の御ブログ記事。 
    下に張ります。

    http://news.livedoor.com/article/detail/10199727/

    で、感想としては J-pops の呼称を変えて、
    G-pops =ガラパゴス(Galapagos)ポップ、
    にした方が有っているかも知れませんね。

    http://news.livedoor.com/article/detail/10199727/

    • 町田 より:

      >Get さん、ようこそ
      リンクを張ってくださったNEWSも拝読。
      海外の方が、J-pop をどのように見ているのかということが分かって、勉強になりました。
      いくつかの視点が提示されていましたが、要するに、日本には成熟した男女の魅力を評価する “文化” がないということなんでしょうね。

      >>「海外では、男らしい男、セクシーな女がウケるため、日本のような美男子や美少女って、ウケが悪いよ」

      まったくその通りで、日本の男性が密かに保持しているロリータ趣味のようなものは、欧米では厳しく否定されるようです。

      結局、近年 … もしかしたら伝統的に、日本の男性は心身とも成熟して、男と対等に伍して自己主張するような女を拒否し続けてきたのかもしれません。
      だから、いまだに高校生の制服を着たようなアイドルグループがJ-popシーンの頂点に君臨しているのでしょう。

      日本のアイドル的J-pop は、海外ではロリータ趣味にしか映らないのかもしれませんね。

      ただ、方向性としては悪くないのかもしれません。
      成熟していない女性に性的好奇心を向けるのは、やはり不気味な感じもしますが、しかし、「大人」と「少女」の微妙な境界線で生きている中性的な女性って、文学・芸術の領域では、ジェンダーを超越した不思議な魅力を持っているような気もします。

      残念ながら、少女アイドルで一儲けしようとしている仕掛け人たちには、そこのところの省察と想像力がない。
      結果、音楽性の乏しいJ-pop が、日本の音楽マーケットを侵食していくことになる。

      G-pops (ガラパゴスポップス)という言葉は、世界独自の魅力的な方向を打ち出せる可能性も秘めながらも、現状の悲惨さを表した絶妙な表現であるかのように思います。
       

  8. Get  より:

    今日は。
    何か、違う時期に違う主題を会話に持ち込んだ感がありまして、
    お忙しい御身を煩わせた様で済みません。
    物事には時期を外した主題は息吹が弱い!
    にも拘らずご丁寧な返答を頂きました。

    それ程にはフィードバックは気にはしていませんが、
    コメントを出すとリプライが有る程度気になります。
    御ブログ、旧と新では、コメント投稿は旧コメントに対して対応にギャップがあるのでしょうか?
    旧ブログコメントは新ブログコメント欄に長時間表示されなかった様です。
    (新ブログに投稿しましたと表示されるまでは)

    • 町田 より:

      >Get さん、ようこそ
      >>「時期を外した主題は息吹が弱い」
      とんでもございません !
      どんな昔のエントリーでも、そのテーマが今に通じるようなものであるかぎりは、リリースした人間にとっては、ありがたいコメントであることには変わりがございません。

      旧ブログと新ブログでは、特にコメント投稿における差異はないと思います。
      ただ、この旧ブログの場合は、どういうわけかコメントに投稿いただいても、管理主が承認しないまではトップページに反映されないような状態になっています。
      それを解除しようと思って、あれこれといじっているのですが、現在はまだ解除する機能が凍結したままで動かしようがありません。
      ご迷惑をおかけしますが、今まで通り送信いただいて結構です。
      コメント欄に投稿があったことは把握できていますので、ご心配なく。

      いつもお気遣い、ありがとうございます。
       

  9. ロボタン より:

    ①マイクをしゃぶる様にして呟いている。字幕がないと何を言っているのかわからない。
    ②音量にメリハリをつけるためマイクを大きくピストン運動させて歌う。スタジオ録音の癖が直らない。
    表現の自由がありそれを支持するファンがいるわけですから ほとんど何をやっても許されるわけですね。
    声量も歌唱力もないタレントが歌うのですから バンドと音響効果の裏方さんを合わせた総合芸能の一部でも仕方がないでしょう。
    しかし希望としては渡辺謙さんのような人が出てきてほしいです。
    暗い雪道を掘り進んだ渡辺さんの後に続く人が出てきてほしいです。
    まずはNHKのど自慢にゲスト出演できるような人が増えてほしいです。

    • 町田 より:

      >ロボタンさん、ようこそ
      ロボタンさんがご指摘された今のJ ポップの①と②の特徴は、それが現在の若者の音楽シーンにおいては “カッコいい” ものとして認知されているため、揺るぎないマーケットとして成立しているのでしょうね。

      おっしゃるように、現在のJ ポップの大半は、歌い手だけの力ではなく、バンドアンサンブル、音響効果、さらには振り付け、ファンサービス、売り込み方も含めた総合的な芸能としてシステム化されているんだろうと思います。だから「歌」の部分というのは、その総合的なシステムのなかの、ほんの一部分を構成しているに過ぎないという気もしています。

      声量や歌唱力のないタレントを売り込むために、そういうシステムが組み上がったのか、それともシステムが完成したために、歌唱力のないタレントがデビューできるようになったのか、どちらが先かよく分かりませんが、音楽配信の形が様変わりしたように、「音楽」そのものが変わってきているだけは確かなような気もします。

      今の日本の若者たちにとって、「音楽」は、さまざまなネットゲームやSNSや、アニメやコミックなどといったアミューズメントのなかの1コンテンツに過ぎないのでしょうね。

      ただ、日本の音楽も、世界に発信するレベルのものとなると、やはり歌手の「力」というものがどうしても問われるような気もします。その場合の「力」とは歌唱力だけでなく、内面的な充実度も含めた “存在感” のようなものですね。
      渡辺謙さんという方は、そういう存在感を獲得されたからこそ、世界の舞台に立てるようになったのでしょうね。
       

  10. マイン より:

    1 幼稚、ガキっぽい(大人の歌える歌がない、当の大人は演歌かカラオケに狂っている)。2 日本語の歌詞としての言語の問題(スピード感がない、所詮数え歌)。 3 売り手の問題(プロデューサー等、歌手も含め能力不足と商業的戦略不足=素人)。4 時代的背景(1980年代位までは良かったんだけどね)。5 マスコミの責任だ!(テレビでラジオでどんどん曲を流せよ! 音楽番組作れよ!)。 6 芸能人の責任だ! (一曲の歌のために命かけろ! 金かけろ! かつての小林幸子や藤田まこと藤山寛美のように借金地獄経験しろよ! 芸能人が会社組織にして安定を図るなよ! 芸能界なんて所詮、身過ぎ世過ぎじゃないか!)。7 全くの素人出身(音楽的な教育の受けていない)の秋元康と渡辺企画を追い出した吉本興業の責任かも知れない。

    • 町田 より:

      >マイン さん、ようこそ
      せっかくのコメントを頂きながら、返信が遅くなり、申し訳ございませんでした。

      いくつかの貴重なご指摘、どれもJ-POPの現在を的確に語っていらっしゃるように感じました。

      ご指摘のように、基本的に現在は “歌のプロ” がいなくなったということなんでしょうね。素人とプロの境界があいまいになってきて、崩れつつあるように感じます。

      それというのも、やはりカラオケが普及することによって、人々が「聞く歌」よりも「歌う歌」を求めるようになってきたからではないかという気がします。

      だから、「歌」自体も昔とは変わってきているんですね。
      カラオケを意識して、歌を「聞く」よりも、「歌っている本人」が、気持ちよくなれるような歌が増えているようにも感じます。
       

  11. テキーラ より:

    音楽のガラパゴス化は日本だけでなく世界で起こってると思いますよ

    たとえばイギリスのブリッドポップなんてアメリカではあまりヒットしていないですしね あるいは、50年代、フランスのシャンソンブームが日本で普及し、あるいはアメリカでジャズミュージシャンがシャンソンナンバーを取り上げていたのにも関わらず、今現在活躍しているフランス人アーティストの名前を挙げられる方は少ないと思います

    このように音楽のガラパゴス化は最も日本だけではないと思います

  12. テキーラ より:

    追記

    このガラパゴス化を考えてみて、思うのが、むしろガラパゴスである方が普通の状態とも思うんですよね笑

    エチオピアのロックがアメリカで大流行!なんてまずないですよね 別にロシアにしろイタリアにしろにウガンダしろカンボジアにしろなんでもいいですが

    非英語圏の音楽市場はそもそもガラパゴスであることが普通であると思います

    むしろ、アメリカのように世界に向けて一大マーケティングとして音楽を配信している国が珍しいくらいなのではないでしょうか

    どうしてもポップスを考えるとアメリカ中心主義になるのはここからきてしまうのかもしれません 

    120世紀のポップスの誕生した場所だから
    2世界に向けて未だに大きな市場を持っているから

    これじゃないでしょうか

    いざ自分に帰るとJ-popは全然聞いていませんが笑

    • 町田 より:

      >テキーラさん、ようこそ
      とても面白いご指摘、かつ深く納得できるようなコメントをお送りいただき、誠にありがとうございます。

      おっしゃるとおりだと思います。
      ポップ音楽に限らず、一時 “グローバルスタンダード” にならない商品や文化を、みな「ガラバゴス化」という言葉で揶揄する風潮が生まれていましたが、それって、テキーラさんがおっしゃるように、アメリカという世界マーケットを意識した文化と比較した上での話に過ぎないわけですよね。

      思うに、アメリカだって、 “超巨大なガラパゴス” といえなくもない。
      ポップスマーケットでも、今はアメリカ的なものがグローバルスタンダードのように評価されていますけれど、考えてみれば、あれだって、ものすごく巨大なローカル文化に過ぎないわけで、たまたまそれが世界市場となったというだけ。

      もし、日本の現在のJ-pop がつまらないとしたら、それはアメリカという巨大ガラパゴス文化のスタイルだけ真似したものに過ぎないからではないでしょうか。
      私などは、最近、1960年代当時に盆踊りで流行った『東京五輪音頭』などのほうに、J-pop よりもはるかに凄いパワーを感じて、感心しています。
       

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