竹内まりや 『夏の恋人』

 
 四季の中で、いちばん寂しい季節は、秋でも、冬でもなく、夏だ。
 
 草原も樹木も、燃え立つような生命感をみなぎらせる夏。
 空と海が、限りなく膨張していくような解放感を漂わせる夏。
 
 しかし、だからこそ、ちょっとした陽の陰った軒先や、光り輝く樹木の葉の裏を黒ぐろと染める影には、どことなく、一足早い夏の終わりを匂わせる気配が立ち込める。
 
 夏のいちばん美しい瞬間は、燃え立つ陽光の中に、終末の影が通り過ぎていく時に訪れる。
 
 「明るく、美しい。だからこそ、はかない夏」
 
 それは、「幸せというものは未来永劫続くはずなどないのだ」という、人間が古来よりつちかってきた智恵が招き寄せる詠嘆なのだ。
 
 竹内まりやの 『夏の恋人』 は、まさにそのような「はかない夏のいとおしさ」を謳った歌である。
 
 ▼ 竹内まりや 「夏の恋人」(cover)

 この歌には、寂しさや悲しさを表現した箇所はひとつもない。
 むしろ、全編が、恋の予感を楽しむ若者の喜びに満たされている。


 
 しかし、この歌の美しさそのものが、実は「終末の予兆」を背景に浮かび上がってきたものであることを見逃してはならない。
 
 それを、何よりも物語っているのが、この心地良い「けだるさ」だ。
 プールに反射する陽のきらめきを思わせるギターの響き。
 そして、退屈なまでに同じ音を繰り返す潮騒の音をアレンジしたような、エレピとサックス。
 
 しかし、それは恋の予兆にときめく人間の歌ではなく、すでに恋の成就のあとに訪れる心地良い疲労感に身をゆだねている人間の歌だ。
 
 つまり、そこには、幸せの絶頂にいながらも、さざなみのように静かに迫り来る終末の予兆を見つめている人間の心が歌われている。


  
 歌詞をたどってみよう。
 
 「こぼれたワイングラスに、浮かぶしずくが光って … 」
 
 「まるで、いつか観た映画の中のひとコマみたいね」
 
 「不意に風が止まる、それは愛の始まりの静けさ」
 
 どれも甘いときめきの中にまどろむ幸せな人間の心理を歌っているように思える。
 
 しかし、
 
 「こぼれたワイングラス」
 「いつか観た映画」
 「風が止まる」 
  
 そこには、「愛が始まる」という歌詞とうらはらに、むしろ “終わってしまったもの” の影が、ひっそりと刻印されている。
  
 だから、歌の中の主人公は、その不安を打ち消すように、
 「きっともうすぐだわ、胸に迫る、まぎれもないハッピーエンド」
 「見事なハッピーエンド」
 と、自分に言い聞かせるように、繰り返さざるを得ないのだ。
 
 そもそも、ハッピーエンドそのものが、すでに終わり(エンド)なわけだから、そこから先には、もう何もないのだ。
    
 この曲には、夏の真っ盛りにたたずみながら、すでにその夏を、はかなく、いとおしく感じるという「終焉の場」から夏を振り返る視線が導入されている。
    
 日本語で歌われた “夏の歌” で、これほど甘く切ない歌をほかに知らない。
  
    
 参考記事 「夏の広がり
 
 参考記事 「海辺の叙景 (つげ義春の夏) 」
 
 参考記事 「夏なんです」
 
 
 

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竹内まりや 『夏の恋人』 への4件のコメント

  1. NEO より:

    はじめまして、町田さんこんにちは!
    以前からブログをたのしく読ませて頂いております、27歳・修行中の者です。
    人生の先輩の前ですと、どうしても緊張して萎縮してしまうのですが、
    今日のように普遍的なテーマのときぐらい
    「自分を出すんだ!」の精神で、コメントを書いております。

    私も以前から夏が大好きで、
    家族に「ほんと好きだねぇ」とあきれられるぐらいの夏ファンなのですが、
    やはり私もいちばんさみしい季節は夏だと考えます。
    明るく、眩しいぐらいの輝きと解放の表裏に、
    いくつものせつなさ、孤独、無力さのようなものを覚えます。
    「残暑」なんてことばは、それだけでさみしいぐらい。
    夏になるといろんな場所でイベント等があったりしますが、
    私たちはおそらく、
    人間的なところで「お祭りは、おわる」という自然の摂理(?)のようなものを、
    意外と肌の部分ではわかっているような気がします。

    以前、
    本職のコピーライターである糸井重里さんが話してらっしゃいましたが、
    糸井さんももっともセンチメンタルな季節は夏のような気がされるそうです。
    「遊んでばかりいる夏休みのこども」のような人生が、
    その「夏のおわりのさみしさ」も含めて理想的な人間の生き方、
    のような気がするそうです。興味深いですね。
    思えば、自分がキャンプやキャンピングカーに対して思うあこがれも、
    いくつかの面においては夏の生き方へのあこがれなのかもしれません。
    ・・・今年は、ひさしぶりにキャンプへ行きたくなってきました。

    ちなみに自分が好きな夏の曲は、
    有名どころで申し訳ないのですが、久石譲さんの「summer」です。
    ・・・今、考えてみて気づいたのですが、
    あの「菊次郎の夏」という映画も
    夏へのさみしさ、はかなさ、いとおしさのようなものがたっぷり詰まってました。
    作中での風も、常に止まっているような気がします。

    ひまわりの匂い、と書くと、
    それだけで夏の美しさと輝きを感じますが、
    実はひまわりに匂いなど無い、というのが夏の正体なのかもしれません。

    すっかり長くなってしまいました。
    個人的な部分ですが、
    町田さんは私のような世代に対してもやさしい眼差しを持ってらっしゃるので、
    こちらもこうしてなんとか心をひらくことができます。感謝します。
    また、遊びにきますね。

    • 町田 より:

      >NEOさん、ようこそ
      こちらこそ、はじめまして。
      コメント拝読し、NEOさんの “夏” に対する感じ方と、私の感じ方にはかなり近いものがあるような気がして、とても親しみをおぼえました。

      そうですよねぇ。「夏の終わり」 がまき散らす気配というのは、「祭りの終わり」 の気配とかなり近いものがあるのかもしれませんね。
      「喪失感」 というのでしょうか。
      大事にしていたものが去っていく気配。

      あの感覚というのは、夏特有のものという気もします。

      人間の感情に陰影を与えるのは、この 「喪失感」 だという気もしています。
      つまり、大事になものを失うときの辛さとか寂しさみたいなものを知ることが、逆説的に、大事なものの価値を身にしみて覚えることに繋がるような気もしています。

      なんだかよく分からないのですけど、そんな感覚は、特に夏に生じやすいんですよね。ま、それだけ夏が好きだということなのかもしれませんけれど。

      で、面白いんですけど、「 ○ ○ の夏」 っていう言葉は、かならず追想とか、回顧の意識と結びついているんですね。

      『菊次郎の夏』 などという言い方もそうですね。
      そう言葉にしてしまうと、なんだか、そこには 「元気なときの菊次郎はもういない」 という響きが漂ってきませんか?
      「 … の夏」 と付けると、それだけで、どこか 「喪失感」 に繋がった感覚が生まれてくるのが不思議です。

      久石譲さんの曲というのは、そういうノスタルジックな哀愁をその曲の底に沈めているような感じもします。

      『summer』 もいい曲ですね。
      あと、個人的に好きなのは、『紅の豚』 の 「帰らざる日々」 とか、『坂の上の雲』 の 「Stand Alone」 とか、『もののけ姫』 のサントラ全体など。
      ときどき思い出したように聞いています。

      >「ひまわりの匂いと、書くと、それだけ夏の美しさが輝きますが、実はひまわりに匂いなどない、というのが夏の正体かもしれません」
      という言葉には、ドキッとしました。
      ああ、なんだか、そのとおりだな … と思いました。
      いろんなイメージが広がっていく言葉ですね。

      また、いつでもお越しください。
      コメントありがとうございました。
       

  2. ムーンライト より:

    お久しぶりです。
    拝読して、「夏もそうだなぁ~」と思いました。
    高校生の頃、同級生に「花が一斉に咲く春がイヤ」と言ったことがあります。
    「変な人」と思われたようでした。
    そして私も、そんな事を思い、そんな事を言う自分自身が嫌でした。

    近頃は春も夏も好きですよ。
    年をとったのかもしれないと思います。
    かなりいい加減になったのかもしれません。

    2月のはじめに母が脳梗塞で倒れ、現在リハビリ中です。
    永遠に母と娘ではあっても、立場としては逆転している親子。
    「ほら、ちゃんとお辞儀をして」などど、いまだに私に指示し、ついさっきの事も忘れる母。
    そんな母に、花咲く春もギラギラする夏も楽しんでほしいと思います。

    • 町田 より:

      >ムーンライトさん、ようこそ
      >「花が一斉に咲く春がイヤ」 という気持ち、実は分からなくもないです。
      春って、どこか胸騒ぎがするんですよね。
      生暖かい空気に包まれて、種種雑多な生命が撒き散らす漿液が、あちらこちらからドロドロと流れ出てくるようで。
      音にすると、“猫なで声” という感じなんですね。
      別に 「イヤ」 という感じではないんですけど、何か落ち着かないんですね。

      でも、そんな春だからこそ、何か面白いんです。
      不安定な感じを楽しみたいという気になります。

      お母様の介護、さぞや大変なことでしょう。
      >「立場が逆転している親子」
      その感じも分かります。
      私の場合、実父も義母も脳梗塞で倒れたことがありましたから。

      年をとっていくということは、よく言われることですが、赤子に戻っていくということなのでしょうね。
      でも、そういうお母様を大事にされている情景が目に浮かびます。
      ほんと、花咲く春も、ギラギラする夏も楽しんでほしいですね。
       

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