ボルジア家のドラマに夢中

 
 金曜日の夜は、23時から放映されるWOWOWプレミアムの 『ボルジア家–愛と欲望の教皇一族 (THE BORGIAS) 』 というドラマを観るのが楽しみになった。

 映画ではなく、テレビ放映を意図した連続大河ドラマらしいのだが、その映像的な華麗さ、時代考証の正確さ、そしてキャストたちが演じる人物造形の深さ、さらにはセリフの美しさ。何をとっても一級品であるように思う。

 だんだんすごくなる。
 というか、鳥肌が立つのを覚えるほど怖くなる。

 昨日の第6回 「不貞の愛」 など、観ていて心が凍りつくような戦慄が身体中を何度も駆け抜けた。

 ドラマの内容は、15世紀のルネッサンス期のイタリアで、ローマ教皇というカトリック教会の最高指導者でありながら、俗世間的な権力欲と淫蕩な愛欲にまみれた男アレッサンドロ (アレクサンデル) 6世と、彼を支える家族たちの生き様を描いたもの。

 番組の紹介文では、次のように記されている。

 「 “史上最もスキャンダラスなローマ教皇” 、アレクサンデル6世とその一族。彼らが欲望のために権力をふるった時代をドラマティックに描く。
 教皇でありながら美しい愛人を持ち、一族を使いあらゆる手段を使って教皇の座を守ろうとする。愛、権力、暗殺 …… それぞれの野望がいま動き出す … 」

 つまり、稀代の “悪人” が主人公になっているわけだ。

▼ ジェレミー・アイアンズ演じるアレッサンドロ6世

 このカトリック教会最大の 「悪徳教皇」 といわれるアレッサンドロ6世には、その狡猾 (こうかつ) な政治手腕を受け継いだ長男のチェーザレがおり、その淫蕩な性癖を受け継いだホアンという次男がおり、そしてその長男と次男をコピーしたようなルクレツィアという長女がいる。

▼ チェーザレ・ボルジア役のフランソワ・アルノー
油断ならない目付きが、いかにも 「チェーザレ」!

 この一癖も二癖もある兄妹たちの一番下には、ホフレというまだ天使のあどけなさを顔にとどめた末弟がいる。

 父のアレッサンドロ6世は、この子供たちを政権維持の道具として機械のように冷酷に使うことをためらわない。

 長女のルクレツィアは、イタリアでも当時最強の武力を誇るスフォルツォ家に嫁がされ、軍事力で教皇一族を支えるための道具として使われる。

▼ ルクレツィア

 末弟のホフレは、イタリア侵略を狙う大国フランスを牽制するために、フランスが王位継承権を狙うナポリ王国との同盟強化の道具として、ナポリ王国の王族の血を引く娘と政略結婚させられる。

▼ ホフレ・ボルジア

 教皇は、このような外交戦略に実子を次々と投入しながらも、一方では、庶民の父親が抱くのと同じように、子供たちの幸せを願い、親バカに近い愛情を注ぐ。

 一人の男の中に存在する 「戦略家として無慈悲さ」 と 「凡庸な父親としての優しさ」 。
 本来なら成り立たないはずの 「政治」 と 「愛」 が、時と場面によって、デジタルに切り替わるときの怖さ。
 その人格が変わるときの、アレッサンドロ6世の不気味さを、主役のジェレミー・アイアンズは見事に演じきる。
 そこに、悪徳教皇アレッサンドロ6世のスケール感が浮かび上がってくる。

 一方、その子供たちも、したたか … というか、恐ろしいというか。

 長男のチェーザレは、舞踏会で見初めた美しい貴婦人をものにするために、その夫である男を待ち伏せして決闘を挑み、殺戮の果てにティベル川に流してしまう。
 そして、何くわぬ顔をして、「旦那が旅行している間だけ自分の愛を受け入れるように」 と婦人を誘惑し、不倫の愛に溺れる日々を送る。

▼ チェーザレ・ボルジアとその愛人

 「殺戮」 と 「淫行」 。

 神が定めた戒律を平気で踏みにじるチェーザレの身分は、なんと神の忠実な下僕 (しもべ) であることを要求される枢機卿なのだ。

 もちろん、このへんは史実かどうか分からない。
 ドラマを面白くさせるために脚本家が挿入したエピソードだと思う。
 しかし、「あの親ならこの子あり」 という背徳にまみれたボルジア家の禍々しい匂いを伝えるには格好の話であるように思う。

 チェーザレの弟のホアンも淫乱さにおいては、父や兄以上だ。
 彼は、ナポリ王国の王族の娘のもとの婿入りする末弟ホフレの随行者としてナポリに赴き、なんと新郎と新婦の初夜が執り行われる前に、その花嫁を誘惑して姦淫する。

▼ ホアン・ボルジア

 スフォルツォ家に嫁いだ長女のルクレツィアはどうか。
 彼女もまた、嫁ぎ先の馬丁である美青年を誘惑し、なんとその美青年に因果を含ませ、旦那の乗る馬の鞍に仕掛けをほどこさせる。
 旦那は狩りの途中に見事に落馬して、しばらくベッドに伏せることになる。そのタイミングを利用し、彼女は馬丁と密会を重ねる。

▼ 美青年の馬丁と恋に落ちるルクレツィア

 実際のルクレツィアは、ただただ父親の政略結婚の道具として振り回されただけの無力なお嬢さんにすぎなかったと言われるが、ドラマでは、父や兄たちに負けないしたたかな娘として描かれている。

 そういう子供たちを持つ肝心の父親はどうか。

▼ アレッサンドロ6世とその愛人

 彼は、愛人とベッドの上で戯れながら、その美しい脚を開かせ、膝の辺りに指を置いて、
 「ここがローマ」
 と、優しくなでる。
 さらに、足首の方に指をずらし、
 「これがナポリ」
 と、自分の勢力が拡大していく地域を愛人の脚にたとえながら、満足気につぶやく。

 一転して、その指は女の下腹部に及ぶ。
 「そして、ここが果実の潤うフランス」

 彼の心には、女を愛でることと権力を拡大させることが等価値で並んでいる。

 自分の脚を愛撫する教皇の姿を、愛人の女は、やや蔑むような笑みを浮かべて見下ろす。
 その顔には、そのような権力者に選ばれた愛人としての喜びと、そういう男を手玉に取っている満足感が漂っている。

 おぞましいといえば、おぞましいシーンなのだが、そこには、権力欲と愛欲という、人間の情熱を駆動させる禍々しい力の存在が見事に描かれている。

 このドラマを 「怖い」 と思うのは、そういう目を背けたくなるような人間の行状が、手のひらに汗をかくほどのスリリングな興奮と、心がとろけそうなときめきを引き寄せてくることなのだ。

 そこには、「人間としての道を外れること」 こそ 「自由へ至る道」 という悪魔のささやきにも似た禁断のメッセージが込められているようにも感じられる。

 だから、怖い。
 そういう禁断のメッセージに 「真実」 と 「美」 を見出してしまいそうになる自分が怖い。
 しかし、そういう力を持つドラマこそ、誠に鑑賞に耐えられるドラマと言い切れるのかもしれない。

 話に奥行きを与えているのは、アレッサンドロ6世の宿敵といわれるローヴェレ枢機卿の存在。
 アレッサンドロ6世亡き後に、ローマ教皇の座を獲得し、後にミケランジェロなどとも交流を持つことで知られる 「ジュリオ2世」 となるわけだが、この人の策謀家としての迫力も見事だ。

▼ ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ卿

 冷酷で陰険。
 で、ありながら、もっと野蛮なミラノの僭主やフランス国王などの前に出ると、ちょっとひるんでしまうという、インテリとしてのひ弱さも見せてしまう。
 そういう不安定な地位にいる陰謀家の役を、コルム・フィオールという役者さんがうまく演じている。

 味方にも、敵にも弱点がある。
 しかし、その弱さにたじろぐところにこそ人間らしさが漂い、人間の邪悪さも崇高さも際立ってくる。

 久々に出合った大人の鑑賞に耐えられるドラマだという気がする。
 
 
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