邂逅 (かいこう)

 
 カミさんが入院している間、夕飯はずっと外食だった。
 好きな時間に、好きな場所に行って、好きなものを食べる。
 最初は気楽でいいと思った。
 
 しかし、そういう日が積み重なると、やはりパターン化してしまう。
 牛丼系か、ラーメン屋系か、ファミレス、コンビニ弁当。
 あとは居酒屋に寄って、少々の酒とともに腹にたまりそうなツマミを選ぶ。
 
 その繰り返しに飽きて、たまには違う街に行って、新しい店でも探そうと思った。 
 
 … といっても、やはり人間は、そんなに未知の世界にいさぎよく飛び込めるものではない。
 会社から帰る電車のつり革に揺られながら、ふと思い立ち、乗り換えに使っているいつものターミナル駅から私鉄に乗り換えて、高校時代を過ごした町を訪ねることにした。
 
 高原を走る単線鉄道の風情をたたえた駅舎はすっかり変わっていて、都心の近代駅よりも立派な駅ビルに生まれ変わっていた。
 
 駅前のロータリーに立つ。
 広さは昔のままだったが、ビルとビルをつなぐ歩道橋やら跨線橋が複雑に絡み合い、SF映画に出てくる未来都市のような景観になっていた。
 どのビルも、満艦飾のイルミネーションをまとい付け、天空の星が地上にこぼれ落ちたような明るさだった。
 
 目抜き通りには昔の面影も残っていたが、居並ぶ店舗はまったくさま変わりして、ファーストフードやドラッグストアが建ち並ぶ、どこにでもありそうな “いまどき” の街並みが広がっていた。
 
 どのメシ屋に入ろうか … 。
 
 落ち着けそうな店を探しながら、目抜き通りを歩いているうちに、 “終点” にたどりついた。
 大型車が行き交う幹線道路に突き当たると、商店街はそこで途切れる。
 そこから先は、灯りの量も乏しい静かな住宅街になる。
 
 私の通っていた高校は、その住宅街を抜けた雑木林の外れにあった。
 ここからは歩いて 7~8分ほどの距離である。
 夏の暑い日は、照り返しの強い住宅街の舗道を抜けるのが苦痛だった。
 雑木林の中は涼しいので、遅刻覚悟で遠回りし、その雑木林の中をよく歩いた。
 
 さて、駅の方向に戻るか … 。
 
 そう思ったとき、突然、記憶の古層にヒビが入り、何かの啓示を受けたように、住宅街の中にぽつんと建っていた喫茶店のことが脳裏に浮かんだ。
 普通の民家を改造したような喫茶店で、看板が出ていなければ、ただの住宅にしか見えないような店だった。
 
 『樅(もみ)の木』
 たしか、そんな名前だったか。
 あるいは、『樫(かし)の木』 だったかもしれない。
 
 3層構造の建物で、たぶん2階が店主たちの住居部。
 1階と地下が客に解放されていた。
 1階は、窓の開口部も広く、そこから遠くの雑木林が見えて、気持ちのいい空間が広がっていた。
 店主の趣味か、店全体にクラシック音楽が静かに流れていて、昼間は近所の主婦の憩いの場になっていた。
 
 反対に地下は書庫のようになっていて、薄暗い壁の一面に古めかしい百科事典のようなものや、名前だけは有名な古典作家の文学全集のようなものが並べられていた。
 音楽のボリュームも地下の方が大きく、芸術趣味を持つ人間の隠れ家のような趣きがあった。
 
 私と、私の高校生仲間は、よく授業をサボって、この地下室に潜り込んだ。
 古典文学やクラシック音楽に興味を持っていたわけではない。
 昼間、その地下室を訪れる客など一人もいないので、煙草を吸っても大人たちにバレなかったからである。
 
 私たちは、昼休みの1時間前からこっそり教室を抜け出し、その地下室に降りて、オムライスの大盛りを注文し、食後のコーヒーを優雅に楽しみながら、煙草を吸い、よそのクラスの女の子の品定めで時間をつぶして、「自分たちのクラスにはなぜ可愛い女がいないのか」 と嘆き合った。
 
 あのオムライスは、今でも食べられるのだろうか … 。
 思い出したとたん、そのオムライスのふくよかな味が舌の上に広がった。
 
 だが、あれから40年以上経つ。
 その店自体が残っているとは限らない。
 
 そうも思ってみたが、すでに私の足は、まるで誰かに呼ばれているかのように、その店があった方向に歩き出していた。
 
 はて … 。 この道で正しかったのだろうか。
 両脇に並ぶ住宅がみな “高級化” している。門の脇に花壇を設けたり、西洋建築のような出窓を取り付けたおしゃれな家が増えている。
 なんだか違う街を歩いているような気になる。
 もっとも、40年も経てば、景観が変わっているのも当たり前だ。
 
 ゆるやかな左勾配のカーブを曲がり、そこから先は登り坂になる。
 店が残っていたとしたら、たしかそのカーブを曲がり切ったところにあるはずだ。
 だんだん家々の灯りも乏しくなり、暗闇が濃さを増す。
 雑木林が近づいてきているのだ。
 
 あった。
 昔のままだ。
 アメリカの都市郊外にありそうなたたずまいの家。
 芝生の庭の真ん中を、玄関に向かう通路が走り、その先に個人の住宅と変わらないような小さな玄関。
 玄関の横に、店の名を書いた看板。
 看板の文字が、黄色い豆電球の灯りに照らされて浮かびあがった。
 
 『ローズガーデン』 。 
 
 『樅の木』 でも 『樫の木』 でもなかった。
 私の記憶違いか、それともオーナーが変わったのか。
 
 そっとドアを押す。
 笑顔で迎えてくれたのは、若い娘だった。
 昔の西欧絵画に描かれるような、ハーフかクォーターがかったクラシカルな風情を帯びた美人である。
 前のオーナーは中年の夫婦だった。
 考えてみれば、彼らが現役であるはずはない。
 … とすると、この娘は、その子供か。孫でもおかしくないかもしれない。
 
 「お一人様ですか?」
 娘が尋ねる。
 
 「ええ、一人だけど … 。まだオーダーできます?」
 「大丈夫ですよ。ラストーダーは 9時です。お連れ様との待ち合わせですか?」
 「いや。連れはいないよ」
 「そうですか。お好きなお席にお座りください」
 
 1階のフロアには、4つの席と16脚の椅子があるが、そのどの席にも人は座っていない。
 窓の向こうは夜の闇が覆い、雑木林の風景を映す代わりに、店内の照明を浮かび上がらせていた。
 
 昔と変わらない。
 壁にかかっている絵にも思い出がある。
 マッターホルンを描いた雪山の絵。
 昔は、野暮ったい絵に思えたが、いま見ると、その野暮ったさが懐かしい。
 
 「地下に降りてもいいですか?」
 私は、厨房の横から下に向かっている階段を指し示して、娘に尋ねた。
 
 「はい、どうぞ」
 「あの、オムライス、やってる?」
 「あります」
 「じゃ、それを一つ。それと食後にコーヒー」
 
 この階段を降りるのは40年ぶりだというのに、少しも古びていない。
 まるで、昨日も通っていたように錯覚しそうだ。
 まさに自分が学ランを着て、仲間といっしょにドヤドヤと降りていくような気分だ。
 
 地下まで降りきると、さすがに古い書籍のカビ臭い匂いが鼻を突いた。
 しかし、たたずまいは昔と変わらない。
 時間が凍結したまま、そっと私が来るのを待っていたような感じだ。
 
 かすかに、匂いに特徴のある煙草の香りが漂っていた。
 昔、仲間の一人が吸っていた洋モクの匂いだった。
 

 
 先客が一人いた。
 白髪混じりの初老の男だった。
 後頭部が薄い。
 いちばん奥の席で、しかも壁の方を向いたまま座っている。
 
 男は、流れているブラームスの弦楽6重奏に聞き入っているのか、それとも眠っているのか、うなだれたように首を前に傾けている。
 
 私は、男の邪魔にならないように、いちばん離れた席に座って、オムライスが運ばれてくるのを待つことにした。
 
 男がこちらを振り向いた。
 目が合った。
 
 「あ、町田じゃない? 町田!」
 男が素っ頓狂な声を上げた。
 
 私の方は、そうは言われても、すぐには思い出せなかった。
 でも、どこかで会っている。
 
 「オレだよ、Sだよ。いやぁ久しぶり」
 「あ、S君!」
 
 思い出した。
 かつて、高校時代に授業を抜け出して、ここで一緒に煙草を吸っていた “悪仲間” の一人だったのだ。
 
 「そうか、オレのことをすぐには思い出せなかったか。オレ、ずいぶん変わったからな」
 
 Sは、テーブルの上の水の入ったコップを手に持って、私の席に移動してきた。
 
 「いい? 一緒に座っても。誰かと待ち合わせ?」
 「いや、一人で来たんだ。ちょっと昔の町を歩いてみたくなったから」
 
 「そうか。それにしても懐かしいな」
 そう言って、Sはどっかと私の前に腰を下ろした。
 
 「40年ぶりぐらいか。お互いにずいぶん変わったな」
 私は、すっかり貫禄のついたSの体型を見て、言った。
 
 「いや町田は変わらないよ。髪の毛も残っているしな。オレは、ほら、ごらんのとおり」
 そう言って、Sは、おじぎをするように、ペコリと頭を下げた。
 頭頂部が、つるつるに光っていた。
 
 「それにしても、偶然だね。ここで会うとは」
 私は、少し黒ずんだSの頬のたるみを眺めながら、そう言った。
 病気なのだろうか。
 皮膚全体張りがない。むくんでいるように感じられる。
 
 「お前、もしかして … 」
 “病気?” と聞こうとして、私の声が止まった。
 
 それ以上に、私の頭を困惑させるようなことを思い出したのだ。
 
 私のパソコンに届いた一通のメール。
 
 「昨日、クラスメイトのS君が永眠しました。
 通夜は〇月〇日〇時。場所は〇市の〇〇寺」
 
 そんなメールが届いたのが、2年ほど前の夏だったような気がする。
 送り主は、Sや私と仲の良かった男の一人だった。
 私はちょうど長期の出張中だったので、知らせはその後で知ることになった。
 遺族に香典を贈ろうと思ったが、けっきょくそのままになってしまっていた。
 
 「お前 … 」
 はたして、目の前にいるSに、なんと話しかければいいのやら。
 
 Sは、私のこわばった表情に気づいたのか、
 「オレが幽霊に見えるかね?」
 と、苦笑いした。
 
 「だって、訃報を受け取ったから」
 
 Sは、外国の俳優がよく見せるような、 “うんざり” というときに肩をそびやかすボディランゲージを見せると、
 「おかげで、オレもずいぶん迷惑を被ったよ。この前、Tのヤツに偶然街であったけれど、Tは顔を真っ青にして後退りするんだぜ」

 「じゃ、あの訃報は間違いだと?」
 「どうして、そんな情報が出回ったのか、オレ自身もさっぱり分からないよ。今度クラス会でもあったときには、それこそ幽霊の衣装を着て、みんなを脅かしてやるかね」
 
 Sは愉快そうに笑った。
 その笑顔に、幽霊の不気味さも、陰鬱さもまったくなかった。
 私は、即座に、訃報の方が間違っていたことを悟った。
 
 「それにしても、ここはやっぱり懐かしいな」
 と、私は言った。
 
 「そうだよな。ここはオレたちのパラダイスだったな。あんなに楽しかった時代もなかったよ。何もかもが輝いていた。死ぬ前に、最後にもう一度行ってみたい場所といえば、やっぱりここかな」
 Sは、遠くを見つめるような、しみじみとした目つきになった。
 「あのあと、何一つ楽しいことがなかった。あれ以来、何度この店に戻りたかったことか」
 
 私は、Sがそれほどまでこの店を気に入っているということが、少し意外だった。
 もちろん、ここは私にとっても、思い出深い場所のひとつだ。
 しかし、Sほどの感慨はない。
 何もかも知り尽くしているつもりの旧友だったが、私は、Sの本当の気持ちというものを、ついに知ることなく、別れてしまったのかもしれない。
 
 「ところで、今の仕事は?」
 私は尋ねた。
 「もう定年だよ。今は山梨に住んでいる。久しぶりに東京に出できたけど、何もかも変わったね」
 
 「しかし、どうしてこの店に?」
 私は、偶然の邂逅に不思議な符号を感じた。
 「どうしても、東京に出たらここを訪れてみたくてね。誰かに会えそうな気がしたし」
 Sは、ちょっとはにかむように笑った。
 
 「何かが導いたのかな」
 私も笑った。
 「それにしても、ほんとうに不思議だ。なぜ、お前がここにいる時間に、オレもここを訪れるつもりになったんだろう」
 
 私がそう言うと、Sは、真顔になって、私の顔をのぞき込んだ。
 「オレが呼んだんだよ。ほら、お前、繁華街が終わるところの道で、駅の方に帰ろうとしただろ? だから、呼び戻したんだよ」
 
 「え!」
 私は、言葉を失った。
 にわかに、Sの人のよさそうな顔が、得体のしれない人間の顔に変わったように思えた。
 
 「あのとき、オレのそばに、お前の姿は見えなかったけど … 」
 私は、かろうじて、その言葉を口にした。
 
 「だから、ここから呼んだんだよ、この店からお前のことを呼んだんだよ」
 
 私は、目の前にいるのが、果たしてSなのかどうか、分からなくなってきた。
 
 「お前、今の言葉、本気で言っている?」
 私は、真顔になったSの表情を覗きこんだ。
 
 Sは、しばらく無表情のまま、私の顔を見つめていたが、突然、笑い出した。
 「やっぱり、お前はオレを疑っているな? オレを幽霊のように思っているんだろう」
 
 「冗談かよ。人が悪いぜ」
 「まぁ、そう怒るなよ。オレはお前に会いたかったんだ。ここに来れば会えそうな気がしたんだ」
 「そんなことなら、電話でもくれればよかったのに」
 「電話はしたんだ。何度も、何度も、何度もね。何度もしたよ」
 「一度もかかって来なかったぞ」
 「お前に取る気がなかったんだよ」
 
 Sの目が、粘りを持った光を帯びた。
 私は、目の前に座っているSの真意をはかりかねて、にわかに落ち着かない気分になった。
 
 Sは、そんな私の気持ちを察したのか、
 「でも、もう会えた。だから、これでいいんだ」
 と、静かな声で言った。
 
 地下に降りてくる足音がして、娘がオムライスを運んできた。
 Sは、テーブルの前に置かれたオムライスをじっと眺め、
 「ここのオムライスはほんとうにうまかったな。さぁ、ゆっくりとお食べ。オレはそろそろ失礼する」
 と立ち上がった。
 
 「帰るのか?」
 私は、その背中に声をかけた。
 Sは、ちらりと私の方を振り向いた。
 かすかに笑ったように見えた。
 しかし、言葉はなかった。
 
 階段をゆっくり登っていくSの足音を聞きながら、私は取り残されたさびしさを感じた。
 Sの去った地下室は、いつの間にか、懐かしい輝きを失い、見知らぬ廃墟の中の書庫のように、くすんだ暗い灯りに満たされていた。
 
 
創作 「幻の女」
 
 

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邂逅 (かいこう) への4件のコメント

  1. s-_-s より:

    ぐいっと引き込まれたのに・・・・いいところで終わりましたね。

    • 町田 より:

      >s-_-s さん、ようこそ
      いいところで、終わってますかね?
      … だとしたら、うれしいんですけど。
      ま、取ってつけたような終わり方で、ちょっと恥ずかしいです。

  2. 磯部 より:

    相変わらず、いい作品に仕上がっていますね?

    尻切れのようで、余韻がある。
    ホントあったような、でも幻のような不思議さが、この作品の魅力なのでしょう。

    「水族館」という作品をなぜか思い出しました。

    • 町田 より:

      >磯部さん、ようこそ
      『水族館』 という短編を覚えていてくださって、光栄です。
      基本的に、ああいうような “ホラー未満” という感じの小説が自分でも好きなんでしょうね。
      >> 「尻切れのようで、余韻がある」 なんてほめていただき、恐縮です。
      ネタをばらせば、あの後を書くのが面倒になっちゃったんですね。
      でも、「ま、いいか …」 という、ちょっと不本意な感じも多少残っているんですが。
       

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