自己承認欲求がネット詐欺を呼び込む

 
 現代人にとってもっとも切実な欲求は、「自己承認欲求」 だといわれている。
 つまり、
 「誰かから、自分を認めてもらいたい」
 という欲求。

 ワセワセと小説書いて、「芥川賞」 とか 「直木賞」 みたいな “なんとか賞” を狙うのも、自己承認欲求。
 仕事で良い業績を上げ、上司やクライアントに認めてもらいたいと思うのも、自己承認欲求。
 もっと身近な例でいえば、ブログを書いて、自分の意見をせっせとネット上で公表するのも、ツィッターで自分の行動を逐一 「 …… なう」 とレポートするのも、みな自己承認欲求。

 こういう欲求は、人類が昔から持っていた欲求なのかもしれないけれど、ネット社会になって、幾何級数的に膨れ上がったような気がしてならない。

 … と大げさにいわなくても、近代社会が成立してから、ぐんぐんと頭角を表すにようになった 「欲求」 であることは間違いない。

 なにしろ、「近代社会」 が成立する以前は、「自分を誰かに認めてもらいたい」 などという欲望を持つ前に、人はすでに “固定化された身分” の中で、身動きが取れない状態で暮らしていたのだ。
 つまり、「自分が誰であるか」 なんて、人間は考える必要がなかった。
 王様は、最初から 「王様」 でしかなかったし、貴族は生まれながらにして 「貴族」 であったし、平民は死ぬまで 「平民」 であった。

 そういう社会では、
 「誰かに認めてもらいたい」
 などと悩むまでもなく、
 「コラ! 庭掃除は終わったのか?」
 「早く年貢を納めろ」
 … みたいな感じで、多くの庶民は常に上の階層の人間から、その存在を “認めてもらっていた” のだ、皮肉なことに。

《 自分は人から認めてもらえないという心配は、近代の病 》

 ところが近代になって、人口流動が激しくなり、都会に出入りする人の数が増えるに従って、人間としての個々人の存在は “軽くなった” 。

 つまり、「土地」 という生産手段から解放され、農業とは異なる工業という生産システムを手にすることによって、人間は次第に 「自分という存在は、他人から認めてもらえないのではないか?」 という不安を持つようになった。
 なぜなら、機械の歯車みたいに人を働かせる工場労働が人間の仕事の中心となるにつれ、人間の 「代替」 が可能になってきたからだ。

 つまりそこには、
 「なに? 病気で休みたいって? じゃクビ! 他の者に交代」
 という 「人間使い捨て」 の思想が生まれていたのだ。

 「自己承認欲求」 というものは、そういう近代的な人間観に抗するものとして芽生えてきた、と私は思う。
 つまりそれは、農村共同体のようなものから解放されることによって人間が手に入れた 「自由」 がもたらしたものなのだ。

 自分は何のために生まれてきたのか?
 自分という存在は何なのか?

 こういう疑問は、自分のポジションを誰かに奪われたとしても、何一つ変わることなく機能していく 「近代式生産システム」 と無縁ではない。

 それでも、才能のある若者は、そういう社会の中においても、文学とか、音楽とか、研究発表とかの領域で、
 「ワシはここにいるぞー! みんな振り向いてくれー」
 と叫ぶことができた。

 しかし、それは運のいい人に限られていた。
 そういうチャンスに恵まれなかった多くの人々は、一生、この欲求を引きずることになった。
 金持ちの人は、リタイアした後に、自分の半生記などを自費出版したがるようになったし、そうでない人は、クレーマーとなって、街のケーキ屋さんの店員に 「箱に詰めたケーキの数が間違っていたではないか!」 などと難癖をつけて自己主張するようになった。

《 ネット社会とは、ヤッホー、ワタシはここよ~ の世界 》

 ところが、ネット社会になってからは、誰もが簡単に端末を利用して、「ワタシはここよ~!」 と、ネットの彼方に広がる無限空間に向かって、ヤッホーできるようになった。
 ブログに始まり、ツィッター、フェイスブックなどという電子的なコミュニケーションツールが広がってきたのは、「ビジネスチャンスを広げる」 などという名目があったにせよ、基本は、それらのものが 「ヤッホー! こっちを振り向いて」 という欲求に簡単に応えてくれるものであったからである。

 しかし、それは、本当の意味で、現代人の 「自己承認欲求」 を満足させる結果になったのか?

 私には、人間が、何万年もかかって築いてきたコミュニケーションスキルを、逆に振り出しに戻してしまったように思えてならない。

 というのは、ネットを利用した 「相互コミュニケーション」 が、人間の 「自己承認欲求」 を逆手にとって、悪い方向に利用されそうな兆候を見せているからだ。

 たとえば、今ものすごい勢いで急増しているという 「出会い系サイト詐欺」 。
 これに引っかかる女性の被害総額が100億円を超えたとか。

 NHKテレビの 「あさイチ」 という番組で特集していたことがあったけれど、それによると、現在、独身女性に限らず主婦層まで、のきなみ 「出会い系サイト」 の “サクラを使った詐欺行為” にコロコロ引っかかっているというのだ。
 その被害状況は、電話を使った 「振り込め詐欺」 なんかよりもひどいらしい。

《 出会い系サイトの新しい詐欺手法 》

 「出会い系サイト」 というと、一般的には、性的な交渉を匂わす悪質勧誘というイメージがつきまとうけれど、最近のサイトでは、「会員の身の上相談に答えるだけの簡単な仕事があります」 という、求人広告の体裁をとっているものが多いという。

 実際に相手と会わなくてもいい。
 携帯やパソコンを通じて、相談相手と簡単なメールのやり取りをするだけで報酬がもらえる、というのだから、これは確かにリスクの少ない魅力的な話に思える。

 で、それにうっかり引っかかって、登録してしまった女性はどうなるのか。

 やがて、 “会員” と称する男性から、私生活上のちょっとした悩みや、憂鬱になった出来事などを報告するメールが届くようになる。
 それも、決まって 「弁護士」、 「医者」、 「会社経営者」 などのステータスを持った男性ばかり。

 しかも、その “悩みごと” というのは、専門的な仕事上のことなどとは関わりがなく、自分の妻との心の行き違いなど、いわば素人でも相談に乗れるようなテーマがほとんど。

 だから、ちょっとした女子会のノリで、
 「女ってのは、そんな生き物なんですよ」
 とか諭すと、相手から 「目からウロコが落ちました」 とばかりに感心され、さらに自分に頼ってくる感じがメールから伝わってくるのだという。

 回答している女性には、いつしか 「自分が弁護士や医者のような知的な職業に従事している男性から認められている」 という想いが芽生える。

 「弁護士みたいなエライ先生と対等に話し合うなんて、最初は無理だと思っていたけれど、案外、私のアドバイスなんかで救われる人もいるんだ!」

 そういう思い込みが、快感を招き寄せる。

 で、どうなるかというと、その “仕事” を斡旋した会社は、彼女に報酬を払うどころか、いろいろと名目をつけて、逆に支払いを請求してくる。
 さらに、その会社とグルになっていた (サクラの) 男性も、「自分が後で払うから、とりあえず立て替えておいてください」 とシャーシャーと言う。
 このようなメールのやり取りが詐欺行為だと被害者が気づくのは、すでに相当な額を振り込んでしまった後だとか。

 こういう被害に遭った人たちは、口々に 「よもや自分がそんな詐欺に引っかかるとは夢にも思わなかった」 と言うらしい。
 つまり、多くの人は、怪しいと思ったときには、すぐに引き返す気持ちを持ちながら、慎重に話を進めていたのだ。
 ところが、ある段階でその慎重さが、スパッとなくなる。
 それは、どういう時か。

 「自分が他者に認められた!」
 という快感を味わった時からである。
 つまり、彼女の 「自己承認欲求」 が、非常に理想的な形で満足させられてしまったときからなのだ。

 「あの、自分よりエライはずの弁護士先生が、私のアドバイスに感心してくれた!」

 これは、恋愛サイトで 「あなたが好きです」 といわれる以上に、人間をうっとりさせるものらしい。
 相手の下心が見えず、ピュアな反応だと思うからこそ、相手の言葉がますます真実味を帯びて響いてくる。

《 面と向い合っていれば、相手のウソはすぐ分かる 》

 かくのごとく、人間の 「自己承認欲求」 は、ときに、人間から分別を奪うほど肥大化してしまうことがある。

 もし、これが面と向かい合う 「リアル・コミュニケーション」 を通じたやりとりであったら、どうなっていただろう。
 ホストあがりのチャラい若者が、弁護士になりすましたところで、その不自然さを、相手になった女性はすぐに見破るだろう。

 仮に、真の商売が伏せられていたとしても、相手の目付きや、言葉を舌に転がすときの仕草、その他もろもろの動作で、女性は動物的な直観を働かし、相手の不自然さを見抜くに違いない。

 ところが、メールだけのやり取りでは、文面以外のことは、ほとんど分からない。
 その文面だって、弁護士なら弁護士らしい言葉づかいとか、医者なら医者らしいシチュエーションを巧妙に伝える定型フォーマットで作られていた場合は、簡単に見抜けない。

 そんな不確かなコミュニケーションツールを、人類はあっという間に手に入れ、いとも簡単に普及させてしまったのだ。
 それは、人類が何万年かをかけて培ってきた、
 「相手の目を見、表情を探り、言葉に表現されたもの以外の情報から人間を見抜く」
 というスキルを無にしてしまったことと同じだ。

 そこから視えてきた (とりあえずの) 結論とは何か?

 要するに、「自己承認欲求」 というものは、それなりのコミュニケーションスキルが備わっていてこそ、満たされるものだ、ということなのだ。
 そこに至らない安易な手法で得られる 「自己承認欲求」 は、薄氷の上に建設された城郭にすぎない (砂上の楼閣ともいう) 。

 かつて、リアル・コミュニケーションしかなかった時代は、
 「ヤッホー! 僕はここだよ」
 と叫んだ場合、まず相手からじっくりと眺められ、髪形や、しゃべり方や、鼻のかみ方、足の踏み鳴らし方をチェックされ、
 「よかろう。お前は確かに日本人の若者だ」
 というような形で、はじめて承認された。
 つまり、「他者の視線にさらされる」 という手続き通して、それぞれの人間が、お互いの自己承認欲求を満たし合っていたのだ。

 メールのコメントだけで、それが満たされると思うのが、そもそもの勘違い。
 だから、ネット上の詐欺が後を絶たない。

《 人間は変わる 》

 ただ、いつしか人間は、その文字情報しか並ばないネット上のやりとりから、その情報発信者のキャラクターやら、誠意やら、熱意などを見抜いていくことになるのだろう。
 人間は常に、どんな環境の中でも、乏しい情報の中から自分の次の行動を選択する方法を学んできた動物である。

 だから、文字配列だけのネット・コミュニケーションが中心となる世が来ても、人々は、モニター上に並んだ文字の、ちょっとした句読点の置き方、改行の間の取り方、使われるボキャブラリーなどを総合的に判断し、それを書いた人間の人柄や真意などを、 “嗅覚的” に探りだしていくことになるだろう。
 すでに、ネット・コミュニケーションに長けている人間は、その感覚を自分のものにしつつある。

 もともと、昔から人間の書いた文を数多く読みこなしてきた人たちは、ネット環境とは関係なく、その 「文を書いた人間」 の心根をそこそこ推測する力を持っていた。
 それを 「文は人なり」 という言葉で表現した。
 ある人間が、生活の場でどんな取り繕っても、その人が書いた文章には、その人本来の 「人柄」 がにじみ出るという意味である。

 だから、日本人には伝統的に、人に接する前に 「文を読め」 という発想法が見に付いている。
 平安時代の和歌を詠むなどという文化は、その最たるものだ。

 だけど、テレビのようなものが発達し、登場人物が言葉を語る前に、その表情がアップにされ、さらに発言内容をテロップで補うような文化が進んでしまうと、文だけ読んで、書き手の真意を汲み取るという作業は、ある人たちにとっては、ハードルが高いものになるだろう。

 しかし、それでも、人の読解力は進化する。
 やがて、メールの文体だけで、書き手の立ち位置を推測する能力を持つ人たちがどんどん育つ。
 ただ、すべての人間がそのような感性を持ったとき、人と人のコミュニケーションがどのように変化するのか … (平安時代のような雅 <みやび> が復活しているのかどうか)、今の私には想像もつかない。
 
 

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自己承認欲求がネット詐欺を呼び込む への2件のコメント

  1. outdoor_dad より:

    お久し振りです。
    私も「あさイチ」見ました(というか、最近は朝ドラを見た流れで何となく見てしまっています)。
    私の「自己承認欲求」の一つであるブログの方は、幸い本業が忙しく欲求を果たせてしまっているのか、最近更新が疎らな状態ですが…
    しかしながら、一日に来る迷惑メールの数を見れば、このような詐欺が多いのが伺えますね(Gmailのお陰で殆ど見る事無く迷惑ホルダー行きですが)。
    あれだけ詐欺の臭いムンムンの迷惑メールが後を絶たないのは、それに引っ掛かる人がいるからなのでしょうね(割に合わなければ出さないでしょうし)。
    結局、人は(金にしろ、自己承認要求にしろ)欲が出ると理性が働かなくなる愚かな生き物ということでしょうか?
    やはり、日々精進ですね!
    私はいつまで経っても無の境地には行き着けそうにありませんが…

    • 町田 より:

      >outdoor dad さん、ようこそ
      私も、毎朝 「カーネーション」 を観ているので、ついついその流れで、「あさイチ」 も観てしまうのですけど、だいたい10分ほど観たところで、出勤時間となります。
       
      「あさイチ」 は、朝のNHKの番組にしては、ときどき民法の夜のワイドショーみたいなネタを取り上げますよね。出てくる言葉も 「出会い系サイト」 … なんて、ドッキリです。
      ま、それで ナニナニ …? と、ついチャンネルも変えずに観ていたんですけど、仮名で出てきた主婦が、「自分が他の人に認めてもらったと思えた瞬間は気持ち良かった」 …みたいなことを言っていて、ほぉ … と思ったんですね。
      やっぱり、「承認要求」 って、みんなが持っている欲求なんだな …って。

      会社に着いて、メールを開くと、その7割ぐらいがなんらかの勧誘メールで、「出会い」 をほのめかす怪しげなヤツが、そのまた3割ぐらい。やっぱりハマってしまう人がいるから、毎日あれだけ垂れ流されるんでしょうね。

      でも、ときどき読んでみると、まぁ、書き手が一生懸命文章を考えていることは分かります。「ムダな努力をしているなぁ」 とも思うんですけど、あれも案外テキスト作成者の 「承認欲求」 だったりするんでしょうかね。
       

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