本当はエッチな昭和歌謡

 
 若い頃、両親がテレビで “懐メロ” 番組なんて観ているのを横目でにらみ、「年は取りたくねぇものだ」とボヤいていたけれど、気づくと、いつの間にかうちのカミさんとメシなど食いながら観ているテレビは、「懐メロ番組」。
 
 「昭和40年代のレコード売上げベスト1位に輝いた曲はこの曲 ! 」
 なんてテロップが流れてくると、
 「ほぉ」
 とかつぶやいて、思わず箸を止めて画面に見入ってしまう。
 
 もちろん、しみじみと懐かしい気分にも浸るわけだけど、それ以上に、今の視点で昔を見ると、当時分からなかったことがいろいろ見えてくるので、面白い。
 特に「歌は世情を表す」というだけあって、年月が経ったからこそ、歌を通じて見えてくる “時代の表情” というものがある。

 だから、懐メロというのは、聞いている人間を「昔に連れ戻す」のではなくて、「昔を現代に引きずり寄せる」という機能があると思っている。
 
 で、昭和の時代に流行っていた歌謡曲を聞いていると、ひとつ思うことがある。
 なんとも “エッチ” な歌が多いということだ。
 
 「色っぽい」とか「艶っぽい」などという言葉では取りつくろえないようなストレートないやらしさ。
 まさに、間違って女性の入っているトイレをいきなり開けてしまったような、こちらのバツが悪くなるほどエッチな歌ってのが多い。
 
 たとえば、畑中葉子が1980年に放った歌。
 タイトルが、『後ろから前から』。


 
 歌詞はこんな感じだ。
 
  後ろから前からどうぞ
  いつでも抱きしめていいの。
 
  たとえば獣みたいに、激しい仕草で、後ろから前からどうぞ。
  力づくで奪って、逃げてのいいの。
  遊びにあきたなら、そうよ捨ててもいい。

  後悔して泣くほどうぶじゃないわ。
  アバンチュール、それだけの関係だけでいい。
  時には娼婦みたいに、妖しく誘うから、後ろから前からどうぞ。

 
  こんな歌が、たとえば、小さな子どもを交えた夕餉(ゆうげ)のひとときに流れてきたら、たちまちその家庭は凍りついてしまうだろうな。

 お父さんは、きまり悪そうに下を向き、お母さんは慌ててコントローラーを探し、子供は、そんな父と母の様子を見ながら、まるで夜中に父と母が同じ布団の中でうごめいているのを見てしまったようなバツの悪さを感じるかもしれない。
 
 罪作りな歌だよな、ほんと。
 事実、この歌はさすがにゴールデンタイムに流されることはなく、ほとんど深夜番組に限られていたそうだが、歌そのものを公開するのに賛否両論だったという話もある。
 
 昔から、昭和の歌は、エッチな内容をこっそりはらんだ意味シンのものが多いことで有名だ。
 たとえば、伊東ゆかりの『小指の思い出』(1967年)。


 
  あなたが噛んだ小指が痛い。
  きのうの夜の小指が痛い
 

 何気なく聴いていると、「ああ、小指ね」と気にとめるほどのこともないように思う。
 しかし、次のような歌詞に移っていくと、ちょっと、「あらら …… ? 」という気持ちになる。
 
  あなたが噛んだ小指がもえる
  ひとりでいると、小指がもえる
  そんな秘密を知ったのは、あなたのせいよ。いけない人ね。
  かくしていたい、小指が好きよ。

 
 「もえる」 … とは、「燃える」か「萌える」か ?
 ま、そんなことはいいとして、次の言葉に注目。
 
  「ひとりでいると、小指がもえる」
  「そんな秘密を知ったのは、あなたのせい」
  「隠していたい小指」

 これ、あきらかに、
 「あなたのことを思い出しながら、人には隠しておきたい秘密の場所を一人でまさぐっている」
 という意味にならないか ?
 聴いていると、思わずポウ~ッと頬が赤らんでくるような歌詞だ。
 
 もっとショックなのは、山口百恵の歌った『青い果実』(1973年)。
 

 
 当時、これを聞いた男の子たちは、いきなり頭をガーンと叩かれた感じだったろう。
 
  あなたが望むなら、私何されてもいい
  いけない娘だと、噂されてもいい
  
  恥ずかしそうに、薄目をあけて
  はじめて秘密 打ちあける

 
 これが、当時16歳だった清純派の少女が歌ったというのがショックだった。
 化粧濃いめの水商売ママさん風の女性が歌ったのなら、… もっともそういう人がこんな歌詞を歌うわきゃないけど … まぁ、成熟した女性が歌っていたら、聞く方も苦笑でごまかせたかもしれない。
 
 だけどさ、一見、男と手も握ったこともないような、もちろんキスなんてとんでもないという風情の少女が、一途な目をして歌うんだぜ。
 思わず、入れ歯がアゴから外れそうになった。
 
 山口百恵は、この路線をしばらく突っ走り、翌74年には、『ひと夏の経験』なんて歌も世に問う。
 
  あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ
  小さな胸の奥にしまった大切なものをあげるわ
 
  愛する人に、捧げるために
  守ってきたのよ
  汚れてもいい、泣いてもいい
  愛は尊いわ 
  誰でも一度だけ、経験するのよ
  誘惑の甘いわな

 
 まぎれもなく、「処女を捧げる」っていう意味なんだよね、これ。

 この時代、立て続けにこんな感じの歌がどんどん出てきた。
 西川峰子のデビュー曲『あなたにあげる』(1974年)も、次のような歌詞を展開する。


 
  いとしい人の胸に抱かれる夢みてないた。
  いやよ、いや、いや子供じゃないわ。可愛いだけの恋なんて。
  あなたにあげる、わたしをあげる。
 
  長い黒髪、とかれて散って、膝で甘えるその日を待つの
  嘘よ、嘘、嘘。指さえ触れぬ。きれいなだけの恋なんて。

 
 この時代、女たちの間に「何が起きていたんだ ? 」。
 もう少し正確いうと、男と女は 「何を求めていたんだ ? 」ということになる。
  
 百恵の「処女あげます」SONGも、西川峰子の「大人になりたい」SONGも、いずれも、その登場は70年代初頭。
 この時代に、男と女の性意識が大きく変わろうとしていたのだ。
 

 
 一見すると、「女たちが自分の欲望をストレートに語るようになってきた」。
 そんなふうにも見える。
 
 確かに、60年代から顕著な動きを見せてきた都市部への人口移動が加速し、農村共同体を離れた若い男女が大都市圏で暮らすようになって、お見合いという風習がなくなり、恋愛結婚が主流になった。
 
 だから、恋愛の現場においても、女が自立した主体となり、自分の欲望をあらわに男に伝えるようになった。
 そう考えるのも自然かもしれない。
 
 だが、そういう女たちの「欲望」は、どういう形に収斂していったのか。
 
 「処女を捧げる」
 というのは、バーターなのだ。
 「捧げる代わりに、対価を要求している」 と見ることもできる。
 つまり、ギブ&テイクね。

 では、女たちが「処女」を「ギブ」して、男たちに何を求めたものか ?
 
 統計によると、この “処女喪失SONG” が猛烈な勢いで歌謡界を席巻した時代、つまり1970年代前半というのは、日本の「専業主婦」が圧倒的な勢いで生まれ続けた時代でもある。
 
 「20代半ばで結婚し、子供は2人。亭主はサラリーマンとして会社に通って給料を確保し、妻は家事労働で夫と子供を支える」
 
 こういう “標準世帯モデル” というのが定着したのが、この時期。

 実際に、家庭に入った奥様が処女であったかどうかは別として、
 「処女のような “無垢な心と身体” を捧げるから、あなた一生面倒みてね」
 という、男と女の暗黙の契約が取り交わされた時代が、この一連の歌が輩出してきた時代と重なる。
 
 「専業主婦」というと、女が豊かで優雅な暮らしをしている、というイメージで語られることが多い。
 しかし、それは間違いだ。
 
 逆にいえば、それは女が 「給料をもらえない労働」 に従事しなければならなかったことを意味する。
 
 1973年の石油ショックによって、高度成長の流れをいったん止められた日本の各企業は、それを機に猛烈なリストラを敢行して、スリム化を図った。
 そして、そのリストラに成功したがゆえに、日本は再び本格的な経済成長を遂げることができた。
 
 リストラされたのは、誰だったのか。
 
 つまりは、女たちである。
 彼女たちは、お茶くみ、コピー取りのような代替可能な単純労働の場にどんどん追いやられ、さらに結婚退職や出産退職を奨励されるという形でリストラの憂き目にあったのだ。
 要するに、「専業主婦」とは、リストラされた女たちのことなのだ。
 
 そういう社会の “余剰要員” を、当時の会社勤めの男たちが引き受けた。
 当時はそれでも家庭が成り立ったのは、男の収入が今より比べものにならないくらい安定していたからである。
 終身雇用を完全に実現できるほどの企業は、当時だって一部の大手優良企業に限られていたが、それでもそういう会社が安定していたからこそ、下請けの中小企業も安定した雇用と賃金を維持することができたわけだ。
 
 1975年は、日本の女性労働率が最低になった時代である。
 それは、とりもなおさず、専業主婦の率がピークとなったことを意味し、また、「団塊世代」の女性が結婚して、子供を産んだ時期とも重なる。
 
 このようにして、「昭和の家庭」というものが生まれた。
 「サラリーマンの夫に専業主婦の妻。そして子供2人」という標準世帯のモデルが完成し、それが「幸せな家庭」のスタンダードとなった。
 
 でも、ほんとうに当時の女たちは、幸せだったのだろうか ?
 
 そうとも言い切れないような気もする。
 
 「専業主婦」というと、なにやらセレブな生活を送っている優雅な女たちというイメージで語られがちだが、この時代の女たちにとって、「専業主婦」という安定した生活を手に入れることは、「男の性的な欲望の対象」に成りきることを意味していた。
 
 なにせ、まだ今のような、女が自活できる道筋は十分につけられていなかったのだ。
 男たちに混じってバリバリ仕事をこなすキャリアウーマンもいたが、それはまだごく一握りの女たちで、大半は「主婦」になるしか生きるすべがなかった。
 
 だから、
 「男女対等な立場に立った恋愛結婚」
 という装いの裏側で、自分をひとつの 「商品」 に仕立て、 “泣く泣くヒヒジジイの庇護のもとで生きていく” 覚悟を決めた女たちが全くいなかったとは思えない。
 
 実業家であり著作家の北原みのり(1970年生まれ)は、団塊世代の女のエロスのひとつの形として、
 「彼女らは、(ドラマなどでも)醜い爺にむりやり犯されるという設定に奇妙なリアリティを感じているようだ」
 と、あるコラムに書いている。
 
 たぶん、それがあの時代の「自由恋愛・恋愛結婚」のひとつの真実だったのかもしれない。
 
 1970年代初頭。
 山口百恵らの “ウブな少女の喪失願望” が歌謡曲のテーマとして話題を呼んだ一方、もうひとつの流れが台頭している。
 それは、“ヒヒジジイ (?) ” たちが歌う酒場演歌の流れだ。
 
 宮史郎とぴんからトリオの『女のみち』が流行ったのが、1973年。
 殿さまキングスの 『なみだの操』 が大ヒットしたのが、1974年。
 歌詞の内容は、いずれも「酒場女(らしき女性)が、通い客の一人の男に操を捧げる」 というようなもの。
 もちろん、現実にはそんなことは(ほとんど)あり得ず、100%近く、男の幻想ないしは願望を歌ったものである。
 

 
 これらの演歌の特徴は、一見、カネで女をモノにしそうな男たち(失礼 ! オレはあの歌手たちが好きだけどね)が、 “純情な女心” を歌うというパラドキシカルな設定にある。
 聞いている男たちは、それをギャグとして楽しんだが、女のなかには、このシチュエーションを生理的に嫌悪した人たちも多かった。
 たぶん、その「嫌悪」とは、自分自身が心の底に沈めた “恥部” を明るみに出されたような気分から来たものだろう。
 
 もし、今の時代に、団塊世代の熟年離婚というものが問題になっているのだとしたら、それはその世代の女たちが、ようやく自分たちが若い頃に聞いた山口百恵の『青い果実』や『ひと夏の経験』に歌われた幻想から醒めたことを意味しているのかもしれない。
 
  
参考記事 「実は演歌が好き」
 
関連記事 「70年代に女の歌が変わった (昭和歌謡雑感 2) 」
 
参考記事 「演歌の時代は終わったのか ? 」

参考記事 「平山三紀と筒美京平の魔術」
   
▼ 畑中葉子 『後ろから前から』 1980年

▼ 伊東ゆかり 『小指の想い出』 1967年

▼ 山口百恵 『青い果実』 1973年
 

▼ 山口百恵 『ひと夏の経験』 1974年
 

▼ 西川峰子 『あなたにあげる』 1974年
 

▼ ぴんからトリオ 『おんなの道』 1973年

▼ 殿さまキングス 『なみだの操』 1974年
 
 
   
 
 

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本当はエッチな昭和歌謡 への5件のコメント

  1. Take より:

    「あなたが噛んだ小指がいたい」の文字の中には、Hな言葉は書かれていなく、それは自分の想像力を膨らます中で描かれていくものだと思います。
    ところが百恵ちゃんを経由しておニャン子クラブあたりになるとダイレクトな言葉の羅列。想像力が全くいらない歌詞になってしまっている感がします。

    歌を聴くのも夜を共にするのも、余韻とか雰囲気とかが必要なのに、それがなくなってきたこと。
    夕餉のだんらんにオヤジさんがコホンと席をして「ほかに面白い番組ないかな」とチャンネルを回す後ろめたさ(気恥ずかしさ)があった時代の方が、あっけらかんとなんでもOKのじだいよりよかったような気がしてならないのは僕が年を取ったからなんですかねぇ。

    • 町田 より:

      >Take さん、ようこそ
      おっしゃるとおりですね。「男女の情」 を表現する歌であっても、直接的な表現ではなく、想像力で補うような歌詞のほうが情感も深いし、かえってエロチックなものだと思います。
      たぶん、(歌詞において) 直接的な表現が出てきてしまったのは、日本人の性に対する感受性が貧相なものになってきてしまったのではないのかな … と。
      それは、エロ小説が衰退して、代わりに、性愛の表現が、写真やDVDなどの映像主体になってしまったこととも関係があるのかもしれませんね。

      >> 「僕が年をとってしまったから … 」
      私も同じように年をとってしまって、同様に感じます。
       

  2. AO@岐阜県 より:

    はじめまして。
    「後ろから前から」の作曲者である荒木とよひささんがラジオ番組で、「後ろから前から」は、つボイノリオさんの「金太の大冒険」に刺激を受けて作った曲だと語っておられましたよ。

    • AO@岐阜県 より:

      作曲者ではなく作詞者でした、お詫びして訂正します。

    • 町田 より:

      >AO@岐阜県さん、ようこそ
      こちらこそ、はじめまして。
      ほぉー! 「後ろから前から」というの曲は、あの有名な「金太の大冒険」がヒントになっていたんですか ‼
      はじめて知りました。
      面白い情報をありがとうございます。

      金太の歌は、一時期、いろいろな飲み会の余興でよく歌われましたね。
      当時、聞くたびに腹を抱えて笑い転げていたことを思い出します。
       

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