ピーター・バラカン 「わが青春のサウンドトラック」

 
 
 同窓会のノリ。
 「あ、お前もそうだったの ? いやぁ、懐かしいねぇ !! 」
 「そうそう !! オレも同じこと感じてたんだけど、お前もそうだったとはねぇ … 」
 という感じだった。上記タイトルの本。

 著者のピーター・バラカン氏は1951年生まれ。私とほぼ同年齢。
 だから、小学校時代にラジオから流れるヒットソングに耳を傾けた少年同士として、ほぼ共通した体験を持っている。
 すなわち、日本とイギリスという離れた地に育ちながら、小学校高学年のときに、コニー・フランシスやらブレンダ・リーの歌をラジオで聞き、シャドウズのエレキサウンドに衝撃を受け、中学校に入ってビートルズの洗礼を受けるというように。

 若い頃に体験したものがあまりにも似通っていると、同じ郷里で過ごしたような錯覚が生まれ、ついつい “同窓会モード” になる。
 そんな気分で、読んだ本だった。

 バラカン氏にとっても、その音楽体験の原点はビートルズであったという。
 
 
 
 「彼らのデビュー曲 『ラブ・ミー・ドゥー』 (62年) をはじめてラジオで聴いたとき、僕はその容姿やパーソナリティに関して何ら知識を持っておらず、それが彼らのオリジナル曲であるということすら意識していませんでした。
 それでもこの曲には充分なインパクトがあり、63年に聴いたセカンド・シングルの 『プリーズ・プリーズ・ミー』 はさらに強烈な印象を残しました」
 と、彼は語る。

 私も、ビートルズはラジオで知った。
 そしてバラカン氏と同じように、最初は歌っている人間の顔も分からなかった。
 それでも、ビートルズの曲が流れた瞬間、ラジオ周りの空気が凍りついたような記憶がある。
 バラカン氏は、それを “心地よいインパクト” として捉えたようだが、私にとっては、むしろ違和感だった。
 しかし、違和感こそ “未知なるものとの出会い” を知らせるシグナルだ。
 メロンソーダのような甘く可愛いアメリカンポップスしか知らなかった私は、ようやく “胸騒ぎのする” 音楽と出会ったことになる。

 ただ、バラカン氏と私では、やはり環境的な違いが大きすぎる。
 バラカン氏は、『プリーズ・プリーズ・ミー』 を聞いた年の12月、バスに乗ってたどり着けるぐらいの距離にあるコンサート会場で、さっそく生 (なま) のビートルズに触れているのである。

 「テレビでしか見たことのないビートルズが演奏する会場の空気に触れるだけで大満足」
 と彼は語るのだが、私たち日本人は、デビュー当時のビートルズなどテレビで見る機会すらなかった。
 われわれにとって、その頃のビートルズは、ラジオかレコードを通してしか触れられないものだった。

 で、とにかくビートルズを自分の音楽体験の原点に据えたバラカン氏だったが、「夢中になったのは 『リヴォルバー』 (1966年) まで」 だという。
 このへんが面白い。
 ビートルズの音楽性がファン層を超えて広く認められるようになったのは、一般的に、『リヴォルバー』 の次に出された 『サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』 (1967年) 以降だといわれているが、同氏の興味はこの 『サージャント・ペパーズ』 あたりから、ほかの方向に向かっていったらしい。

 それが、ブルースや R&B の世界ということになるのだが、実はこのあたり、私の音楽体験とかなり酷似している。
 すでに、音楽メディアの世界で確固たる存在感を示しているピーター・バラカン氏と自分を同一次元で語ることがいかに不遜なことであるかは自分でも充分自覚しているつもりだが、この本を読んでいるかぎり、自分とバラカン氏の音楽体験がほぼ同じような軌跡を描いているので、不思議な気持ちになることが何度もあった。

 で、彼は、1970年のビートルズの解散にも、さほど思い入れを持たず、解散直後に出されたポール・マッカートニーのソロアルバムを買っても良いと思えるほどの曲は 1曲しかなく、「ビートルズのメンバーも、一人になってしまうとこの程度なのか、というのが正直なところだった」 と述懐する。
 ビートルズに対するこのような感想も、私の感じたものとよく似ている。

 ではビートルズの解散前後に、ピーター・バラカン氏はどんな音楽に向かっていったのだろうか。
 それが、先ほどちょこっと触れた黒人ブルースやR&Bという音楽だった。
 
 
  
 きっかけは、ビートルズを追うようにほぼ同時期にデビューしたローリング・ストーンズだったらしい。
 ストーンズのカバーした曲から、同氏はマディ・ウォーターズ、ハウリン・ウルフ、ジュニア・ウエルズなどの黒人ブルースに興味を持つようになり、同時にルーファス・トーマス、ソロモン・バーク、マービン・ゲイなどのR&B、そしてチャック・ベリーなどのロックンロールに目覚めていったという。
 
 
 
 このへんのエピソードは、イギリス人の 「黒人音楽好き」 を物語る好例かもしれない。
 バラカン氏は、ブラックミュージックを好きになっていった理由を、単純に 「カッコいいから」 と語るのだが、そういう表現が生まれる背景には、人種的な偏見から黒人音楽に接する機会のなかったアメリカの青年たちと、そのような差別の影響が少なく、先入観抜きで黒人音楽に触れられたイギリスの若者たちの差が横たわっているようにも思える。

 「ビートルズ」 そして 「ブルース」 という二つの “お気に入り音楽” を手に入れた同氏だったが、そこにもう一つ大事なアーティストが加わることになる。
 ボブ・ディランだ。
 興味を持ったきっかけは、63~64年頃、ジョン・レノンがインタビューなどに応えるごとに、ボブ・ディランの名を口にしていたからだという。
 で、父親にねだって、ディランのレコードを買ってもらったらしいが、その 「猫の鳴き声」 みたいな声に驚くと同時に、もっと衝撃を受けたのは、その歌詞だったそうだ。
 
 それまでのイギリスのポップスが触れたことのない社会問題を取り上げ、戦争への懐疑を提示し、人間の哲学を追求する姿勢。そういうものにバラカン氏は、「強烈に感化された」 という。
 
 
 
 私自身には、この “ディラン体験” がない。
 バラカン氏は 「歌詞に衝撃を受けた」 というが、そこに英語文化圏に生きている人々と自分の差を感じた。
 私は、ディランを “言葉” ではなく “音” でしか聞いていなかったから、その魅力の半分を見過ごしていたことになる。
  
 ビートルズがライブ活動に終止符を打ち、スタジオ中心のアルバム制作に打ち込むようなった頃、ロックの世界には新しい潮流が生まれつつあった。
 その代表選手として、ジミ・ヘンドリックスとクリームをあげてもいいかもしれない。
 
  
 
 バラカン氏も、当然この二つのバンドの活動をフォローするようになる。
 なかでも、テレビのポップス番組に出たジミ・ヘンドリックスには 「大変な衝撃を受けた」 とか。
 そこで演奏されたのは 『ヘイ・ジョー』 だったが、「番組が終わったあと狐につままれたような気分のまま、同じ番組を見ていた友人に電話をかけ、興奮を語り合った」 という。

 一方のクリームに関しては、同氏はやや冷ややかである。
 ヤードバーズ時代のエリック・クラプトンの大ファンであった氏は、当然彼が新しく結成したクリームにも期待を寄せた。

 しかし、バディ・ガイ、オーティス・ラッシュ、B・Bキングといった 「黒人ブルース・ギタリストの無駄のない演奏に馴染んでしまった耳には、派手なフレーズを連発するクラプトンの演奏は饒舌に過ぎるように思えてきた」 らしい。
 さらに、『スウィートワイン』 のようなポップなオリジナル曲はまったく好きになれず、プログレッシブ・ロックの一歩手前といった曲も苦手で、クリームに対しては失望したというのが正直な感想のようだ。

 そして、次のアルバム 『クリームの素晴らしき世界 (Wheels Of Fire) 』 も、「とりあえず買ってはみたものの、長ったらしい曲が多くて耐えられず、返品してしまった」 という。

 なんだか、クリームに対して感じているものが、私と本当によく似ている。
 私も、クリームの延々と続くインプロビゼーション・プレイを最後まで聴き通すことが辛かった。
 そして、「プログレが苦手」 というところにも同感。
 氏は、プログレのことを 「電気の無駄づかい」 と書いていたが、ブルースのようなシンプルな編成の音楽に魅了されると、そういう心境になるものかもしれない。

 さらに、意外と思えることは、70年初期に一世を風靡した、Tレックスなどのグラムロックも苦手といっていること。
 私などは単純に、グラムロックなどは、いかにも “文明大国の退廃” を表現したイギリス的ロック表現だと思っていたけれど、バラカン氏は、「グラムロックとプログレッシブ・ロックが人気を集めた70年代前半は本当につらい時代だった」 と述べる。
 
 
 
 そういう時代に、彼にとって 「救いになったのは、フィリー・ソウル系のヒット曲やモータウン・ナンバーをはじめとするブラックミュージックだった」 そうな。
 私も、まさにそうだった。
 70年に入って、だんだんロックがつまらなく思えてきたころ、“進駐軍放送” のFENから流れてきたソウルミュージックは、ほんとうに “救い” であった。

 もう一つ読者が意外と思うのは、氏が日本ではいまだに人気を誇るレッド・ツェッペリン (彼はゼペリンと呼ぶ) のことを 「大嫌い」 と言っていることだろう。
 何が嫌いなのか。
 「僕はあのバンドのタテノリのリズムが今も昔も苦手で、ロバート・プラントのやかましいヴォーカルには堪えられない」 … らしい。良し悪しというよりも、生理的に受けつけないバンドだという。

 これに関しては、私はよく分からない。
 確かに、ツェッペリンⅡの 『Whole Lotta Love』 などには、タテノリを強く感じるけれど、少なくともアルバムⅠは、氏がいうところのブルースフィールに満ちた “横揺れ” 中心の曲でまとめられていると思う。
 私は、ツェッペリンⅠは、 “ブルースアルバム” として聞いていたが、このあたりは、ホンモノの黒人ブルースにどっぷり浸かったバラカン氏の方が、耳の “肥え具合” では上なのかもしれない。

 この 「タテノリ」 と 「横揺れ」 に関連したことをいうと、60年代末期から活躍し始めたフリーというバンドに関する評価においても、私が感じていたものに近いことが語られていた。
 
 
 
 フリーに対して、氏は次のように語る。
 「 (彼らは) 60年代後半に盛り上がったブリティシュ・ブルース・ブームには何となく含まれない感じですが、その頃に確立されつつあったハードロックともひと味違う本当にユニークな存在でした。
 それはやはり、絶叫型にならないヴォーカルのポール・ロジャースと、きわめて黒っぽいリズム感を持ったベースのアンディー・フレイザーのおかげでしょう。(特にタテノリではない) アンディーのファンキーな横揺れが実に気持ちいいです ! 」

 「タテノリ」 か 「横揺れ」 かというのは、私にとってもロックを分ける試金石であって、やはりブルースの洗礼を受けてしまうと、タテノリについていけないものを感じる。

 フリーというのは、その 「横揺れ」 の感覚を体現しているバンドであった。
 彼らの音の核心にあるのは、まぎれもなくアンディー・フレイザーの地を這うように足元にねっとり絡みつくベースの響きだと思っていたから、バラカン氏がそれを指摘したことで、そうとう自信を持てた。

 概して、ブルースっぽい “黒いサウンド” を愛するバラカン氏が、アメリカ白人のルーツ・ミュージックの匂いを伝えるザ・バンドというグループを高く評価しているのも面白い。
 
 
 
 氏は、それまではカントリー・ミュージックの良さを理解できなかったが、ザ・バンドの 『ミュージック・フローム・ビッグ・ピンク』 を聴いて、「はじめてルーツ・ミュージックといった概念が (自分の) 感覚のどこかに生まれた」 と語る。
 
 この感じ方もよく分かるのだ。
 実は、ザ・バンドは私も大好きなグループである。
 彼らの音楽は、人に改心を迫る。
 ある意味、それは宗教的な音楽かもしれない。
 エリック・クラプトンは、このザ・バンドのアルバムを聞いた後に、仲間に向かって 「もう今までの音楽は止めようや」 と語ったと伝えられている。
 それほど、ロック史上における衝撃を残したバンドが、ザ・バンドだった ( …… ややこしいなぁ) 。

 この本を読んで、好みのアーティストにはかなりの共通点があることが分かったが、もちろんバラカン氏の興味の対象は、当然のごとく、私などよりははるかに広く、かつ掘り下げも深い。音楽情報の蓄積度、その理解度においては雲泥の差がある。
 
 にもかかわらず、同窓会のノリで、この本を楽しむことができた。
 それは、同氏がこの著書においては、自分が青春時代に好きになった音楽を、あくまでも1リスナーの視点で語ろうとする姿勢を貫いたからだろう。
 書名に使われた “サウンドトラック” とは、そういう意味である。
 つまりは、自己形成史のバッググラウンドを明かした “よもやま話” なのだ。

 だから、この本では抽象的な楽曲分析は影を潜めている。ある意味、著者の心を捉えたさまざまな音楽を、無邪気に羅列しているだけのようにも見える。

 しかし、それがゆえに、音楽を愛する人間としての 「ピーター・バラカン」 像がくっきりと浮かび上がってくる。
 テレビなどで見る温厚な紳士像とは異なり、若いころの彼は、音楽の好みに関してはけっこうエッジの立ったものを好み、かつ自分の嗜好に頑固であることが伝わってくる。

 60年代~70年初期の洋楽を愛した人々にとっては、なかなか面白い本であるはずだ。
 あの時代というのは、音楽がラジオと密接に結びついていた。
 そのラジオを通じて、「未知なる文化」 が届いてきたときの興奮が、この本には封じ込められている。
 
 
関連記事 「ピーター・バラカン著 『魂-SOUL-のゆくえ』 」
 
参考記事 「初期ビートルズ」

参考記事 「モノクロのローリング・ストーンズ」

参考記事 「荒野のディラン」

参考記事 「本物の天才とは (ジミ・ヘンドリックスの神話) 」

参考記事 「クリーム 『ストレンジ・ブルー』 」

参考記事 「ブルースの正体 (映画 『キャデラック・レコード』 ) 」

参考記事 「ヘビーメタルとオペラ (ヘビメタのブルース離れ) 」

参考記事 「男の顔 (ジミー・ペイジとジミ・ヘンドリックス) 」

参考記事 「音楽の危険な匂い (FREEについて) 」

参考記事 「ザ・バンドの 『ザ・ウェイト』 」
  

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ピーター・バラカン 「わが青春のサウンドトラック」 への2件のコメント

  1. motor-home より:

    町田さん
    楽しく読まさせていただきました。僕の世代からは完全に先輩の世代ですが、「わが青春のサウンドトラック」も是非、読んでみたいと思います。

    ピーター・バラカンさんが執行役員になってからのInter FM、本当に素敵なFM曲になりましたよね。『バラカン・モーニング』をはじめ僕のデスクワークには欠かせないBGMになってます。バラカンさんの”こだわり”も随所に表れていて面白いです。ボブ・ディランがDJをしている番組も再放送までしてくれていて最高です!

    • 町田 より:

      >motor-homeさん、ようこそ
      Inter FMで 「ボブ・ディランがDJをしている番組」 というものが放送されたのですか !? それはぜひ聞いてみたかったですね。
      幼いとき、ビートルズで音楽にめざめたバラカン氏は、その後ブラックミュージックの方向に急展開していったようですが、若いうちに聞いたボブ・ディランに関してはそうとうのインパクトを受けたようですね。
      『わが青春のサウンドトラック』 で、ボブ・ディランのレコードをお父さんにねだって買ってもらったくだりは、けっこう面白いです。

      Inter FM をデスクワークのBGMに使われているなんて、motor-homeさんも素敵ですね。アメリカをモーターホームで走る楽しさを伝えるお仕事の場合、企画を立てるときに流れる音楽も、大事な要素になるのでしょうね。
       

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