きっと、ここが帰る場所

 
 『きっと、ここが帰る場所』
 2012年夏 (6月30日) に公開される映画だ。
 主演するショーン・ペンの存在感がすごいと、すでに評判になっている。

▼ 映画のスチール

 とても観たい映画だし、観たら、またなにがしかの印象記を書きたくなるだろうけれど、ここで書くのは、その映画のことではない。(まだ未見だし … )
 ※ 観た後の感想文はこちら → 「きっと ここが帰る場所」

 観てもいないのに、自分が惹かれたのは、この映画のタイトル。

 きっと、ここが帰る場所。
 (THIS MUST BE THE PLACE)。
 なんだか、すごく切ない響きを持った言葉に思えたのだ。
 映画とは関係なく、このタイトルだけで、十分に想像力を刺激されている自分がいる。

 「きっと、ここが帰る場所」

 トーキング・ヘッズの代表作として知られた曲のタイトルでもあるという。
 しかし、自分はその曲で歌われている意味もよく知らない。
 だけど、秀逸なタイトルであることだけは分かる。

 いろいろな解釈ができる。

 さまよい歩くような人生を送った人間が、最後に見つけた安住の地。
 はじめて訪れた地なのに、ふるさとに戻ったような懐かしさを感じ、永住する覚悟を定めたときに生まれる感慨とは、こういう感じか。

 比喩としても、なりたつ言葉だ。
 たとえば、生きる目的を探していた人間が、「生きがいを感じられる仕事」 のようなものにめぐりあったとき。
 あるいは、浮気を重ねた男が、最後に見つけた 「純愛」 。

 だけど、自分の場合は、「きっと、ここが帰る場所」 というようなものを、実生活においても、比喩においても、一生得られないだろうと思っている。
 いや、もしかして、ほとんどの現代人が、このような “場所” を知ることなく人生を終えるような気がする。

 きっと、ここが帰る場所

 それは、炎天下の道の遠くにゆらめく “陽炎 (かげろう)” みたいなもので、追いかけた分だけ、その向こうに退いていくもののように感じられる。

 それは 「死」 の比喩のようにも思える。
 自分が 「きっと、ここが帰る場所」 にたどり着けるのは、死が訪れるときのみだろう。
 しかし、「死」 は、当人には理解することも経験することもできないものだから、その場合においても、またしても、「帰る場所」 は遠のいていく。

 そのように、「ここが帰る場所」 というのは、“PLACE” としては、実はこの世にはあり得ないものでありながら、でもその言葉は厳然と存在し、かつリアルな手応えを持つ。

 「きっと、ここが帰る場所」
 とは、いったいどこを指すのだろう?

 たぶん、それは、自分にとって 「ふるさと」 という言葉と同じなのだ。
 しかし、それは、現実の 「ふるさと」 ではない。
 どこにもない 「ふるさと」 。

 その 「ふるさと」 にたどり着いたとき、つぶやきのように漏れる言葉が、「きっと、ここが帰る場所」 。

 その言葉の玄妙な味わいに、目が眩 (くら) みそうになる。
 
 
関連記事 「荒野の思想」
 
関連記事 「ノスタルジー」
 
 

カテゴリー: コラム&エッセイ   パーマリンク

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong> <img localsrc="" alt="">