自動車が美しい怪物であった時代

 
 人間にとって、「自動車」 とは何か。

 たぶん、そのような問は、現代社会において、あまり試みられることはないに違いない。
 すでに自動車は、現代人にとっては、「空気」 であり 「水」 のようなもので、生活の一部を構成する当たり前の道具と化している。

 ある意味で、自動車は進化を止めた。
 もちろん技術的な進化は今後も絶え間なく続いていくだろう。
 しかし、それはすでに完成されたフォーマットの中での技術革新であって、自動車そのものが、「人間」 をどう変えていくかというスリリングな未来図の展開はもう期待できない。

 今はむしろ、「都市」 そのものが 「人間」 のあり方を変え、人間の進化をうながす契機となるということに、多くの研究が割かれる時代になりつつある。

 しかし、「自動車はどこまで進化するのか ? 」 ということが、とてつもないテーマとなっていた時代には、自動車のフォルム自体が、自分が進化の過程にあることを強く主張していた。

▼ 1938年Bugatti Atlantic

 その時代、人々は、自動車が 「機械と人間のハイブリッド体」 であるということの玄妙さに魅せられた。
 自動車という “鉄の皮膚” に覆われることによって、人は人間の身体が拡張し、時間と空間を思うがままに操る快感を手に入れた。

 自動車は、人間の肉体を超える強靭な生命を持つ “怪物” であった。
 そして、人間は、その怪物を思うがままにコントロールする快感を自動車から得た。

 その時代の自動車が、みな今の自動車よりも生物モデルに近かったのは、人々が自動車に求めるものをストレートに反映していたことの証左である。
 すなわち、「美しい怪物であってほしい」 という人々の欲望が、それぞれのフォルムに結実していったのだ。

▼ 1925年のRolls Royce Phantom。獲物を仕留めるために、跳躍する時をうかがいながら、茂みに身を潜める黒豹のようだ。
 盛り上がった前後のフェンダーが、美しい肉食獣のたくましい四肢を連想させる。

 

▼ 1930年のMercedes Benz SSK。こう見ると、黒光りする巨大な甲虫そのもの。禍々しいくらい凶暴なフォルムを見せながら、惚れ惚れするほど見事なラインを強調したスタイルは、それをコントロールする人間に、バットマンにでも変身したような快楽を与えたことだろう。

▼ 1936年のMercedes Benz 540K。ワニのような、水辺に潜む巨大生物が、陸を闊歩したあとに、再び水辺に帰る後ろ姿。
 美しきかな、我がモンスター。

▼ 1950年のBuick Convetible。くじら ? 巨大ナマズ ?
いずれにせよ、ここにもメタモルフォーゼの快楽が身を潜めている。

▼ 1965年のShelby Cobra。パワーと毒。人間にとって恐ろしいものを象徴するコブラも、それを操る人にとっては愛おしい “生物” に変わる。

※ 以上の画像は、アメリカ在住の日本人歌手サミーさんがメールで送ったくださったものです。

サミーさん情報 「アメリカンRVの現在、過去、未来」

サミーさん情報 「ランボルギーニ・ディアブロ」
  
  

カテゴリー: コラム&エッセイ   パーマリンク

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