林真理子って作家なの?

  
 林真理子という人が 「作家」 を名乗っているということが、どうしても理解できない。
 「作家」 って、いわば文章を読者に “買ってもらって” 商売している人のことをいうわけでしょ?

 だけど、私は彼女の文章にお金を払う気がしない。
 だって、面白くないのだ。

 当然、「作家」 という肩書きを持つくらいならば小説だって書いたりするんだろう。
 でも、読む気にならないから、彼女の小説というものを買ったことがない。

 しかし、雑誌などを買うと、 “読む気がなくても” 彼女の書いたエッセイが載っていたり、ときには対談のホストとして、いろいろなゲストと交わした対話が掲載されていたりするから、そういうのは、雑誌をそのまま捨てるのが惜しいので、時間があるときは読む。

 たいていつまらない。

 ときどき、「この人、作家としての資質があるのだろか?」 と真剣に疑う。

 ある雑誌で、女優の前田美波里 (64歳) をゲストに招き、彼女が対談の相手を務めていたことがあった。
 前田美波里は、『バラが咲いた』 のヒットで知られるフォーク歌手マイク眞木氏の元奥さんである。

 その美波里から、林真理子が新婚当時の話を引き出す。

 美波里が語る。
 「 (マイク眞木と結婚して) 新婚旅行はアメリカに行くことになったんです。彼が 『同級生がロサンゼルスにいるから、そこに寄ろう』 というんです。
 で、(アメリカに) 行ったらホテルに泊まるんじゃなくて、キャンピングカーを買って、それを同級生の家の前に止めて、お風呂はそこの家のものを借りたんです」

 そういう美波里の思い出話に、林真理子はすかさず、
 「いやですよね、そんなの」。
 と、何のためらいもなく答えた。

 もちろん林真理子が反応したのは、新婚旅行なのに、新婦を自分の友人の家に連れていき、そこのお風呂を借りて済まそうというマイク眞木のデリカシーの無さに対してであることは明らかである。
 私自身は、それでもキャンピングカーを使って新婚旅行にトライしようというマイク眞木の遊び心に共感するが、ま、それが女性から見ると、男の 「勝手なロマン」 でしかないと思う気持ちは理解できる。

 しかし、彼女は 「作家」 なのだ。
 作家であるかぎり、あの時代 (1960年代) に、そういう提案をする男というものが、どんな人間であるのか、好奇心を抱いてしかるべきではないのか。
 なのに、彼女は、キャンピングカーの旅がどんなものかを深く掘り下げようともせず、一刀両断に 「いやですよね」 と切り捨てたのだ。

 たぶん、その前提として、
 ホテルの旅 = 豪華、快適。
 キャンピングカーの旅 = チープ、不便。
 という先入観があったことは、対談の誌面を通じて漏れてくる彼女の息遣いから伝わってくる。

 おそらく、彼女が編集者たちから招待されるホテルというのは、対談場所としても、有名人と会食する場としても、世界的ブランドとして通用する都内の一流ホテルだったりするのだろう。
 あるいは、海外の風光明媚なリゾートホテルかもしれない。
 そういう体験が日常感覚として蓄積してくれば、キャンピングカーというものは、 “貧しい庶民” が宿泊代をケチるために車中泊するチープな乗り物ぐらいに思うようになるのかもしれない。

 つまり、その対談の行間からは、
 「大事な新婚旅行を、チープなキャンピングカーを使って仕上げようというマイク眞木の根性はさもしい」
 と、あたかも、前田美波里の言葉にそう反応したような気配が匂ってくる。

 だとしたら、なんと想像力が貧困なもの書きなんだろう。
 彼女には、キャンピングカー暮らしが、ホテルなどを使う一般的な旅とどう違うのか知りたいという好奇心はないのだろうか。
 そして、その友人の家のお風呂を借りるという、ちょっと異例な新婚旅行に対し、美波里がどんな感想を持ったかという話題を聞き出すことに興味を感じなかったのだろうか。

 私は、アメリカの中西部をモーターホームで旅した経験を持っている。
 それはホテルを回るような旅とはまったく異なる旅が存在することを教えてくれた。
 旅に対するイメージが変わり、アメリカに対する印象が変わり、旅行スタイルの変化が人間の精神活動の形を変えることを知った。

 キャンピングカーの旅は、作家にとって必要な、それまでの旅のイメージをくつがえす格好の体験をもたらす。
 私は、そういうことに鈍感な林真理子に、作家として致命的な想像力の欠如を感じる。

 この人の書いているエッセイを読んでいると、書く対象に、どんなにセンシティブでデリカシーのある視線を注ごうとも、基本的に 「ピンクのドンペリ持ってきて!」 というバブリー体質から少しも抜けていないことを痛感する。

 エッセイのテーマも、その3分の1はグルメものだ。(後の3分の1は、衣装や装飾品に関するブランドネタ) 。
 で、そのグルメネタの特徴は、
 「最近はダイエットを心がけているから、昔のように、おいしい食べ物で釣られてヒョコヒョコ都心に出かけたりはしない」
 というような前フリをしておいて、
 「結局、あさましい食欲には勝てず、今日も締め切りをほったらかして、誘われるままに、◎◎レストランの◎◎料理を堪能してしまったのだった」
 ふうの、 “欲望に弱い私” という自虐ネタで笑いを取ろうとする。

 確かに、作家の自虐ネタは、読者サービスとしては無難な材料である。
 しかし、自虐ネタというのは、作家の自尊心がもろくも崩れるときの、その瀬戸際が露出するから “ネタ” になるのであって、「欲望に負けた」 というのはネタにもならない。

 もうひとつ気になるのは、彼女は、やたら 「忙しい」 という言葉をエッセイの中で連発することだ。
 「今、レギュラーとして抱えている連載のほか、単発の仕事として、◎◎と◎◎が重なって火の車」 … みたいなことをときどき書いているけれど、プロのもの書きが、人に公表する文章の中で 「忙しい」 と書く神経が理解できない。

 それは、「私って人気がありすぎて、編集者が休ませてくれないの」 と言外に自慢しているようなものだ。
 つまりは、「どう? 私って、儲かっているでしょ」 とか 「印税入りすぎてウハウハだわ」 と誇っているようなものなのだ。

 別に、作家がそれを自慢しちゃいけないというつもりはないが、読者が納得できるレベルの作品を仕上げている作家で、自ら 「忙しい」 という言葉を文中に残した人は、私の知る限りはいない。
 プロとしての人生を歩みだして、ようやく仕事が二つ三つ重なった新人がそう言ってみたいのなら分かる。
 しかし、普通 “大作家” になったら、いわない。
 作家の 「忙しい」 は、サラリーマンの 「忙しい」 とは意味が違うのだ。

 この7月に、彼女の写真集が出るという。
 文章を書くことが仕事の作家が、自らカメラの前に肢体をさらし、それを売り物にするという神経は、ちょっとどうよ? … という気がしないでもないけれど、そのこと自体は 「ご愛嬌」 の部類に入るかもしれないから、別にかまわない。

 だけど、わざわざエッセイのテーマに取り上げてはしゃぐほどのネタか?
 写真集が出るまでの経緯も、あるエッセイで語られていたが、
 「自分は冗談のつもりで事の成り行きを見守っていたが、あれよあれよという間に、私の周りで勝手に話が進んで、いつの間にやら、私の写真集が出ることに … 」
 と、あくまでも “巻き込まれ型” 事件であるかのような体裁を取りつくろっていた。

 そのような、ひねこびた自意識が、この人の自我肥大願望を物語っているような気がする。
 それよか、「写真集が出ることになって、私のナルシシズムは満たされた」 と、率直に告白したりすれば、かえって私は好感を持つ。

 私が、いま、軽いエッセイを発表している女性の中で、一級の鋭さを感じさせるライターを挙げるとしたら、それは中村うさぎである。

 二人はほぼ同世代人で、もの書きになっていく経緯も似ている。
 そして、扱うテーマもかぶることが多い。

 だが、見つめている世界がまったく違う。
 中村うさぎは、自分の心身を貫く “傷み” を通じて、世界を見ようとする。
 多額の借金を抱えてブランド物を買いあさったり、ホストクラブに入れ込んだり、整形手術に金をかけたり、挙げ句の果てには、自分のナルシシズムを満たすためと、取材ネタを増やすために、風俗嬢まで務めている。
 つまり、世界を見る視点を確保するために、精神的にも金銭的にもその代償を支払っているのだ。

 人を笑わせ、かつ人を震撼させる 「自虐ネタ」 というものがどういうものであるか、林真理子はいちど中村うさぎに教えを請うた方がいい。
    
  
関連記事 「林真理子 『野心のすすめ』 」
   
関連記事 「林真理子の直木賞作品を読む」   
  
参考記事 「マイク真木さんとの対談企画」

参考記事 「 中村うさぎ 『生物は目を持つことで進化した』 」
  
 

カテゴリー: コラム&エッセイ   パーマリンク

林真理子って作家なの? への18件のコメント

  1. Dreamin' より:

    先週、たまたま林真理子がある音楽番組に出演しているのを見ていました。

    林氏が音楽アーティストと対談をする内容だったのですが、
    話題に意外性や奥行きもなく、ただの世間話をしているようにしか思えませんでした。

    で、僕もこの違和感の正体は何なのだろう?と考えていたところ、
    町田さんの記事を読み、妙に納得してしまった次第です。

    雑誌の連載などもたまに拝読しますが、
    文章を少し書けるオバサンが、日常の感想をただ書いているようなものが多く、
    唯一、こちらに伝わってくるのは、
    強烈な上昇志向とうんざりするほどの自己肯定です。

    そのひねりのなさが、逆に魅力なのかもしれませんが、
    どうも、僕もあまり好きになれません。
    彼女がタレントであるなら、すべて納得できそうなのですが…

    • 町田 より:

      >Dreamin’ さん、ようこそ
      なるほど! 自分もDreamin’ さんの指摘で、林真理子氏に対する違和感がひとつ払拭されました。
      >> 「タレントなら、すべて納得できそうなのですが … 」
      この一言です!

      ほんと、さすがDreamin’ さん、鋭いです。

      そうなんですよね、「タレントさんが作家を気取っている」 という構図に当てはめていけば、なんだかすごくすっきりします。彼女に対する違和感が解消して、むしろ頑張ってるな、… ぐらいの気持ちになれそうです。

      確かに、この方には、>> 「とてつもない上昇志向と、うんざりするほどの自己肯定」 の精神があって、そこに多少辟易していました。
      なんていうか、対談などのゲストを務めていても、相手を下から仰ぐような感じの “上から目線” (たぶん本人は気づいていない) があって、それがなんともやりきれなかったんですが、でもタレントさんだったら、それも許容範囲内ですよね。

      要するに、タレントというのは、自分が言ったことに責任を取らなくてもいい人たちなんです。
      これは、別にタレントを蔑視しているわけではなくて、「しゃべった言動に責任を取らなくていい」 から、視聴者の心を解放するんですよね。
      観ている方は、「バカいってら (笑)」 でいいわけだから。
      だけど、作家は、自分の言動に責任を持たなくてはならない。
      その覚悟が、林真理子氏には、ちょっと欠けているかなぁ … と思う次第です。

      ただ、私自身は、こういう感じの批判めいた記事はもう書きたくないですね。
      やっぱり、書いた後、自分でやりきれない気分になってきました。

      林真理子氏に申し訳ないという気も少しはありますけれど、それ以上に、「自分は何様なんだよ」 という、自分の嫌な面を見てしまったようで。
      もしかしたら、この記事はあとで抹消するかもしれません。
       

      • cbr929 より:

        週刊文春のエッセイだったと思います。「ダイアナ妃が来日したとき迎えた黄色人種の顔々にダイアナ妃は一瞬引いた。それは、、、」と書いていたのを読み、気分が重くなりました。
        イギリスに限らず欧米に行った事があれば人種は雑多なことに気がつかされます。白(赤?)、黄色、黒(それも段々)います。人種や肌の色うんぬんはほとんど(表面的かもしれませんが)問題にされません。禁忌は宗教関連話。
        それはダイアナ妃の感想でなく自らの黄色コンプレックスを書いただけなんじゃないだろうかと思ってました。

        • 町田 より:

          >cbr929 さん、ようこそ
          ダイアナ妃の来日を語った週刊文春のエッセイの話、私自身は直接読んだことはないですけど、どこかでその話は聞いたことがあります。
          それを聞いたとき、私もやりきれないような気持ちになりました。
          まず、ダイアナ妃に対して、失礼だということ。
          それに、そういう印象でしかエッセイをまとめられない作家の貧しい感性。
          そこには、cbr929さんがおっしゃるように、>> 「自らの黄色コンプレックス」 があったのでしょうね。
          だけど、なんでそんなことがコンプレックスになるのか。
          作家には、コンプレックスが創造の原点となることもあるかもしれませんが、そんな凡庸なコンプレックスでは、とても人を納得させる作品世界を生み出せるとは思えないんですけどね。
           

  2. naganuma maria より:

    林真理子。。。小説家???。。。ぶすだから、しかもむかしいじめられたからって、妄想力が高っまて小説家になったでしょう?。。。自分はそうだからって。。。すべての人間はあなた見たいにはなりません。。。こどもたちの妄想力まで壊すな!!!現実的になれる方が普通でしょう!!!!

    • 町田 より:

      naganuma maria さん、ようこそ
      林真理子さんは、週刊誌に書かれているエッセイのようなものを読むかぎり、基本的にバブル時代の感性をそのまま維持されているような感じの方だとお見受けします。
      そのことが、良いのか悪いのかよく分かりませんが、それもひとつの個性であるようにも思います。
       

  3. べりる より:

    まさにおっしゃる通りです。まったく、あさましく愚鈍だとしか思えません。しかも写真は修整されまくりだし。

    • 町田 より:

      >べりる さん、ようこそ
       林さんがエッセイを連載されている週刊誌の最新号で、政治家の過去を暴露したある女性作家を、批判していました。その政治家と女性作家が不倫交際していたのはもう20年も前のことなのに、男性の方が有名になったからといって、「悪意を持ってマスコミに暴露するのはけしからん」 という趣旨でした。

       筋の通った文章だったし、主張していることの正当性も理解できるのですが、やはりなんとなく引っかかるものがありました。

       それは、相手の女性作家が精神疾患にかかっていたということをほのめかしながら、「この人はやっぱりヘンだ …」 と断定してしまうところですね。その女性作家が入院していたことを、
       「ご本人自身が書いていたことであるが、入院のときは拘束されていたそうである」
       と病気の状態まで暴露してしまう。

       そして、「 (その女性作家は) 最近はメディアにまったく名前が出ることのない」 「完全に消えちゃったヘンな人」 で、「まともじゃないうえに、いったい何を怒っているのかわからない」 と非難し、さらに 「その作家がどういう人物なのか編集部が知らないわけはないだろう」 と編集部批判にも及んでいました。

       たぶん、そう書く林さんは、読者の知らない情報をたくさん持っており、そう断定する根拠が十分にあるのでしょう。
       でも、そういう記事を読んでいて、あまりいい気持ちはしませんでした。

       基本的に、人を批判するということは、批判をする相手以上に、自分もやせ細ってしまうということがあるような気がします。

       この林真理子さんに対するブログ記事も、今では少し過剰に書き過ぎた … という気もしているのです。
       書いておいて言うのもなんですが、「個人批判という行為」 そのものが、最近はなんだか貧しいもののように思えてきています。

       ま、林さんはプロの作家ですし、最近はご自分のエッセイでも、
      「 (人間には) 苦しいこともイヤなこともいっぱい起こるが、それをみんなネタにするのが我々作家という因果で楽しい仕事」
       と書かれていらっしゃるので、“心無い読者の多少の悪口” ぐらいは歯牙にもかけないだろうと思われますが …。

       でも、素人からすれば、やっぱり 「批判記事」 って、書かれる方も書く方も消耗しますね。
       

  4. marusa. より:

    >だけど、私は彼女の文章にお金を払う気がしない。
     だって、面白くないのだ。
    > 当然、「作家」 という肩書きを持つくらいならば小説だって書いたりするんだろう。
     でも、読む気にならないから、彼女の小説というものを買ったことがない。

    私も林真理子は好きではないありません。しかし、駄作もあれば、料本もあります。読んだことがないであれば、面白いか否かはわからないと思います。インタビューや週刊誌の文字は作家としての彼女ではなく、それゆえ安直に「小説家としてありなの?」と問うのは見識を疑います。本を読んだうえでの考察が必要と思います。
    その後の文の展開はなかなか面白かったので、残念です。

    • 町田 より:

      marusa さん、ようこそ
      私自身は、短いインタビューにせよ週刊誌などのエッセイにせよ、それに関与する限り、そこにその人の “作家性” というものは現れると思っています。
      発言された言葉が、たとえ一言であっても、そこにはその作家なりの思想や信条がにじみ出るものだと信じています。

      ただ、今回の件は、marusaさんのおっしゃる通りですね。
      >>「読んだことがなければ、面白いか否かは分からない」。
      それは、まさにおっしゃるとおりです。
      多少、傲慢になっていたかもしれません。
      だから、見識を疑われても仕方がありません。

      私自身も、自分で読み返してみて、林さんに対して失礼な書き方になっていることを認めます。
      だから、marusaさんのおっしゃるように、本を読んでからの考察が必要なことも認めます。
      これは、いずれ決着を付けるつもりです。

      大切なことを教えていただくコメントをお寄せいただき、感謝しております。
       

  5. 向井理子 より:

    林真理子の本はかなり読んでいます。昔はくだらないので読んでいることが恥かしくて人には言えませんでしたが。NHKドラマなどの原作が好評で、馬鹿にしていたひとたちが、好い文、いいところもあるとやや認められるよになる。全くファンではないが、たくさん本を読むなかで、その一部の一部で本はたくさん買っています。
    男はブスが嫌いで、町田さんもブスだけで本まで全く認めていませんが、女性が共感できるくだらなさがおもしろい文なんですよ。女性あるある。写真集はありえませんが、だれが止めろよとみんな思っているのになぜわからない。ダイエットしてきれいになった気でいますが。小朝さんのネタで、ブスはやせてもブス。写真集は売れているんですか?

    • 町田 より:

      >向井理子さん、ようこそ
      コメント拝読し、>>「女性が共感できるくだらなさが面白い」 というご指摘、なるほどな、と納得しました。
      そうなんですよね。いろいろな知識や教養みたいなものばかり教えてくれるような書籍だと、そのうち息が詰まってきますものね。

      読み物に接する楽しさには、「こいつくだらねぇこと書くよな、だけど俺にもそういうところあるよな … 」みたいな、著者と読者がお互いの弱点をさらし合うときの快感というのが、確かにありますものね。
      林真理子さんという作家は、そのへんのところが上手なんでしょうね。

      彼女は、自分の弱点をさらすということを怖がっていませんものね。
      サービス精神が実に旺盛な方なのかもしれません。
      だから、時に強いこともしっかり言える。
      林さんの写真集というのも、そういうサービス精神の発露なのでしょうね。

      ま、私の場合、「ブスだから本まで認めない」などと言い切るつもりはないんですよ(笑)。実際、直木賞をとった『最終便に間に合えば』などは、さすがに面白いなぁ 、と感服しましたから。
      そのタイトル作を収録した短編集はみな粒ぞろいです。

      やっぱり作家として、いいアンテナ感度を持っている方であるようにも思います。
      最近の連載エッセイで、人気のない夜の空港で一人でフライトを待っていたときの寒々とした情景を綴った文章などは秀逸だと思いました。
       

  6. 向井理子 より:

    返信ありがとうございます。町田さんの返信、内容にはいつも感動します。文才のある方は林真理子の文才のなさに腹が立つのでしょうね。普通の感覚で普通の人の文が読者に受ける、日本の歌謡曲みたいだ。音もはずれ音符も読めない歌手が声もなってないのにプロの歌手。幼少から英才教育をうけ、有名音大を出てコンクールで賞を総なめしてもクラッシックでは食べていけない音楽家。才能、優れた音楽より、カラオケですぐ真似できるようなそのへんの歌が売れる。その辺の物書きでも売れる。
    小説家も理系女も才女もブスが多いから小保方レベルで大騒ぎ。よかった、ブスでも読むんだ。物書きもブス多いから本からであうからいいよね。。「最終便に間に合えば」やテレビの原作は、林真理子のよさがわかってない人なんだな。あたりはずれが大きいのでみつけにくいが、いい作品もある。

    • 町田 より:

      >向井理子さん、ようこそ
      なるほど、鋭いご指摘ですね。
      >>「文才のない人には、一見 “普通の人が普通の感覚で書いている” ような林真理子の文章に腹が立つ」
      というのは分からないでもありません。

      他人の「文才」が気になる人というのは、やはり自分でも多少はものを書いたりする経験を持っている人ではないかと思うのですが、「文才」がない人の最大の特徴は、「自分には文才がある」と思い込んでしまうことではないかという気がいたします。
      そういう人は、誰のどんな作品を読んでも、基本的に「こいつはフツーのことしか書かない」と決めてかかってしまい勝ちです。

      確かに、林さんが雑誌の連載エッセイなどに寄せている文章の多くは、「フツーの人がフツーの感想を綴っている」というふうにしか読めない場合もあります。
      それでも多くの作品を世に問えば、その中から珠玉の文章が生まれてくる可能性が十分にある、ということですよね。

      私が、林真理子さんのことをうらやましいと思うのは、向井さんのように、数多くの林作品を読破した後で、その中から素晴らしい作品を探し出してくれる読者を得ているということです。

      林真理子という作家は、そのような理解者たちをしっかり獲得している実力作家なのかもしれませんね。
      「好き嫌い」は別としても (笑)。
       

  7. 向井理子 より:

    町田さんのコメントは鋭く、的確ですね。
    芸能界では、林真理子の写真集と北野武の映画出演が裸の王様で、だれかがおかしいというべきことだと思います。
    北野武の大久保清あたりの役は味があって珍しい存在があったが
    いまは、誰も本当のことを言う人がいない。悲しい存在を社会みんなが知っていて

    • 町田 より:

      >向井理子さん、ようこそ
      コメントありがとうございます。
      なるほど。
      林真理子と北野武は、「裸の王様」。
      う~む ……。
      そうかもしれませんね。

      林真理子さんの写真集は、彼女自身のナルシスティックな喜びを満足させるものであったかもしれませんが、いちおう「周りの編集者があれよあれよといううちに話を進めてしまって … 」という言い訳をす用意する程度の照れが感じられます。だからそれは少し許せるような気もするんですが、北野武さんの「映画」はなぁ … 。

      けっこう映画マニアでは評価する人も多いのですけれど、テレビで『その男凶暴につき』など見ていても、多少面白いのは前半だけで、あとはあまり感心しませんでした。
      ましてや『座頭市』までやってしまうとね。
      あれなどは、むしろ勝新太郎の凄さを改めてアピールするような作品になってしまいましたね。
      でも、そんな北野武にもう誰も何もいえなくなってしまった。

      たけしさんは、すでに芸人としての金字塔を打ち立てた人なんだから、無理して “ゲージュツ” まで志向しなくてもいいように、私もまた思います。
       

  8. 山本雅洋 より:

    この方はこれでいいのです。年齢、デビュー時期を思えば、バブルを背負った世代。小説以外の仕事は自身がまだ素人で、ミーハーな感覚があるからでしょう。小説も以前よりは部数を減らしたかもしれませんが、それはCDが売れなくなったように、様々な要因があるからです。直木賞をとっても残らない作家もいるなかで、彼女は書き続けています。この方はこれからもこれでいいのではないでしょうか?

    • 町田 より:

      >山本雅洋さん、ようこそ
      林真理子さんの評価、山本さんのおっしゃるとおりかもしれませんね。
      直木賞・芥川賞を取っても残っていない作家がたくさんいるなかで、一貫して創作活動に励んでいるということ一つをとっても、十分に評価に値するともいえるでしょう。

      けっきょくは読者の方の問題で、食べ物や音楽にも個々人の好き好きが反映されるように、読者には作家に対する好き好きも出てきてしまうということなのでしょうね。
      たまたま私はこの作家に対する評価が薄いときにこの記事を書いてしまいましたが、それでもこの方の書かれたもののなかには非常に面白く感じたものもありました。そのことはこのブログ内の他の記事でも書きました。
      だから、私のなかで、今後林真理子さんへの評価が変わっていくことも十分あり得ると思っています。

      コメントに対する返信がたいへん遅くなり、申し訳ありませんでした。
       

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