悲しき闘牛と皆殺しの歌

 
 トランペットは、独特のテンションを持った楽器である。
 その起源は、旧約聖書時代のイスラエルや古代アッシリア時代まで遡れるとか。
 

 
 金管楽器のなかでは、もっとも高音域を奏でられる楽器であるため、戦場における信号楽器としての歴史を持ち、3,000年以上も昔から、軍隊の士気を高揚させ、かつ宗教的な厳粛さを要求される場で鳴り響くという歴史を持った楽器のようだ。
 
 だからなのか、この楽器は「生の高揚」と「死の哀愁」を同時に鳴り響かせる宿命を背負っている。
 
▼ Herb Alpert & The Tijiuna Brass 「The Lonely Bull」

 
 昔、ハーブ・アルパートとザ・ティファナ・ブラスという楽団が演奏した『悲しき闘牛(The Lonely Bull)』という曲があった。文字どおり、そこには、闘牛場に大観衆が詰めかける熱気と、そこで生贄のように殺されていく牛の死を見守る哀愁があった。
 
▼ 闘牛のポスター

 
 この 『悲しき闘牛』 は、1963年のアメリカン・ポップスシーンを席巻した曲の一つである。
 いま聞くと軽い。
 そこには、その当時のポップ・ミュージックの能天気さが漂っている。
 
 にもかかわらず、やはり闘牛を文化の柱に置いたスペイン … そしてその支配圏で文化を形成していったメキシコ的な響きがとどろいてくる。
 いわば、熱狂的なラテン人気質と、「光」と「闇」のコントラストが強い陽射しが大地を覆う風土から生まれてきた音であるように思う。
 
 ベンチャーズのカバーも流行ったが、やはりトランペットの荘厳で華麗な響きがなければ、あの「生と死」が同時に混在するようなスペイン・メキシコ的な音色というものは生まれない。
 
 誰が言ったか、「メキシコの風土は、悲劇ですら祝祭に変える」という言葉がある。
 その言葉は、トランペットという楽器を言い表しているようにも思える。
 
▼ スペイン・メキシコ文化圏の教会は、過剰なほどの祝祭的装飾性に溢れる。それを 「ウルトラ・バロック」 という人もいる

 
 もともと、アメリカ人におけるメキシコは、「楽園」の代名詞でもある。
 アメリカの西部劇を見ていると、強盗団のようなアウトローの多くは、追手に追われるとメキシコを目指すことになっていた。
 
 それは、「アメリカの法の届かない地」を意味しているが、同時に、「アメリカ的な正義」とは異質な原理で人間を動かすスペイン・メキシコ的な風土への逃避でもあるのだ。
 銀行強盗のような犯罪ですら「祝祭」として甘受してしまう “国境の南” に広がる国(メキシコ)への憧憬。
 
 それは、アメリカ的な労働倫理の中では生きていけない、明日をも知らないアウトローたちの最後の楽園であった。
 「悲劇」 を 「祝祭」 に変えるラテン気質に満ちたメキシコの風土は、刹那に生きるアウトローたちにとって、きっと居心地がよかったのだろう。
 
▼ キリストの受難を知って悲嘆にくれる 「悲しみのマリア」 像 。聖書の有名なモチーフも、スペイン・メキシコ文化圏で流布する画像は、絢爛豪華な祝祭的色彩を帯びる。それはどこか、トランペットの音色に似てはいないだろうか

 
 トランペットは、人間にとっては「忌まわしい死」ですら黄金のきらめきに変える。
 そのようなトランペットの宿命的な音色を象徴的に表現した曲のひとつに『皆殺しの歌』がある。
 
 『皆殺しの歌』は、原題を「Deguello」という。
 英語文化圏では、ディゲロ。
 スペイン語ではデグエジョ(最後のジョは、ジョとリョの中間音)と発音するらしい。
 ある信頼性の高そうなネット情報を見ると、「首切り」とか「喉切り」という意味が込められた言葉であるという。
 
▼ Nelson Riddle 「Deguello」

 
 この曲が登場したのは、アメリカ映画において。
 1960年のアメリカ映画『アラモ』(ジョン・ウェイン監督)で、メキシコ軍が、アラモ砦に立てこもるアメリカの義勇兵たちに総攻撃をかける前の場面で流される。
 
 曲自体は、この映画で音楽を担当したディミトリー・ティオムキンの手になるオリジナルだが、アイデアの元となったのはメキシコ軍の進軍ラッパであったという。
 
▼ アラモ砦に迫るメキシコ軍 (映画 『アラモより』 )

 
 ディミトリー・ティオムキンは、『アラモ』 に先立つ『リオ・ブラボー』(1959年ハワード・ホークス監督)においてその音楽を任され、やはりこの曲を使っている。
 そのときも、この曲が流れるシチュエーションは『アラモ』と同じ。
 主人公に敵対するならず者のボスが、戦闘を前に、主人公たちの不安を煽るシーンに効果的に使われている。
 
 しかし、人を恐怖に陥れる曲としては、あまりにも哀切感がありすぎる。
 
 「だから怖い」
 … ということもあるのかもしれない。
 
 それは、人がまだ死んでもいないうちから、その死を予告する「葬送行進曲」のようなものだからだ。
 そして、それは、敵に対する弔い音であると同時に、まもなく自分たちをも襲う死への準備をうながす曲であるようにも思う。
 
 ティオムキンは、この曲に、「汝、死を想え = メメント・モリ(Memento mori)」の思想を託したのかもしれない。
 
▼ メキシコ軍の最後の突撃 ( 映画 『アラモ』 より)

 
 進軍ラッパにもなる代わりに、葬送の響きをも奏でるトランペット。
 「生」と「死」が、最も激しく交差する状況を描くのに、これほどふさわしい楽器はほかにあろうか。
 人類は、なんと不思議な “音色” を手に入れたのだろう。
 
 
参考記事 「国境の南 (ワイルドバンチの夢) 」
 
参考記事 「アラモ」
 
 

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