Had To Cry Today (泣きたい気持ち)

トラッドロック夜話 12

 渡された演劇の台本には、キスシーンがあった。
 
 「え、本当に舞台の上でキスするんですか ? 」

 僕は、キスの相手役を務める先輩の顔をチラっと眺めた。
 彼女も動揺しているのかと思ったが、意外とシラッとしている。

 「いいんじゃない、キスシーンがあったって。高校生だってもう考えていることは大人なんだから。私はかまわないわよ」
 
 と、相手役の女性はいう。
 むしろ学校側に、生徒の自主性と独立性を訴える良い機会だとばかりに、政治的メッセージを主張することの方に気をとられているようにも見える。

 照明係や音響効果を担当する男たちは、ニヤニヤと笑っているばかりだ。
 すべては、演出を担当するK子さんの判断に任された。

 K子さんは、天然パーマが入った赤毛の髪をくしゃくしゃと撫でながら、
 「あなたは、U子とキスしてみたい ? 」
 と苦笑まじりに、僕に尋ねた。

 キスしてみたかった。
 U子さんも、K子さんと並んで、僕の高校では美人の誉れの高い女性だ。
 しかも、2人とも才媛で、先生の覚えもめでたい優等生だ。
 どちらも、劣等生の僕がまともに恋人同士になれるような相手ではない。
 
 日常的に付き合う機会がない相手だからこそ、僕はそのうちの一人であるU子さんとキスしてみたかった。
 でも、周りにいるのはみな年上の先輩たちばかりだから、無邪気にそれを言い出せる雰囲気ではない。

 演出家のK子さんは、台本をくるくるっと丸めて、それで自分の肩をぽんぽんと叩きながら、
 「ペンディング」
 と言い放った。
 僕は “ペンディング” の意味がよく分からなかったけれど、たぶん「保留」という意味なんだろうな … と勝手に解釈した。

 196×年の秋のことだった。
 僕は演劇部でもないのに、不意に演劇部から声をかけられ、学園祭の公演で主役を務めることになったのだ。

 演劇なんか、幼稚園の学芸会でイヌ、サル、トリの役のうちのトリを担当して以来、やったことがない。
 セリフも上手にいえる自信などまったくない。
 それでも、二つ返事でOKしたのは、声をかけてくれたK子さんが美人だったからだ。

 憧れていたのだ。
 チリチリ赤毛で、肌が白くて、ちょっぴりそばかすの浮いたK子さんは、まるで外国の映画に出てくる妖精のようだった。
 実際に、ロンドンの生活が長かったという。
 僕の通っていた高校には、実際に帰国子女が多かったけれど、彼女には、そう教えてもらうまでもなく、すでに海外生活の匂いがした。

 放課後、演劇部の部室で、台本読みが始まった。
 なにしろ、登場人物は2人しかいない。
 男と女だ。
 その2人には名前すらない。
 名前のない男と女が、どこの世界なのかも分からない不思議な空間に閉じ込められているという状況から劇が始まる。

 僕の最初のセリフは、
 「ここはどこ ? 君は誰 ? 」 
 というもの。

 「私だって分からないのよ。気づいたらずっとここにいるの。それより、あなたはどこからここへ来たの ? 」
 と女が答える。

 自分の置かれた状況に立ち向かい、必死に脱出口を探そうとする男。
 諦めきって、じっと座り込んでいる女。

 当時、演劇界では、ベケットやイヨネスコといった脚本家たちの不条理劇がもてはやされていた。
 その脚本も、はやりの不条理劇の流れに沿ったものだった。
 
 だけど、不条理劇なんて、僕は観たこともない。
 何を訴えたいのか、どんな思想性が込められているのか、そもそもテーマが解らない。
 勝手が分からず、おろおろする僕に、K子さんの厳しい声が飛ぶ。

 「そこもう一回。あなたの意識には、まだ女の存在よりも、自分の置かれた状況の方に関心が向かっているのだから、女の方を何度も振り向いたってしょうがないのよ」
 「はい」
 「男なんだから、壁ぐらい叩き割るぐらいの力を込めていいんだから」
 「壁って、どこにあるんですか ? 」
 「そこはパントマイムなの」

 K子さんの叱責が飛んでいる間、U子さんの方は、「ダメな男ねぇ」 とばかりに蔑んだ目つきで僕を見ている。
 「こんな素人で、無事に公演が務められるのかしら」
 目でそう訴えているように感じられる。

 演出に行き詰まると、K子さんは、U子さんに意見を求める。
 
 「 この男のセリフところさぁ、カミュからの引用があるんだけど、少し難しくないかしら?」
 とK子さんがいう。
 「『シジフォスの神話』のところね。町田君には無理よ。意味なんか理解できないよ、彼 … 」
 U子さんがいう。 
 「省いちゃうか」

 二人の会話は教養レベルが高すぎて、僕には理解できない。 
 大変なことになってしまったな、 … と僕は、半分後悔している。

 公演は10日後に迫ったというのに、僕はセリフを覚えるだけで精一杯で、とても演技をこなすほどの余裕がなかった。
 だからクラスメートに、演劇をやっていると言うのも恥ずかしかったし、できればなんらかの事情によって公演が中止にならないものかと願ったりもした。
 
 ある日、自分の台本を演劇部の部室に忘れてしまったことに気づいた僕は、昼休みを利用して、それを取りに行った。
 部室は、付属高校の校舎から離れた大学の構内にあった。
 そんなところにあったものだから、一種の “治外法権区域” になっていて、演劇部の先輩たちは、大学生たちと混じってタバコも吸っていたし、彼らと小難しい思想的な議論を交わし、一緒に酒も飲んだ。

 僕もその日は、部室に入って、こっそりタバコを吸うつもりでいたのだ。
 扉を開けると、K子さんが一人で座っていた。

 小さなステレオから、音楽が流れていた。
 ロックのようだが、誰の演奏か分からなかった。
 
 「台本忘れたね ? 」
 K子さんは、テーブルの上にあった僕の台本を拾い上げて、ひらひらと振って見せた。
 からかうようで、親しみがこもっているようで … 。
 余裕を秘めた大人の女の仕草だった。

 「なんでここにいるんですか ? 」
 僕は、K子さんが一人でぼんやりと椅子に座っている意味がつかめなかった。

 「サボタージュ」

 K子さんは、流れる音楽に合わせてかすかに身体をゆすりながら、ぽつりと言った。

 「午後の授業の先生と顔を合わせるのが嫌なの。聞いているだけで辛い授業というのもあるのよ」
 「へぇ、K子さんでも、そういうことがあるんですか」

 「あなたはないの ? 」
 「僕はないです」

 「意外と優等生なのね。見かけは遊び人風なのに」
 「そんなふうに見えますか ? 」

 「座ったら」

 僕は、K子さんの前に座り、はじめてまじまじとその顔を見つめた。
 知的で、聡明そうなのに、高校生ばなれした色気がある。
 それは、僕のクラスにいる女の子たちにはないものだ。
 僕らより二つぐらいしか違わないはずなのに、この大人っぽい “女の匂い” はどこから来るのか。
 
 僕は、その女の匂いに圧倒されて、声が出ない。
 そんな気持ちを見透かしたかのように、K子さんが訊いた。

 「 “カノジョ” はいないの ? 」
 「僕にですか ? 」

 「そう」
 「ま、よくおしゃべりする相手ぐらいならいますけど」

 「恋愛関係じゃないのね ? 」
 「たぶん」

 「そうよね。本当の恋愛は知らないのね。U子に対する演技が淡白だからわかるわ。でも好きなんでしょ ? U子のこと」
 「いえ、それほどでも … 」

 どんどんきわどい話になっていきそうで、僕は、K子さんの顔を直視するのが苦痛になってきた。

 うろたえる僕を、まるでネズミを追い詰めたネコのような目つきで、K子さんが見つめてくる。
 その目に向かって何を話せばいいのか。うまい言葉がみつからない。

 僕は、意味もなく、腕時計を眺めた。
 しかし、何時何分なのかは、まったく頭に入らなかった。

 会話が途切れた部屋の中で、K子さんのかけたレコードだけが鳴っていた。
 その音楽が、部屋の外を流れる風と共鳴して、部室全体が、木枯らしの吹く山小屋のように感じられてくる。

 「そんなふうに見つめられたら、恥ずかしいじゃない」
 K子さんの瞳に、はじめて気弱そうな色が浮かんだ。
 
 「失礼しました」
 「いいのよ」

 間をうまく取りつくろうことができなかったので、僕はポケットからタバコを取り出そうとした。

 「あ、やめて」
 彼女が手を伸ばして、僕の腕を抑えた。
 「みんなここでタバコを吸うけれど、私は嫌いだから」

 僕の腕に張り付いた手が、そのまま動かない。
 学ランの袖を通して、彼女の血液がそのまま流れ込んでくる。
 胸がバクバクし始めた。

 「キスシーン、やめることにしたわ」
 K子さんは、凄まじいほどきれいな瞳をこちらに向けたまま、言い放った。

 「どうしてですか ? やっぱり高校生の演劇にはふさわしくないと思ったからですか ? 」
 「違うわ。あの女に、あなたの唇を渡したくなかったから」

 いきなり脳天をかち割られたような気がした。 
 
 “あの女”
 なんという生々しい言葉なのだろう。
 それまで、僕はK子さんとU子さんを親友同士だと思っていたから、「あの女」という言葉の響きにたじろぐばかりだ。

 目を閉じた彼女の顔が近づき、その唇が、花びらのようにふわっと開いた。

 こういうとき、何を話せばいいのか。
 あるいは、何をすればいいのか。

 「あの、いま流れている曲は何ですか ? 」
 かろうじて、口をついて出た言葉はそれだった。

 「あ、これ ? トラフィック」

 「トラフィック ? 」
 僕は訊き直した。

 「イギリスでは、もうビートルズなんて誰も聞いてないのよ」
 K子さんの口調は、あっさりと普通の調子に戻っていた。

 「どういうグループなんですか ? 」
 「スティーブ・ウィンウッドという天才がいるの。ゆっくり聞くと、あなたもきっと気に入ると思うわ」

 耳を澄ますと、いかにもイギリスらしい、少し哀しげで、繊細で、透明感のある音が聞こえてきた。
 
 「素敵ですね」
 そう言い終えたとき、昼休みの終わりを告げるチャイムが流れた。

 「あ、行かないと … 」
 僕は立ち上がった。

 「真面目なのね」
 K子さんはおかしそうに笑った。

 僕だってほんとうはサボりたかった。
 でも、次の時間は、自分がレポートを読み上げる倫理社会の授業だったのだ。

 「行きなさい」
 凛とした声で、K子さんがそういった。 
 僕は黙って、そのままドアを閉めた。
   
 
 公演は大成功だった。
 でも、それからしばらくして、K子さんは学園から姿を消した。
 その後、ウワサが流れた。
 子供を宿したのだとか。
 相手は、彼女が授業をサボタージュしたときの、その教師だったともいう。

 真偽は定かではない。
 たぶんそれは、K子さんの並外れた美貌がゆえに生まれたやっかみ混じりのデマだったのだろう。
 僕にとってはどうでもいい話だ。

 でも、スティーブ・ウィンウッドの『ディア・ミスター・ファンタシー』を聞くたびに、僕は演劇部の部室で交わした彼女との短い会話を思い出す。

 そして、その2年後、僕はK子さんと “再会” する。

 1969年に、スティーブ・ウィンウッドは、人気グループ「クリーム」のエリック・クラプトン、ジンジャー・ベイカーと組んで「ブラインド・フェイス」というグループを形成し、『ブラインド・フェイス』というアルバムを出す。
 
 このアルバムは、スーパーギターリストとして登り坂を駆け上がっていったクラプトン中心のバンドと思われがちだが、実質的にはスティーブ・ウィンウッドがコンセプトを作ったアルバムであった。

 そのジャケットにK子さんがいた。 

 顔つきは、あまり似ていない。
 でも、僕は「K子さんが写っている」と思った。
 たぶん、髪型が似ていたからかもしれない。

 「これでも、小さい頃は “合いの子” と言われて、けっこういじめられたのよ」
 とK子さんは、自分のカールした赤毛を指して、そう言ったことがある。

 「馬鹿げたことを言う連中もいたものですね」
 「しょうがないのよ、事実だから。正確にいえばクォーターだけど … 」

 朝、学園に向かうバスの中で、偶然K子さんと乗り合わせたときだ。
 その日は、駅を降りる頃から小雨が降っていた。
 その雨の一粒が彼女の赤毛にとどまったまま、真珠のように光っていた。

 それを、
 「きれいですね」
 と言ったとき、その話が出た。
 いじめられたというのは、照れ隠しだったのかもしれない。

 『 Had To Cry Today 』

 ブラインド・フェイスのジャケットを眺めながら、1曲目を聞き、僕はそのことを思い出して、ふと泣きたい気持ちになった。


 
 
トラッドロック夜話11 「オールドマン」 
 
 

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