野良猫という “自然”

 

 野良猫というのは、人間が管理しなければならない動物らしい。
 
 新聞を読んでいたら、「猫の不妊手術に関心がない人が多くてびっくりした」 という投書が掲載されていて、それを読んで、びっくりした。

 投稿者の書いた文面の詳細は忘れてしまったが、「これからは野良猫の蔓延を防ぐために、自分も猫の不妊手術を徹底させるなど野良猫撲滅を目指して社会貢献する」 という決意が述べられていた。

 野良猫が蔓延すると、どういう危害が人間社会に及ぶのか ?
 ちょっと関心を持ってネットで調べてみたら、その多くが、
 「庭で糞をする」
 「庭で家庭菜園をしているが、それが荒らされる」
 「野良猫なので不衛生だ」
 … とかいうものだった。

 困っている人には気の毒だが、それは 「猫を寄せ付けない」 ための方策を自分で考案する問題でしかなく、「不妊手術」 まで徹底させようという発想とは根本的に異なるものだと思う。
 うちには “家庭菜園” をするほどの面積を持った庭もないし、野良猫だから不衛生と感じたこともない。

 糞に関しては、猫が犯人だと知らないうちは怒った。
 一時期、玄関の前に小動物の糞が放置されていて、てっきり犬だと思ったから、飼い主を見つけて怒ってやろうと思い、ずっと見張ったこともあったし、玄関の前に動物の嫌がるスプレーを撒いたりした。

 しかし、どうやら犯人は野良猫らしいと思った時点で、「それならしょうがない」 と思うようになった。
 以来、糞を見つけたら自分でスコップですくい上げ、それこそ “猫のひたい” ほどの庭に穴を掘ってうめたり、家の中のトイレに流したりしている。

 確かに、面倒くさいよ。
 でも、野良猫ってのはそういうもんだと思うから、腹も立たない。

 犬は人間の管理下に置かれているので、犬がやらかす不始末は飼い主に責任がある。
 しかし、野良猫はその限りではない。

 猫は、“自然” に属する動物なのだ。
 人間同士の生活のルールが網の目のように行き届いた現代都市空間において、唯一残された “自然” が野良猫だ。

 だから、野良猫が生きやすい空間こそ、実は人間がホッと一息つける自然の匂いの残った豊かな空間なのだ。

 野良猫の生きられない空間というのは、人間ですら息の詰まる空間になっているはずだ。
 それで実現された 「衛生」 がなんぼのものか。
 そういうことに鈍感な、感性の貧しい人間に、「不妊手術を徹底させて、野良猫を撲滅させろ」 なんて言ってほしくないね。

 オレは犬派で、自分の家でも犬を飼っているけれど、外で見かける野良猫の姿に、何度心を癒やされたことか。
 「この界隈は、野良猫ですら生きられる空間なのだ」
 と思うことで、心の安らぎが得られる。

 世の中には、人間に制御できないものがある。
 制御できないものを抱えた社会が、豊かな社会である。
 野良猫というのは、そのもっとも小さくて卑近な例だ。

 「野良猫にエサをやらないようにしましょう」
 などという看板を掲げてとくとくとしている人間は、都会の中に残された小さな “自然” を潰そうとしているのかな … などと、ふと思う。
 都会の中の “自然” って、児童公園に植えられた草花だけじゃねぇだろ。
 
 
参考記事 「お猫さまの時代」
 
参考記事 「人生はニャンとかなる」
 
 
 

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野良猫という “自然” への6件のコメント

  1. スパンキー より:

    「社会貢献」という印籠を手に入れたら、それは強いですよ。
    猫の去勢は、世のため人のためなんですから、
    町田さん、かなわないですよ。
    猫の立場なんてどうでもいい。この人たちは自分以外のメンタルを考えない訳。
    少なくとも、自分の気に入らない事柄や物事を、
    社会正義を盾に正論を吐く訳ですから、異を唱えづらいのなんのって…
    話をまぜこぜにしてはいけないとは思いますが、タバコなんかもそう。
    ついでに焚き火もほぼ禁止区域が多いです。
    潔癖症と管理されるのが好きなのは個人の自由ですが、
    そのうち自分の首も絞めるって分かっているのかな?

    ちょっといい加減、だけどゆるい社会って、いいと思うんだけどな…

    • 町田 より:

      >スパンキーさん、ようこそ
      そうですね、おっしゃるとおりです。
      「社会貢献」、「社会正義」 という言葉を先に出した人々に対しては、後から何を言おうとも通じないでしょうね。

      今の世の中は、言葉では 「優しさ」、「思いやり」、「おもてなし」 などを口にしつつ、内実は 「いい加減」 と 「ゆるさ」 を許さない社会に向かっているように思います。
      おっしゃるように、>>「自分の気に入らない事柄や物事を 『社会貢献』 という美辞麗句を盾にきれいに排除していく」 ことは、けっきょく 「自分の首を絞める」 ことになると思うんですが、そのことに鈍感になっている人が増えているように思えます。

      とにかく、本blogの趣旨にご賛同いただき、ありがとうございます。
      スパンキーさんのコメントにはいつも励まされます。
      今年もまたよろしくお願い申し上げます。
       

  2. クボトモ より:

    野良猫の繁殖を抑制するために去勢手術をする。
    野良猫撲滅で社会貢献。

    新年早々あのホリエモンが
    新幹線の中で泣く子供はうるさいから
    睡眠薬を使えばいいと言う意見に同調し
    炎上してました。

    どこか似通った発言に思えます。
    自分の不愉快を社会通念として正当化し、
    そのためならば去勢も薬物投与も常識的であると結論する。

    「自己中」という言葉が流行ったのはもう一昔前。
    今はより怪物へと進化しているのかもしれません。

    • 町田 より:

      >クボトモさん、ようこそ
      現代人の考える “快適な生活” というのは、往々にして、「自然から遠ざかる」 という方向に進んでいるように思います。
      その場合の “自然” とは、野山や草花という意味だけではなく、新幹線の中で泣く子供も含まれるわけですよね。

      確かに、公共交通機関の中で泣く子供は、ときに他の乗客の気分を逆なですることもあるかもしれません。
      しかし、それはそのお母さんの躾の問題に過ぎず、睡眠薬のような薬物で制御するようなこととは根本的に違いますよね。

      野良猫の問題もしかり。
      去勢や薬物投与というのは、猫の “自然” を無視した人間のおごりのように思えてなりません。

      そういえば、クボトモさんの写真の最初に出てくるのも、猫ちゃんですね。
      可愛いですね、あの写真 !!
       

  3. かめきち より:

    ホリエモンに関しての記事を読んだときに、すぐに町田さんの野良猫の回のブログを思い出しました。コメントを書き込もうと再び訪れたら、僕の思っていたことをクボトモさんが書いていてくれてるじゃありませんか。うまくは書けないのですが、イラク戦争のときに人質にされた日本人たちのことを、自己責任の言葉のもとに総攻撃していた光景が重なりました。

    • 町田 より:

      >かめきちさん、ようこそ
      イラク戦争のとき、人質にされた日本人に対する「自己責任」という言葉を使ったバッシングには、確かに怖いものを感じました。
      今から思うと、あのとき使われた 「自己責任」 という言葉は、その後 「格差社会で惨めな思いをしたって、それは真剣に仕事を探さなかった人間の自己責任」 とか、「シングルマザーで苦労していると訴えても、それは家庭を守らなかった女の自己責任」 みたいな、簡単に人を突っ放して見るような風潮につながっていったように思います。

      世の中、なんか 「面倒なことに関わりたくない」 、「面倒なことは考えたくもない」 という空気が広がっているような気がします。
      そこには、確かに 「野良猫を去勢によって駆除せよ」 という発想と近いものがありそうですね。
       

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