正月は映画三昧

  
 正月に入ってから風邪をひいてしまって喉と鼻をやられ、加湿器のある部屋 … つまりリビングからほとんど出ることなく、ずっとテレビモニターの前に陣取って放映されている映画やドラマ、それにハードディスクに取りだめしていたものを一気に観た。

 そんなものの感想を少々。

 正月2日は、テレビ東京で放映されていた 『影武者 徳川家康』 を観た。
 隆慶一郎作の原作で、関ヶ原の合戦以降の徳川家康というのは、実はその戦いで西軍により暗殺された家康に代わって、その影武者が務めていたという設定。
 強引に豊臣家を滅亡させようとする家康の実子・徳川秀忠と、なんとか豊臣家を温存させようとする影武者との暗闘が主要テーマとなる。

 いやまぁ奇想天外、突っ込みどころ満載のドタバタ時代劇なのだが、しっかりした脚本と演技力のあるキャストを整えると、嘘八百の設定ながら、これがけっこう見事なエンターテイメントとなるという好例。なかなか楽しめた。

 徳川家康という人物は、戦国史劇の脇役となる場合は、 “タヌキジジイ” として描かれる場合が多い。特に、秀吉死後の天下取り構想は、詐術と謀略で埋め尽くされているかの感がある。

 大坂城攻略に手を染める家康は、秀吉の遺子・秀頼の地位の保全を嘆願する大坂城方の女房連には優しい言葉を駆使して安堵させ、裏では密かに大坂城攻略の計画を進めていくという腹黒い人物というイメージが強いのだが、豊臣方の女房たちを安堵させたのは影武者・家康の本意であり、その裏では豊臣家を滅亡させるべく暗躍する秀忠との暗闘があったとすれば、「腹黒い家康」 という先入観にもかなり修正が迫られる。

 脚本は、史実と史実の間に隠れた “闇” の部分にうまい解釈を与え、それなりにストーリーの整合性を持たせていた。
 番組の終わりに、「この話はあくまでも一つの仮説です」 というテロップが入るのだが、最初からそうだと思い込んで観ていたのだから、「何をいまさら !! 」 と笑ってしまった。
 
 
 戦国モノとして、映画 『のぼうの城』 も楽しめた。
 こちらは和田竜の原作による2012年の映画。
 天下統一目前の豊臣秀吉が、最後まで秀吉に対抗していた小田原・北条氏を攻めるときの話。
 北条氏に味方する成田氏の城を、秀吉配下の石田三成が落とそうと迫るのだが、領民から 「のぼう様」 (でくのぼうの意味) とバカにされながらも親しまれていた成田長親が、領民の力を結集して、城を守りぬくという話。

 力攻めが難しいと判断した石田三成は、 “のぼうの城” を水攻めにする。城の周りに川の水を集め、城が水没していくのを待つという持久戦に持ち込んだのだ (史実とは違うらしい) 。

 “のぼうの殿” である成田長親は、「水攻めなどには決して屈しないぞ」 という姿勢を敵・味方に見せつけるために、水に浮かんだ城から舟を出し、その上でひょうげた田楽舞を踊る。
 その舞があまりにも面白おかしいために、敵も味方も我を忘れて歓声を上げ、手を叩き、舞の名手を賞賛する。

 長親を演じるのが当世随一の狂言能楽師・野村萬斎であるから、その踊りは堂に入ったもの。
 ただ、ライティングの妙を尽くし、あらゆる音響効果を駆使して行われる現代の音楽イベントに慣れた我々にとっては、いくら野村萬斎の踊りがうまいといっても、肉体ひとつで演じられるパフォーマンスだけでは、今ひとつインパクトが弱い。

 ここは観客の想像力が要求されるな、と思った。

 つまり、ロウソクのような照明しかない時代に、その限られた舞台装置のなかで繰り広げられた役者のパフォーマンスは、その出来栄えだけで、万民の心を蕩かせる “力” があったのだ。
 現代人には退屈な平安時代の白拍子の舞だって、当時の人々からすればAKB48のような華々しいステージに見えたのかもしれない。
 歴史劇を観るときは、そういうところに思いを馳せる想像力も要求されるかもしれないと思った。
 
 
 ところで、鳴り物入りで始まったNHKの大河ドラマ 『軍師 黒田官兵衛』 (おっとこれも戦国モノだな)。
 第一回を見た限りでは、今後期待できそうかそうでないか、今のところは判断留保。

 今回は、ほぼ子役の官兵衛だけの出演にとどまったが、「黒田官兵衛という人物は幼少期から利発で、好奇心が強く、将来大物になる」 と匂わせる演出が、今まで何度も繰り返されたNHK大河の常習パターンをなぞっているようで鼻についた。
 NHKは、颯爽とした青年武人としての官兵衛を描こうとしているようだが、官兵衛という人は、はたしてそういう人物なのか ?

 自分が黒田官兵衛に対して抱いている人物像は、しょせん 「目先の利に敏い二流の軍師」 というものなのだが、そういう先入観をいい意味で裏切ってほしい。

 
 現代劇として面白かったのは、芥川賞を受賞した西村賢太の作品を映画化した 『苦役列車』

 家庭の崩壊した中卒の主人公が家を飛び出し、港湾の荷役労働などで食いつなぎながら生きていくという悲惨な話。わずかな日当は酒代と風俗通いで消えていき、将来への希望など何も持てない。
 さらに悲惨なのは、主人公の他者への共感能力を欠いた主人公の自分勝手な性格。
 
 そのあまりにも自己中心的な生き方が、映画の中では時としてギャグにもなるのだが、そこに格差社会のリアルな現実が浮かび上がっているようで、観ている者は素直に笑えない。

 原作を読んだ息子の話によると、映画として観ても面白いことには面白いが、やはり映画では、原作が持っている “文体の妙” が伝わってこないという。原作を読んでいないので、そこのところの比較はできないが、原作を読んでしまうと、映画は物足りないとのことだった。

 映画では、悲惨な境遇の主人公が、最後は小説家を目指して発奮するところで終わる。
 それが “救い” になるのだが、どうやらその時点で、この話は 「小説家として身を立てることのできた原作者」 の個人記録になってしまい、それまでのヒリヒリした世界が持っていた悲惨がゆえに普遍性を持ったテーマが薄れてしまったということなのかもしれない。
 
 
 正月の気分には水を指すような映画として、WOWOWシネマでは東映の 『仁義なき戦い』 シリーズが毎日放映された。
 手持ちカメラによる凄絶なバイオレンスシーン。敵対するヤクザ組織の構成員に対する銃弾の乱射、木刀よる乱打。
 “指ツメ” のために切り落とされる指や腕。
 飛び散る血潮。

 おせち料理などを食べながら、お屠蘇で一杯という正月気分など一気にふっ飛ばしてしまう残虐シーンの連続。

 でも、これを 『仁義なき戦い』 、『広島死闘編』 、『代理戦争』 、『頂上作戦』 と連続して4回観た。
 すでに、劇場公開中にその大半は観ているのだけれど、改めて観て、これは日本映画史に燦然と輝く傑作だわい … と唸らざるを得なかった。

 何が凄いのか。
 映画のインパクトは、確かに血が舞い飛ぶバイオレンスシーンがもたらすものではあるのだけれど、この映画の魅力は、実は人物造形にある。
 特に素晴らしいのは、役者たちの “声” だ。

 シマをめぐって抗争を続けるヤクザ組織の構成員が、不断の緊張を強いられるところから生まれる切羽つまったセリフの数々。
 声を押し殺した静かな口調から始まり、それが相手を威嚇する怒号に変わるまでの高揚感と緊張感。
 そこには、よくできたROCKのギターリフに身を揺さぶられるような酩酊感がある。
 
 この会話劇を、「広島弁で書かれたシェークスピア劇」 と評した人がいる。
 シェークスピアという名前を出すのは、さすがに大げさだと思わないでもない。そこまでの文学性も哲学性もないからだ。
 しかし、そう言いたい人の気持は分かる。
 意味内容はともかく、男たちのセリフには、音律の見事さは備わっている。
 ある意味では、オペラのようなもの。
 音だけ聞いていても美しい。

 菅原文太、小林旭、松方弘樹、梅宮辰夫、金子信雄、田中邦衛、渡瀬恒彦、成田三樹夫、千葉真一、北大路欣也、加藤武、前田吟、川谷拓三 … こういう映画俳優たちが生涯演じた役柄の中でのベストは、すべてこの映画シリーズの中に集約されてしまったのではないかというほどの出来栄え。

 ただ、「やはりテレビで観る映画ではないな … 」 と思ったのも事実。
 心地よく暖房が効き、手を伸ばせばおやつがあり、酒も飲めるという “平和な家庭” に居座ってぬくぬくと観るべき映画ではない。

 これは、すえた匂いと煙草の煙が充満しているような場末の映画館で、男が独りでじめっと観るべき映画なのだ。
 “平和な家庭” で観ていると、主人公たちの切羽つまった悲壮感が半減されてしまって、それが悲しかった。
  
 
参考記事 「仁義なき戦い」
 
 

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正月は映画三昧 への2件のコメント

  1. Take より:

    松も取れた今頃ですがあけましておめでとうございます。今年も楽しいBlogを期待しています。
    徳川家康と秀忠の描き方は斬新でしたね。2人の葛藤の最新は数年前の大河ドラマ、倍返しの堺雅人さんが秀忠をした「江」でしたが、オーソドックスな「タヌキおやじ」の家康に反抗する秀忠の苦悩だったように覚えています。
    時代劇は、その時代を見たことがない現代人の作家さんが「もし」を描くものですが、それでもその時代に合わなく苦悩する話の方が面白い気がします。
    ご覧になった2作品+これからご覧になる官兵衛、いずれも戦いに批判的な武将の葛藤のような気がします。どれも時代に合わないところが面白いのでは、と思いますがいかがでしょうか?
    戦国時代をモチーフにした番組で、誰が一番有能な戦国武将だったのか?をやっていて、1位信長、2秀吉、3位家康だった時は興ざめしました。勝った武将は時代にマッチした人で、そこに変革への苦悩が見えないので、負けた信玄、謙信、早雲の方が面白い政治をしたように思うのは、関東びいきだからでしょうか?

    • 町田 より:

      Take さん、ようこそ
      こちらこそ、“遅くなりましたが !! ” 明けましておめでとうございます。
      テレビ東京系の 『影武者 徳川家康』 は面白かったですね。
      こういう “秀忠像” ははじめてだったように思います。演じていた山本耕史さんも、ヒールの役をうまく表現していましたよね。

      >>「 (歴史劇は) 現代の作家がその時代に合わずに苦悩する人物の葛藤を描くと面白い」 という指摘は、まさにそのとおりだ、と感心いたしました。
      確かに、歴史物語の主人公に選ばれる人たちの大半は、その時代の 「勝者」 ですよね。それだと結果がすでに分かっているから面白くもなんともない。
      年末の番組で 「有能な戦国武将」 を選び出す番組をやっていたのは私も観ていましたので知っていましたが、①信長 ②秀吉 ③家康という結果には確かに多少うんざりしました。

      このあたり、もしかしたら司馬遼太郎さんの影響が強いのではないでしょうかね。
      彼は大阪人だけあって、西側の信長、秀吉、家康を主人公にした小説を書いていますが、関東・甲信越では北条早雲を除くと、信玄も謙信も主人公にした物語を残していません。

      自分の記憶では、昔圧倒的に人気があったのは信玄と謙信で、信長などは、松本清張によると、「機を見るに敏いだけの二流の武将」 などと言われていました。信長人気は、高度成長以降のビジネスマンたちによってもてはやされるようになった武将ではないかという気がしています。
      だから、企業戦士たちの活力が盛んな時代には信長人気は圧倒的な人気を誇っていました。(確かにカッコいいけれどね … )
      しかし、今は少しだけ時代も変わっているような気もします。
       

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