新書大賞2013 「社会を変えるには」

 
 「新書大賞」 というものがあるらしい。
 恥ずかしいけれど、知らなかった。
 しかし、書店の中をふらついていたら、新刊コーナーで平積みになっていた 『社会を変えるには』 という本の脇に、堂々と 「新書大賞2013受賞」 という張り紙がぶらさがっていたので、この賞のことを知った。

 小熊英二・著 『社会を変えるには』 講談社現代新書 

 前から良い本だと思っていたので、新書大賞なるものを十分に知らないながらも、「ええぇ ? 」 とか 「ほぅー ! 」 とかうなった。
 賞の対象となるには地味な本という気もしたので、意外でもあり、また順当でもあるような気がした。

 この本を買ったのは、もう半年ぐらい前のことである。
 実は、まだ途中までしか読んでいない。

 なにしろ、新書のくせにやたら厚い。516ページもある。(値段も1,300円もする)。
 そして、途中、かなり政治学や社会学の基礎教養的な記述も出てくるので、時間のあるときに景色のいい郊外のカフェなどでじっくり読むにはいいけれど、あわただしい通勤電車のなかで読んでいると、「世のスピードに置き去りにされそう」 な気分になってくる … ということもあって、今のところ “一休み” している本ではあった。

 しかし、20世紀的な思考の枠組みが通用しなくなった21世紀に入り、それもすでに10年以上経ってしまった今の世の中を見回して、
 「はたして、オレたちは今どんな場所に立っているのだろう ? 」
 「今みたいな世の中になってしまったのは、いったい何のせいだ ? 」
 「これから、この日本は …、いやこの世界は、そしてこのオレは …、どうなっちゃうんだろう ? 」
 みたいな疑問にとりつかれたときは、
 「まず、この本を読めば、すべてが見通せる ! 」
 というぐらい、素晴らしいパースペクティブ (眺望) を約束してくれる好著なのだ。

 初版が発行されたのが2012年の8月。
 ちょうと、反原発デモなどが盛んになってきて、テレビのニュース番組などでは、連日デモの様子が流されていたりしたころの発行だ。
 
 「社会を変えるには」
 というタイトル通り、本書はそのようなデモを通じて、社会を変えることはできるのか ? という疑問に答えようとした本である ( … らしい。まだ後半は読んでいない) 。

 そう紹介してしまうと、なんだかありきたりの政治学やら社会学の解説書のような雰囲気を想像してしまう人が多いように思う。
 しかし、本書は違う。

 「民衆のデモに、はたして政治を変える力があるのだろうか ? 」 という肝心のテーマに行き着く前に、今の社会はどうして生まれてきたのか ? ということを解説するためにけっこうなボリュームが割かれている。

 この解説が見事だ。
 「我々はどこから来たのか ? 我々は何者か ? 我々はどこへ行くのか ? 」
 というゴーギャンの絵のタイトルをモジっていえば、
 「現代社会はどこから来たのか ? 現代社会とは何か ? 現代社会はどこへ行くのか ? 」
 ということを、きわめて解りやすく説いてくれる本なのである。

 書かれていることは目新しくない。
 新しい知見が披露されているわけではなく、むしろ、これまでいろいろな教養書のたぐいでさんざん繰り返されてきたような教義・見解が示されているに過ぎないのだが、その整理のクリアさ、ロジックの明確さにおいて、これまでの凡百な教養書が一気に霞んでしまうほどの鮮やかな仕上がりぶりを見せているのだ。

 まず、数字の拾い方がうまい。
 そして、その数字が意味するものを摘出するのがうまい。
 さらに、数字によって明らかになった時代の変化を、歴史的に位置づける視点が鮮やか。

 その見本のような例が冒頭から出てくる。
 (その部分をちょっと要約し、文章を少し変えて紹介すると次のような感じになる)

 「2000年代くらいから、不況、格差社会、未来が危うい、などという声が日本社会で強まってきた。1960年代から80年代までは、 “ジャパン・アズ・ナンバーワン” などと呼ばれた日本社会の仕組みが行き詰まってきたのだ。
 日本のさまざまな経済指標は、90年代半ばが頂点だった。
 小売り販売額や出版物売上げ、国内新車販売台数などは1996年がピークだった。
 日本全国のガソリンスタンドの数も、1994年がピークで、2009年には3分の2まで減った。
 『少年ジャンプ』 は、1995年に653万部の発行部数を記録し、世界最大の漫画雑誌になったが、2008年には278万部に下がっている。
 雇用者の平均賃金も、97年から2010年までに約15%低下している。
 97年までは、まだ団塊の世代が働き盛りで労働人口も多く、就業者数もピークだった。しかしその年をピークに、就業者も減っていく。
 生活保護受給者数 (1ヶ月平均) は、95年には最低の88万人でしかなかったが、2011年には200万人を超えた。
 こうした状況は、どうして生まれたのか。
 『工業化社会から、ポスト工業化社会へ』 という視点で整理することができる」

 では、「工業化社会」 とは何か ? そして 「ポスト工業化社会」 とは何か ?
 本書によると、それは次のように解説される。
 まず 「工業化社会」 。

 「工業化社会 (の生産スタイル) は、20世紀はじめのフォード自動車に象徴される。(そこでは) ベルトコンベア式の大工場での大量生産が行われ、大量の労働者が雇用され、高賃金を受け取った。
 労働者は巨大な労働組合に組織され、賃上げを達成する。
 こういうサイクルができあがったのが、工業化社会だった。
 (こういう時代においては) 社会も、商品も、個人の生活も画一的だった。
 この時代の生産技術や情報技術では、大量生産のラインを変更するのは容易ではなく、多様化できなかった。
 そこで大企業は、デザインや機能を多少変えただけのものを “新製品” として、それを宣伝力で買わせていた。(だから) みんな同じような自動車に乗って、同じような電化製品を買って、同じような住宅に住んだ。
 人々の働き方も画一的だった。
 労働者は、ピラミッド型組織の大きな会社で長期雇用され、決まった時間に出社して、決まった時間に退社した。
 (そういう家庭の) 子どもたちは、いい大学に行って、大企業に入ることをめざした。20代の半ばで結婚し、30歳までに子供が二人でき、長期雇用を前提にローンで家を買い、60歳になったら引退した。
 よくいえば安定した人生。悪くいえばレールの上を走るだけの人生だった」

 そういう工業社会が、今はどうなっているのか ?
 著者の文章とは違うけれど、紹介しやすいように意訳して書くと次のようになる。

 「 (今は) 「ポスト工業化社会」 の時代となり、進歩した情報技術をもとにグローバル化が進んだ。
 (工業製品のパーツ発注も) 精密な設計図をメールで送れるようになり、世界中のどこでも安い工場に発注すればよくなった。
 国内の賃金が高くなってきた先進国の製造業は、海外に移転するか、海外の工場と契約を結んだ。国内に自社工場を持つにしても、コンピューター制御の自動機械があれば熟練工はあまり必要ないので、現場の単純業務は短期雇用の非正規労働者に切り替わっていった。
 事務職でも、単純事務は非正規に切り替わり、デザインなどの専門業務は外注すればよくなった。
 長期雇用の正社員は、企画を立てたりする少数の中核社員のほかは要らなくなった。ピラミッド型の会社組織も必要なくなって、随時集まって随時契約解除するネットワーク型に変化した。
 先進国では製造業が減り、情報産業や、IT 技術をもとにグローバルに投資する金融業などが盛んになっていった。また宅配業者やデータ入力業者など、新種の下請けの仕事がたくさん生まれた」

 長くなるので、このへんでやめておくけれど、ここでは、「ポスト工業社会」 になってから、生産システムの効率化が世界的に進み、それを反映して非正規労働者が増えつつある現状が、実に簡潔明瞭に説明されている。
 もちろん、以上のようなことはビジネス雑誌などでは、すでにさんざん言い古された事柄かもしれない。

 だが、そのような現状分析から、著者が次第に日本の 「社会運動史」 というテーマに軸足を移動させ始めていくと、もうビジネス書あたりの知見では追いつけなくなる。

 第 2章の 「社会運動の変遷」 においては、60年安保以前の前衛党が形成される背景が、ロシア革命のボルシェビキとの対照において語られ、さらに70年安保当時の “全共闘運動” の結成とその敗北までが総括される。

 著者は、『1968』 という著書において、かつて全共闘運動を身を投じた人間5、000人に対してアンケートを発送したという人だけあって、そのようなデータから、全共闘運動の意味と限界を捉える視点が明確に描き出される。
 そして、全共闘運動が、その後に続く若者の生活感覚に何をもたらしたのかということへと筆を移動させていくときの展開もうまい。

 第4章では、民主主義というシステムそのものが俎上 (そじょう) に上げられる。
 もし、民主主義の理念が、古代ギリシャで生まれとしたら、はたして古代ギリシャで営まれていた “民主主義” とは何であったのか。
 読み進めていくと、われわれ近代人が考える 「政治」 とはまったく異なる政治の世界が見えてくる。
 古代ギリシャの政治というのは、ある意味で、祝祭であり、乱痴気騒ぎでもあったとか。そのへんくだりは、読み物としても面白い。
 
 ま、そのあとは、現代社会にも通じる政治理論を打ち立てた古今東西の思想家たちの解説が続いていくわけだけど、今、その途中あたりで “休憩” をしているわけ。正直にいうと、あまりにも扱う対象領域が広すぎるので、少し頭が付いていかなくなっているのだ。

 自分が読んだ限りにおいては面白い本だと思うが、ネットの一部からは酷評されている本でもある。
 「反原発デモが社会を変える具体的なビジョンは何も書かれていない」
 とか、
 「原発を無条件に “悪” として決め付ける情緒的な本」
 など、いろいろな不満を抱いている人たちがいる。

 しかし、これだけ効率よく、見事に、現代社会の構造を立体的に浮かび上がらせた本というのは、ほかにはちょっと見当たらないのではないか。

 そういった意味では、現代を読み解く、手軽な “あんちょこ” である。
 「あんちょこ」 ではあるが、社会を見据える著者の視線にブレがないので、読者も自分が使う双眼鏡をクリアに磨いてもらったような爽快感を味わえる。

 ただ、タイトルで損をしているのではないか ?

 『社会を変えるには』

 原発デモが連日メディアを揺さぶっていた時代ならいざ知らず、たぶん (最後まで読んでないけど) 、この本のテーマは 「社会を変える」 ことではない。
 タイトルに、書かれている内容を正しく汲み上げるとすれば、この本のタイトルは、『社会を視るには』 … であるべきだ。

 でも、「視る」 というのは静的な行動だから、タイトルとしてのインパクトはあまりない。そこで 「変える」 という動的な動詞を使うことになったのだろうけれど、なにかしっくりしない。
 この本でいちばん違和感をおぼえるのは、そのタイトルだ。
 
 
 参考記事 「全共闘運動の総括」

 参考記事 「宗教書ブーム (ふしぎなキリスト教 = 新書大賞2012受賞)」
 
 

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新書大賞2013 「社会を変えるには」 への2件のコメント

  1. tu-ta より:

    以下に読書メモを書いています。
    http://tu-ta.at.webry.info/201303/article_4.html

    よかったら、読んでください。

    • 町田 より:

      >tu-ta さん、ようこそ
      読書メモ、拝読いたしました。
      非常に丁寧に、そして素直に原著に取り組まれている様子が伝わってきて、感心いたしました。

      私の方は斜め読みに近く、しかも原著のなかでも自分が興味を感じた部分だけを拡大して取り込んだという感じで、tu-ta さんのように誠実に読んだかどうかといえば、とても疑わしい限りです。

      Tu-ta さんがネットの中から拾われた文献も、ざっと読ませていただきましたが、人によって感じ方がずいぶん違うことも分かり、勉強になりました。

      この小熊さんの本は、自分のblog記事でも書いたとおり、実はまだ後半部分を読みこなせていません。
      したがって、小熊さんの “社会改革” の実践論の部分に関しては、批評できる状態ではないのですが、tu-ta さんの書かれているレポートを拝読し、なんとなく内容が掴めました。

      Tu-ta さんが書かれているとおり、この本が書かれた当時と、今ではだいぶ状況が変わっていますね。

      >> 「昨年の選挙で、自民党の圧倒的多数という状況が生まれ、デモの規模は縮小している。こんな状況受けて、具体的に制度を変えていくために、何をどうしていけばいいのか、声を出す方向と制度の転換の結節点をさがすことが必要になっているのではないか」
      おっしゃるとおりだと思います。

      いろいろと考える契機をいただきました。
      有意義なレポートを拝読する機会をいただき、感謝いたします。
       
       

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