「旅」 を豊かにするのは 「教養」 である

 
 昨年の話だ。 
 俳優の火野正平が、視聴者からの 「思い出の景色を見たい」 という手紙に応え、自転車に乗って地方を旅する番組 (ニッポン縦断こころ旅) を観ていた。

 その日の目的地は、岬の突端にある水族館だった。「昔そこで見たイルカの曲芸に感動したが、その水族館が今どうなっているのか知りたい」 という人のリクエストに応えたものだった。

 火野正平が目的地の水族館を訪ね、イルカの泳ぐプールを眺める。
 客の姿は見えない。
 プールの周りを囲む木のベンチは朽ち果て、周囲を囲む建物の壁も、ところどころモルタル部分が剥げ落ちている。

 人のいない行楽地というのは、どこか寂しいものだが、そのうえ施設が老朽化していると、さらに 「荒廃」 の匂いが漂う。
 ディズニーランドのような豪華絢爛たるテーマパークを見慣れた人からすると、その水族館は、時代に取り残された過去の遺物のように感じられたかもしれない。

 でも、私はその光景に魅せられた。
 突然、現れたテレビスタッフのためだけに、イルカに曲芸させた人たちの姿に温かいものを感じることができたし、けなげに芸をこなすイルカたちも可愛かった。
 そこには、施設が古びていたからこそ醸し出された情緒があった。

 水族館が完成したばかりのころは、まだ今のような巨大化したテーマパークなどというものはどこにも存在していなくて、その地方では、そこが最も先端的な行楽施設だったのだろう。
 たくさんの子供がイルカの曲芸に目を見張り、夢中になって、小さな手をパチパチ鳴らして、拍手を送ったことだろう。
 そして、大人たちも、子供たちの喜びに感応し、いっしょになって歓声を上げたことだろう。

 テレビの画面を見ていると、その “幻の歓声” が、貧しいプールの両側から鳴り響いてくるように思えた。
 
 時代に取り残されて、朽ちていくのを待っているような行楽施設を 「荒廃」 ととるか 「情緒」 と取るかで、旅の価値が変わる。
 真新しいテーマパークや、ぴかぴかのリゾート施設だけを追い求める人には、その価値が分からないのではあるまいか。

 「古びた施設はリニューアルすれば、また集客できる」 というのは、基本的に経済原則だけしか考えない人の発想である。
 古びた施設には、新設の施設がどうしても手に入れらない付加価値が加わっている。
 それが 「年輪」 だ。

 過ぎゆく 「時」 がゆっくりと刻印していく、年輪の手応え。 
 見る人によっては 「荒廃」 にしか見えないものが、別の人にはそれが 「情緒」 となる。

 「荒廃」 と 「情緒」 の分かれ目には何があるのか。
 それは、その人がそれまで培ってきた 「教養」 なのではるまいか。

 「教養」 という言葉には高学歴エリートの “知識のひけらかし” というイメージがまとわりつくが、必ずしもそんな俗物的なものだけとは限らない。

 ドライブ中、カーステレオから流れる音楽が変わっただけで、景色がまったく違ったものに見えてくると言った人がいた。
 中央自動車道を走っていても、カントリーミュージックが流れていれば、どこかアメリカ中西部を走っている気分になり、クラフトワークがかかっていれば、周囲の景色がドイツのアウトバーンに見えてくるというわけだ。

 「夕陽を追いかけて走るときは、いつもボロの歌った 『ネグレスコホテル』 を思い出すんですよ」 とも語っていた。

 その人は洋楽やJ ポップを中心に各国の民族音楽も含め、あらゆる音楽に興味を持っている人だったが、話を聞いていて、音楽知識の深さがドライブを楽しいものに変えることを知り、話が盛り上がった。


 
 また、カメラ好きの知人で、キャンピングカーに乗りながら日本中の風景を撮り回ることを趣味としている知人は、こんなことを言っていた。

 「カメラを構えて対象を切り取るとき、けっこう外国の絵画や日本の絵を参考にすると、面白いアングルが見えてくるんですよ。
 普段は見過ごしてしまうような風景でも、絵画から得た知識のストックがあると、 “あ、この風景はセザンヌのようだとか尾形光琳のようだ” とか感じて、風景の中に面白さを発見するヒントが得られるんですよね」

 自分もまったく同じようなことを考えていた時期があったから、この話にもずいぶん共感した記憶がある。

▼ セザンヌ 『セント・ヴィクトワール山』

 このように、「教養」 というのは、趣味の蓄積の延長にあるものをいう。
 学校の講義や書籍のなかにあるものではない。
 むしろ、そういう押し付けの知識から逸脱するものの中にこそある。

 ドライブやカメラ撮影にかぎらず、結局、旅全般を豊かにするものは 「教養」 である。

 風景の中に 「美」 を見出すのは、教養の力である。
 美しい風景とは、有名な観光地に祭り上げられた “花鳥風月” のことを言うのではない。
 テレビや雑誌などに紹介される評価の定まった名所旧跡を、「美しい」 と感嘆することは誰にとっても難しいことではないからだ。

 しかし、誰も美しいと思わないような景色の中に 「美」 を感じられるかどうかは、その人の教養が深く関係してくる。

 感受性とは、そのように蓄積されてきた教養の “上澄み” の部分をいう。
 教養という地下水脈が、何かの拍子に地上に滲み出て池や川のような、目に見える形をとったものが感受性。

 最初から “鋭い感受性” みたいなものに恵まれた芸術家や文学者などいやしないのだ。
 みな無意識のうちに、自分に先行する文化に魅入られて、それを 「教養」 として取り込んできたに過ぎない。

 教養は、無味乾燥な日常生活の中に潜む 「情緒」 を探し出してくる。

 そのことが最も端的に表れるのが、旅である。
 旅の 「情緒」 とは、すなわち 「教養」 の別名である。
  
 
参考記事 「ゆる~い番組」 (こころ旅と酒場放浪記)
 
参考記事 「写真を撮るなら絵画から学べ」
  
 

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「旅」 を豊かにするのは 「教養」 である への6件のコメント

  1. 刀猫 より:

    単純な名所旧跡を見て、帰ってから資料を読んでその場所の由来を知り、
    ちゃんと見てくれば良かったと思う・・・ これが何時もの事です(笑)
    お勉強で得る教養も大切ですよね。

    「感受性とは、そのように蓄積されてきた教養の “上澄み” の部分をいう」
    そうですね、自分も歳を取り、旅先での何気ない風景に感動してしまう事が多くなり、
    町田さんの言う教養ではないけれど、若干経験値が上がったのかなとは思います。

    先のブログの野良猫の話には異論が有ります、タコキャンプでご一緒した時にでも
    お話しましょう(笑)

    • 町田 より:

      >刀猫さん、ようこそ
      そうなんですよね。旅の途中で、何気なく通過してしまうような町が、あとでテレビなど見て、そこにしかない名所旧跡があったり、珍しい食べ物があったりして、「あ、もっと早く知っておけば … 」 と後悔する場合はたくさんありますね。
      確かに、“お勉強” も大事かもしれません。

      年輪を重ねれば経験値も上がると思いますが、やはり刀猫さんの場合は、お話をうかがっていても感受性のみずみずしさが伝わってきます。
      つくづく良い旅を重ねていらっしゃると思います。

      野良猫のお話。
      ぜひうかがいましょう !!
      タコキャンが楽しみです。
       

  2. スパンキー より:

    感受性とは、そのように蓄積されてきた教養の “上澄み” の部分をいう。
    教養という地下水脈が、何かの拍子に地上に滲み出て池や川のような、目に見える形をとったものが感受性。
    ↑なんだか、納得させられる凄いフレーズですね。
    こういう表現って、アタマの良い人より、やはり教養がないと書けません。

    私も自称、風景評論家ですが、町田さんのを読んでいるとまだまだと自戒です。
    いま冬景色宗介のキャラは休んでいますが、復活させますよ!
    しかし、意識してしまうな、教養…

    • 町田 より:

      >スパンキーさん、ようこそ
      過分なご評価をいただき、恐縮です。
      ありがとうございます。

      ま、「教養」 というのは、ある意味では 「知識の集積」 かもしれませんが、でもやっぱりそれだけじゃないですよね。

      なんていうのでしょうか ……
      どれだけ “楽しいこと” に夢中になれるか。
      それが決め手のように思っています。
      好きなことへの集中力みたいなもの。
      「知識の集積」 に、そのパワーが加わったときが本物なんでしょうね。
       

  3. クボトモ より:

    “誰も美しいと思わないような景色の中に 「美」 を感じられるかどうか”

    魅力的な言葉が、視点が、感性がちりばめられたテーマですね。
    読んでいて豊かな何かがじんわりと滲んできました。
    絵画も写真も、名作と呼ばれるもののモチーフは特別ではないものがほとんどです。
    それをどのように切り取ったのか。
    作品の上辺だけを見るのではなく、作者の捉え方を読み取る。
    水脈への蓄積は末永く続けねばと思いました。

    • 町田 より:

      >クボトモさん、ようこそ
      拙文をご評価いただき、感謝いたします。
      クボトモさんの場合は、ご自分のblog に掲載されている写真そのものが、“豊かな水脈” の存在を語っているように思われます。
      どれをとっても、みな詩情がありますよね。
      素晴らしい写真ばかりですね。

      私の場合は、“口だけ” で、実際に写真を撮ってもたいしたことないし、美しい画像を創造できる人にお褒めいただくと、かえって恥ずかしい思いに駆られます。
       

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