息子が小説を書く

 
 長男が突然、
 「今、小説を書いているんだ」
 と、言い始めた。

 先週の休日、久しぶりにキャンプにでも行かないか? と誘ったときのことだ。
 
 小説を書く …。
 
 まず、そのような言葉が彼の口から出たことが驚きだった。
 
 年齢的には30歳。
 まだ、独身。
 仕事は、あるような …、ないような。
 
 正月などは家に戻ってきて家族マージャンをやったりすることもあるが、それ以外では、どのような生活をしているのか、あまり話すこともないし、こちらもあえて尋ねることもない。
 
 会ってしゃべるときも、たわいない雑談がほとんど。
 “テーマ” のある話といえば、プロ野球のことか、サッカーのことか、パソコンのことぐらい。
 
 だから、
 「小説を書いているんだ」
 という言葉は、青天の霹靂だった。
 
 聞くと、友だちの中に詩を書く青年がいるらしい。
 それを読まされたりしているうちに、自分も刺激を受けて、詩を書くようになり、やがて、小説を書いてみようかという気分になったという。
 
 さっそく読んでみる。
 ノートパソコンの中に、びっしりと文字が埋まっている。
 けっこう長い。
 400字詰め原稿用紙に換算すると、150枚程度だという。
 
 ストーリーは、夏休みを利用して東南アジアを旅した学生の主人公が、些細なことをきっかけに、地元の犯罪組織と関わり、危険な仕事をむりやりやらされながら、そこから逃れるために四苦八苦するというもの。
 地元の女の子とのラブロマンスがあり、アクションがあり、ついでに観光情報サービスも盛り込まれている。

▼ うだるような暑さの東南アジアの都市が舞台
 

 「へぇー、よく書いたな」
 というのが正直な感想。
 150枚という分量のなかで、起承転結を抑えながら、ひとつのストーリーを完成させるなど、その集中力だけでも褒めてやりたい気持ちになる。
 親バカを承知でいうのだが、けっこう面白いのだ。
 
 もちろん初稿だけあって、つたないところもいっぱい。
 状況を説明するのに、登場人物の口を借りて延々と語らせるなど、小説としての洗練度も足りず、章立ても改行もなく話が進んでいくので、場面転換がうまく伝わってこなかったりする。
 また、ワープロの文字変換をあまり意識していないので、最近ではあまり使われないような難しい漢字が多用される傾向も強い。
 
 しかし、「小説」 としての基本骨格はできているのだ。
 エンターティメント小説が成立するときの条件となる 「次はどうなるんだろう?」 という読者の期待を高めるテクニックなどは自然と身に付いているし、登場人物のキャラクターの描き分けもできている。
 
 面白いのは、主人公のかもし出す雰囲気が、村上春樹の初期の作品集に出てくる (主人公の) “僕” に似ているところ。
 けっこう悲惨な状況に巻き込まれているのに、そういう自分をどこか “他人ごと” のように突っ放して眺めるときのタッチが似ている。
 
 高校生の頃から村上春樹をよく読んでいたのだという。
 そんな話も、今まであまり聞いたことがなかった。
 
 主人公のことを好きなのか、好きでないのか、そのへんがよく分からないようなヒロインが饒舌になるときの口調も、どこか村上春樹風。
 
 地元のマフィアたちの描き分けにおいても、犯罪組織の下っ端の方は、凄みの利いたゴロツキ風であるけれども、上の幹部クラスともなると、これも春樹風の 「メルヘンと現実の境界で生きる住人」 の影を帯びる。
   
 ただ、村上春樹の 「冷たさ」 はない。
 彼の小説では、ヒロインがよく死ぬ。自殺させることも多い。
 春樹は 「死の作家」 なのだ。 
 たとえ、その死がはっきりと描かれていなくても、
 「もしかしたら、このヒロインはすでにこの世にいないのではなかろうか?」
 と思わせるような雰囲気を漂わせることが多い。
 
 長男の書くものにはそれがない。
 きわめて健全。
 それが、やや奥行きを欠いた平板な印象を強めてもいるが、救いを信じられる人間の明るさも漂わせている。
 
 課題があるとしたら、日常的なシーンに漂う “村上ワールド” 風の世界と、アクション全開シーンの文体的統一感がないこと。
 「静」 から 「動」 に至るときの文体が変わるので、ひとつの小説の中に、作家が 2人同居しているような感じもする。
 ま、処女作なのだから、そこまで細いことをいうのは酷かもしれないが …。
 
 聞くと、最近は仕事の合間を盗んで、資格試験をとるための勉強を始めているのだという。
それによって、頭脳活動が活発になったことが、小説執筆の衝動も生んだらしい。
 
 本人がどう思っているのか知らないが、何作か書いた後、何かの賞を目指して、そのうちの一つを投稿するようになるかもしれない。
 そうなったら、それもいいだろう。

 たいていの投稿者は、まず落選する。
 落選する方が当たり前なのだから。
 しかし、一度はそういうものを目指して、自分のエネルギーを傾けることは悪いことではない。
 夢が叶わなくても、「何かが書ける」 という自信を持ったときに、その人間の “世界” の見方は変わる。
 そういう副産物を得ることの方が、プロの作家になることなんかよりも、もっと大切なことかもしれない。
 
 親として言ってやれることは、せいぜいそんなことだ。  
  
 

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息子が小説を書く への2件のコメント

  1. スパンキー より:

    おっ、イイですね? 遂に書き始めましたね。
    町田さんのDNAをしっかり継いでいるので、そういう素質はあるのは確かでしょう。
    村上春樹風というのがまた憎い。で、村上春樹から暗さを抜いてアクションを加えると、
    どうなるのだろう?  
    そこがちょっと分からないけど…(笑)
    ウチの息子はたかが私の遺伝子なので、長編はまだまだですが、まあいろいろと挑戦してくれているので、それで良しと思います。
    若い奴がなにか動き始める、やり始めるというのは、ホントに良いことですよね。
    こんなじじぃだって、新しいことをやってるんですから(爆)

    • 町田 より:

      >スパンキーさん、ようこそ
      息子のこととはいえ、やはり身内のことを紹介するのはテレるもんですね。
      ましてや、スパンキーさんから期待されるようなコメントをいただいてしまうと。

      でも、>「若いやつらが動き始めている」 ことを見るのは本当にいいもんですね。
      安心して引退できそうです。
      「最近の若い連中はすごい」 というようなことを、ときどき感じるのですけれど、そのときのひとつの基準に、やはり自分の息子と、その友人たちの姿が浮かんできます。息子にもいろいろな友だちがいて、中にはうちに泊まりに来る子もいるし、一緒に焼肉などを食べに行ったりする仲間もいます。

      みんな、エラソーなこと言ったりすることはまったくなく、ごくフツーに生きているんですけど、考え方もしっかりしているし、いい連中なんですよ。
      そういう連中といっしょにいると、「日本の未来は明るいな」 と感じることもあります。
       

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