野心のすすめ

 
 林真理子の 『野心のすすめ』 を知ったのは、週刊誌か新聞の書評欄だったろうか。
 あるいは、彼女がゲストかホストを務める対談だったか。
 いずれにせよ、それらを見てから本屋に探しに行ったとき、すでにこの本は、書店内における 「人気書籍ベスト10」 というコーナーの上位に掲げられていた。

 表紙を眺めて、息を呑んだ。
 浅黒い素顔をさらした、まだ無名時代の彼女の顔が、読者を睨 (にら) んでいる。

 目の強さが尋常ではない。
 「獰猛 (どうもう) 」 と表現してもいいほどの迫力がみなぎっている。
 暗いジャングルの木々を切り倒して血路を開き、文明の光の届く地に、ぬっと顔を現したという感じだ。
 
 写真の顔は、お世辞にも美人とはいえないが、しかし、力強さはある。
 その強さを 「美しい」 と解釈すれば、確かに美しい。

 要するに、この本は、写真がすでに本のテーマを語り尽くしていると思った。
 そして、ベストセラーの階段を駆け上がっていくことも間違いないような気がした。

 「編集者の勝利だな」
 と思っていたが、後から聞いたら、この写真を表紙に使うことを進言したのは、著者の林真理子自身であったという。
 彼女は、自分の魅力が何であるか、しっかり分かっている人ではないかと思った。

 案の定、同著は夏の期間を通じて売れ続け、7月末で30万部を記録するベストセラーになった。
 
 だが、表紙ほどには、本の中身にはインパクトがない。
 私の個人的な評価では、この本は97%の表紙の魅力と、3%の本文の魅力で成り立っている。表紙の迫力の方が、中身を圧倒しているともいえる。

 では、この本に足りないものとは何か ?
 それは、「野心」 という言葉に込めた著者の “思い入れ” である。

 彼女は、まえがきで、「野心」 という言葉をこう説明する。
 「野心というと、腹黒かったり、身のほど知らずというイメージが先行しますが、私が提唱したいのは、もっと価値ある人間になりたいという、とても健全で真っ当な心のことです」

 若い人に説明するには、無難な表現かもしれない。
 しかし、林真理子以前の物書きたちが、「野心」 というものをどういうふうに捉えていたか。
 例えば、塩野七生だったら、どう説明したか。
 あるいは、司馬遼太郎だったら ?
 それらの先人たちの業績と比べると、彼女の 「野心」 の捉え方は魅力に乏しい。

 私が 「野心」 という言葉に豊穣なものを感知したのは、塩野七生の描くチェーザレ・ボルジアやジュリアス・シーザーを知ってからである。
 さらに、野心を持つ男の魅力に耽溺できるようになったのは、司馬遼太郎の描く斎藤道三や信長などを読んだりしてからだ。

 ボルジアも、シーザーも、道三も 「野心」 という “悪魔の誘惑” を受け入れた。
 そして、それを “高貴な理想” に昇華させた。

 ネガティブな言葉をポジティブな概念に変えるには、それをあっけらかんとやってのけたスケールのでかい人物を具体的に提示しないと始まらない。
 
 ボルジアや道三の 「野心」 は、林真理子がいうほど “健全” ではなかった。

 「野心」 という言葉のレンジには、「権力を握るためには、邪魔する人間を抹殺してもかまわぬ」 くらいの冷酷で残忍な意味合いまでも含まれる。そこには、剣を抜いて相手の胸を貫くと同時に、自分の胸までも突き刺すほどの禍々しい恐ろしさと、暗さがつきまとう。
 だから、そう簡単に使いこなせる言葉ではないし、使うからには覚悟がいる。

 「野心」 のそういうニュアンスを、林真理子は伝えきれたか。
 塩野七生や司馬遼太郎は 「野心」 というものには、そういう怖さが潜んでいることをしっかり伝えながら、なおかつ、その言葉で人を酔わせる。

 林真理子は、若い頃に糸井重里に心酔していたことをよく述べるが、その糸井だって、「野心」 が鎌首を持ち上げるときの非情さを、矢沢永吉の語りおろし自伝である 『成りあがり』 で克明に描いている。

 「キャロル」 というメンバーにたどり着く前に、広島の田舎から出てきた矢沢永吉が、どれだけ無邪気な横浜のロック青年たちを放り出してきたか。
 そこには、野生動物が身体の成長に合わせて、小さくなった古巣を次々と叩き壊していく ような 「野心」 にまみれた男の不敵な姿が躍動している。

 林真理子は、「一生ユニクロを着て、松屋で食べていればオッケー」 という “低め安定の人たち” を嫌う。
 「野心」 の欠如を、そこに見るからである。

 だから、こう言う。
 「貧乏でも、飢え死にはしない現代日本だから、若いうちはそれも可能でしょうが、40代、50代になっても結婚できず、肌もたるみ、髪も痩せ、年下の社員にこきつかわれるフリーターの自分を想像したことがありますか ? 」

 そして、付け加える。
 「野心を持て」

 確かに、そのとおりである。
 でも、そこで例に出される 「野心」 とはどんなものか ?

 「飛行機でも、一生エコノミークラスに乗り続ける人がいます。エコノミーの入り口からしか飛行機に乗り込んだことがない人々は、ファーストクラスという存在を知りません。
 しかしビジネスクラスに乗るようになると、飛行機の前の入り口から乗ることになるので、ファーストクラスのエリアを見ることになります。
 ああ、こういう世界があるのか !
 いつかは、このファーストクラスに自分も乗ってみたい」

 林真理子は、自分の野心が頭をもたげた状況を、そのように説明する。
 だが、こういうエピソードは、「野心」 を説明するだろうか。

 「野心」 が目指すものは、「快楽」 であって、「快適」 ではない。
 「快楽」 は、自分の命を燃や尽くして、その代償として得られるようなもの。
 いわば、私財をも投げ打って、身の破滅を覚悟に手に入れるようなもの。
 「快適」 は、身の安全が保証される範囲で、多少の便利さを約束してくれるもの。

 飛行機のファーストクラスは、リラックスしたシートと贅沢な酒も無制限に飲めるようなサービスで、4~5時間のフライトを快適に過ごすだけのものにすぎない。
 「俺は、ついにファーストクラスに乗れるセレブになったんだ」 という心理的な満足感でも持たなければ、ただの退屈な場所だ。
 そこで得られるものは、「野心」 とも 「快楽」 とも無縁の、扇風機がエアコンに変わった程度の 「快適」 にすぎない。
 
 作家というものは、普通に生活している人にはイメージできない 「身を滅ぼすような快楽」 を提示するのが仕事ではあるまいか。
 あるいは、自分の中に芽生えた 「野心」 を発見し、それに慄然とする心を描くことではあるまいか。
 『マクベス』 などを見れば分かるとおり、シェークスピアの文学などは、その大半が、野心と快楽を自分の心の中に見てしまった人間たちの栄光と悲劇を描いている。

 だが、林真理子の 『野心のすすめ』 では、 “野心は知り合いの奥さんから褒められるために必要” という位置づけに降下される。

 彼女は書く。
 「お金がないと、どうしても行動範囲が限られてきます。一泊5万円の温泉旅館に行ったりという不必要な贅沢も、自分にとって大切だからやります。
 そうして費やしたお金は何にいちばんわかりやすく反映されるかというと、会話の面白さだと思います。
 というのも、つい先日、知り合いの奥さんから、『ハヤシさんと話していると、男の人は楽しいでしょうね。政治や経済のことだって話を合わせられるし、オペラや歌舞伎や小説のこともわかるし、美味しいワインやお店も知っているから』 といわれて、泣けるほど嬉しかったんです」

 別に間違ったことを言っていない。
 贅沢が人の内面までをも豊かにするというのは、確かにひとつの真実だから、それは否定しない。

 だけど、「野心」 や 「快楽」 の怖さを描ける作家なら、ぜったいこういう話は書かない。
 「野心」 や 「快楽」 はけっして 「美味しいワインや美味しいお店」 と同一の地平には存在しないからだ。

 「野心」 という言葉に、なぜ “野” という文字が使われているのか ?

 それは、「野心」 が、けっして村や町から生まるものではないからである。
 つまり、「野心」 は、人がルールを守って暮らす共同体の外に広がる 「荒野の心」 を意味する。
 
 そういった意味で、「野心」 が与えるのは、「美味しいワイン」 ではなく、「清冽な水」 である。
 ぎりぎりの生存を保証するただの水が、何にも勝る 「快楽」 に昇華する荒野こそが、「野心のふるさと」 である。
 林真理子に欠けているのは、その “荒野” を感受するイマジネーションだ。

 今は文学でも、若者が読むライトノベルのような “軽い小説” が、時代の主流。
 そういった意味で、林真理子の 『最終便に間に合えば』 などは、大人の読むライトノベルのようなものなのかもしれない。

 しかし、私は 「文学って、もっとシンプルで、重いものだ」 というイメージを自分の中から払拭しきれない。
 だから、林真理子とほぼ同世代の女流作家・桐野夏生が編んだアンソロジー 『我等、同じ舟に乗り』 を読んだときの衝撃は忘れられなかった。
 そこには、島尾敏雄、松本清張、太宰治、谷崎潤一郎、坂口安吾などの戦争を経験している昭和の作家たちの短編がずらりと並んでいた。 

 それを読んで、改めて、昔の作家たちの “凄み” に打ちのめされた。
 戦争体験を通じ、生と死という、あまりにもシンプルなテーマに向き合ってしまった人たちの書くものには、ムダな言葉もムダな概念もない。
 だが、そのシンプルな言葉の一つひとつが、ずしりと胸の奥にクサビを打ち込む。
 高度成長期やバブル期に作家修行を積んだ現代作家のものなど、とたんに読む気がしなくなった。

 『野心のすすめ』 には、このような驚きがなかった。
 『野心のすすめ』 ではなく、いま巷で流布している 『ワンランク上の生活のすすめ』 という感じだった。
  
 似たようなテーマながら、「ビッグになれ ! 」 という夢を煽った矢沢永吉 (+ 糸井重里) の 『成りあがり』 を読んだときの高揚感は、私には得られなかった。
  
   
参考記事 「桐野夏生 編 『我等、同じ船に乗り』 」
 
参考記事 「塩野七生 作 『チェーザレ・ボルジア 優雅なる冷酷』 」
 
参考記事 「司馬遼太郎の描く斎藤道三の最期」
 
参考記事 「キャロルと矢沢永吉 (成りあがりについて) 」
 
関連記事 「林真理子の直木賞作品を読む」
 
関連記事 「林真理子って作家なの ? 」
  
参考記事 「荒野のディラン (荒野とは何か) 」
 
   

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野心のすすめ への6件のコメント

  1. アレハンドロ より:

    若いころの林真理子さんですか・・・

    クラスメートの一部男子生徒を毛虫のように嫌う田舎の女子中学生もよく似た眼つきをしてますよね(笑)

    • 町田 より:

      アレハンドロさん、ようこそ
      >> 「クラスメートの一部男子生徒を毛虫のように嫌う田舎の女子中学生 … 」
      うん、言い得て妙ですね。
      『野心のすすめ』 によると、実際に林真理子さんは、昔男子生徒からイジメを受けていたようで、そのときの 「いつか見返してやる」 という気持ちが、この写真の眼つきにも残っているのかもしれませんね。
       

  2. スパンキー より:

    野心って、町田さんも指摘しているように、もっと凄みのあるものと私も解釈していますが、
    文春の林さんのエッセイなんか読んでいても、ちょい金持ち目線の話ばかりで、どこか
    セコイのが気にかかります。

    これは、野心というよりも成功したらお金持ち。贅沢できますよと言われているようで、
    どこか器の小ささを感じます。

    権力者の寝首をかくとか、この世の中を変えてみようとか、野心って、その位のスケールでしょ?

    だから、林さんは野心ではなく、小金持ちがふさわしいように思いますが…

    • 町田 より:

      >スパンキーさん、ようこそ
       おっしゃるように、文春の林真理子さんのエッセイは、確かに >> 「ちょい金持ち 目線でどこかセコイ」 記事が目立ち過ぎますね。
       その傾向は 『野心のすすめ』 においても基調トーンになっています。

       しかし、この本は今では43万分部を突破しているそうですね。
       中心読者は、若い頃に林真理子さんのエッセイに親しんできた40代~50代くらいの女性層で、その世代の奥様方が集まる “ランチ会” などでは、70%ぐらいの奥様方がこの本のことを話題にするとか。
       そして、40代女性の多くは 「もし20年前にこの本を読んでいたら、自分の人生は変わっていた」 という感想を漏らすといいます。

       ただ、男性の読者の場合は、称賛する人と批判的な人の率は半々ぐらいの感じです。
       批判者は、「バブル体質だ」、「野心とは物欲のことではない」 という論調が目立ちますが、中には 「自己顕示欲が目立つと言われるが、それだけ努力しているという証拠。彼女のへこたれない精神は、老いも若きも見習うべき」 というような意見もあるようです。

       では、林真理子さんが読者ターゲットに据えた若い人たちの反応はどうか。
       これも、やはり、賛否両論が相半ばという感じでしょうか。
       ネットなどのレビューの印象では、批判者の方が多いように感じられますが、たぶんそれは、批判する人というのは、ものを書いたり読んだりする経験が多く、それだけネットに意見を上げる力があるのに比べ、この本にナイーブに共感する人は、あまりネットに意見を上げたりするのが得意でない … というところから来ているような気がしないでもありません。

       概して、批判する人たちの平均的な論調は、「バブル期と今では時代が変わっている。バブル期のサヴァイブのノウハウが現代に通じるとは思えない」 というようなものが主流でした。
       しかし、それとは反対に、
       「この本で目が覚めた。就職氷河期と言われた頃に就職を迎えた私たち若者の方が、ぬるま湯に浸かって甘えていた」
       … と、林さんの貧困時代の告白を読んで刺激を受けた人もいるようです。

       また、「銀のスプーンをくわえて生まれてきた人種と、底辺からのし上がってきた人間は違うという林さんの意見に納得。30年間、常に最前線の作家として一歩一歩登ってきた人の言葉だからこそ、胸の琴線に響く」 という若い女性の意見もネットで拾うことができました。

       概して、批判する人は、「バブリーでギラギラな上昇志向」 に反発を感じ、賞賛する人は、それを逆に 「夢に向かって力強く前進するたくましさ」 と捉えるようです。

       以上のように、賛否両論が巻き起こるということが、ベストセラーを生み出すひとつの秘密であるようにも思います。
       『野心のすすめ』 に対する読者の感想をネットから拾ってみると、「ヒールのように悪役をかって出ることも彼女の営業戦略」 という意見もあって、批判者も賞賛者も、ともに彼女の本の売り上げに貢献しているのかもしれませんね。

       コメントに対する返信が長くなってしまって申し訳ありません。
       ついついネットの評判などをフォローしていたもので …
       

  3. 脇山華子 より:

    小さくてセコイ。 小金持ちの自慢話はいやらしい。 私もこの本には全く同じ感想を持ちました。 結婚したいから結婚し子供も持って見たいから設けて見た。 一応全部押さえてます、っておっしゃってるみたいで。 一瞬、これが塩野七生さんが書いた文章だったら。。。とグロい想像してしまいました。

    • 町田 より:

      >脇山華子さん、ようこそ
      お書きになられたコメント、まさにそのとおりであるように感じました。

      この 『野心のすすめ』 という本は、読者を選んでいるようなところがありますよね。
      “野心” という言葉の本当の意味と、その言葉から喚起されるスケール感の広がりを理解できている人は、この本の読者対象から外されているような気がします。
      この本が対象としている読者は、「お人好しよでいるよりも、少しセコく生きないと、生き残れないかな … 」 と思っているような人たちじゃないでしょうか。

      それは、まぁいいとして、その努力目標が、「セレブになれた私を見習ってよ」 というのでは、あまりにも貧しい気がします。

      >> 「一瞬、これが塩野七生さんが書いた文章だったら …… というグロい想像 … 」 という感覚はよく分かりますねぇ !!
      私も一瞬、そんなことを思いました。

      しかし、塩野さんは精神の贅沢さを知っておられる方だけに、同じようなテーマで同じようなことを書かれたとしても、きっと違うものがにじみ出るはずですね。
      林真理子さんは、どうも 「精神の贅沢さ」 というものをお知りではないんじゃないでしょうか。
      精神の贅沢さを知っている人は、仮に超高級ワインを入手しても、その固有名詞は書かないものです。(書くとしたら、それはギャグの場合)
      そこが、林さんは分かっていらっしゃらないんですよね。

      でも、最近テレビによく出られる林さんを見ていて、「その “痛さ” に、ちょっと愛すべきものがあるかも … 」 と思い始めるようになりました。
       

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