美意識は変わらない

  
 人間のキャラクターを決定しているものは何か ?

 人間の 「キャラクター」 を生み出す根底となるものを下記の三つから選べ !
 … とかいう質問があったら、どうする ?

 ① 主義/主張/思想
 ② 信念/ポリシー/スタイル/こだわり
 ③ 美意識

 他人のキャラクターを理解しようとするとき、①に掲げたその人の 「主義」 、「主張」 、「思想」 などを知ることは大きな手がかりになる。
 
 しかし、それらは、人のキャラクターを決める決定的な因子とはならない。
 「主義・主張・思想」 などという頭の中で構築されたものは、きっかけさえあれば、コロコロと変わるからだ。

 とくに “主義” は変わりやすいものの代名詞。
 この言葉は 「愛国主義」 とか、「社会主義」 とか、「保守主義」 などというように、国家理念みたいなものを表明するときに使われるけれど、こういうデッカイ概念は、個人が簡単につかみ得るようなものではないがゆえに、影響力の強い人が隣りに現われれば、あっさりとその人に感化されてしまう。

 さらにいえば、人は毎日 「× × 主義」 とかいうものを掲げて生きているわけではない。
 そういうものは政治集会とか、テレビニュースの後の “お茶の間会議” のときだけ頭をもたげてくるようなもので、ふだんは別に意識しなくても暮らせちゃうものなのだ。

 この 「主義」 とか 「思想」 というものに、もう少し情緒性を加えたものが、②の 「信念」 、「ポリシー」 、「スタイル」 、「こだわり」 などという概念。
 このへんが、他人から見たときに、その人の 「キャラクター」 として、もっとも理解されやすいものとなるだろう。

 しかし、これらの言葉も、基本的に他者を意識したときに浮かび上がってくる 「自己」 を説明しているにすぎない。

 「こだわり・信念・ポリシー・スタイル」 というのは自意識の変形にすぎず、そこには常に 「見栄」 とか 「演技」 が隠されている。
 つまり、その人が 「オレのこだわりは … うんぬんかんぬん」 とか、「私のスタイルは、ああだこうだ」 とか言葉でいっている限り、ほとんど信用できない。それは、「他人にこう見られたい」 という 「あらかじめ用意された自己」 にすぎないといえる。

 では、人のキャラクターを決定している根源的なものとは何か。
 ずばり、それはその人の 「美意識」 である。

 別にゴッホが好きとか、シューベルトが好き … とかいう話ではない。
 「美」 という言葉があるから、なにやら 「美しいものに感応する心」 などと思われやすいが、むしろ逆で、自分が 「美しいと意識するもの」 とは対極にあるものへの 「嫌悪」 という形を取ることが多い。

 いずれにせよ、他人から見ればどうでもいいようなものに対して、個人の美意識は敏感に反応する。
 たとえば、アイドルなら 「きゃりーぱみゅぱみゅが好きか、AKBが好きか」 みたいな話。
 歴史でいえば、武家政権を切り開いた源氏が好きか、華麗に滅んだ平家が好きか … みたいな話でもある。

 さらには、「アンチエイジングという考え方に共感するか、しないか」 とか、「 『美意識』 という言葉をファッションやエステを説明する言葉として使うのが嫌い、とか好き」 みたいな話なのだ。

 いわば、理屈以前。
 パッと反射的に、「好き !! 」 と感じたり、「嫌い !! 」 と思うものを峻別する感性といったらいいのかな。
 あとからその理由を尋ねられれば、なんとかこじつけられるけれど、本当のところは、自分でもよく説明のつかない感情。

 それが美意識。
 だから、「センス」 とか 「感受性」 という言葉に近いものかもしれない。
 「こだわり・信念・ポリシー・スタイル」 などというものは、すべてこの美意識の上に乗っかっているにすぎない。

 最初に掲げた ① ② ③ の関係をもう一度整理すると、次のようになる。
 ● 美意識 = 理屈抜きの好き嫌い
 ● こだわり、ポリシー = 美意識を言語化して自分に言い聞かせたもの
 ● 主義、主張、思想 = こだわり・ポリシーをさらに論理化して、他人に言い聞かせるようにしたもの
 … ひとまず、そういう構造になるだろう。

 人は、なぜ美意識というガンコで融通の利かない “心の流れ” に逆らえないのか ?
 それは、美意識が、その人の生まれた時代風潮、社会環境、家庭環境を離れては形成されないものだからだ。

 だから、世代が10歳離れただけでも、もう人の美意識は変わる。
 バブル期に、連夜のハイテンションのなかで青春を謳歌した人たちは、その楽しかった記憶が自分の美意識のベースとなる。
 それを苦々しく感じる世代は、そういうものに対する “うんざり感” が、美意識の形成に影を落とす。
 
 環境の違いも、大きく作用する。
 古典絵画やクラシック音楽などに接したことがない少年が、成人してから絵画や音楽に触れたところで、それがその人の美意識として定着するかどうかは別の話。後年になって接したアートは、美意識ではなく、単なる 「教養」 で終わることが多い。

 逆に、古典的な教養にあふれる環境に育ったところで、そんなものは “クソくらえ !! ” と飛び出してきた人は、いくらでもいる。
 それは、たぶんその家の教養主義が、子供にとって 「圧力」 として感じられたケースだろう。そういう人の美意識は、反教養主義という形を取る。

 クリスチャン・ラッセンの絵が飾られた部屋に育った子供にとっては、「絵画」 といえば、ラッセンの絵を指すようになるかもしれないし、ディスコビートが鳴り響く家で育った子供が感じるいちばん心地よいリズムは、四つ打ちであるかもしれない。
 
 美意識が分かりにくいのは、そのような幼少期の体験を取り込むことによって、「頭」 と 「身体」 の両領域にまたがってしまうからだ。
 いわば、美意識とは、理屈や理念といった抽象的な思惟に影響を与える力を持ちながら、半分はその人の生理に溶けこんだものであり、脳の命令系統を離れて勝手に呼吸している細胞のようなものだ。

 逆にいえば、夫婦や恋人同士で、主義・主張・趣味・価値観などがまったく異なろうとも、根源的なところで 「美意識」 を共有できていれば、なんだかんだといいつつも、楽しく暮らしていけるはずだ。
 俗にいう 「ウマが合う」 とは、このことを指す。

 人は 「主義・主張」 や 「思想」 を変えることができても、「美意識」 は変えられない。
 人は、「趣味嗜好」 や、ときに 「性格」 ですらも変えることができるが、「美意識」 は変えられない。

 人間に 「運命」 というものがあるとしたら、それは自分の中に蓄えてしまった 「美意識」 のことだ。
 
 

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美意識は変わらない への2件のコメント

  1. タイムジャンクション より:

    人間の生きている間に蓄積される生き方の流れでしょうね~~!子供は直感で『食べ物を美味しい、不味い』の判断しますが、成長し多くの食材を食べて余計な知識も増えると・・・本当に!?美味しいか?より銘柄や価格で判断したり。 絵なども・・・子供は素直に『好きか嫌い』ですが・・・大人になるにつれて作者や価格が気になったりで! そんなこんなで、いろいろな事を経験して、それらが飽きてくると理屈とか理念抜きの自分の中の美意識が見えてくるかも知れないです♂ 

    • 町田 より:

      >タイムジャンクションさん、ようこそ
      コメント拝読し、ハッと気づかされました。
      >>「 (人間は) 成長し、余計な知識が増えると、銘柄や価格で判断してしまう」

      なるほど !!
      好き嫌いの判断が、大人になると、情報によって曇らされてしまう、ということなんですね。
      そのとおりですね。直感が鈍るということかな。
      そして、その情報に飽きてくると、ようやくまた美意識が復活する。

      いつもながらの鋭い視点。
      感服いたします。
       

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