クリスマスと紅白の季節

 
 クリスマスの飾り付けが街全体を覆い、テレビなどからは紅白歌合戦の出場者とその歌う曲名が発表されるようになった。
 年末だなぁ …… 。

 毎年、この時期は気が重い。
 仕事も、一気にこの時期から重なって増えていくからだ。

 そういうわけで、ここ20年ほどクリスマスと紅白には楽しい思い出がない。
 巷でジングルベルが鳴っているイブの日も、会社一人残って残業していたし、大晦日の除夜の鐘が鳴る時間に、終電に揺られたりしてきた。
 ま、そんなことはいいんだけど。

 ところで、日本人は、これまでクリスマス・イブをどう過ごしてきたのだろう。
 私がまだ幼かった頃、クリスマス・イブというのは、母親と子供が家でひっそりと祝うもので、親父は … というと、キャバレーなどに繰り出して大騒ぎするものだというふうに決まっていた。

 当時の風刺漫画などで、サラリーマンのオヤジ達がサンタの赤い帽子を被り、「ジンゴベー♪ ジンゴベー♪」 と歌いながらダンスフロアで踊りまくっている図を見たことがある。
 確か、昔のドラマでもそんなシーンがよく描かれていたなぁ。
 うちの親父も 「接待麻雀」 と称して、家に帰って来なかった。

 そのうち 「クリスマスぐらいは家に帰って家族サービスをしろ」 という風潮が高まっていって、オヤジ達は、ケーキを買ってまっすぐ家に帰るようになっていく。 
 それが、1960年代に入ってからだと思う。 
 
 ところで、若い人たちが、クリスマス・イブを恋人と一緒に過ごすという習慣は、いったいいつ頃から始まったのだろう。 
 はっきり記憶にあるのは、バブルの時代だ。
 当時、都心のホテルの夜景の見えるレストランは、そうとう前から若いカップルの予約で埋まり、男は給料の1~2ヶ月分の宝飾品を彼女のために奮発して、その夜はそのホテルで1泊する。

 「今はそういう時代だ」 とマスコミに知らされて、イブの日も残業していた自分は、「ウッソだろ !! 」 と腹を立てた記憶がある。

 しかし、いろいろな話を後から聞いてみると、イブを恋人同士で祝ったカップルたちも、それ相当の努力があったという。
 男の方は、膨大な出費をせねばならないし、女の方も、お目当ての男にそう仕向けるために、陰で必死の努力をしたとか。
 なにしろ 「イブはそうしなければいけない」 という強迫観念が強大になりすぎて、優雅な夜景を見ながらシャンパンを開けるのも、涙モノの奮闘努力の結果であったという。

 『ユーミンの罪』 という本を書いた酒井順子さんによると、「イブを恋人と過ごす」 というブームが巻き起こった背景には、1980年に出された 『SURF&SNOW』 というユーミンのアルバムの影響が大であったという。
 その中にある 『恋人はサンタクロース』 という歌が、「恋愛」 と 「イブ」 を結びつけたというのだ。
 
 「サンタが隣のお洒落なおねえさんを、クリスマスに連れて行ってしまった」 と聞かされる主人公の女の子は、自分もサンタに連れて行かれる女になりたいと思う。
 その “サンタ” が恋人の寓喩であり、 “連れ出した” というのが、「結婚」 を意味することはいうまでもない。

 『恋人はサンタクロース』 の歌が若いカップルにとって大きな意味を持った頃というのは、ちょうど 「紅白歌合戦」 を若者が振り向きもしなくなった時期と一致している。

 それまでの 「紅白」 は、大晦日の夜に家族全員がコタツに入って楽しむ “家族行事” になっていた。
 残業と夜の居酒屋放浪で家を空けがちなお父さんも加わり、子どもたちも、久しぶりに家族全員が顔を合わせる年末の一夜を楽しむ。
 そんな状況から、子どもたちが抜け出したのが、ちょうどユーミンなどのニューミュージックが流行る頃。

 2000年代になって、ようやく紅白にも顔を見せるようになったユーミンだが、それまでユーミンといえば、「紅白」 みたいな家族の “かったるいぬくもり” などにはそっぽを向いていた人。
 その当時は、そういうアーティストの方がカッコよかったわけで、若者たちはどんどん 「紅白」 に背を向けていった。

 「紅白」 の視聴率は、現在前半で30%ちょい。後半で40%ちょいぐらいらしいが、1963年の時点では、80%を超えていた。
 60年代というのは、「紅白」 が家族をつなぐ求心力を秘めていた時代だったのだ。
 
 たぶん、それは 「近代家族」 の形成期と波長を合わせている。
 60年代に入って、地方から出てきた人々が、都心の近郊に家を構え、「夫婦に子供二人」 という平均的な近代家族を形成するようになっていく。
 「紅白」 は、そのような田舎を捨ててしまった家族たちの “バーチャルな故郷” の役目を負っていたのだ。

 その擬似故郷的な匂いをもたらす 「紅白」 の野暮ったさを、若いころのユーミンは突いた。
 それに共感した (当時の) 若者たちは、年末は家を出て、高層ビルのレストランで、都会の夜景を眺め、その人工的な光の乱舞に酔うようになった。

 大都会の光を、ユーミンほどうまく歌ったアーティストはいないかもしれない。
 しかし、そのあざとい美しさには、どこか生物的なグロテスクさも交じる。


 
 短歌を思いついた。

 「夜景がきれい」 と女がいう
 しょせんオレたちは蛾 (が) の仲間
 
 

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クリスマスと紅白の季節 への4件のコメント

  1. Take より:

    ご無沙汰をしております。ずっと読み逃げしていました(笑)
    クリスチャンになっていいことは、クリスマスにはれっきとした言い訳ができることで世間の流れに乗らずに済みました。
    が、それでも流行のスキー場にはご多分に漏れず無線機を持っていった口です(爆)

    ユーミンはなんといってもソフトタッチにくすぐる術を持っていましたよね。想像力がなくなってきた(20世紀後半の最近の)若者にも、想像を掻き立てるようなヒントがちりばめてあるから思わず食いついてしまう。
    件の恋人はサンタクロースもその意味では、町中の若者が乏しい想像力を思い切りメルヘンチックに膨らませたのでしょうね。
    この一年を振り返って…という紅白には想像力が必要なく、あーあ何もない一年だったな、と演歌という暗いイメージの歌を聞きながら失望感・喪失感を感じてしまうのかもしれませんね。あまりにも現実の直視をさせ過ぎたのかもしれません。
    オヤジたちにとっては現実を受け入れなければいけない、だから演歌は自分とシンクロできる。でも若者は未来に希望を持ちたい、だから演歌には相容れられなかった。それがクリスマスの輝きと紅白の衰退のように感じます。

    • 町田 より:

      >Take さん、ようこそ
      最近の 「紅白歌合戦」 を見ていて思うことは、ユーミン、矢沢永吉、桑田佳祐など、それまで 「紅白」 などに見向きもしなかった人たちが、会場ではないとしても、どこかの中継地から出場するようになったことですね。
      考えてみると、そういう歌手たちも、もういい年齢になった人たちです。
      「やはり、最後は紅白」
      というわけで、それだけ 「紅白」 というものが、やはり日本人の “心のふるさと” のように機能しているということでしょうか。

      ただ、視聴者の年齢を反映してか、さすがに 「演歌系」 の歌が出る比率は減っていますね。
      今 「紅白」 を観る大人たちというのは、若いころからポップスやフォークになじんだ人たちですからね。

      演歌を聞いていると、>>「あーあ、何もない一年だったな、と演歌の暗いイメージに引きづられ失望感・喪失感を感じてしまう」 というご指摘は鋭い視点だと感じました。
      実際そのとおりで、演歌というのは、基本的に “望郷ソング” であり、高度成長期に故郷を離れて都会で労働するようになった人たちの 「故郷・家族から切り離された痛み」 をテーマとして生まれてきた歌であるように思います。

      高度成長期の演歌は、「恋」 をテーマにするにせよ、都会と田舎に引き裂かれた若者たちの心を描いたものが多い。『夕やけトンビ』 (三橋美智也) や 『僕は泣いちっち』 (守屋浩) のような歌がそれですね。
      それはポップス全盛の時代になっても、『木綿のハンカチーフ』 (太田裕美) や 『帰って来いよ』 (松村和子) のような形で連綿と続いていました。

      しかし、そのポップスやフォークになじんだ大人たちが子供だった頃、その親世代は、もっと痛烈に、故郷から切り離された “痛み” みたいなものを感じていて、演歌を聞くことで癒やされていたのではないでしょうか。

      今のオヤジたちにも、その時代の気分は多少残っていて、ご指摘のように、それが演歌に対する郷愁になっているのでしょうね。
      ただ、その子供たちからすると、もうフォークやポップスが日常的に流れる 「我が家」 こそ “故郷” 。
      演歌はノスタルジーにすらならず、ひたすら暗くて非現実的な歌でしかないように感じられるのかもしれません。

      ユーミンの作る曲は、その時代の転換期にうまく合ったように思います。
       

  2. トワイライト より:

    ユーミンが出てきた時、「ああ、これを聞いたら人間がだめになる」なんて思ったものです。
    それは、高校生の時、フランソワ―ズ・サガンの小説を読んで「こんな本ばかり読んだら、だめだ」とまじめな女子高生だった私が思ったのに似ていました。そして、何冊も読みました。
    両方とも大好きだったのだけれど。
    何だったのだろう?この想い?
    ユーミンの歌で一番好きなのは、「デスティニー」(恋人を見返してやろうと思ったのに、古いサンダルを履いていたという歌詞)です。演歌っぽいですかね。
    紅白は見ませんが、日曜日の「のど自慢大会」は見ています。「のど自慢大会」にユーミンとか永ちゃんとか出て欲しいな。

    • 町田 より:

      トワイライトさん、ようこそ
      ユーミンの歌、そしてフラソワーズ・サガンの小説を読んで、>>「こんなものに接していたらダメになる」 というのは鋭い感受性をお持ちであることの証左であるように思えます。
      つまり、「ダメになる」 と怖れるほど、原作に潜む抗しがたい魔力を見抜いてしまったということなのでしょうから。

      思春期の頃、どれだけ 「ダメになる !! 」 芸術に会えたかどうかで、その人の 「大人になったときの成熟度」 が決まるような気もしています。

      「ダメになる」 と思えるほどの禁忌に触れる意識があってこそ、その領域を超えるときの快楽も見えてくるわけで、結局 「大人になる」 ということは、大人の快楽と罪を同時に手に入れることなんでしょうね。

      ユーミンの 「デスティニー」 という曲は、『ユーミンの罪』 を書かれた酒井順子さんも、とりわけ大事な歌だと取り上げていらっしゃいました。
      確か、「振った男に対する最大の復讐は、自分が優雅な生活をしていることを見せつけること」 というユーミン論を展開しているときに取り上げられていた歌だったと思います。
      この歌に歌われる主人公は、そのときたまたま古くてダサいサンダルを履いていたというわけで、“完璧な復讐” が、それによって中途半端なものになってしまったわけですね。
      ユーミンらしいほろ苦い自虐の念が絡まった、鋭い歌詞でしたね。
       

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