「自分は若くない」という自覚は、どんなときに生まれるか ?

 
 「もう若くはない」
 
 そう思うときが、人間には必ずある。
 これだけは、どんな若者でも赤ん坊(?)でも逃れることができない。
 この世に生まれたからには、いずれ老いる。
 それが人間の宿命であるからだ。

 で、「もう若くはない」 と人が思うときというのは、いったいどんなときなんだろう。

 階段を上がったら息が切れた。
 子供たちから、ついに「おじさん」と呼ばれてしまった。
 テレビに出るアイドルの名前が覚えられない。

▼ 「ときどきテレビで見る女の子たちだけどなぁ …。宝塚か ? 」

 ま、 “若さ” が遠のいていく兆候って、いろいろあるよね。 
 多くの場合、「体力」や「知力」、あるいは「興味を持つ対象」が狭まってきたことを自覚したときに、人は「若くはない」と悟るようだ。

 だけど、気力や体力なんて、「若さ」や「老い」とはあまり連動していない。
 心身を鍛えている老人は何もしない若者よりも、よっぽど気力・体力が充実している。
 熱中する対象をしっかり持っている老人は、「自分はまだ青春の渦中だ」などとよく言う。
 だから、元気があるとかないとか、意欲的かどうかなどというのは、あまり老人と若者を区分する目安とはならない。

 しかし、「自分はもう若くはない」と自覚する厳然たる目安が、ひとつだけある。

 それは若者を “発見” したときだ。

 つまり、自分の周りにいる人間を見て、「あいつは若者だ」と意識した人は、そのとき、確実に「若者でない」場に立っているのだ。

 若者は、自分のことを「若者」とは思わない。
 だから、同じような年齢の “若者” が集まっても、「おまえ若いねぇ ! ヒアルロン酸とかグルコサミンとかやってる ? 」なんていう会話はしない。

 それに対し、かつて「若者」を経験したことのある大人は、自分がもう「若者」ではないことに、すぐ気づく。
 そのとき、周りにいる若者たちが、急に自分とは異なる人種のように思えたりすることがある。

「最近の若いサラリーマンは、なんでみんな先のとんがった靴を履いてんだ ? オレ絶対いやだ 」
 とか思った瞬間、目の前に存在しているとんがり靴の若者は “エイリアン” になっている。

 「老い」の自覚というのは、若者のことを「自分とは異なる人種である」としみじみと認識するところから生まれるものらしい。
 
 つい最近私も、牛丼屋で、自分の「老い」を感じた。

 その日は、朝食もわずかな量しか取れず、忙しくて昼飯を食べる時間もなく、空腹のまま夜を迎えることになった。
 夜の10時頃、ようやく夕飯を食えるほどの時間が取れた。
 
 「何を食うか ? 」

 繁華街のネオンを見回し、朝抜き、昼抜き、夜抜きという3度にわたる空腹を満足させるための店を探す。

 こういうときは、やはり丼(どんぶり)メシがいちばんである。
 男の子ならば、腹がめちゃ空いたときは、ご飯の上から肉が溢れ出そうに盛られた丼メシを思いっきりかっ込みたいと思うことはないだろうか ?

 たとえば、 “豚スタミナ丼” みたいな名前のついた、… ニンニクまみれのしょっぱい豚肉がご飯の上に山盛りになっていて、それを生玉子の力で喉の奥に流しこんでいくとか。
 
 そういう瞬間は私にとって、昔から、
 「男の子に生まれて良かったぁ ! 」
 と思える至福の時間であった。

 その日も、自分の食欲はそういう方向に傾いていて、けっきょく牛丼の吉野家に足が吸い込まれた。

 駅前にある店だったから、帰宅ラッシュの始まる時間帯のあわただしさが店内にも溢れている。
 どこを見回しても、若いサラリーマンやら学生でいっぱい。
 そういう連中が、箸をせわしなく動かしながら、噛む時間も惜しむように、大きく開いた口の中に牛丼を流し込んでいる。

 それ見て、
 「あ、いいな。あれが健全な食欲ってもんだよな」
 なんて妙に感心した。

 で、私は、牛丼の「並」に、なんと牛皿の「並」まで取った。
 玉子付きで。
 カウンターに牛丼が届くと、その上に、さらに牛皿の肉を注ぎ、玉子を落とし、紅ショウガをたっぷり載せ、豪快に箸を動かしながら、かっ込み始めた。

 ところが、3分の1ぐらいのところでスローダウンしてしまい、さらに半分もいかないうちに箸が止まってしまった。

 「脂っぽくて食えねぇや … 」
 突然、そんな反応が胃の方からこみ上げてきたわけだ。

 はじめての体験だった。
 牛丼並と牛皿並コンビは、腹が空いているときの自分の鉄板メニューだったのだが … 。

 身体の調子が悪いのか ?

 振り返ってみると、体調が悪いわけでもないのに、ここのところなんとなく、脂っぽくて味の濃いものを「うまい」と思わないようになっていた。
 ラーメンでは、もうとんこつ系を食いたいとは思わないようになってきた。
 トンカツでは、ロースカツの脂身が胃にもたれるような感じになっている。

 つまりは、若者が消化するような食物を受け入れる自分のキャパが、少しずつ縮小してきていることに気づいた。
 
 要は、「ジジイになった」ということなんじゃん ?
 きっと、そうだ。
 「自分がジジイになったんだ」
 と、そのとき思った。

 すると、目の前の風景が変わった。
 汗を跳ね飛ばしながら牛丼をかっこんでいる若者たちが、いっせいに遠ざかってくような感覚に襲われたのだ。

 珍種の人間たちに囲まれている !! 

 同じように箸を使い、同じようにメシ粒を口の中に入れているんだけど、彼らが喉に流し込む食物は、人間の胃ではなく、人工的につくられた貯蔵タンクかなんかに沈殿していくように思えた。
 
 「こいつらは、オレとは違う人種だ」

 訳もなく、そういう思いが脳裏をかすめた。
 それは、自分にとっての “若者” という「他者の発見」であったのかもしれない。

 若者を “発見する” ことは、ジジイにとってさびしい。
 だが、それはもしかしたら、ジジイだけが感じているものではないのかもしれない。

 ひょっとしたら、30代ぐらいの若者は、さらに年下の20代の人間のことを「若者」だと思い込んでいたりして。
 そして、20代の若者は、その下の高校生や中学生に指して、「あいつらの若さには勝てない」などと嘆いていたりするのかも … 。
  
  

カテゴリー: ヨタ話   パーマリンク

「自分は若くない」という自覚は、どんなときに生まれるか ? への6件のコメント

  1. スパンキー より:

    先を考えるようになった。いろいろと用心するようになった。
    理屈を考えるようになった。臆病になった。億劫になった。
    健康診断がやたら気になる。体のあちこちが不具合だ。
    格好いいパンツに興味がなくなった。
    AKBをみて彼女たちの今後のことが心配になってしまう。
    五月みどりはやはりいいなぁと分かるようになった。

    これが私にとって年を感じたときでしょうか?
    町田さんとはちょっと違うけど。

    こうみると、町田さんは比較論。私は絶対論となるのか?

    話は変わりますが、焚き火、ひさびさにやりたいですね?

    • 町田 より:

      >スパンキーさん、ようこそ
      なるほど ! 年を取りながらも、感じていることが微妙に異なることが、いただいたコメントから伝わって来ました。
      まず私には 「先を考えること」 がない。生活設計の能力に乏しい人間の欠陥ですね (笑)。
      「健康診断」 もあまり気にならない。これも困ったものです。

      でも共通しているところもいっぱいあります。
      >> 「五月みどりはやはりいい」
      これには120%ぐらい同感 ! 彼女、あの年になっても色っぽいよね。
      >> 「体のあちこちが不具合だ」
      これも一緒。
      >> 「億劫になった」
      まさに、私もそうなんですよ。公私ともども新しいことを始める前には、「よっこらしょ」と気合いを入れないと、体も心も動かないようになってしまいました。体力の問題もあるのでしょうね。
      >> 「カッコいいパンツに興味がなくなった」
      これも同じ。ただ、私の場合は昔からですが。

      焚き火。
      いいですねぇ !
       

  2. Take より:

    どこまで本気なのかはわからないですが、モデル系のアイドルの女の子が「二十歳を過ぎたらおばさん」と言っていたのを思い出します。
    どの世代もみな戦っているのかもしれません。

    ぼくは、そうだなぁ・・・、女の子のいる店よりしっぽりとカウンター越しにお酌をしているお店でおでんをつまみたいと思うあたりからでしょうか(笑)

    • 町田 より:

      >Take さん、ようこそ
      モデル系のアイドルの女の子が 『二十歳をすぎればオバサン』 と言っていたというのは、私もなんか分かるような気もします。
      男でも、老人よりも、25~26歳ぐらいの方が、 「年を取ったなぁ」 と実感することは多いようです。私もそんな時代がありました。
      ましてや、女性の方が成熟するのは早いですから、10代が終わる頃には 「20歳になったらオバサン」 という感覚を持ってしまうのでしょうね。

      >> 「カウンター越しにお酌をしてくれるお店で、おでんをつまみながら … 」
      いいですねぇ !! 
      そういう雰囲気が楽しめるようになるって、やはりこれは中高年の特権かな。
      年をとったらとったで、またそれなりの楽しみ方が生まれてくるのでしょうね。
       

  3. タイムジャンクション より:

    体力や気力は年々感じますけど、一番は昔、今の自分の歳ぐらい人がやっていた事を自分でも気づかないうちにやっているのに気付いた時ですね。。それと老眼です・・・

    • 町田 より:

      >タイムジャンクションさん、ようこそ
      ああ、分かります !
      ありました、ありました。
      若いうちは、中高年のちょっとした仕草なんか眺めながら、「年は取りたくないものだなぁ … 」 なんて思って見ていたことを、気づかないうちに今の自分もやっていることって、ときどきありますよね。

      それと老眼になったことを自覚したときに、「ああ、俺もついにか …」 と溜息をついたことを思い出します。
      今では老眼鏡を5個ぐらい持っているですけどね。、
       

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong> <img localsrc="" alt="">