松本竣介の描く 「沈黙の都市」

 
 なぜだか分からないけれど、強烈なノスタルジーに襲われた。
 厚い布をぐるぐる巻に重ねたような記憶の層を突き破り、もっとも底に眠っていた古層から、封印された「記憶」が蘇ったような感覚だった。
 
 松本竣介 (まつもと・しゅんすけ) の描いた都会の風景。
 それを、偶然テレビ (NHK日曜美術館) で見ていて、もう50年以上思い出すこともなかったようなある種の “感覚” が呼び戻されたのだ。
 暗く、さびしく、物悲しかった昭和30年代の “匂い” が、一瞬のうちに自分の鼻孔から忍び込み、肺の奥深くまで潜り込んできた。

▼ 「議事堂のある風景」 1942年 (昭和17年)

 
 『ALWAYS 三丁目の夕日』 のような映画がヒットしてから、昭和30年代という時代は「日本人に元気と希望を与える原点の時代」として語られるようになった。
 
 しかし、その昭和30年代に幼年期を過ごした自分のような人間から見ると、その時代には、まだ都市の路地裏には絵の具で塗り込められたような「闇」があり、町外れには人の気配が絶えたような「荒野の匂い」が漂い、家々の軒先には、「荒廃」と「貧乏」が表札がわりにぶら下がっているような気配があった。
 
 今でこそ、街のイルミネーションが灯る夕暮れは、都市のなかでもいちばん美しい時間帯といわれるようになったが、あの時代の夕暮れは、文字通り「逢魔が時 (おうまがとき) 」といわれるように魔物が降臨する時間帯であった。
 
 もちろん「魔物」というのは比喩だ。
 それは見慣れた光景や旧知の人が、一瞬のうちに “別のもの” に変わることを指す。
 
 そのように、昭和の中頃までは、日暮れになると、昼間には経験できないような “ものさびしさ” が、じわりと空から垂れ下がってきた。
 
▼ 「議事堂のある風景」 の手前に登場する荷車を引く男のシルエット。この人物像がどれだけこの絵に寂寥感を与えているか計り知れない

 
 松本竣介の描く静けさに満ちた都市の絵には、私が経験したそんな暗くさびしい「昭和の匂い」が立ち込めていた。
 
▼ 松本竣介

 
 もちろん、松本竣介本人は「昭和30年代の日本」を知らない。
 
 彼が精力的に絵を描いたのは太平洋戦争のまっただ中で、その戦争が終わった昭和20年(1945年)の3年後、昭和23年(1948年)に36歳の若さで亡くなっている。
 だから、彼の描く「都市」は、まだ “戦後の明るさ” を知らない。
 焼け野原の跡に、人々の掛け声とともに新しい建物が建ち始めるときの “喧騒” は、そこには描かれていない。
 
 だからこそ、… というべきか。
 彼の絵からは、私が体験した時代と同じような暗くさびしい昭和の影が、より明瞭に浮かび上がってくる。
 
▼ 「市内風景」 1941年(昭和16年)

 
 たとえば、上の 『市内風景』 。
 昭和16年(1941年)あたりの神田一ツ橋から如水会館の裏側辺りを描いた絵だという。
 昭和16年といえば、日本の真珠湾攻撃から日米開戦が勃発した年だ。
 この戦争は軍部が勝手に暴走して始められた戦争のように受け取られがちだが、対米戦を望む国民的世論は、それ以上に燃え盛っていた。
 
 なのに、このひっそりとした街の静けさはどうだ?
 
 松本竣介は、この時代の軍国主義化されつつある社会情勢に抗し、美術のテーマにもうるさく干渉してきた軍部に向かって唯一抗議の声を発生した画家であるといわれている。
 
 昭和30年代も中頃になると、軍部は日本人の画家すべてに対し、国威発揚のための「戦争画」を描くように指導した。
 若い頃に渡欧して、エコール・ド・パリなどの画風を学んできた画家たちも、こぞって、軍の方針に協力した。
 だから、当時の絵の展覧会には、勇ましい兵隊の姿か、それを元気よく送り出す家族の姿ばかりを描いた絵が並ぶようになった。
 
▼ 昭和の戦争画

 
 それに対し、竣介の静謐な街を描いた絵には、戦争に向かって邁進していく軍部とそれと一体となって戦意高揚を図る日本人たちへの「静かな抗議」が秘められているように思える。
 露骨な軍国思想をテーマに掲げた当時の画壇に背を向けて、あえてこのような孤独感や虚無感を強調した絵を堂々と描き切った竣介は、その絵とは裏腹に、かなり豪胆な精神を持った芸術家であったといえる。

 しかし、そういう思想的なモチーフを超えて、もっと根源的な 「沈黙」 がこの絵を覆っている。
 たぶん、松本竣介自体が、13歳のときに脊髄脳膜炎を患って、聴覚を失ったことと関係しているのかもしれない。
 
 彼の絵に、根底的に “欠けているもの” がひとつあるとしたら、それは「音」の情報である。
 「喧騒」があってこそ成立するはずの都市に、一切の「音」がない。
 そこからせり出してくる「沈黙」によって、彼は、都市を描きながら、その “都市性” を消去する。
 「沈黙」 に支配された都市は、もうこの世のどこにもない空間にならざるを得ない。
 
 この画面全体から漂う「音が遠ざかっていく」ようなさびしい光景を、私も幼少期にどこかで体験している。
 「町外れに行くと、“人さらい” につかまって、曲馬団(サーカス)に売られるよ」
 と、親たちに脅されたときの、人気の途絶えた見慣れぬ街の風景と重なっている。
 

 
 壁の向こうにある建物は、おそらく工場か何かだろう。
 殺風景な塀と、無機質な建物がそう語っているように思える。
 もともと「工場」というのは、子供の日常感覚とはもっとも遠い世界なのだ。
 工場のある風景は、子供にとっては、もはや「町外れ」といっていい。
 
 画面右手に、絵の中心から遠ざかっていく3人の人物の後ろ姿が見える。
 その 3人が画面から立ち去ってしまえば、
 「自分は、この誰もいないさびしい町外れに、一人だけ取り残されることになる」
 この絵がささやきかけるのは、そんな心細さだ。
 
 彼の絵から立ち上ってくるこの非日常的な感覚は、何に由来するのだろう。
 
 それは、日本を描きながら、どこかで “非日本” が顔を覗かせているところから来る。
 松本竣介の描く街は、まるでヨーロッパの街のような異国情緒に満ちているが、それがよく伝わってくるのが、この 『ニコライ堂と聖橋』 。
 
▼ 「ニコライ堂と聖橋」 1941年 (昭和16年)

 
 ニコライ堂は今も東京・神田の駿河台にあるギリシャ正教系の教会。松本竣介のお気に入りの画材であったらしく、いくつものバージョンがある。
 異教的な情緒にあふれた教会のドームを描くことは、軍国主義的な風潮が高まることへの息苦しさから竣介を解放するものであったかもしれない。
 
▼ 「Y市の橋」 1943年 (昭和18年)

 
 「Y市の橋」も、いくつものバリエーションがある。
 「Y市」とは、横浜市のことで、「橋」とは、横浜駅近くの新田間川にかかっている月見橋のことだという。
 上は、そのなかでもよく取り上げられる昭和18年の作品。
 
 彼は、都市の風景をラフにスケッチしてから、それを家に持ち帰り、いろいろなパーツに分解し、それを再構成しながら、自分の心象風景として再構築していく画家であったといわれる。
 だから、キャンバスに現れた風景は、最初のスケッチからその姿を大きく変えている。
 
 上の絵では、中央右よりの建物は、より大きく強調され、実際にはない煙突が付け加えられている。さらに右側の小さな建物も、本来の位置とは離れたところにあったものが合体されているらしい。
 
 下は、「Y市の橋」の別バージョン。
 橋の上を走る跨線橋(こせんきょう)のたたずまいは変わらないものの、その背後にある建物(当時の国鉄の工場らしい)は形も大きさも変わっている。
 
▼ 「Y市の橋」 1942年 (昭和17年)

 
 上の 『Y市の橋』 では、夕暮れの淡い光が、橋や水面を照らし、まるでメルヘンの挿絵のような幻想的な世界を浮かび上がらせている。
 
 特徴的なのは、またしても登場する、じっと立ちすくむ男の黒い影。
 作者であると同時に、それは絵を眺める鑑賞者の姿でもある。
 この黒い影の男がいるからこそ、鑑賞者はこのさびしい世界のど真ん中に誘い込まれ、「影」となった男と一体となって、夕暮れの静けさを肌で感じ、運河をさかのぼる風をその頬に浴びることになる。
 
▼ 「風景」 1942年 (昭和17年)

 
 上は、同じ昭和17年に描かれた 『風景』 。
 その年に、アメリカ軍によるはじめての東京空爆が行われている。
 状況は切迫してきているというのに、この絵には戦争の影は見えない。
 なのに、戦争において世界一の物量を投入できる “豊かなアメリカ” に戦いを挑んだ、貧しい日本の悲しさだけは伝わってくる。
 
▼ 「並木道」 1943年 (昭和18年)

 
 上の 『並木道』 では、どこか遠近法の崩れた不安定な構図が、夢の世界を浮遊しているような不思議な感覚を呼び覚ます。
 坂の彼方にかすかに見え隠れする街は、手前の世界と地続きにつながっているのだろうか。
 それとも、別の世界の広がりを暗示するのだろうか。
 
 ここには、私が幼い頃に感じた “町外れ” の匂いがある。
 幼児にとっては、家の周囲だけが、生存圏内なのだ。
 そこから離れると、物理的には同じ風景が続いていようが、もうその先は「町外れ」。
 そこから先は、「人さらい」にさらわれても、誰も助けに来てはくれない “あの世” でしかない。
 
 松本竣介の絵は、その底に、しんと冷えたような怖さと哀しさをたたえながら、どこか温かく、爽やかでもある。
 その感覚を、人は「ノスタルジー」と呼ぶ。
 
 いま、松本竣介が静かなブームを呼んでいるのは、ようやく「昭和」が、ノスタルジーの匂いに包まれた過去の時代になろうとしているからかもしれない。
  
 
参考記事 「ノスタルジー」

参考記事 「記憶の古層」
  
参考記事 「跨線橋を見に行く」
 
参考記事 「荒野の思想」
 
参考記事 「桐野夏生 編 『我等、同じ船に乗り』 」
   
  

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松本竣介の描く 「沈黙の都市」 への12件のコメント

  1. ようこ より:

    こんばんわ 町田さん

    キャンピングカーの本を出されるのですか !
    そういう本を読んだ事がありませんが
    町田さんの本なら是非読みたいです。

    貧之絵描きが絵の具を買えずに 最小限の絵の具で
    最大限の表現をする、事実は違うかも知れないけど
    そんな風に感じたりして絵具の色数が少ない建物の
    絵がわりと好きです

    そういう絵はえてして寂寥感や無聊といった風が
    あるのですが、そこには失われたものも表現されているし
    逆に明るい絵を観ると いつか消えてしまうものを
    想像するのです。

    ジョン・ケージは、我々は何らかのゴールに
    向かっているのではない ゴールは我々のもとにあり
    我々とともに変化する もしアートに目的があるとするなら
    その事実に気付かせることなのだと言ったそうです。

    先日のお喋りの続きになりますが
    朝ドラで『あぐり』が放映されていた頃は日本にはいませんでした。

    お菊が髪を振り乱し帯を引きずって通ったことから名がついた帯坂を
    健康そうな理恵さんとは対称的に 病人のようにサンダルをズリながら
    ダルそうに歩いていた和子さん、でも和子さんは今も現役で活躍されていて
    命は見ためでははかれないものだと。

    • 町田 より:

      >ようこさん、ようこそ
      >>「最小限の絵の具で、最大限の表現をする」 ……
      …… そういう絵に惹かれる。

      その気持ち、実によく分かります。
      「絵」というのは、常に画面上に現われないものを描くものだという気がしています。見る人にとっては、その “描かれていないもの” が、すなわち 「残響」とか「エコー」と呼ばれるもので、実体はそこにはもう存在しないのだけれど、「余韻」のような形でいつまでも頭の中に鳴り響くんですよね。

      たぶん、そういうときに、「寂寥感」とか「無聊」という風情が漂うのでしょうね。
      おそらく、日本の短歌とか俳句といった文学もそのようなもので、五、七、五…などといった選ばれた言葉に入りきれなかった “言葉” が、沈黙の背後で鳴っているのかもしれません。

      ジョン・ケージの言葉も、たぶんそのことを意味しているのではないでしょうか。
      私たちの追い求めているものは、何も、私たちの歩む先にあるのではなく、視点を変えれば、…すなわち「沈黙のなかに埋もれている言葉」を発見すれば、たちどころに一つの世界が浮かび上がってくる…と。
      絵の場合は、タブローの表面に描かれていないものを発見するということでしょうか。
      >>「アートに目的があるするなら、その事実に気付かせること」
      これは至言であるように思えます。

      吉行和子さんという方は、病人のようにサンダルをズリながら、ダルそうに歩いていた方だったんですか。
      面白いですねぇ。
      役者としては、『愛のコリーダ』などで激しい情念の女を演じたりしていた人ですけどね。
       

  2. 木挽町 より:

    記事の絵はもちろん文章もじっくり読ませて頂きました。子供の頃、家庭の事情で親戚宅に預けられていたころの風景に似ています。当時の横浜駅の東口の駅舎を思い出しました。まだ茶色い電車で、たしか桜木町が終点だった頃に、山手の親戚宅からバスで横浜駅に出て、大森の小学校まで通学していました。高島町には蒸気機関車の操車場がありました。横浜駅の東口は寂しくて、天井の高い石造りの古い駅舎に改札のハサミの音が響いていたのを思い出しました。中華街と元町の間の前田橋は鉄骨とコンクリートの小さな橋でした。あぁあの頃は寂しかったなあ、とは思いますが、もしかしたら今のほうがもっと寂しいのかもしれません。

    • 町田 より:

      >木挽町さん、ようこそ
      昔、横浜駅の近辺がすごく暗かったという印象は、私もまた持っています。うちのカミさんも、神奈川出身なので横浜にはよく出ていったようですが、やはり「昔は暗かった」ということをよく語っています。
      いったい何が暗かったのか。
      たぶん、木挽町さんが描かれたとおりの情景が展開していたのでしょうね。
      それは、ここで取りあげた松本竣介の絵にも通じるものかもしれません。

      たぶん、暗さの中にも、どことなく詩情があったのでしょう。
      繁栄に取り残された一角というのは、さびしい詩情がありますよね。
      もっとも、それは通りすがりの者が見る “無責任な詩情” かもしれませんけれど。

      でも、その暗さの中に漂う詩情を求めて、昔はよく横浜までドライブしていました。
      フロントガラスを通して眺める夜の本牧あたりの情景は、ソウルバラードなどにもよく合って、そういう音楽を流しながら一人で運転しているのも好きでした。

      でも、今の横浜は、ずいぶん明るい近代的な街になりましたね。
      昔は暗かったけれど、それなりに情緒があって、それも良かったなぁ…と思います。

      >>「今のほうがもっと寂しい」というのは、そういう意味なのでしょうね。
       

  3. ようこ より:

    木挽町さん こんばんわ
    > あぁあの頃は寂しかったなあ
    そして今はもっと寂しい
    を、ご本人の気持ととってしまいました。
    女特有の浅はかな感情の流れかた。

    町田さんも寂しい時間が あるのかな ?
    仕事をしているうちは、そんな暇は無いですよね。

    • 町田 より:

      >ようこさん、ようこそ
      いえいえ、私にも、ちゃんと “寂しい時間” というのがありますよ。
      仕事が忙しくても、人間には寂しい時間が訪れることを止めることはできないかもしれません。

      実は、この8月30日に、義母を亡くしました。
      ちょうど出版する本の入稿直前だったので、納棺の日も出社して、校正刷りなどをチェックしなければなりませんでした。

      血の繋がっていない母とはいえ、やはり家族の一員が欠けていくのを見つめることは寂しいことこのうえないものですね。

      いちばん寂しいのは、セレモニーが終わって、焼き場から家に帰るときですよね。
      つつましい家族葬でしたが、セレモニーの最中はまだ気が張っているから、寂しさも紛れるのですけれど、一段落してしまうと、強烈な喪失感というものが襲ってきますよね。

      私は、実の父を20年前に失い、実の母を16年前に見送っています。
      そのどちらも、式が終わった後の寂寥感はひとしおでした。

      スミマセン、個人的な感慨をぶしつけに吐露してしまい …。
       

  4. 木挽町 より:

    こういう色の絵が好きだなぁ。はっきり見えないからいいのかも。鑑賞眼はまったくないので恥ずかしいのですが。

    • 町田 より:

      木挽町さん、ようこそ
      木挽町さんの鑑識眼は素晴らしいと思います。
      この松本竣介の絵の最大の特徴は、「色」ですものね。
      色数も少なく、どこかくすんでいるように見えながら、不思議な透明感があるんですよね。
      この色のタッチに関心を向けられるなんて、とても素晴らしいことのように思います。
       

  5. ようこ より:

    おはよう 町田さん

    お義母様を見舞う町田さんの記事も読んでいて 貴方の心
    細かな気づかいを感じておりました、ご愁傷さまという言葉は
    通りいっぺんで使いたくは無いのですが それ以外の言葉も
    ここでは見つかりません、どうぞ心をおとさず御見送りされます様に。

    いつも明るくお元気なので 寂しいことはない?なんて
    お気持も知らずに 軽い気持ちで書いてしまって
    後悔しております。
    今の日本では、私宅も含め家族が小さくなってしまいましたね
    祖父母が同居していた子供の頃の生活はよいものでした。

  6. ようこ より:

    この春に妹が脳溢血で仆れ、二週間後に父が昏倒して入院
    慌ただしく帰国をいたしました。

    私より若い浮浪者と二人だけの小さな公園、そこは私が通った
    小学校に隣接していて、その日何十年ぶりかに寄ったのですが
    風の強い朝で、驚くほどに成長した木々の枝葉が頭上で鳴っていて
    私達がいなくなっても この木々は残るのだと思うと何か突然
    晴々とした気分になっていました。

    九十歳を越えた両親がまだいるという事は、良きことですが
    いつでも心の中に不安があり夜中の電話に飛び起きるこの頃です。
    人は誰が逝っても 関係者には後悔と寂しさが残りますね。

    • 町田 より:

      >ようこさん、ようこそ
      いやぁ、個人的な話に終始してしまい、かえってお気遣いさせて申し訳なかったです。
      後悔など、ご無用に願います。

      誰にでも、身内の不幸はありますよね。
      人間の命が永遠でないかぎり、生きている限りは、どうしても心配事や悲しい事が途切れることはありません。
      でも、そういう試練があるからこそ、(月並みな表現かもしれませんが)、人の優しさとか、人の尊さに気付いていけるのでしょうね。

      ようこさんのさりげない観察。
      >>「若い浮浪者と、驚くほど成長した木々の枝葉が頭上で鳴る」光景。
      その何気ない描写に、何とも言えないふくよかな詩情がありました。
      とても素晴らしい感性をお持ちですね。

      Macy Gray の『I Try』。
      とても良かったですよ。
      なつかしさを感じさせるメロディライン。
      どっしりと心に食い込んでいるようなスネアとバスドラのリズム。
      そして、スモーキーな声に癒されました。
      ありがとうございます。
       

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