うつ病の増加は何を意味するのか

 
 テレビや雑誌などを見ていると、最近 「うつ病 (鬱病) 」 に関する報道が異様に多いような気がする。
 つまり、現代社会ではうつ病患者が世界的な規模で増えているらしいのだ。

 先だって観ていたNHKスペシャル 『病気の起源』 という番組によると、世界のうつ病患者の数は3億5千万人。日本でもこの10年あまりで2倍に急増し、100万人を超えたという。
 
 このような、うつ病患者の異様な増加を分析する切り口として、これまでよく見られたのは 「ストレス社会の到来」 という説。
 この論法でいくと、たいてい 「企業間競争の激化」 、「格差社会の広がり」 、「先行き不透明感」 、「効率優先主義の弊害」 、「インターネットの普及によるリアル・コミュニケーションの希薄化」 などという言葉がセットになって、ぞろぞろついてくる。
 要は、人間にストレスを与えやすい社会構造が生まれてきているというわけだ。

 確かに、うつ病患者が増大した理由には、そういう一面もあるのだろう。
 NHKスペシャルにおいても、基本的にはこの路線だった。
 すなわち、生物の脳の部位に 「扁桃体 (へんとうたい) 」 というものがあり、それがうつ病発生の根幹となるという説明だった。

 この扁桃体というのは、天敵の存在を確認するとストレスホルモンを分泌し、生物の身体に 「逃げる」 、「戦う」 、「身を隠す」 などの行動を取りやすくさせる “危険信号” を送るのだという。

 このようなストレスホルモンの分泌は、本来は 「身を守る」 ための脳内活動だったわけだが、そのうち生物が記憶を持つまで進化すると、かつて天敵に襲われたときと似た環境に入り込んだだけで、ストレスホルモンが分泌されるようになる。
 さらに、人類のような言語を持つ動物になると、天敵が目の前にいなくても、村の古老の話などを聞いて、想像力が刺激されるだけで、ストレスが身体内をかけめぐる。

 このような、ストレスが恒常的に脳を脅かすような状態になるのが 「うつ病」 。
 人類が文明を持ち、階級社会を持つようになって、人間関係が複雑になっていくうちに、「天敵」 だけでなく、社会そのものが個人にストレスを蓄積させるようになる。

 というわけで、社会構造が高度に緻密化した現代社会では、ストレスホルモンの分泌も極限にまで達するはず …… というのが同番組の趣旨だったようだが、はたして、その理論だけで 「うつ病」 のすべてを解説できるのかどうか。私は、うつ病の研究者でも何でもないので、その当否を判断する立場にはいない。

 ただ、直感的に、このような 「ストレス社会の激化」 という分析だけでは、現代社会のうつ病の増加を説明できないのではないか、という気がしている。

 というのは、近年、世界的なうつ病患者の増大は、「うつ病」 の判定基準の変化が関係しているのではないか、という説をあちこちで聞くようになったからだ。

 専門的な話はさっぱり分からないので、聞きかじりだけの生半可な知識で断定してしまうのは、あまりにも無責任であるとは知りつつも、ちょっと続けてみると、世界の精神医学の主導権をアメリカが握るようになり、アメリカ的うつ病分析の普及につれて、世界中にうつ病が増え始めたという説が、最近、雑誌・新聞などのペーパーメディアやネットで頻繁に出回るようになってきた。

 そのなかでも日本は、このアメリカ精神医学が主流になる前は、ドイツ精神医学が基盤になっていたという。
 この伝統的なドイツ流の診断では、患者の病前の性格、生活史などを調べあげ、薬物が効力を発揮する症状と心理学的問題を重視する症状などに分け、かなり個別的な対応を試みていたらしい。

 しかし、アメリカの精神医学においては、うつ病の概念が拡大され、それまで個々の症状に応じて精細に診断されていたものが、すべて同じ基準によって一括して判断されるようになったとか。

 近年、うつ病患者が急激に増えたのは、このような診断基準の変化により、従来は 「うつ病」 とまではいかない微妙な精神障害も、すべて “立派なうつ病” と診断されるようになったからだという。
 
 こういう診断基準の変化をうながす要因は、どこにあったのか。
 一部の識者たちは、うつ病の治療薬として新しい “抗うつ薬” が開発されてきたことと無縁ではないという。
 それが、最近よく話題になる 「SSRI」 と呼ばれるもの。
 「選択的セロトニン再取り込み阻害薬」 といわれる薬を指す総称で、日本で承認されているものとしては、デプロメール、ジェイゾロフト、パキシル、ルボックスなどという薬があるそうだ。

 これらのSSRI を開発した薬剤メーカーには、世界のトップシェアを誇るグローバル企業もあり、それぞれ莫大な利益を上げているという。
 皮肉なことに …… というか、ある意味当然のことかもしれないが、SSRI が売上を伸ばしていく上昇カーブと同じような形で、世界のうつ病患者の増加率も上がったわけだ。
 うがった見方をする人のなかには、このグローバル企業化した薬剤メーカーの新薬の売上を伸ばすために、うつ病の拡大解釈が行われた、… と疑っているとか。

 実際に、これほど、数としての “うつ病患者” が増えてくると、もう精神科医たちも従来のような患者を個別に診察するような対応では追いつかない。そこで、とりあえず現在の抗うつ薬の主流となったSSRI を患者に投与して、急場をしのぐことになる。
 最近、街のあちこちに出現してきた心療内科も、このように、うつ病の拡大解釈の動きと呼応している感じがする。
 
 現在は、「うつ病は誰にでも起こりうる “心の風邪” 」 と喧伝される風潮が強まり、風邪薬が支給されるのと同じように、SSRI は気軽な薬として出回るようになっているとも。

 ただし、このSSRI の一部の薬には、自殺を助長する効果が副作用として認められた、という物騒な説を披露しているサイトもあった。
 日本人の自殺者は、2000年代に入ってから右肩上がりに急増し、現在では毎年3万人を記録するようになったが、その自殺者の上昇率と、SSRI の普及度が似た曲線を描くらしい。

 そのことの当否を述べることが本blog の目的ではないし、素人が聞きかじりの知見を吹聴するのも無責任かつ危険なことなので、検証もしていない寄せ集めの情報を記述するのはここまで。

 あとは、個人的な感想となるが、うつ病の診断範囲を拡大し、何が何でも強引に薬で解決してしまおうというアメリカ流の精神医学には、ちょっと抵抗がある。
 そこには、うつ病は最初から 「悪」 であり、世の中のすべては 「善」 と 「悪」 の戦いであるというような、アメリカンヒーロー・コミックやハリウッド娯楽大作映画と同じ発想があるように思える。

 そこには人間の精神を平板化して、「健康であることが無条件に幸せである」 という能天気な人間を生み出す堕落と退廃の匂いが漂う。

 これは、実際にうつ病に悩み、必死に生きるすべを模索している患者の人たちを救うこととは次元の違う話。
 「うつ (鬱) = メランコリー」 が、ときに文学やアートを醸成する土台となることもあるという 「文化概念」 の話だ。 
 メランコリーという気質への親和性がなければ、ボードレールの詩も、キルケゴールの哲学も、芥川龍之介の小説も、つげ義春の漫画も、シェークスピアの 「ハムレット」 のような戯曲も生まれなかった。

 病気としての 「うつ」 は根絶されなければならないが、文化概念としての 「うつ」 は創造的活動におけるインスピレーションの源泉になることもある。
 
 

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うつ病の増加は何を意味するのか への4件のコメント

  1. solocaravan より:

    「そこには人間の精神を平板化して、「健康であることが無条件に幸せである」 という能天気な人間を生み出す堕落と退廃の匂いが漂う。」

    同感です。健康=善、不健康=悪という決めつけがアメリカ流であるとすれば、同様に、便利=善、不便=悪、安楽=善、忍耐=悪と置き換えることもできそうです。なんでも単純に二分する思考からは文化の成熟は望めないでしょう。あるいは文化が未成熟だから単純な二分法にはまるのでしょうか。いずれにしても近代以前の歴史をもたない文明国特有の悲哀かもしれません。しかし、歴史あるはずの我が国も、文化のあり方においては同じ穴のムジナのように思えてしまいますがいかがでしょう。

    • 町田 より:

      >solocaravan さん、ようこそ
      ありがとうございます。
      精神医学に関してはまったくのド素人である私が、このエントリーで書きたかったことは、まさにそこ (だけ) なんですよね。
      前半はその導入部みたいなもので。

      おっしゃるように、アメリカに限らず、我が国においても、近年あまりにも 「白」 か 「黒」 かという単純な二分法を人に迫る発想が横行し過ぎているように思います。
      世に氾濫する “ハウツー本” などもすべてその発想ですよね。
      「成功するか」、「成功しないか」。
      「勝ち組に残るか」、「負け犬になるか」 … みたいな。

      特に、うつ病のような精神疾患の問題は、文字通り人間の 「精神」 に関わることなので、そう簡単に 「病 (やまい)」 か 「健康か」 という二元論では処理できないもののような気がします。
      その発想から導き出されるのは、「精神の病」 = 「人間ならざるもの」 = 「悪」 という単純な図式で、アメリカ系ホラー映画やサスペンス映画などを観ていると、もう “訳のわからぬ犯罪を起こす者はみな病者” という身も蓋もない展開で終わらせるものがあまりにも多いように感じています。
      早い話、自分を “健全” だと思い込んでいる人々の娯楽の道具にされている。

      精神疾患のなかでも 「うつ病」 は、個々の国々、民族、文化などによって成り立ちも異なるし、その対処法も違うものだと理解しています。
      民族や文化概念の差を無視して、同じ統一基準で精神疾患を処理していくのは暴挙ではないかと思う次第です。
      solocaravan さんのお考えに、私も同意します。
       

  2. 脇山華子 より:

    私が普段から漠然と考えていた事がズバリ書かれていて興奮しました。 親の夢に付き合ってアメリカに移住し30年になろうとしています。 若い時に慢性化していた鬱(という名前のついた病気だという認識もありませんでした) のお陰で人間が練られたかもしれないが、かなり人生の貴重な時間を無駄にしたとも思っていますし 今でも鬱というのは恐ろしいです。 にもかかわらず、 これはヤバい、私大丈夫かな、という感じの危うい精神状態、心が弱くなり感じ易くなっている時に ある音楽が 異常に美しく一音一音が際立って聞こえる事があります。 最近、それがつくづく面白いと思うようになりました。

    • 町田 より:

      >脇山華子さん、ようこそ
      うつ病でご苦労を重ねたよし、さぞお悩みになられたことでしょう。心中お察し申し上げます。

      うつ病の発生メカニズムはくわしく知りませんが、(人によって異なることもありますが) 比較的感受性の鋭敏な方に多いような気がいたします。
      そういう方が、自分の嗜好を理解してくれない人々 …… そういう方々はたいてい現実生活に対する適合力に優れ、他者にも対しても自分の方針を押し付けたがる傾向があるように感じますが …… そういう人間関係の中で長期にわたって我慢を強いられると、誰でも 「うつの症状」 が強まっていくような気もします。

      「心が弱っている」 状態というのは、ある意味、そういう人間関係の拘束から外れたものに敏感になっている、ということかもしれませんので、>> 「音楽の一音一音が際立って美しく聞こえる」 ということも起こりえると思います。

      人間には、「失恋したときにこそ、失恋文学が美しく感じられる」 …みたいなことがありますよね。だから 「うつ」 というのは、“目覚める” ということかもしれません。
      それを単純にクスリで紛らわすだけでいいのか。
      薬物療法が大切なことは言うまでもありませんが、それと同時に、専門家による文化的な “心のケア” も必要であるように思います。

      ドラゴンの絵本のドラゴンは可愛らしいですね。
      ファンになりそうです。
       

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