ユーミンの罪

 
 いつかは出ると思っていた。こういう本。
  『ユーミンの罪』。

 実にうまいタイトルだと唸らざるを得ない。
 書店で平積みになっていれば、ユーミンに興味のある人も、ない人も、ふと足を止めるだろう。
 そして、「罪」っていうからには、これは松任谷由実を批判した書なの ? … という疑念をチラッと抱くはずだ。
 そこでもう、 “つかみ” はばっちりだ。

 で、手にとって見る。
 装丁に描かれるユーミンらしき人物を描いたと思われる洒落たイラストを見ると、この本が単純な批判の書ではないことも伝わってくる。
 「罪」という言葉の隣に、見えないもう一つの言葉として、「愛」という文字が刻印されていることが見えてくるのだ。

 単純にユーミンを批判する書だったら、そんなもんはとっくの昔に出ていたっていいわけだし、第一そういう本が売れるとも思わない。
 それに、僕は酒井順子さんの書いたものが好きなので、「彼女だったらそんな芸のない本は出さない」という確信もあった。

 では、なんでこのタイミングに、『ユーミンの罪』という名を持つ書籍が登場することになったのか。
 たぶん、僕たちは70年代の高度成長期からバブルの最盛期、そしてバブルが弾けた後の閉塞の時代を、ようやく、冷静に、… そしてちょっとだけ甘い回顧の念を持って眺められるようになったのだ。

 僕は、かねてより、高度成長からバブルへ至るまでの日本人の 「心」 の変遷ぶりを追うには、ユーミンの歌の解析がもっとも近道だと考えていた。
 いつかは、誰かがそれをやるだろうと思っていたが、まさか『ユーミンの罪』なんていう上手いタイトルで出てくるとは思わなかった。
 
 このタイトルは、以下のような本の構成を、容易に連想させる。

 ① ユーミンが作り出した世界の新しさ。
 ② それに酔った当時の人々。
 ③ そして、酔ったがゆえに、いま何かを失ってしまった人々。
   およそ、そんな展開が、このタイトルから読めるのだ。

 で、本文には1行も目を通すことなく、そのまま手にとって、レジに直行したわけだが、実は、まだ全文を読んでいない。
 読んだのは最初の方の1章から3章までと、最後の20章、そして「あとがき」だけ。
 でも、その部分を読んだだけで、もう何かを書きたくなってしまった( … で、こうしてblogを書いている)。
 
 まず、面白い !!
 視点がいい
 文章がいい

 著者は、歌詞の掘り下げにもずいぶん力を入れているが、詞を分析する文章が、歌詞そのものと拮抗するくらい洒落ている。若い頃からユーミンの視点で世界を眺め、ユーミンのサウンドで世界の音を拾ってきた著者の思い入れが、詞の解析に反映されていると思って間違いない。

 著者の酒井順子氏は1980年、中学生のときにユーミンの 『MISSLIM』 に接し、その音楽に開眼したという。
 彼女は、そのアルバムに収録された「海を見ていた午後」という歌に登場する「ドルフィン」というカフェに胸をときめかせる。
 同カフェは、横浜の海が見える高台に実在しており、ユーミンの歌に登場する前から穴場デートスポットとして、横浜や東京の遊び人たちの間で話題になっていた場所だった。

 「山も海もない東京内陸部に住むわれわれにとって、そこは夢のような洒落たシチュエーションを約束されたところであり、私たちも、大人になったらそんな店に行ってみたいと思っていた」
 と、酒井順子さんは書く。
 しかし、
 「でも、私は大人になってもドルフィンに行くことはないだろうという予感も同時に持っていた」という。
 
 というのは、ユーミンの歌に魅せられた中学時代に、すでに彼女は、ユーミンの歌にうたわれる “舞台” は、「逃げ水のように、追いかけると逃げていく」ものだと見抜いていたようなのだ。

 彼女は書く。
 「ユーミンは中学・高校時代からキャンティだの立川や横田のベースだのへ出入りするという、当時としては最先端の遊びをしていた人。デビューした頃は中国人の青年と恋をしていて、ドルフィンは、ユーミンにとって彼にまつわる思い出の場所だった」

 つまり、彼女は、自分がドルフィンに行ったとしても、ユーミンが歌ったようなきらびやかな “物語” に出会うことがないことも分かっていたという。

 ユーミンが、その贅沢な体験と、有り余る才能で紡ぎだす世界と、それに憧れながらもただ聞くだけのリスナーとの間に広がる微妙な距離。
 それを著者は、「届きそうで届かない『憧れ』 」と書く。

 「店自体に行くことはできても、ユーミンの体験しているような世界には決して出会うことはできない」

 その、手を伸ばすと遠ざかっていく夢のような感覚にこそ、ユーミンの歌の魅力が隠されていることを著者は喝破する。

 紹介されるユーミンのアルバムは20枚。
 1973年に発表された『ひこうき雲』から、1991年にリリースされた 『DAWN PURPLE』 までが年代順に取り上げられ、ひとつのアルバム紹介がそのまま本の章立てをなしている。

 最初の1章『ひこうき雲』(開けられたパンドラの箱)から、ぐいぐいと読者を引き込んでいく著者の手際はなかなかだ。
 この章では、ユーミンのデビューによって生まれた「ニューミュージック」という言葉の「ニュー」はいったい何に対してのニューだったのか ? ということが問われる。

 もちろん、その「ニュー」は、当時の演歌や歌謡曲に対して使われたものだが、それ以上に比較対照されたのが、若者の支持をもっとも集めていた吉田拓郎やかぐや姫たちのフォークソングであった。
 
 当時のフォークでは、『神田川』や『赤ちょうちん』に代表されるような、学生運動に挫折したり、低賃金で働くビンボーな若者の生活を描く歌が主流だった。
 だから、テーマも「愛」、「貧乏」、「失恋」、「旅立ち」などといった人間くさい物語が中心となっていた。

 しかし、ユーミンは、そのような “貧しくて暗い生活” を描くのではなく、午後のテラスに影を落とす木漏れ日のようなもの … 、すなわち、人々が一瞬のうちに感じる光の強さみたいなものを、鋭い刃物で切り取るように歌い上げた、と著者はいう。

 「日差しがこうだとか、波の具合がこう … といったシチェーションは、幸福な人しか感受できないし、また幸福な人しか楽しめないものなのです。食うや食わずの人にとって、日差しとか波とかの具合などは腹の足しにもならぬでしょうし、健康でない人にとっても然り。
 すなわちユーミンの歌は、平和で満ち足りた世であるからこそ誕生し、そして人々に受け入れられていったのではないでしょうか」

 1972年。
 そのとき「時代が変わった」ことを、ユーミンの歌を通じて日本人が知った瞬間が、上の文では鮮やかに記されている。

 このように、ユーミンに魅せられた酒井少女は、その後もユーミンに強く背中を押され続けて、バブル時代の「女の最前線」におどり出ていく。

 では、その後、なぜそのユーミンの業績を、彼女は「罪」と認識するに至ったのか。
 それは、今後のお楽しみ。
 僕も、まだそこまで読んでいない。

 僕は、今日までユーミンのけっして良いリスナーではなかった。
 怨念と情念ドロドロの「中島みゆき派」だった僕は、ユーミンの軽い都会志向を、内心はちょっと軽んじていたのだ。
 だけど、いまこの本を読み始めて、まだ聞いていなかったユーミンのアルバムを聞いてみたいと思うようになっている。
   
 
関連記事 「ユーミンと 『桐島部活やめる』 の関係」
 
参考記事 「ひこうき雲 (松任谷由実は、荒井由実を超えたか ? ) 」

参考記事 「わかれうた (中島みゆきの恐ろしさ) 」

参考記事 「聖子と明菜」

参考記事 「演歌の時代は終わったのか」
  
参考記事 「70年代に女の歌が変わった」
  
   

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ユーミンの罪 への2件のコメント

  1. スパンキー より:

    このエントリー、驚きました。
    というのも、私のメモに「東京の女の子」というのがあります。

    これは、私が学生時代、配達のバイトをしていまして、
    カーラジオでユーミンを初めて聴いたときの回想を
    書こうと思っていたからです。

    私は横浜でしたが、当時、東京と横浜って近いのに、なんというか、
    文化がまるで違う。その落差が彼女の歌に詰まっていたのです。

    その詞は、私には異文化であり、東京の女の子の思考は、
    いまに例えると、ちょっと外国の女の子のように思えました。

    と書いて思うに、シンクロニシティというか、
    同じような時期に同じようなことを考える人っているんだなと…

    ああ、先を越された!

    • 町田 より:

      >スパンキーさん、ようこそ 
      “東京の女の子” をテーマにしたお話、ぜひ読みたいと思いました。

      『ユーミンの罪』 という本では、若いころのユーミンが横浜あたりにもかなり出没していたという記述があります。だから私などのイメージでは、“東京の女の子” であるはずのユーミンが、かなり横浜に馴染んでいると理解していたのですね。

      ところが、スパンキーさんは、そのユーミンに “異文化” を感じるという。
      そこが、面白いところですね。
      ぜひ、“横浜の視点” から、その違いを解き明かしてほしいと思いました。

      ひとつ思うのは、「ユーミンの横浜」 というのは、あくまでも “東京の女の子” の感じるエキゾチシズムということなんでしょうね。
      東京の思考に染まった人間が感じる 「異国」 。
      そこにスパンキーさんは、逆に 「東京の感性」 を感じ取られたのでしょうね。

      読みたくなりましたねぇ !! スパンキーさんのユーミン論。
      楽しみにしています。
       

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