「美人」 は男の手を離れた

 
 剛力彩芽とか前田敦子みたいな、30年前だったら 「美人スターの脇役」 ぐらいしか務められなかった女の子たちが、今や時代の主役を張る俳優やタレントであるということを考えると、つくづく 「時代は変わったんだなぁ … 」 と、私のようなジジイは思わざるをえない。

 時代の先端を行く “ニュー美人” たちは、顔の造作よりも、存在感そのものが光っている。
 表情、しぐさ、セリフの言い回し、着るもののセンス。
 そういう総合力が、新しい 「美人の基準」 を形成しつつある。

 昔は、セリフなんかなくたって、お人形のように立っているだけでも美人は 「美人」 だったのだ。
 でも、そういう観賞用の 「美人」 を評価する風潮というものが、今の時代にはもうない。
 
 これはどういうことか ?
 
 「美人」 の基準が男たちの手を離れて、女たちの手に移ったのだ。

 もっとも、そう言われてすでに久しい。
 ここ30年ぐらいのことだろうか。
 たぶん、ファッション産業を筆頭に、化粧品メーカーやらエステ業界やらが、女性マーケットを緻密に分析して開拓しているうちに、それを使いこなす “技量” というものが女性たちの間で意識されるようになり、
 「 “美人” は天から授かるものではなく、努力して自分で勝ち取るもの」
 という精神革命が女性たちの間に起こったのだ。

 さらにもっと大きなことをいえば、それだけ日本は平和だったということでもある。
 
 もともと生物学的にいっても、「男」 というのは単なる戦闘要員でしかないような存在なのだ。
 戦争があるから、その筋力やら瞬発力やらが役に立つのであって、そういうものは平和時にはさほど意味をなさない。
 自然に放っておくと男たちの数が増えるというのも、そもそも男は戦って死んでしまう可能性も高いから出産率も高いわけで、要するに男なんて、平和時には無駄な存在でしかないのだ。
  
 それでも戦争が頻繁に起こっていた時代は、男子は “戦力” として評価されていたから、威張っていることができた。
 戦争には略奪やらも当たり前のように横行したから、女は “捕獲品” という認識も生まれた。
 男が 「美人」 が基準を決めることができたのは、そういう戦時体制が常態であった時代の残滓である。

 今でも、戦時体制が常態化しているような国では、相変わらず昔ながらの 「美女」 の基準が生きている。
 たとえば、韓国。
 
 この国は、38度線という国境の向こう側に、ときどき砲弾を撃ってきたり、ミサイルを飛ばしてくる “隣国” を持っている。
 成人男子には徴兵制があり、一定期間 「男は国を守らなければならない」 という精神的訓練も受ける。

 こういう国には、古典的な美女観が残る。
 「美人の基準」 がまだ男の手に委ねられているからだ。
 すなわち、造形的に、「目が大きく、鼻が小さく、全体的なバランスが良い顔が美人」 という確固たる基準があるから、女性の間にも美容整形がはやる。

 そういう国に比べると、日本は第 2次大戦以降これといった戦争もなく、徴兵制もなく、70年近く平和を謳歌することができた。
 男がそれだけ平和な暮らしになじめば、「女が戦争の戦利品である」 などという野蛮な発想がなくなってしまうのは当然だ。
 つまり、男が 「女を品定めする」 なんていう意識も遠いものとなっていく。

 最近の若い女優では、仲里依紗なんて、ものすごく古典的な “正統派美人” だと思うけれど、彼女なんかのプロモーションを見ていても、男目線で売り出してはいない。
 楚々たる風情の美女 … なんていうイメージから徹底的に遠ざかろうとしている。
 あえて、ぶっ格好なポーズを取り、顔を意図的に崩し、どれだけ不細工になれるかで勝負しようとしているところがある。

 仲里依紗の場合は、「自分は本当は美人なんだ」 という自信があるから、それもできるんだろうけれど、それでも、あえて昔の男たちが 「美人」 に要求する仕草や表情をことごとく “裏切る” ことに楽しさを見出しているように思える。
 そうじゃなきゃ、下のCMなんかを引き受けないって。
 
 ▼ 仲里依紗のアセロラドリンクのCM

 
 こういうことができるのが、現代的な美人の要素なんだな。
 「美女」 であることよりも、「可愛い子」 であることを選んでいる感じ。
 そして、それをもう若い男子たちが受け入れているような気がする。
 現代的な “萌え ”というのは、そういうところから生まれてきているのかもしれない。

 「美女」 の基準を自分たちに引き寄せた女たちが元気なのは当たり前だ。
 彼女たちは、「戦争があったら守ってくれる男」 というものを想定しないですむわけだから、男に媚びる必要もない。

 そのため、自分自身が輝くことがまず先決。
 そして、どれだけ輝いているかは、男ではなく、女が決める。
 そういう文化が日本に育ちつつある。

 紫式部や清少納言といった意識レベルの高い女性が日本の文化を領導していった平安時代。
 それは、日本の文化が大陸の影響から脱して、オリジナルなものを完成させた最初の時代だった。
 そして、それはまた、約400年にわたって平和が持続した時代でもあった。

 当時は、戦闘的な男よりも、和歌を詠み、女の気持ちに寄り添う感受性を身につけた男が尊ばれた。
 現代の 「草食系男子」 なんて、なんだかその時代の精神を受け継いでいないか ?

 平和な時代は、「女の文化」 が育つ。
 それが、後世に続く新しい美意識を生む …… んだろうな、きっと…。
   
 

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「美人」 は男の手を離れた への2件のコメント

  1. タイムジャンクション より:

    すでに中年からジジイになりつつあるんで、今の’美人!?’ “ニュー美人”には???です。 なにか美人のデフレ?とか・・・事務所の売り方やメディアの露出度だけで判断されているようにしか思えないです。。 すでに今は『美人』の作り方も感性よりも科学的根拠とかデータに左右されているように感じています。。 ん~~時代に取り残されるジジイに向かっているTJです♂

  2. 町田 より:

    >タイムジャンクションさん、ようこそ
    面白いですねぇ ! >> 「美人のデフレ」。
    まさに、言い得て妙です。

    おっしゃるように、今 “旬の美女” と目されている人たちは、事務所の売り方がものを言っている、という唱える人たちは多いですね。要は、事務所がプロモーションにコストをかけているということなんでしょうね。

    私もまた >> 「時代に取り残されているジジイ」の一人なんで、TJさんのおっしゃること、よく分かります。
    昔の “美人” たちは、どこへ行ってしまったのでしょうか。
     

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