マンハッタンの哀愁

   
 マルセル・カルネ監督が制作した 『マンハッタンの哀愁』(1965年)には、一部だけ伝説のジャズピアニストであるマル・ウォルドロンの名曲 『オールアローン』が使われる。
 それが、なかなか画面と合っているところもあった。

▼ 「マンハッタンの哀愁」

 この『オールアローン』という曲からは、「都会の朝」 を感じるのだ。
 ただ、それは決して、希望に満ちた明るい朝ではない。
 歓楽にうつつを抜かした人たちの前で、夜が白々と明け、遊び疲れて帰る人たちの目に映るさびしい朝だ。

▼ 「オールアローン」 from YOUTUBE

 「ALL IS OVER」
 もはや、これまで。

 苦しいことを忘れるために夜通し遊び呆けても、その時間が終わり、再び現実の世界に連れ戻される時の諦観。
 そんな気分にとらわれた朝に、この音は身にしみる。

 若い頃、よくそんな朝を体験した。
 動き始めた始発の電車に乗るために、胃に溜まったアルコールがじゃぶじゃぶ動く気配を身体に感じながら、重い足取りで駅に向かう。

 夜の闇が消していた路上のゴミがあちこちに転がり、その光景も “宴の後の哀しみ” を倍加する。

 あれだけ飲んでも癒されることのなかった、さびしさ。
 そんなものが、深い後悔の念といっしょに湧き上がる。
 そんなとき、いつも頭の中に、マル・ウォルドロンの『オールアローン』が鳴った。

 私は、けっこうこの訥々(とつとつ)とした演奏を繰り広げる彼のアルバムを持っている。
 ジャズマニアではないので、彼の技量がどれくらい評価に値するものなのかどうか、よく分からない。

 しかし、その哲人らしき風貌と、その演奏スタイルは妙に合っているように思う。

 「言葉を、音楽に変えて思索している」
 という雰囲気が伝わってくるからだ。

▼ 「TOKYO BOUND」 のジャケットに描かれたマルの肖像

 “アローン” とついたマルの曲では、ジャッキー・マクリーンとの共演で知られる『レフトアローン』の方が有名かもしれない。
 これも切々とした哀愁のこもった名演であるが、流行り過ぎたせいか、何度も耳にしているうちに、いささかその通俗性が鼻についてきた。

 しかし、『オールアローン』の方は、絶対零度の孤独が、とろりとした濃さをともなって演奏の底に、ピュアモルトウィスキーのように潜んでいる。

 聞くところによると、この 「オールアローン」のレコーディングには、あと二人のサイドメンが参加する予定だったという。
 しかし、レコーディングが始まる時間になっても、その二人は現れなかった。
 そこで、仕方なくマル・ウォルドロンはひとりでピアノに向かい、録音を開始したという。

 その “取り残された” 気分のさびしさも、もしかしたら演奏に反映しているのかもしれない。
 アルバム全般を通じて、身体の芯が凍るような冷え冷えとした孤独感が、鍵盤を叩くトーンに横溢している。

 表題曲もいいが、「ルカの眺め」、「忘却のワルツ」などといった曲もいい。
 特に「忘却のワルツ」の同じ旋律が微妙な変奏を伴って繰り返されるところは、聴くたびに心が震える。
 どこまで続くか分からないような螺旋階段を、地下に向かってひたすら降りていくような気分になる。

 そこには上質の文学に触れるような酩酊感がある。
 マルの音は、どれも「音楽」の枠を超えて、聞き手に想像力の広がりをもたらす。

 彼の 「オールアローン」と「忘却のワルツ」に触発されて、昔、短編小説を書いたことがある。
 稚拙さが目立つ作品で、とても人様の前に差し出す気にもならないものだったが、そのようなものを書こうという気にさせたマル・ウォルドロンの演奏の力は、さすがだと思ったものだった。

 風貌もそうだが、人の想像力をかきたてるという意味で、彼には「音の哲学者」という雰囲気がある。

▼ 「マル4」

 
 
参考記事 「マンハッタン追想」

参考記事 「勝手にしやがれ」
  
 

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