「ネタバレ」 でいいじゃない

  
 ネットに書きこまれた素人の映画レビューなどには、よく、
 「ネタバレ注意!」
 とか、
 「この先ネタバレです!」
 とか、
 「ネタバレでごめん」
 などという注意書きが出てくる。
 
 要するに、
 「このレビューを読むと、映画の結末がわかってしまうから、まだ映画を見ていない人は読まないように」
 とか、
 「結末を知りたいのなら読んでもいいけど、映画が面白くなくなっても、自己責任だからね」
 ということなのだろう。
 
 確かに、真犯人を探し出すことが主題となる推理モノ・探偵モノなどは、やっぱ結末がわかっちゃうと、映画を観る気がうせる。
 最後の 「どんでん返し」 がすべての意味を持つ映画もそうだ。
 
 基本的に、「ネタバレ」 が困るのは、「エンターティメント」 としてつくられた映画だ。
 娯楽映画というのは、観客の緊張感を高めるだけ高めて、最後にストンと落とすという “落差” をカタルシスに変える映画だから、事前にネタをバラされると、その落差が解消されて、「スカっとした!」 とか、「驚いたぁ!」 という感激も弱くなる。それでは作っている方も、観ている方も困るだろう。
 
 しかし、最初からダラダラと始まり、途中も盛り上がらず、最後もとりとめもなく終わるような映画の場合は、ネタがバレても、困らない。
 というか、バラすような “ネタ” が、どこにあるのかもわからない。
 いわゆる “ゲージュツ映画” といわれるものには、こういうものが多い。
 
▼ ゲージュツ映画の代表作のようなミケランジェロ・アントニオーニの 『太陽はひとりぼっち』
 

 で、私は、ハラハラドキドキのエンターティメントよりも、ノンベンダラリの “ゲージュツ映画” の方が好きだから、ネタバレも悪評も大歓迎。

 「監督が何を伝えたいのかよくわからなかった」
 「主題が意味不明で、こういうのは苦手」
 とか、
 「途中から眠くなった」
 などと書かれたレビューを読むと、
 「お、これは期待できそうな映画だな」
 と判断している。

▼ 「意味が分からない」 と観客を悩ませた 『ニーチェの馬』 

 
 こういう “ゲージュツ映画” のファンというものもけっこう多く、ネットなどの映画レビューにおいても、かなり凝った映画評を書き綴っている人がいる。
 
 そういう人の書くものには、「ネタバレ注意!」 はない代わりに、「この映画のこの魅力が判らなければ映画を語る資格がない!」 みたいな、強引な決め付けがある。(私が書く映画感想文がまさにそうなんだけど … ) 。
 
 こういうエリート臭の強い、押し付けがましい映画評を読むのも、実は好きなのである。
 で、映画を見たあと、「自分もこの人と同じように思うだろうか?」 というのが、次の興味の焦点となる。
 
 たいていは、外れる。
 映画の魅力というのは、… 特にゲージュツ映画の場合は、どこが魅力的かといっても、受け取る人によってさまざまなのである。
 
 だからこそ、自分が感受できなかった部分をしっかり見つめている人には敬意を表するし、同じ気分を共有できた人にはシンパシーを感じる。
 
 結局、いい映画というのは、ネタがバレても再鑑賞に耐えられるということかもしれない。
 別に “ゲージュツ映画” に限らず、意外な結末で観客を驚かすエンターティメント映画であっても、いい映画は 「ネタバレ」 を拒まない。
 
 ま、そんなわけで、「ネタがバレても困らない」 映画が好きなのである。
 
▼ 『猿の惑星』 第一作なんて、結末が判っても未だに見ちゃうものな
  
   
 
参考記事 「映画 『ニーチェの馬』 」
 
参考記事 「きっと、ここが帰る場所」
 
参考記事 「ストレンジャー・ザン・パラダイス」
  
参考記事 「映画 『ジェリー』 」

参考記事 「アントニオーニ 『太陽はひとりぼっち』 」
 
参考記事 「アントニオーニ 『赤い砂漠』 」

参考記事 「アントニオーニ 『欲望 (BLOW UP) 』

参考記事 「ベルイマン 『沈黙』 」
 
 

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