ミッドナイト・イン・パリ

 
 さっきまでWOWOWシネマで、ウッディ・アレンの 『ミッドナイト・イン・パリ』 (2011年5月公開) を観ていた。

 21世紀を生きるアメリカ人小説家が、婚約者の女性とその両親の4人でパリに遊びに来る。
 小説家が一人で酒に酔ったままパリの街をうろついていると、ふとしたきっかけで、1920年代のパリにタイムスリップしてしまうという話。

 一種のSFタイムトラベルものではあるのだけれど、登場人物たちのスケールがでかい。

 アーネスト・ヘミングウェイ
 F・スコット・フィッツジェラルド
 コール・ポーター
 ジョセフィン・ベーカー
 パブロ・ピカソ
 サルバドール・ダリ
 マン・レイ
 ルイス・ブニュエル
 T・S・エリオット
 アンリ・マティス
 ロートレック
 ポール・ゴーギャン
 ドガ

 みな20世紀の初頭を飾る高名な画家、音楽家・文学者ばかり。
 しかし、ピカソやダリは野心だけは旺盛だが、まだ駆け出しの画家にすぎないし、ヘミングウェイも、闘牛やハンティングだけにウツツを抜かすマッチョなただの物書きで、大文豪の貫禄はまだ身についていない。

▼ ダリを演じていたエイドリアン・ブロンディ (左) にびっくり。本当にダリがその場にいたらこんな感じか … と思えた。右は若い頃の本物のダリ
 

 主人公は、いちおう小説家であるから、それらの人物が後世20世紀を代表する芸術家になることを知っているので、感激はひとしお。

 明け方には21世紀のパリに戻って、婚約者のその感激を語るのだけれど、誰だって、そんな話信じないよな。頭がイカれてしまったと思われるだけで。

 しかし、夜ごと過去の世界に遊びに行く主人公には、だんだん21世紀の現代より、1920年代のパリの方が魅力的に思えるようになってくる。
 その理由のひとつは、彼がピカソの愛人であるアドリアナという女性に一目惚れして、恋に陥ってしまうからだ。

 当然、現代に生きる婚約者との間はギクシャクしてくる。
 婚約者の両親は、主人公の様子がおかしいと気づき、探偵を雇って、夜ホテルを出て行く彼の後を尾行させる。

 ま、そのへんのつくりは軽い笑いを誘うコメディなんだけど、確かに、主人公がとりこになるのが分かるくらい、1920年代のパリの情景が素敵なのだ。


 
 日本でもパリが “芸術の都” と尊重される時代があった。
 あの時代は、世界的にもそうだった。
 絵画、文学、音楽。
 それらのもっとも先端的な実験がパリで行われ、世界の野心的な芸術家のタマゴたちが集まった。 

 21世紀的な感覚では、もうそれが古めかしい出来事のように思える。
 実際、もう私なんかにも 「パリが芸術の都」 などという感覚はないし、「その時代が美しかった」 などというノスタルジーもない。

 しかし、映画を観ていて、久しぶりにパリの美しさに酔った。
 香りがあるし、陰影が深い。
 享楽的で退廃的だけど、センスの鋭さは抜群。
 絵画、映画、デザイン、はてはCM映像なども含め、20世紀的な “美” の基準がいちおうあの時代のパリで創られたものから発展してきたということはよく分かる。

▼ ウッディ・アレン

 ウッディ・アレンは、なんでこのような映画を撮ったのだろう。
 あの皮肉屋のウッディ・アレンにしては、ラストのオチのつけ方も含め、珍しく解りやすいラブ・コメディーになっている。

 あいかわらず登場人物はよく議論するし、よく喋る。
 でも、難解なところがなく、すんなりと話の筋を追うことができる。
  
 これは、「ウッディ・アレンの20世紀の総括」 なんだな … と思った。
 たぶん彼は、自分という 「映画人」 をつちかってきた時代を、いくぶんの郷愁も込めて、ひとつのモノとしてまとめておきたかったのだろう。

 ま、過去の有名人ばかり、「これでもか ! これでもか ! 」 と繰り出してくるところには、なんとなく、ウッディ・アレンのスノビズムを感じないわけにはいかない。
 でも、20世紀芸術にストレートな親近感を抱いている人には面白いかも。
 そうでない人には、退屈かも。
 
  
 参考記事 「マンハッタン追想」

 

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